No.8
No.8
「いらっしゃいませ。申し訳ありません。現在込み合っている為、相席でも宜しいでしょうか?」
「おう、構わんよ」
グローリアの世界。渡界者が始めに訪れるアコルの町にも高かった日が暮れていき、多くの現地人達が各々の家に帰り。夕飯の時間となる頃には、たまには外で食べようとする者達や仕事帰りに外食で済ませようとする者達などでごった返す飲食街。
そんな飲食街のとある定食屋で、エプロン姿に両手にお盆を持ち。その上に山のように載せられている料理を器用に人の間を抜けながら、指定の席に運んでいく。
その傍ら空いた皿を回収。テーブルの清掃。精算。そして今の様に来客した客の案内までこなしているのはそう、誰あろう。渡界者シンである。
彼はゲオルグに配達の届けに行った品物を駄目にしてしまった代わりに、工事現場でタダ働きをした後。『高殿の搭』に戻り。依頼完了と新たに定食屋のウェイター募集の依頼を受けたのである。
この男、朝から晩まで働いているが、そろそろ休むと言うことをしないのだろうか?
このグローリアには【疲労度】【空腹度】【渇水度】が存在し。どれかがピークに達すると、本人が平気であってもアバターが倒れる仕組みになっている。
この辺りは寝食を忘れゲームに没頭しないよう、現実でも食事や睡眠をするように、と言う配慮が組み込まれている。
「はいッ! 三番テーブル『金鶏鳥の唐揚げ定食』。五番テーブル『やさいマシマシ肉野菜炒め定食』。七番テーブル『ウーシーの煮込みハンバーグ定食』。十番テーブル『ビックボアのしょうが焼き定食ご飯大盛り』上がったよぉー!」
威勢の良いおばちゃんの声が厨房から響く。
シンはそれを受け取りに行き。それぞれのテーブルへと運んでいく。
「お待たせいたしました」
「おう待ちかねたぜ! それと兄ちゃんエールも切れる。追加でもうひとt、いやあとで頼むのが面倒だ! 四つ持ってきてくれ!」
「かしこ参りました。少々お待ちください」
新規のオーダーを記憶し。料理をテーブルに並べ次の料理を配膳しに行く。
そんなシンを見送ること無く。注文した料理に手をつける男。
「空きっ腹にエールだけじゃもの足んところだった。さっそくいただくとするか!」
運ばれてきたホクホクと湯気が立つ。揚げ立ての唐揚げにホークを突き刺す。
少しの抵抗があった後、突き刺した部分から肉汁が溢れるように出てくる。
その唐揚げを見ると思わず喉が鳴る。
口の中に熱々の唐揚げを頬張り、噛む。
カリッとした歯ごたえ裏に隠された柔らかな鳥肉。そこから溢れ出す甘辛く漬け込まれた肉の旨味が口の中いっぱいに広がっていく。
「はふっ! はふっ!」
しかし火傷するかのような熱さに耐えきれず。堪らずエールを飲み。口を冷やす。
「っぷはぁー! これはこれで旨い!」
エールの冷たさと苦味の効いた旨さに、唐揚げを食べてはエールを飲む行為を繰り返すと。
「こりゃいかん!? あまりの旨さにメシだけ残ってしまった!?」
「エールジョッキ四つ。お待たせいたしました」
「おお! 兄ちゃんちょうどよかった! 唐揚げを大盛で追加だ」
「唐揚げを大盛で。ありがとうございます」
テーブルにジョッキ四つ並べ。直ぐ様厨房へと追加オーダーを告げに行く。
男はエールを飲みながらまだかまだかと唐揚げを待ち望む。
そうして男が唐揚げが来るのを待っていると、定食屋で団欒に食事を楽しむ者達の声が聞こえてくる。
「さすがおかみさんのところはうまい!」
「おっ! それうまそうだなひとつよこせよ!」
「ふざけんな! 自分で頼め!」
「おーい! そこのお兄さーん! これのおかわり!」
「ぷっはー! 今日もよく働いたぜ!」
「夕飯にするならやっぱここの飯だな」
しかしこうした楽しげな会話の中には不安げな会話も聞こえてくる。
「……おい。知ってるか? またこの近くで『はぐれ』が出たらしいぞ」
「またかよ!? 今月になっていったい何回目の『はぐれ異界の門』だよ」
「あれって『聖地』以外には出ないはずだろう? なんで現れるんだよ!?」
「知らねえよ。こっちが聞きてえよ。まあでも幸い。その『はぐれ』は渡界者達が乗り込んでいって、すぐ閉じたらしいけどな」
「騎士団連中が行ったら閉じるのに何ヵ月掛かるやら」
「死なねえ体だって言っても、恐怖が無ぇわけでもあるめぃによ。よくやってくれらあ」
「俺たちに取っちゃ『異界の門』は町を潤す大切な資源の場所だけどよ」
