第六十八話 不安に押し潰されそう
熱も回復し普通に登校が出来るようになった。
文化祭の熱は未だに冷めていないが俺の熱は冷め切った。
いつも通り保健室に行くと中には時雨だけだった。
いつおなら四人揃っている時間だが今日はまだ来ていないようだ。
時雨に近づくと時雨の肩が揺れた。
「時雨?」
「え……」
なんか見てはいけないものを見た気がした。
時雨の目からは涙が溢れ、頬に一筋の道を作っていた。
「なんで泣いて……ちょ!おい!」
俺はなにも言わない時雨に突き飛ばされ、床に尻餅をついた。
痛みを抑えていると時雨に床ドンをされてしまった。
お互いに好き好き同士なら『キュンッ』とする行為なんだろうが、意味不明なことが多過ぎでトキメキより動悸がする。
「事情を説明してくれないか?なんで泣いてるとか、俺の上に馬乗りになっているのかとか」
「うぅ……狼斗さん……」
「はい」
「ううぅ……」
「おいおい」
なにも言わずに泣かないでくれ。混乱するから。
しばらく泣いた後落ち着いたのか途切れ途切れに話し始めてくれた。
「美咲さんも夏鈴さんも……気持ちを伝えたのに私はまだ出来てないって思ったら不安に……」
「心配することない。俺は誰とも結ばれないから。アピールしても意味ないぞ」
「そんなことない!二人とも魅力的だし特技とか長所もある……狼斗さんがいつか二人のどちらかを好きになって離れていってしまう気がして……」
「あのな……」
一年一緒に仕事して俺のことは知ってるもんだとばかり思っていた。
案外知らないことが多いらしい。
「俺のトラウマがどんだけ面倒なものか知ってるだろうが」
「それでも!心配……なの」
やはり時雨のタメ口というのは心にクルものがある。
普段というよりは俺と二人きりの時という限定的なもので安心しているサインでもあるがために、心臓によろしくない。
「時雨はいつも暴走する十六夜達を止めてくれてるだろ。それだけで十分だしそれ以上は高望みだと思ってる」
「それじゃあ……ダメなの。私は、狼斗さんの彼女になりたい」
俺をまっすぐ見下ろす青い瞳には決意が感じられた。
だがそれは俺にとって脅威であり、時雨を避けてしまう要因になりかねない。
そしてなにより!この体勢は精神衛生上もとい股間によろしくない。
「話は分かった。取り敢えず座って話をしよう」
「……いや」
少し拗ねた子供のように時雨は言うと自分の体重を俺に預けた。
制服越しでやや分かりにくいがしかしその重みを俺の胸は脳へと告げていた。
危険だと。
「時雨さん?いくら時雨と言っても完全に治ったわけじゃないんだわ。声震えてんの分かるだろ」
「分かるよ。でもこれくらは普通だよ。皆やってる」
「お前熱でもあるのか。体熱いぞ」
「緊張してる」
凛とした中に脳を溶かすような甘さが際立つ声は何度か聞いているがやはりすぐには慣れない。
十六夜ほどの甘え上手ではなく、夏鈴ほど甘えさせ上手ではない時雨。そんな彼女が必死に甘えようとしていると思うと「いいかも」と思ってしまう。
「そんなに不安にならなくても平気だ。俺は全員を平等に見てるつもりだ。勿論、俺に悪戯を仕掛ける加羅忍もな」
「口ではなんとでも言えるよ」
「ならどうすればいいんだよ」
「分からない?」
「ああ」
恋愛経験が幼稚園児と同等の俺に分かるわけがない。
分かるわけがないのだが……これまでの経験から学習することは出来る。
だがそれを言い出すのが怖くて声に出ない。
「いじわる」
また拗ねた声が聞こえたかと思ったら勢いよく唇が塞がれ歯同士がぶつかった。
時雨も痛かったのかすぐに離れて自分の手で自分の口を塞いだ。
「痛って……」
「あ、あ。大丈夫?」
「歯茎切っただけだ。大丈夫じゃないが……張り切りすぎだろ」
「今しなきゃいつ出来るか分からないので」
「俺の行動パターンは決まってるだろ。逃げやしない」
「本当?」
「ああ」
「ありが……とう」
俺が笑うと時雨も口を手で隠しながらだが笑った。
しばらくは二人とも辛いものや酸っぱいものは食べられそうにない。




