「想いの透明な欠片」 §5
火曜の午後、リネン室で作業をしていたら、入り口扉脇の内線が鳴り、琅砂は教導カウンターから呼び出しを受けた。
リネン室でしていたのは洗濯済みリネン類の仕分け作業だ。
玻月、鈴々花、それにほかの少女たちと、リネン類をベッドカバー、シーツ、枕カバーに分け、手分けして山ごとに畳む。
畳み終えたものは種類別にまとめ、部屋ごとに収納場所の分かれた棚にしまっていく。
ちっぽけな白熱灯が一つきりの薄暗く狭いリネン室に、少女たちと同じ数だけ灰色の影が揺れていた。
琅砂が壁際の長机に積まれたシーツの束を数えようとすると、座っていた玻月が立ち上がり、さっさと数を揃えて差し出した。
「ここに6枚ある。数が違ったら言って」
「あ……それでいいわ」
受け取って、指先にずしりと伝わる布の重みに腕が沈んだ。
向きを変えて棚のほうへ歩き出しながら、ほのかに洗剤の香料が香るシーツに、今すぐ思いきり顔を埋めたいような変な衝動に駆られた。
もちろん、しみ一つない洗い立てのシーツを、そんなことで汚してしまうわけにはいかないから、思っただけで実際にはしなかったけれど。
内線の電子音が鳴ったのはそのときだ。
琅砂はシーツの束を手近な空の棚に押し込むと受話器を取った。
教導カウンターからの連絡は、生体記録の分析から医学上の必要が認められて、琅砂が就寝中に生体情報をモニターされるというものだった。
また、モニター検査の準備の必要上、琅砂一人が一晩の間、個室に移され、入所者6人で使用しているふだんの相部屋ではなく、領域Aの医務室の一つを使うことになるとも伝えられた。
いつにない指示に首を傾げながら琅砂は内線を切った。
天井の無機質な照明が可視光レーザー光をにじみださせるのが見えている。
織りの粗いベッドカバーのごわごわした感触が寝巻きごしに伝わってくる。
領域Aの就寝時間の定刻より2時間ほど早く、琅砂は医務室のベッドで横になっていた。
入室の際には糸季先生と小茂呂という医師、それに由良という男性職員、木村という看護士の女性に付き添われた。
だが、4人は開封済みの薬包を回収し、琅砂を寝床に入れさせただけで、ほかに医学検査らしいことは何もしなかった。
(生体情報のモニターを行うという話だったはずだけど)
脳波や心拍数を見るためのセンサーを体に付けられるわけでもなかったし、脈拍一つ診てもらえるわけでもなかった。
これでいったい何を調べるというのだろう、と琅砂は違和感を覚えたが、尋ねたいと思ったときにはすでに、言われるがままに飲んだ2種類のカプセル剤のために意識がもうろうとしはじめていた。
小茂呂医師、由良、木村の3人は琅砂が眠りかけるのを見届けると靴音を立てて扉から出ていった。
「おトイレはいいかしら」
「あ……医務室に入る前に……」
「では、朝までぐっすりおやすみなさい」
最後まで琅砂の傍らにいた糸季先生も、そう声をかけるときびすを返した。
ぱちん
スイッチの切れる音がして室内が急に暗くなった。
琅砂の頭の位置から、ベッドカバーの起伏の向こうに、廊下の照明を背にして立つ糸季先生の影がかろうじて見える。糸季先生の手元でドアノブが明かりを反射して光っているのが見えた。無言のまま先生は扉を閉める。
「う……」
視界から糸季先生の姿が消え、部屋が暗闇に閉ざされる一瞬、琅砂はひどく心細い気持ちに襲われた。
……――琅砂は静かにまぶたを開いていった。
天井には消えたままの照明がしんと並んでいる。
全身にしびれるような痛みがあった。
思わず布団から腕を出して確かめて見たが、琅砂の腕はもちろん人間のそれであり、ヤマイヌの体毛で覆われてなどいなかった。
モニター検査が終了し、琅砂が医務室から再び相部屋に戻されてから、さらに7日が経過していた。
再び教導カウンターから呼び出しがあり、琅砂は一枚の紙を手わたされた。
退所決定通知――……
領域Aの伊波ディレクター名で発行された通知の書面には、琅砂の退所日が15日後に決定したこと、本日付で事前申請による外泊が許可されたこと、退所までに最低3回の社会再適応支援セッションを受けるべきこと、などがあくまで事務的に印字されていた。
検査の結果について糸季先生に問いただす暇すらない。
琅砂の入所から357日目のことだった。