ミッシングリンク-7
(身体が冷タい……)
何もかもが判然としない世界の中、アラヤはそんな感想を抱いた自分を嗤った。
薄れかけた意識の向こうで、アラヤは小さな電子音を聞き続ける。そのことから、自分がまだ生きていることをどうにか認識していた。もはや痛みはなく、アラヤは己の呼吸音を頼りに身体の実感を取り戻していく。
「……ドウにか、生き延ビた……。どれダけ、寝てタ……?」
アラヤはすさまじく重たい身体を無理やり起こした。サイコマグネメタルが弱いながらもアラヤの意識を保ち続けたことで、アラヤの治療自体は成功している。
(だガモうこれデ二度と、変身を解けナイな)
今アラヤの身体では、サイコマグネメタルが、損傷した内臓を補っていた。仮に再生ポッドによる修復をしようとしても、おそらく今の状態ではアラヤの命が先に尽きるだろう。
呼吸を整えて、ゆっくりと全身の感触を確かめたアラヤは、鉛のように重たい身体に鞭打って立ち上がった。
「水の精製拠点の方ハ、ドウなったンだ……クッ……」
まともにまっすぐ歩くこともままならず、アラヤは焦る気持ちとは裏腹に、のったりとしたスピードで「アトラス」の出入り口へと向かう。
「……!」
曲がり角を曲がろうとして、アラヤはとっさに柱の陰に身を隠した。直後、アラヤのいた場所をエネルギー弾が焼く。
「施設のシステム掌握で手一杯だッタせいデ、マだ敵が……」
アラヤは柱に身をもたせかけたまま、右手の甲を鏡代わりに景色を反射させ、敵の数と位置を割り出した。そのまま身を出さずに左手のみを通路に向け、フィンガーバルカンを連射する。
鏡写しの先でいくつもの爆発が起き、アラヤは一息ついた。それから忌々しげに拳を壁に叩きつけると、壁にもたれてうずくまってしまう。
「モウ嫌だ……」
ぽつりと漏れた泣き言に舌打ちを打ち、アラヤは深呼吸した。
(どちらニせよ、少し休まなイトこれ以上ハ無理だナ)
目を閉じ、昂る心を静める様にゆっくりと息を整える。いくらかマシになっただろうかというところで、不意にアラヤの耳に雑音が飛び込んできた。
「――か?誰か助け――――閉じ――」
ノイズ交じりの音声だったが、それは聞き覚えのあるもの。オレンの声だった。
「なんダ!オイ、どうシた!」
アラヤは声を張り上げるが、どうやら向こうに音は届かなかったようで、繰り返し何度も助けを求めてくる。
「……クソ!」
居ても立っても居られなくなったアラヤは、悲鳴を上げる身体と心を強引に振り切って立ち上がった。そしてバイザーに水精製拠点の座標をモニターさせると、「アトラス」を飛び出す。
ノイズ交じりの救難信号は、だんだんとその音を弱めていった。アラヤは更にスピードを上げ、飛ぶような速度で目標地点へ近づいていったが、突然その足を止める。
「ドウ、なッテる……?」
アラヤは絶句した。目の前に広がる巨大な湖。その底に、海底都市のごとく精製拠点「ティアマト」の施設のほとんどが沈んでいる。あまりに現実離れした光景に、アラヤは昔資料で見た、ダムという治水施設を思い浮かべていた。
アラヤは先の通信の発信源をすぐに探す。
「……あの中ニイるのか」
アラヤの現場到着までは5分もかかっていなかった。しかし、水の中であることを考慮すると、生存は絶望的と言える。アラヤは歯噛みした。
「最低限の仕事は果タスさ」
アラヤはサイコマグネメタルに命令すると、水を酸素に置換するためのマスクを装着し、バイザーをゴーグルのように変形させる。それから大きく踏み切ると、湖へと飛び込んだ。
サイコマグネメタルの重さで、アラヤは浮かぶことなく水底へ到達する。暴走したロボットたちがアラヤを補足し、攻撃しようとするが、そもそも陸上警備を主にしていたためか、全く狙いが定まっていなかった。加えて反動計算が狂うらしく、一発撃つたびに横転するロボットたちが散見される。
アラヤは光剣でそれらをちょいちょいと触れて破壊していった。
「やハリ、水中では動キが鈍る」
大量の水が蒸発してできた泡を纏った光剣を携え、アラヤは足にフィンを装着する。先端から水を吸い込み、排出することで推力を得ると、さながらミサイルのように水中を飛んだ。そのまま、「ティアマト」のメイン入り口を破壊し、内部に進入する。
いつの間に紛れ込んでいたのか、魚がアラヤの脇を通過していった。アラヤはバイザーに表示した発信源の位置を測りつつ、警戒しながら歩を進める。
「……ン?」
アラヤはある部屋を見つけて立ち止まった。「貯水槽」と書かれた何の変哲もない研究室だったが、アラヤは妙な引っ掛かりを覚える。信号が近いこともあり、アラヤはそのドアを溶断すると調べることにした。
「――――」
ボコッと大きな気泡が一つ、アラヤのマスクから漏れる。そこには、確かに水槽が存在していた。しかしそれはバイオマウスを培養しているような水槽であり、更にはその中身は、ヒトの幼生のカタチをしている。
まぶたの無い黒目が、見えるはずのないアラヤを凝視してくる異様な光景に、アラヤは吐き気を催した。今すぐにすべてを破壊したい衝動を辛うじて抑えると、まさにこの部屋の直上にある信号の発信源を、下から探し始める。
