ミッシングリンク-1
旧オセアニア域、赤道直下に存在する人工島。理想都市「ジ・アース」。海に沈み、行き場を失った大陸の人々を全て収容して余りあるその人工島は、人類の安息の地であった。
「ジ・アース」研究島群、エネルギー開発部門。中央に聳え立つ研究棟の部屋の一角に、アラヤはいた。
「アラヤ。また根詰めすぎて倒れるぞ」
「ウワッ」
モニターとにらめっこを続けていたアラヤは、突然頬に冷たい感触を押し付けられて飛び上がる。
「ナナキ!からかうのはやメロ!」
彼特有の片言を聞きながら、親友であるナナキはニヤニヤ笑って謝った。アラヤも本気で怒っていたわけではないらしく、文句を垂れつつも缶飲料を受け取る。
「どうだ?」
「ナナキの言った通りダッタ」
言葉少なにモニターに映る波形を分析する二人。彼らは、今現在用いられているクリーンエネルギーの発展形の開発を行っていた。
「でもどうシテ、わざわざバイオエネルギー反応を学習させるなんて二度手間ヲ?サイコマグネメタルにナラ、エネルギーを単純供給するだけで最適化はされるダロ?」
ナナキは、計測機器から三角形の金属を取り出す。
「それじゃ足りないんだ。結局のところサイコマグネメタルはあらかじめ入力された形態になるのが限度じゃないか」
金属を手で弄びながら、ナナキは力説する。
「人がその時に応じたその時のための最適のものを得る。人類が夢見てやまなかった理想の一つじゃないか。横着するためには邪道でも二度手間でもなんでもいいのさ」
ナイフ――ペン――エネルギーガン――話しながら、その金属は手の中で次々と形を変えていく。最後にもう一度初めの三角形に戻った金属は、ナナキの手のひらで意志を持つかのように浮かび上がった。
「その人の遺伝子情報を取り込ませることで、俺たちは新たな自由を手に入れるんだ。これまでのアラベスクエネルギーとバイオエネルギーの統合による、個人のためのDNAエネルギー!」
ナナキが持つ金属が突然輝くと、次の瞬間には、金属装甲に覆われた彼がそこにいた。肘や膝の駆動部分から見て、補助系のパワードスーツに見えるが、それにしてはやけにスリムだった。青と黒を基調とし、身体のラインがわかる程度にスリムなスーツは、一つの兵器を思わせるいでたちだった。
「……それデ?戦争でもスル気か?」
アラヤがジトリとした目で見ていることに気が付くと、ナナキは恥ずかしそうに咳払いした。再びまばたきする間もなくスーツは手のひらサイズの金属へと戻る。
「もちろんそんなつもりは毛頭ない。人を傷つけるためだけのものはデータから予め排しておくべきだな」
「フン。それを差し引いテモ、遺伝子情報でどういう操作をしたのかログを追える様にしてしまエバ、わざわざ犯罪者になりにいく奴もそうそういナイだろ。うまいもんサ」
アラヤの言葉に、ナナキがぱっと顔を輝かせる。アラヤもニヤリと笑い返した。
「どうせマタそれを使った競技でも思いついたんダロ?」
「バレたか!銃とか競技用に拡張データとして販売すればさ、面白いことできないかなって」
「なら先にDNAエネルギーが生体に悪影響がないか調べなイト。まだバイオマウス残ってたカ?」
「たぶんまだ第一貯蓄庫に種が残ってたはずだぜ。なけりゃ第二のを拝借しよう」
アラヤの説得に成功し、安心しきって伸びをしたナナキはのんびりと答える。アラヤは頷くと立ち上がった。
「そういや、孤児院から手紙来てたぞ。お前また誕生会に顔出さなかったんだって?」
「アア、マザーはそうそう死ぬ人ジャない。不老治療しておいて無駄にうるさいンダ。あノ人ハ」
「……ちなみにおいくつ?」
「今年で千四百三歳ダ」