「モンスターがひっきりなしに襲ってくるかならな……」
「かと言って『聖地』内ならモンスターは出てこないけどよお。『聖地』を歩くのには晶石が必要となるしなあ。その晶石がモンスターからしか取れないから、結局『異界の門』の中に入るしかない……」
「割りに合わねえって言えば、割りに合わねえよな」
「まあなんにしても、渡界者様々だな。『はぐれ』も放っておかれると、『聖地』とは違ってモンスターが『異界の門』から溢れ出てくるかなら」
「ああ! まさに今の俺達が安心して暮らせるのは渡界者達のお掛けだな!」
「そうだ! その通り! 渡界者達にかんぱーい!」
「「「「かんぱーい!」」」」
暗く沈んでいた会話だが、酔っぱらい達には酒が飲める切っ掛けがあれば何でも良いようで、陽気に酒盛りを始めた。
その後はそうした暗い会話もなくなり。次第に定食屋の店内にも空きの席が見え始める頃。この飲食街に他の者達と同じように食事を取りに来たモノが訪れる。
そのモノは他の者達とは変わった姿をした。
「…………(キョロキョロ)」
人の足並みに当たらぬように道の端を歩きながら、各店の客足の多さを見極めつつ。今日は何処の店に入ろうかと悩み。店屋の前で鼻をヒクヒクとさせ。その店の食事の匂いを嗅ぎ。何処が一番美味しそうか判断していた。
そうして匂いを嗅いで歩いていると。とある一軒の定食屋の前でその足を止める。
どうやらそのモノの今日の夕食はこの店に決めたようだ。
そのモノは小さな体躯で人の足の間をすり抜けるように進むが、なかなか進めない。
周りに要る者達はその小さな存在に気が付かずにいた。
しかしその小さな存在に一人だけ気が付いたものがいた。
そう、シンである。
「おや?」
シンはその存在に気が付き。側に行き抱え抱き上げる。
そのモノは始め驚いたが、害在る存在ではないと悟り。抱き上げられるままにされる。
「貴方は何方かとはぐれたのですか?」
「(ふるふる)」
首を横に振って違うと答える。
シンは聞いていた通りに言葉が分かるそのモノに驚きはしたが、言葉が通じるならと質問を続ける。
「では、何方かと待ち合わせですか?」
「(ふるふる)」
やはりこれにも首を横に振るう。
迷子でもない。待ち合わせでもない。ならここに来た理由は。
「もしやここにお食事をされに来たのですか?」
「(コクリ)」
今度は縦に頷いた。
そうだと言うそのモノにシンはお客様として対応して良いかどうか悩んだ。
そして分からなければ店主に聞けば良いと、厨房の方へ向かう。
その厨房へ向かうシンの姿とそのシンの腕にいるモノの姿を見て気がついた他の客達。
喧騒渦巻く店内がさざ波が引くように静かに。そして小さなざわめきとなっていく。
「おい、あれって……!?」
「ああ……間違いない。今日はこの店かよ……」
「勘弁してくれよ……俺まだ注文してないんだぜ」
驚きと不安。それらが混ざり在ったような声がそこかしこから聞こえてくる。
店内に居る全ての者達の視線は、シンの腕の中のモノに収集していた。
客達の視線や声が聞こえてくるが、そのモノには関係ないと言うように澄まし顔をしている。
「女将さん。少しよろしいでしょうか?」
「なんだい? 注文かい?」
シンは厨房前のカンウターから店の店主である女性に話しかける。
「いえ、そうではなく。こちらの方がお客様として来られたようなのですが、対応してよろしいのでしょうか?」
「はあ? 誰が来たって?」
シンの要領を得ない言葉に女性が厨房からフロアーへと出てくる。
その手には料理中のためであろう。お玉を持って。
そして出てきた女性はシンの腕の中にいるモノを目にすると。
「おやぁ!? もしかして賢獣様かい!?」
そのモノの正体を知ると驚きの声をあげる。
そう、この定食屋に訪れたのは、【賢獣】と呼ばれる。『聖地』に住むことが出来る。人と同じ知性を持った獣。その猿の賢獣であった。
「ウキィー」
そうだよと、言うように手を上げる猿の賢獣。
その姿は子供程の背丈で容姿はヌイグルミの様である。体毛は蛍光ピンク色していて、自然の動物ではまずあり得ないような色をしている。
それ以外にもあり得ないのは尾が四本あり。それが自在に動く。
この猿の賢獣は【四尾猿】と呼ばれ。獰猛性はなく。どちらかと言えば人懐っこい性格をしている。
「ウキキィ~♪」
照れるぜ、と言うように頭を掻く猿の賢獣。
今の言葉にお前が照れる要素はどこにもないと思うぞ?
