ミッシングリンク-3
ふと気が付けば、局長室のあるビルは目の間にまで迫っていた。
「やってくれたな」
変身を解いた二人を出迎えたのは、そんな苛立った声だった。アラヤとナナキは、眉を動かしそうになるのをどうにか堪える。
「……何のことでしょうか」
ナナキがなるべく平坦な声で尋ねた。当然その様子が気に食わない局長は激高し、机に手を叩きつける。
「とぼけるな!今回の件で私が、いや我々エネルギー開発部門が被った、被害総額のことだ!」
口角から吹き出した泡を、隣にいた人間の女性そっくりのお手伝いロボットがハンカチでふき取った。立ち上がっただけで上がった息を整えもせず、局長はアラヤとナナキのことを口汚く罵った。
「このクソガキども。俺が拾ってやった恩を忘れたのか?この俺が目をかけなければ、あのもうろくババアの元で腐り果てていた!それをこんな被害総額でつき返しやがって!」
アラヤは、みるみるうちに一度でも感じていた尊敬が失われていくのを感じる。器の小ささをこのまま見続けているのもそれはそれで一興か、と局長に対する興味を失いかけていた時、ナナキが口を開いた。
「で、その程度のことで我々を呼び戻したので?」
局長が絶句している中、アラヤはナナキに対して違和感を抱く。
「ナナキ――」
「貴様!事の重大さが理解できていないようだな!」
「その言葉をそっくりそのまま返してやるって言ったんだハゲデブ。ちょっとは目をかけてやったんだから、それくらい理解しろよ」
アラヤは咄嗟にナナキから距離を取った。理由は無かった。だがすぐにその判断が正しかったと思い知る。
何か言う前に、何かを考える前にすべてが起こった。次の瞬間には、交差する光剣の発する火花の音と、爆発するお手伝いロボットの音だけが部屋の中にあった。
「――っ……ナナキ!」
「アラヤ……」
二人の視線は、ヘルメットのバイザーに遮られて交差することはない。
「ひぃやあ!」
アラヤの後ろで情けない悲鳴が聞こえた。アラヤが一瞬そちらに意識を向けた瞬間、ナナキがアラヤから距離を取る。
「ふん。時間切れか」
「なニを……」
アラヤが言い終わらないうちに、部屋に警察官がなだれ込んできた。
「そこのクソは、初めから俺たちに責任を擦り付けるつもりだったんだとよ」
ナナキに顔を向けられた局長は金切り声を上げる。
「な、何をしているか!その二人は政治家連続殺人事件の犯人だ!は、早くひっとらえろ!」
じりじりと包囲を縮めてくる警察官たちを鼻で嗤うと、ナナキはアラヤに向き直った。
「なあ、人間に生きている価値はあると思うか?人を数で数えるだけの世界に意味はあると思えるか?」
優しい声だった。ナナキは一呼吸入れると、続けた。
「――俺と一緒に滅ぼそうぜ、アラヤ。お前となら楽しいに決まってる」
アラヤは血の気が引いていくのを感じる。足元から世界が崩れていくような絶望感。アラヤは歯を食いしばった。
「……ふザけるナ!」
「あっそ。まあそうだと思ってたよ」
「ナっ……」
突然胸に衝撃を感じると、照明が視界にはっきりと入る。アラヤは自分が蹴り飛ばされたのだと気付いた時には、ナナキははるか彼方へと跳躍した後だった。
「あばよ、アラヤ」
「ま、マて!」
「う、動くな!取り押さえろ!」
立ち上がろうとしたアラヤに警察官たちが殺到する。
「は、離セ!こノマまじゃナナキが――」
アラヤの声は誰にも届かず、地面へと身体が押し付けられる。それどころか、すさまじい重量が全身にかかり始めていた。
(こ、殺す気カ、こイツら!でも……跳ねのケタら、それコソ俺がコイつらを殺しテシまう!)