ナナキが隣でやけにニヤついているのを不思議がっていると、ナナキはアラヤの脇腹をつついた。
「憎まれ口言いながらなんだかんだ覚えてんじゃん。愛だねえ」
「ナッ!違ウ!一言くらい連絡入れなイト一年間うルサいんだ!」
クックッと意地悪く笑うナナキを振り切るようにアラヤは歩を進める。
目当ての水槽にたどり着いたアラヤは、仏頂面のまま水槽内の丸い胞子を手に取った。反射で映った己の浅黒い肌と、醜い傷跡を何の気なしに眺め、胞子を手の中で転がす。するとすぐに、生き物の温かさと毛の感触が手に広がった。
「ナナキ、小さいの取っテクれ」
無言で突き出された小さいケージ三つに一匹ずつバイオマウスを投入すると、逃げないように蓋をする。
「まあアラベスクエネルギーがもとになってるから、人体どころか生体に悪影響なんてないはずなんだけどな」
ナナキはめんどくさそうに手に持ったケージを軽く振った。
「お偉方の考えることはよくわかんねえよ。紙の報告書がそんなに安心かね?」
「抱き枕ニデもしてるんダロ」
「そりゃポッドなしで朝までスヤスヤ間違いなし、と」
軽口がひと段落したところで、二人は来た道を再び戻っていく。何かの開発の度に同じ道を通ってきたのだ。もはや目をつぶっていてもどこに何があるか言い当てられる。
「味気ないよな」
「ウン?」
アラヤは何が、と続けかけて、すぐに廊下の話だと理解する。どこもかしこも染み一つない純白の道。アラヤはもはや慣れてしまったために何も感じなくなっていたが、ナナキは違っていたようだった。
「そうダナ」
そう答えると、アラヤはすぐに実験の準備に取り掛かった。ナナキも手伝い、運んできたケージをモニター装置に入れる。
「ソウだ、実験に使うバイオエネルギーはどのマウスのを使うンダ?」
「理論上はどれでもいいはずだ。どうせだから、俺のやつを使ったのを一つ混ぜたいんだけどいいか?」
「いイケど何故?」
「サイコマグネメタルに蓄積した人の意志が、どれだけエネルギーに影響を及ぼすか、も見ておきたい」
「いイネ」
バイオマウスから採取した毛のサンプルを用いてバイオエネルギーを生成、アラベスクエネルギーを併用して、仮称DNAエネルギーへと変換する。その状態で晒しておくのが二匹。
残った一匹には、通電したままのサイコマグネメタルを一緒に入れることにした。
「よーし、あとは自動記録に任せて俺たちは上がろう。クレープ食おうぜ」
「……!そうしヨウ。栄養補給は大事ダ」
甘味の誘惑に負けたアラヤを笑わぬように能面を作りながら、ナナキは先に研究室を後にする。
「ジ・アース」居住区、オバマ市街。ショッピングモールからゲームセンターまで、旧世代のホビー、新時代のアトラクション、全てがそこに集約されていると言っても過言ではないとされている繁華街だ。アラヤは笑顔でテーブル席に着き、ナナキの買ってきたクレープを頬張っていた。
「甘イは旨イ!この世の心理ダナ!」
「おーおーよく食うねえ。俺ァもうそれ見てるだけで胸焼けするわ……」
げんなりとするナナキが、アラヤにはよく理解できない。こんなに旨いものが苦手だなどと宣えるのはどんなに幸せなのだろうか、とすら思うほどであった。
「今日も快晴設定で、なんと気持ちのいい空だって……ん?」
ふと、ナナキが動きを止めて何かを凝視する。アラヤが視線の先を何となしに目で追うと、ナナキはニュースモニターに目を留めているようだった。
「現職議員のナカエダ・モールス氏が遺体で発見……最近増エタよな。不審死とイウか、突然亡くなルノ」
「しかもナカエダって言や、俺たちエネルギー部門にずいぶん出資してる人じゃないか」