(まサカのビンゴ)
水を隔て、天井裏が存在していることを見つけたアラヤは、水面に向かって浮上した。
水を割って出現したアラヤを見て、押し殺したような悲鳴が上がった。なにかを知覚する前に、アラヤのバイザーが警告を促す。
(……生存者!シカも、思った以上に酸素が残ってイナい!まずは供給方法を探サナいと)
すぐさま水中に潜りなおしたアラヤは、培養槽に使っている酸素供給機に目を付けた。供給口を培養槽から引っぺがすと、気泡が溢れ始める。アラヤはすぐにそれを残された小部屋へと運んだ。
「とりあエズの応急処置だ」
アラヤからホースを受け取ると、取り残された警察官たちが殺到し、順番に酸素を吸引している。その中にはオオキの姿もあった。
「……助かった」
大きく息をついたオオキは、水中から顔だけ出したアラヤに礼を言う。
「どウイう状況だ?」
アラヤが聞くと、彼らは一様に顔を見合わせた。
「それが、下の培養槽を調べていたとき、いきなり水が溢れ出してしまって。なんとかここまで這い上がりはしたんですが、それ以外はさっぱり……」
オレンが代表して答えると、アラヤも頷く。
「敵性反応はアルのか?」
「はい。でも、アラヤさんが向かった地治拠点ほどきちんと探知はできていません」
そこまで黙って聞いていたオオキが、ハッとした様子で割り込んだ。
「向こうはどうだったんですか?」
「……被害の拡大はドウにか防いダ」
アラヤは目を伏せる。嘘は言っていないものの、もっと迅速かつ最適な方法があったきがしてならず、自責の念に駆られていた。
「……わかりました。本当にありがとうございます。ドクターアラヤ。オレン、話に割り込んですまない」
オオキは変わらぬ口調でそう言うと、オレンに先の続きを話すよう促す。
「あ、はい。ええと、敵の規模が分からないって話でしたよね。おそらくですが、精製コアが掌握されていることが原因だと思います。信じがたい話ですが、我々が館内に踏み入った後、外との通信がほぼ遮断されてしまったので」
オレンは少し目を潤ませていた。わずかな安堵があったことと、状況の深刻さを目の当たりにしたことで、自然と涙がこぼれかけている。
「ワカった。何とかスル」
だからこそ、アラヤはサムズアップでそれに応え、制止の声も聞かずに潜水していった。
(オレンは、精製コアだけが掌握さレタと思っているヨウだ。だがまあソンナはずナイだろう)
地治拠点「アトラス」ですら全システムの掌握がなされかけていたのだ。今回が例外などということはあまりにも考えにくい。アラヤはもはやためらうことなく壁を破壊し、中心部にあるエウロパコアへの道を切り開いていった。
水の音が、まるで施設全体を深い谷底へと作り変えてしまったかのようなプレッシャーをアラヤに与える。アラヤはバイザーに表示される心拍数を確認し、努めて一定のリズムで呼吸を刻んだ。
「ここダナ」
アラヤが扉の前に立つと、厳重にロックされているはずのコアへのアクセスドアが、まるでアラヤを迎え入れるかのように開く。
逸る気持ちを抑え、アラヤはその中に身を滑り込ませた。煌々と蒼く光るコアは、ときおり不規則な電流を放っている。その度に、何かがアラヤの視界に映りこんだ。
「……無駄なことをシテないで、サッサと名乗りでも上げタラどうダ」
アラヤが光剣を握りしめると、その瞬間、耳元でささやく声がする。
「そんなに怖がることないじゃない」
だが、アラヤが振り返ってもそこには何もいなかった。事実暗いこともあるが、それ自体はバイザーによって問題にならない。アラヤは油断なく光剣を構えた。
「あら、連れないのね。そんなに敵意を向けられたら、私……食べたくなっちゃう」
直後、すさまじい水流と共に、アラヤはなすすべなく部屋の外へ弾き出される。さらに身体は運ばれて行き、完全に上下感覚を失ったところで、突然解放された。
だだっぴろい、白いだけの部屋。その中心に、花の台座のような機械が鎮座している。いや、事実その台座の上に蕾が備わっていた。アラヤは怒りに身を任せてそれに接近する。そして、アラヤは光剣を振りかぶった。
「もう、本当にそそっかしいんだから!」
そんな声が響くと、機械の蕾が花開き、反撃の針が水を裂いて飛んでくる。予想していたアラヤは難なくそれを避けると、相手から十分な距離を取って様子をうかがった。
完全に花びらを開ききった中に、人型の上半身が現れる。顔のパーツはイヴやガルデューラよりもデフォルメされた形をしていた。だが、その目がアラヤを見つけると半月型に細まり、わかりやすく笑顔を演出する。
「うふふ。イヴちゃんから聞いてはいたけど、実際に見るとさらにイケメンね、あなた」
アラヤは応じることなく腕を構え、フィンガーバルカンを掃射した。
「クールなところもステキ」
アラヤは驚きで眉を寄せる。花びら一枚が持ち上がると、アラヤの攻撃の一切を無力化していたのだ。
(水中での偏光率のせイで威力が落チタか?)