「ウキッ!? (キョロキョロ)」
なんだとっ!? と言って辺りを見回す猿の賢獣。
おっと。こいつに見つかるのは今は厄介だ。隠れておこう。(こそこそ)
「賢獣様が来るとはね。うちに食いに来た、ってことで良いのかい?」
「ウキ? ウッキー」
手を上げ。その通りと答える。
「金はあるんだろうね?」
「ウキキ……」
四本の尻尾を巧みに使い。自らが背負っている竹籠の蓋を器用に開け。その中から小袋を取りだし。カンウターの上に置く。
置いた瞬間にどすんっと、重たい音がした。
そして縛られていた小袋の開け口が開くと。そこには全て金貨の様なコインが山と入っていた。
それを女性や周りの者達が驚く。
「ウキッ!」
女性に足りるかと言うように聞くと、女性は破顔し。
「あっはっはっはっ! 問題ないよ! うちはね。金を持っていればそれが渡界者だろうが、賢獣様だろうが、それこそモンスターだろうが、お客様だ! 席に着きな! 腕によりを掛けて作ってやるよ!」
「ウッキキィ~♪」
やったー! と喜ぶ猿の賢獣。
「ではお席に案内いたします。カンウター席で宜しいですか?」
「ウキ? ウキ!」
シンにカンウター席へと案内される。しかし椅子が人用に作られているため。猿の賢獣にはテーブルまでの距離がありすぎた。
「ウキィ……」
「少々お待ちください」
そう言ってシンは立ち去ると、その手には座布団を何枚か手にしていた。
それを猿の賢獣が座る椅子に敷いてあげると、ちょうど良い高さとなった。
「ウキキ~♪」
「丁度良いようですね。ではこちらがメニューとなります。本日のお薦めは『金鶏鳥の唐揚げ』となります。もし宜しければご注文ください」
「ウキッ」
シンの言葉に強く頷く猿の賢獣。
渡されたメニューをつぶさに見る。その様子を周りに居た客達が何やら固唾を飲んで見つめていた。
「……ウキ……ウキッ」
メニューからどれを頼むか数秒悩み。これを頼むと言うようにシンに提示する。
「『味噌ラーメン』に『ご飯付き』。それと『金鶏鳥の唐揚げ』ですね。味噌ラーメンは定食セットに致しますと、ご飯を無料で大盛りにも出来ますが?」
「ウキッ!? ウキッ!」
なにッ!? ならもちろんそれで! と頷く猿の賢獣。
「わかりました。ご注文を繰り返させて頂きます。『味噌ラーメン定食ご飯大盛り』。単品で『金鶏鳥の唐揚げ』。以上で宜しいでしょうか?」
「ウキィ~」
オッケイ~と、シンの繰り返しに答えると、周りの客達から安堵のため息が漏れた。
「ふぅ~。今日は違うみたいだな……」
「よかった……すいませーん。お兄さーん。注文良いスッかー!」
それぞれが一頻りのため息を吐いた後、それぞれが食事を再開したり。まだ注文を取っていない者はシンに注文をしたりした。
そして注目を浴びていた猿の賢獣の方はと言うと。
カウンター席で静かに料理が来るのを待ちながら、背負っている竹籠からマイ箸や前掛けを取りだし。食事の準備を始めていた。
箸を置き。前掛けを首から掛け。手首の関節を回し柔軟を始める。
「……ウキ」
それらが終わると食事の準備は整った、と言い。これから来る食事に対して静かに目を閉じて、心静かに待つ。
「……ウキ、ウキキ……」
心静かに待っていた猿の賢獣は何かを呟く。
ええっと、なになに? 『……味噌ラーメンは、とある島国の北国の一店舗から始まったと言われている……』。
「ウィキキー。ウィキィ~……」
『その島国独自の調味料をもっと生かすべきと言う話を聞いたその店主が、各地の味噌を集め。それまであった豚骨醤油から新たに味噌味のラーメンを作り出したのが発祥だと……』
なんか語り出したよこいつ!? なにお前、ラーメン大好きっ娘か何かか!? やめろよ、通訳する方の身にもなれよ。結構大変なんだぞ。