ナナキとアラヤが無言で顔を突き合わせると、二人は横から影が差しこんだことに気づく。それと時を同じくして、横から声がかかった。
「ドクターナナキ。ドクターアラヤ。少々お時間をいただけますでしょうか」
「俺たちが見ての通りオフ、ってことを承知で言ってるんだよな?」
ナナキがおどけるように振り向くと、大柄な男が、その体躯に似つかわしくないほど狼狽した様子で頷いた。
「は、はい。ぜひお力添えをお願いしたく……あ、自分はこういう者です」
アラヤとナナキは男の名刺データを受け取ると、自分たちのデータも渡し返す。アラヤはさっと男の名刺に目を通した。
「オオキ・イチノセ……巡査。警察部門の人カ」
ナナキはそれを聞いて少し眉を動かす。
「んー?監視カメラに誓って、俺たち何も悪いことしてないぞ?」
「もちろん、存じ上げております。今回お邪魔させていただいたのは、査問でも召喚でもございませんので」
「ならいッタイ?」
アラヤが問いただすと、オオキは周りを気にするような仕草を取った。ただでさえ大男というだけで目立っているのだが、そういうわけではなさそうだと踏んだナナキは着席を促す。
「ありがとうございます。それで、自分は今日、お二人に言伝を預かってきた身なのです」
身を乗り出してきたオオキに倣って、アラヤとナナキも顔を寄せた。
「言伝って、わざわざ人を寄越すほどなのか?」
「事が事ですので」
そういうとオオキは懐から封書を取り出す。机の上を滑らせたそれを、ナナキは開封した。
「最近、有力権力者が次々と不審死を遂げていることはご存知でしょうか」
「ついサッキもニュースで見タぞ」
オオキは頷く。
「犠牲者には共通点があります。膨大な額の出資者であること。政治家であること。そして――」
「エネルギー部門に関わりのある人物、か。だが正気か?」
ナナキは手に持っていた書類をアラヤに手渡した。さっと流し読みしたアラヤも怪訝そうな表情に変わる。
「俺タチが捜査に協力すルのか?足手まとイニなるだけじゃナイか?」
二人の反応を見たオオキはテーブルに頭を擦り付けた。
「そこを何とか!お願いいたします!」
あまりに迫真の表情で迫るオオキに、二人はただ顔を見合わせる。
「だ、だってさ。警察部門には最新鋭の調査端末があるはずだろ?データベースだって随一だ。その中に当てはまらないエネルギー反応が出たなんて何かの間違いだよ」
「俺もソウ思ウ。重要参考人として引っ張られるなラまだシモ、捜査協力ってドウいうことだ?」
「なにぶん上からの指示でして……」
消え入りそうな声でオオキは言った。
「はぁ。わかりましたよ。こうまで言われて断ったら外聞が悪そうだ」
「いいノカ?」
「良くはねえよ。ただまあ、役に立たないことがわかるってのも大事な話さ」
「ナナキがいいなラ、俺も構ワナい」
「ありがとうございます!」
「オオキさんも大変だね……」
三人はゴミを回収ロボットに任せると、そのままの足で事件現場へと移動する。
政治区画、クォンタワー。「ジ・アース」全体を一望できるとさえ言われている超高層ビルには、居住区と娯楽区画が集約されており、激務に追われる政治家たちを癒す場、とされている場所である。
アラヤはそんな場所に不釣り合いな、いかがわしいデザインのポップを小馬鹿にしながら見つめる。
「マア、こんなもんダヨな」
「そう言ってやるなよ。人の上に立つには、どっかしらおかしくねえと潰れちまうもんなんだよ、きっと」
ナナキは特に興味が無いようで、ぼんやりと爪を眺めながら言った。
ほどなくして、オオキが二人を呼びに戻ってくる。現場への立ち入り許可が出たらしい。アラヤとナナキは白衣とフェイスガード、ゴム手袋の完全装備で事件現場へと足を踏み入れた。