アラヤは歯噛みする。早く追いかけなければと思っても、もはやナナキの足跡すら追うことは難しいだろう。そして集団の興奮状態によって、パニックを起こしかけている警察官たちを傷つけずに切り抜ける方法も、アラヤには思いつかなかった。
「イチかバチか……クソッ!」
アラヤは咄嗟にパワードスーツのすき間を開き、放熱によって警察官たちを遠ざける。その瞬間、サイコマグネメタルに指示を出し、自分の意識をシャットダウンした。
突然動かなくなったアラヤをこわごわ眺めていた警察官たちは、やがてアラヤが意識を失っていることを確認すると、警察部門の医療機関へと搬送していったのだった。
数日後、意識を取り戻したアラヤはその場で改めて拘束されると、尋問をするために再び警察官たちによって護送される。
「あラカたアレは調べたンダろ。今さラ俺に何を聞くコとがアル?」
アラヤが口を開くたびに車内には緊張が走るが、誰一人その声に答えるものはいなかった。
「フン」
アラヤは目を閉ざす。ナナキを説得し、再び元の生活に戻ること以外、今の彼にはどうでもいいことだった。
車の中で浅い眠りを続け、幾度かすれ違うサイレンの音を見送った後、ようやく護送車は動きを止める。
「降りろ」
言葉と共に蹴りが飛んできて、アラヤは車からはじき出された。対してよろめきもしなかったことに腹を立てたのか、護送しているうちの一人が追撃を仕掛ける。
「そこまでにしてもらおう」
突然、帽子を目深に被った大男と、同じようなコートに身を包んだ一団がアラヤを庇うように取り囲んだ。
「ハ?」
アラヤとしては渡りに船だが、それでも困惑の方が大きい。思わず声を上げてしまったアラヤに対して、大男が軽く会釈したように見えた。
「所轄の連中か?ここで何してる!」
「本日付けをもって彼の身柄は我々の預かりとなった」
「なんだと?そんな話は聞いていない!」
言い合いが始まった直後、アラヤを取り囲んだうちの一人がアラヤの袖を引っ張る。
「ドクターアラヤ。こちらへ」
「あ、アア……」
そのまま連れられて、アラヤはあっという間に警察部門の収容施設の敷地から抜け出した。
「お、おい何してる!こんな勝手が許されると思っているのか!」
慌てた護送の警察官たちに、大男が立ち塞がる。
「正式な事例だ。ほら、お前たちの大好きなものもちゃんとここにある」
そして一つの茶封筒を渡すと、そのまま大男も踵を返し、足早に敷地から出ていった。
「くそ。いきなりなんだってんだ」
護送の警察官は忌々しげに書類を睨みつけると、開封することなく地面へと投げ捨てる。それは瞬く間に風にさらわれ、誰の目にも触れることなく飛ばされていった。
突然の事態についていけていなかったのはアラヤも同じで、人目につかないところまで誘導されたところで口を開く。
「アナたたちは誰なンだ?」
「俺たちはあなたに深く感謝してる、しがない一般人さ。ドクターアラヤ」
アラヤのすぐ右隣りにいた壮年の男性が答えた。その声には隠し切れない喜色が含まれている。
困惑しているアラヤをよそに同意するようにうなずく彼らの輪に、もう一つの大きな影が加わる。
「お久しぶりです。ドクターアラヤ」
アラヤはその声に聞き覚えがあった。
「……マサか、オオキ巡査?」
「ええ。おかげさまで命拾いをしました。ただ、あの事故で巻き込まれた連中は、私以外は……残念ながら」
「……そうカ。でモ無事でヨカった」
お互いに握手を交わすと、彼らはようやく変装を解いた。聞けば、彼らはオオキの同僚の警察官だったらしい。あの襲撃の救助に参加できなかった上、オオキが行方不明となっていたことで気をもんでいた彼らは、そのオオキの命を救ったアラヤに一言お礼を言いたかった、という話を気兼ねなくしてくれた。
「よもや、こんなに早く恩を返せるとは思わなかったがな」
先の壮年の警察官が軽い調子で言った後、アラヤの手を取る。
「本当に、本当にありがとうございました。言っても言い切れねえ」
「イや――」
謙遜しようとしたアラヤは、他の警察官たちの目を見て言いよどむ。そこには確かな感謝があった。気恥ずかしさに飲まれたまま、アラヤは小さく頷く。
それえを見ていたオオキが嬉しそうに話しかけようとしたところで、彼らの通信装置が一斉に鳴りだす。
「こちらアルファチーム、オオキ。はい。……またですか。了解。鎮圧に向かう」
突如聞こえてきた物騒な単語に、アラヤは眉をひそめた。それを知ってか知らずか、オオキは困ったような笑顔をアラヤに向ける。
「ええ、と。せっかくだからもっとお話がしたかったのですが、すみません。仕事が入ってしまいました」
「――鎮圧とハ?」
オオキは明らかに言葉に詰まった。アラヤが眉を動かすと、壮年の警察官が割って入る。
「あーっとですね、鎮圧ってのは、暴漢を抑えたり、人に危害を加えるものを排除するために使う言葉でして――」
「バカにしてルのか。言葉遊びヲしにキタわけじゃナい。何が起きテル?あの暴走ロボットの事件、まダ終わッテなかったノか?」
ばっさりと切り捨てられ、ぐうの根も出ないらしい二人の警察官は顔を見合わせる。やがて観念したようにオオキがかぶりを振り。壮年の警察官がため息交じりに口を開いた。
「ええまあ、その、ドクターアラヤの想像通りです。あの大規模なテロ以降、ロボットたちが暴走する事件が頻発してましてな。最近の所轄はもっぱら小間使いの戦闘員さ」
「……」
アラヤは腕を組んで考え込む。
(わからナい……。ここ最近のロボットたちの暴走モ、あノ時の局長の言葉モ、ナナキがあンナことを言ったのも……全部仕組まレタものナンじゃないのカ?)