それ以降もこちらの大変さを理解しないまま語る猿の賢獣。
それを止めてくれたのは、料理であった。
「お待たせいたしました。ご注文の『味噌ラーメン定食ご飯大盛り』に、単品の『金鶏鳥の唐揚げ』をお持ちいたしました。おや? お箸はご自分のをお持ちでしたか。ではこちらは不要ですね」
持ってきた料理を並べるシン。猿の賢獣用に子供用のホークと器を持ってきていたが、不要と判断し。それをトレーの上に置いたままにする。
「それではごゆっくりとご堪能下さい」
シンの言葉に無言で頷く。
そしてゆっくりと両手を目の前で合掌し。
「ウキィ……」
いただきます……と、言葉を述べる。
スゥ……っと軽く息を吸い。肺全体に満たすと、カッと目を開き。己の箸と備えのレンゲを手にする。
目の前に広がるは白湯スープの様な白色のスープ。
そのスープの中にはモヤシと中太のちぢれ麺が泳ぐように浮かぶ。
そして丼の真ん中にまるで島のように鎮座する味噌の山。
シンプルな作りのラーメンに猿の賢獣は目を細める。
「……ウキキ」
味な真似を、この私を試すか。と、どこかの獅子を思わせる美食屋の如き言葉を呟く。
見ているだけでは味は分からぬ、と言うように先ずは白湯の様なスープをレンゲで掬い。一口。
「……ズズッ。ウキ……」
うむ。鶏ガラをベースにしたあっさりとしたスープ。と、味の感想を述べるが、どこか物足りないと言う表情をする。
しかも自分が頼んだのは『味噌ラーメン』である。これでは鶏ガラのラーメンとなってしまう。
しかしそこで気がつく。丼の真ん中に鎮座する味噌の存在に。
「キキィ……?」
まさかこれを溶かして味わえと? その考えに至ると、ほんの少し。味噌をスープに溶かし掬って飲む。
「~~~ッ!?」
その瞬間、濃厚な味噌の味とあっさりとした鶏ガラの味が、舌の上で絶妙なハーモニーを奏でた。
「ウキッ!」
旨しッ! 思わず口から漏れ出すほどの味であった。
なんと味噌の調節によって少しずつ味が変わっていく。あっさりとした味から濃厚な旨味も持つ、味噌の味へと。
「ズズッズズッズー! ウキッ!」
味噌を混ぜ合わせた後、麺を啜る。ちぢれ麺がスープと絡み合い、これまた旨いと唸るように言う。
ジャッキッとしたモヤシも麺と一緒に食べることでまた違った食感を楽しめた。
麺を食べてはスープを飲み。スープを飲んでは麺を食べた。
そして半分ほど食べ終わると箸休めのように、今度は唐揚げを口にする。
「ウキキィ!」
この揚げ具合は二度揚げだな! カリッとした食感から調理法を述べる。
それ以外にも唐揚げに使われた調味料を言い。満足げに唐揚げを噛み締め飲み込む。
「……ウキ」
さてと、と言い。ここからは言葉は無しだ。全力で味わう。と言うように無言で食べ始まる。
「ズズッー! バクバク! ズズッ!」
麺。スープ。唐揚げ。ご飯と勢い良く順繰りと食べていく猿の賢獣。
その食べぷっりは見事と言う他なかった。
「ズズッ……ズズッ……………ぷっはぁー!」
丼を傾け。スープの一滴すら残さず飲み干した。
飲み終わった後。その丼ぶりを置いた時に、この世の幸せはここに在ったと言うような、とても満ち足りた表情をしていた。
「ウキィ~♪」
ぽんぽんと、自分の腹を叩き。満足げな猿の賢獣。
ようやくこの食レポみたいな話しは終わったか……。
しかし自分は知っている。
こいつが、いや、こいつらがこの程度の飯の量で満足するような奴ではないと言うことを……。
「ウキィ! ウキキ」
「はい。何でしょうか? お会計ですか?」
「ウキウキ。ウキッ!」
「違う? メニューですか? 追加の注文でしたか。これは失礼しました。どうぞ」
そして自分の予想通りシンからメニューを再び受け取った猿の賢獣は、シンにメニューを見せると、メニューの一番上から一番下までをつつぅーと、指し示していく。