アラヤはフィンガーバルカンでの攻撃を諦めると、フィンを用いた三次元起動で花の中心にいるロボットに肉薄する。その勢いのまま振るわれた光剣の軌道が、泡となって水を切り裂いた。
「――っ!」
水中で火花が散る。またも花びらの一枚が持ち上がり、アラヤの攻撃を阻んでいた。アラヤは今度は引かずに、光剣による溶断を試みる。しかし、一向に光剣が装甲にめり込む様子を見せることはなかった。
(チッ!硬すギル!)
赤熱すら起こさないその外装に、アラヤは再びの後退を余儀なくされる。
「どこに行こうと無駄よ。ここは私の海の中。命を育む源の泉」
魚がアラヤの目の前を横切った。アラヤはほんの一瞬、その魚に意識を奪われる。その魚に見覚えがあったからだ。
「でもそんなに暴れるような、おいたを働くコは……折檻してあげないとね?」
その魚が、突如として蠢きだす。見る見るうちに口が針のように鋭く尖り、タチウオのような姿へ変貌を遂げた。
問題は、その口先の鋭利さ、そしてそれが、視界を埋め尽くすほどの群体での単位で現れたこと。アラヤは急速に反転した。
「ふふ。うふふふふふふふ」
どこまでも追いかけてくる魚たちと、女の笑い声。アラヤは更にスピードを上げた。後ろ向きで猛進しつつ、アラヤは偏光率を調整したフィンガーバルカンを魚たちに放つ。
「焼け石ニ水!」
先頭を突き進む数匹や、流れ弾に当たって爆散する魚たちは、すぐに後続の魚たちにとって代わった。無尽蔵にも思えるそれは水の中に現れた龍のようで、アラヤは逃げることしかできない。
だが、そうして転身した時、アラヤは思い切り横面を何かに打ち付けた。混乱する間もなく、アラヤは魚を躱すために下へ潜水する。
「ウグッ」
すると、二メートルも行かないうちに顔を見えない壁にぶつけた。辺りを見回すと、魚たちは、アラヤを取り囲むように回遊している。アラヤが事態を把握した時には、アラヤは見えない壁に閉じ込められ、全く身動きが取れなくなっていた。
「ああ。なんていじらしいのでしょう。小賢しくて、肝が据わっていて――本当に愚か」
一斉に、魚たちがアラヤへ矛先を向ける。もはや、アラヤには光剣を構えることすら許されていなかった。
「あなたも、私の可愛い命よ。アラヤ」
一匹の魚が、アラヤの脇腹の装甲を掠める。それだけで、斬りつけられたところから、血が水へと流れ出す。
「がアアアアアアアアアアアっ!」
悲鳴を上げることだけが、今のアラヤに出来る全てだった。気味の悪い笑い声は頭の中でこだまし続け、アラヤの意識がどうにかもう一度ピントを合わせた瞬間、構えていた魚たちがアラヤへと殺到する。
それが、三十分間。群れていた魚が散開したころには、血の煙と、そこの中心で回り続ける人型があった。
「ああ。ああ。可哀そうに。怪我をしたのですね。ですが何も恐れなくていいわ。私の元ならば、何の恐怖も、痛みもなくなるの。さあ、いらっしゃい。私の可愛いアラヤ」
それを飲み込む様に、花の台座がせりあがっていく。そしてアラヤを捕まえると、花の中の人型、その腹の部分が大きく口を開いた。
もはやぴくりとも動かなくなったアラヤは、何の抵抗もなく呑み込まれていく。
「ふふ。うふふふふふふふ。私のもの。私のあなた。イヴちゃんにだって、この愛はあげられないわ」
満足気にそう言うと、台座は再び戻っていき、花びらが大事にしまい込む様にそれを閉ざした。