「しかも扇動してるのがドクターナナキだ、なんてきたらたまったもんじゃ――」
「あっバカ」
不意に飛び込んできた言葉に、アラヤの思考が固まる。
「なンだと」
目をそらすオオキにアラヤは詰め寄った。
「どういウコとだ!説明しロ!」
「……ドクターナナキが、ロボットたちを暴走させて人を襲わせていたという通報があったんです。記録映像も込みで」
「アりえナい!」
剣幕におののきながら、オオキは頷く。
「私もそう思いました。ですが、証拠映像は紛れもない本物でしたから、我々はそういう方向で動かざるを得なくて……」
「……クソ。わかルさ、それクラい」
アラヤは歯の間から言葉を無理やり押し出した。理屈では理解できていても、心が追い付かない。
だが、アラヤの中での行動指針は固まりつつあった。
「――俺もソノ鎮圧を手伝オう」
「……こうなるよな。すまんオオキ」
「いえ、いずれバレる話でしたから。この段階でお話しできただけマシですよ。ただ……」
オオキは表情を曇らせる。
(情報が足りなサスぎる現状だ。何トシても協力を取り付ケナいト)
アラヤは彼らの前で変身して見せる。何人かから驚きの声が上がったが、アラヤは無視して口を開いた。
「自分の身程度ハ自分で守レル。そちラノ条件だッテ飲もうジャないか」
壮年の警察官は、アラヤのつま先までじっくり眺めた後、アラヤの瞳を覗き込むように見つめる。それからため息をついた。
「こりゃ相当頑固だ。だが同時に、信頼もできると思うぜ。オオキ、判断はお前に任せる」
「……私も、ドクターアラヤのことを信頼しています。私には異論はありません。ただ、彼の身柄の状況が状況ですから、その、不安はあります」
「ウん?」
困惑するアラヤに、壮年の警察官はにやりと笑いかける。
「上からの正式の事例で身柄の異動ってな、嘘だ。ドクターアラヤは、護送中に行方不明になっちまったってこったな」
「…………ナニ?」
絶句するアラヤを見てカラカラと笑った壮年の警察官は、アラヤの胸に拳を当てる。
「だが、あのままじゃ上の連中に何されたかわかったもんじゃあなかった。俺は選択を間違えたとは思ってねえよ」
「……ただ、あなたが生きているとわかれば、親族や関係者にどういったことがおきるかは、あまり想像したくありません」
オオキは敢えてそう言い切った。その目を見たからこそ、アラヤもまた微笑み返す。
ほんの一瞬、自分の育て親である御年千四百歳の女性の顔が脳裏をよぎった。
「俺は孤児ダ。家族らシイ家族もいナイし、あの人なラ俺を売って金を手にすルクらいの胆力があルサ」
振り切るようにかぶりを振ったアラヤは、改めてオオキに向き直る。
「さあ、その暴動が起きたトコろに案内してクレ。ナナキが本当にその首謀者ナら、俺が止メナくちゃ」
オオキは頷いて、一同の端末に暴動の起きている場所をマッピングする。
「通報があったのはここ、スノウモールビル。エネルギー開発部門局長であるクレナイ氏のご家族がお住まいだった所だ」
「……お住まイダった?」
アラヤが反応すると、オオキは頷いた。
「ドクターナナキが首魁ではないかと目された時点ですぐに避難為されたのですよ。あ、オフレコでお願いしますね」
「お、オウ」
一切悪びれずに言い切ったオオキを見て、アラヤは何となく事情を察する。
(あノ局長、本当にたダノ意気地なしダったんだナ)
報復を恐れた局長が警察に泣きつく姿を想像して溜飲を下げたアラヤは、同時に自分を解放しようと動いたオオキたちの真意にも気付く。
(こレ以上の、自分たチヘの強権行使の牽制か。初めかラ巻き込むツモりだった、トイうことだ。オオキ巡査、思っタヨり食えなイ男だナ)
完全な善意ではないことが悟れた分、アラヤは肩の荷が下りたのを感じた。苦笑いを浮かべる一同を見渡すと、アラヤは一つ頷く。
「じゃア、出発だ。先に行クゾ」
言うが早いか、アラヤはグラップリングアンカーを射出し、ビルの間を飛ぶように抜けていった。