「え? 全メニューを、ですか? え? それも違う?」
猿の賢獣は更に『超特盛』の部分を指し叩いていた。
「それはつまり、全メニューを『超特盛』で追加と言うことでしょうか?」
「ウキッ!」
力強く頷く猿の賢獣。
注文を受けるのは構わない。
しかし子供のような背丈しかない猿の賢獣に、今頼んで食べきった量ですら一杯一杯ではないかと心配したシンは、猿の賢獣に食べきれるのですか? それともお持ち帰りですかと聞くも。猿の賢獣は全てここで食べていくとシンに伝える。
「……わかりました。残すことはあまり誉められることではないですが、もし食べきれないようなら言ってくださいね」
「ウキッ!」
失礼な全て食べきると、憤慨したように言う猿の賢獣。
シンはそれについては謝り。厨房へと注文を伝えに行くと。
「……やっぱり来たね」
料理を作っていた女将は予想していたように不適な笑みを浮かべ。
「バイトさん! 悪いけどこれからの注文は一切とらなくて良いよ! 周りの客達にも賢獣様のご注文が入ったと言っとくれ! それで通じるからね! 私はこれから全ての料理を作るために集中するよ! バイトさんも料理が出来たらじゃんじゃん運んでって!」
「え? あの、女将さん?」
しかし既に女将は料理作ることを始めてしまい。シンの言葉を返す余裕がなくなった。
シンは訳が分からないと言うように首を捻り。女将に言われた通りにフロアーに出て、女将の言葉を周りに居る客達に伝えると。
「ウソだろう……俺まだ注文届いてねえのに」
「くそぉ、賢獣が居るから嫌な予感はしてたんだよ」
「始まっちまったよ……賢獣の『暴食の宴』が……」
「……ハァ、もう今日はこの店で飯が食えねよ。今日はここと決めてたのに……」
「店にとっては賢獣は神様でも、俺達にとっては暴食の神だよ。……違う店に食いにいこう」
そう言ってまだ注文しがものが来ていなかった客や、注文をまだしてなかった客などが席を立って店を出ていく。
そうこの猿の賢獣。見た目の体とは裏腹に物凄い大食漢なのだ。
それこそ店一件が提供する食材を丸々食べ尽くしてしまうくらいに。
だから猿の賢獣がその店の料理が気に入れば、その店の料理を食材が尽きるまで注文を繰り返して食べていく。
店の主人達もそんな賢獣の注文だけで手一杯になってしまうため、それまでの作っていた料理以外は全てシャットアウト。賢獣の為だけに料理を作り続ける。
それが分かっているために客達も、もう自分の料理が来ることはないと承知して店を出ていくのだ。
それ故に店にとっては大金を落としてくれる福の神のような扱いを。
店の料理を食べに来た客にとっては疫病神的な扱いを受けることが多い。
最も食べ物に関してだけで言えばこの猿の賢獣だけなので、他のタイプの賢獣には客達も悪い印象は持ってはいない。
と言うよりは普通の賢獣達は普段から『聖地』に住むため、人と共に居る賢獣以外はこうして町に来ることすらないのだ。
ただこの猿の賢獣だけが、好奇心赴くままに町に来ては行動しているために、その様な印象を持たれている。
だがだからと言って猿の賢獣の行動を止めようとする者もまたいない。
何故なら彼らは渡界者以外で『聖地』にある物資を町に持ってきてくれる、ありがたい存在でもあるからだ。
そしてあの大金は『聖地』から持ってきたその物資の代金である。
猿の賢獣にとっては食べ物と交換してくれるものぐらいしか認識しておらず。町の者にとってもその大金を落としてくれる存在としてまあ、これくらいはと、認めている、と言う話である。
「ガツガツガツ! ガツガツガツ! ガツガツガツ!」
次々と運ばれてくる料理を、まるでバキュームで吸い込むかのような勢いで食べ続ける猿の賢獣。
