「想いの透明な欠片」 §7
飾り窓越しの明るさが、複製されたように同じ姿で居並ぶベッドの輪郭を浮かび上がらせている。
窓の桟が落とす濃い灰色の影が、ふっくらとしたベッドカバーの上で、貫き、交差し、うねり、てんでに布の表面を切りつけている。
玻月が制服のベストの背をこちらに向けて、まだ交換の済んでいないベッドのカバーを取り替えにかかっている。
「ここに来てもう一生分の白いシーツを見たような気がする」
琅砂は思わず名残おしい気がして言った。
今日の作業が済めば、リネン交換のある水曜日がやってくるのは退所前にあと一回だ。
「同じ作業の繰り返しだもんな、ここの生活は。
領域Aの敷地内をぐるぐる回るほか、ほかに行くところもないし。
もっともそっちは、おもちゃ箱の中みたいなここの暮らしともようやくおさらば――なんだろ?」
玻月が答えた。
後ろ姿が見せる細い首すじの上を短く切った毛先がまばらに取り巻いていた。
「うんざりっていうのじゃないのよ、玻月さんも鈴々花さんもいたし。
それにここの広い敷地内にはいろいろ外では見られないめずらしいものだってあったもの」
答えながら琅砂は取り替えてきたばかりの枕カバーを手押しカートの古いリネンの山の頂上に放り出した。
「琅砂さんは……ここを出るのが怖い?」
玻月が振り向いて言った。
腿の脇でこぶしの形にまるめた手が、化繊の表面にしわのあとを付けるほど、きつく制服のスカートを握りしめているのが目に入った。
「ううん。
どこにいたって明日より先のことが真っ暗なのはおんなじことだもの。
でも……」
琅砂が玻月の片手を取り、自分の両手で包み込んだのを、玻月は意外そうに見つめた。
「玻月さんや鈴々花さんとお別れしたくないとは思っているわ」
「……琅砂さん」
玻月は空いた手でそっと琅砂の手を外すと、 お腹の前で両手の指を組んでまっすぐ琅砂に向き直った。
「琅砂さん、あなたと過ごしていたのはたった一年だけれど、たとえそれが一生のことだったとしても、構わないような気がわたしはしていた。
過ぎてゆく時間のことなどすべて忘れて、ずっとあなたとここにいたいと思っていた」
「玻月さん」
琅砂はやおら息詰まるような気持ちに襲われた。
体の向きを変えると、琅砂は斜め後ろのカートに目をやった。
「作業を続けなきゃ。
まだあと3部屋もあるのよ。
あ、ベッドカバーの交換、時間がかかるならお手伝いしましょうか?」
「いらない……っ」
半ば叫ぶような玻月の口調に琅砂の全身は凍った。
玻月はカートからさっと必要分の新しいリネンを引き出すと、スカートを翻して再びベッドに向かった。
「この部屋はあと一人でやるから、あなたはもう手を出さないで。
先に次の部屋へ行って」
ペアを組む玻月からの一方的な宣告に琅砂は顔をむくれさせた。
「玻月さんを置いて一人では行けないわ。
リネン交換の指示は二人で受けたものなのだし。
それに、それに、わたしだって……終わらせたくないの、この時間」
胸に畳まれたままのリネンの束をいくつも抱きかかえたまま、玻月はベッドの前で途方に暮れたように俯いていた。
「わたしは、今週の金曜から、あなたのいない活動班に移ることになった」
琅砂は息を呑んだ。
初耳だった。
「ほんとに?」
昨日の活動室での鈴々花が何か知っているそぶりはなかったから、どうやら玻月が打ち明けたのは自分のほうが先であるらしい。
「あぁ」
「それじゃ、そんな突然じゃ、さよならも言えないじゃない」
「……初めて会った日のことを覚えてる?
互いの名前も知らされないまま、この部屋の入口に並ばされ、二人で組んで寝室のリネン交換をすることだけを命じられた。今の関係が何であろうと組んだきっかけはそれだけ。
はじめましてもなかった。
だからさよならもなくっていい。
どうせこの次からあなた一人で作業することになる。
だから今日だってもう、無理に組んでる必要ないんだ」
眼鏡のレンズの内側の閉じられたまぶたの縁でまつげがかすかに震えているのが見えた。
琅砂は言葉に詰まった。
何も言えぬままただひたすらに眼差しを玻月に注ぐ。
そうしていても、まぶたは閉じられたまま、玻月はそれ以上なにも話そうとはしなかった。
退所前日に鈴々花から、こっそりせんべつを手渡された。
手紙でもない、食べ物でもない。
どこから手に入れたものか――……それはクリアカバー仕様の記録カードだった。
中身は何なのかと琅砂が問うと、廊下に立って向かい合う鈴々花は答えずに笑い顔を浮かべた。
「楽しかったね、いっしょにいられて」