「お、お待たせいたしました! こちらの空のお皿お下げ致します!」
さしものシンも慌ただしく料理を運んでは空の皿を下げる繰り返しをしていた。
そしてついに、と言うか。予想通りと言うか。の事が起こった。
「お、お待たせ……いたし……まし……た……」
「ウキッ!? ウキキッ! ウキ?」
料理を運んできたシンがその途中で倒れ。持っていた料理を落とす。それに対して怒る猿の賢獣だったが、シンの様子がおかしいことに気がつく。
食べ物が残っていればどんなことがあろうとも、その手を止めることがない猿の賢獣が、食べることを止め。シンに近寄る。
「ウキ? ウキッ! ウキッ! ウキッ!」
おいどうした? こんなところで寝る! あとメシを落とすな! もったいないだろう! と、シンの横っ面を叩きながら起こそうとする。
そんな事しても起きないぞ。そいつはいま『気絶状態』になったからな。
ゲーム上のシステムは理解してるはずなんだかなぁ。ああぁなるほど。普段から一日くらい飲まず食わずで働く時があるのか。まったく。今の日本はそんなにまでやらないと暮らしていけない国に為ったのか?
「ウィキィ? (キョロキョロ) ウキッ! ウキー」(声はすれども姿は見えず? いたッ! おーい)
げえっ!? 見つかった! こら! こっちくんな!
「ウキウキ。ウキキ?」(なあなあ。アイツ寝ちまったけど、どうしたんだ?)
寝たんじゃない。気絶しただけだ。休憩もせず。飯も食べずに動き回ってたからな。体がもう動けないと悲鳴をあげて倒れたんだ。
「ウキキィ? ウキ?」(メシ食ってなくて倒れたのか? ならメシ食えば起きるのか?)
起きてから食べれば平気になる。起きたら何か食べるように言ってやれ。
「ウキィ! ウキキ?」(わかった! ところで何してんだおまえ?)
仕事だよ。ほら、わかったら向こうへ行け。自分はいま忙しいんだ。いまは遊んではやれないからな。
「ウキ……?」(仕事……?)
胡乱気な目線を向けてくる猿の賢獣。
「ウキ~ウっぐぐぅ」(おーいここに変sぐぐぅ)
誰が変質者だ! 仕事だと言ってるだろう! これやるから! 自分の事は気にせず向こうに行ってろ!
「ウキッ! ウキキィ~♪」(飴玉だ! わーいやった~♪)
あげた飴玉を口に含むと。バリッボリッと噛み砕いて食べた。
何でお前らは飴玉を舐めずに噛み砕くんだ? ほらもう用はないな? あっちいって料理食べてろ。
「…………」(バリッボリッ)
なんだ? まだなんか用か?
「ウキ~ウっぐぐぅ」(おーいここに変sぐぐぅ)
だからそれはもういいちゅうねん! この飴玉が入った筒事やるから、あっちいってくれホントに!
「ウキキ~♪ ウッキィ~♪」(やった~♪ 飴玉も~ろ~た~♪)
も~ろ~た~。じゃないだろう。どう考えても恐喝の類いだったぞ……。
ごほん。さて、少しこちらの事情に組入ってしまったので本筋へ戻そう。
倒れてしまったシンの元へ戻った猿の賢獣。シンの口許に飴玉の欠片。本当に一欠片を置くようにする。
そしてこれで起きろと中々無茶な要求をするのであった。
シンが倒れたことを知った者達も何事かとシンの周りに集まる。
しかし誰一人としてシンが倒れた理由がわからなかった。
時折猿の賢獣がこちらを見て、「おいどうしたら良いんだ?」と言うような表情をしている。
……ハァ、やれやれ。本当は手を貸したくはないんだがな。仕方がない。猿の賢獣に免じて一度だけ手を貸そう。……ああもしもし。自分だけど。例の人物で少しトラブル起きてな。申し訳ないんだが、そちらで回収してもらえないか? ああ。場所はーーー
敢えて副題を付けるとしたら『ごはん大好きおさるさん』でしょうか。
次回の更新は11月11日となります。