「想いの透明な欠片」 §4
弥末糸季は、ICチップ入り社員証をカードリーダーにかざしてスライド式のドアを開けると、示準Mの中央管制室へ入っていった。
周囲を薄暗がりに保つ程度の明るさに調整された天井の照明パネルの下、軽く100台は超えるであろうモニターが領域Aのありとあらゆる区画の監視映像を映しだし、多くの職員が監視業務を続けている光景が広がる。
モニターはこの時間、一日の課程を終えた少女たちが全自動配膳装置から自分用の食事を受け取っている領域Aの大食堂のようすを映しだしていた。
糸季はメインの大型映像モニターのほうへ歩みを進める。
メインモニター前では伊波ディレクターと小茂呂医師が話し合っていた。
伊波ディレクターは手に持つ薄型情報端末を見ながら話している。
先に糸季に気づいて顔を上げたのは伊波ディレクターのほうだった。
領域Aの学習課程統括者である伊波瑶子ディレクターは、いつも飾り立てない程度に仕立てのよいレディースフォーマルの衣装をまとった気さくな雰囲気の中年の女性だ。
「糸季さん。週末の室内競技会の準備、先生がたに任せきりですまないわね」
「いえ。出場競技の割り振りや備品チェックもあらかた済んでおりますので問題ありません。
それで、わたくしにお話とはなんでしょうか」
「では本題に入らせていただくわ。
本社から入所者の10%について学習課程の修了を予定より平均3週間早めるようにとお達しが来ているの」
糸季は現在の後期課程履修者である少女たちの顔を思い浮かべながら答えた。
「はい、履修内容の切り上げを行なっても、それほど支障は出ないメンバーだと思います」
「ぜいたくを言うようだけれど、そうは言っても、入所時期ごとの入所者間の履修内容にバラつきが出すぎないように注意してほしい。
あなたたち教官にはご苦労をおかけするけれど、適宜補習対応もお願いするわ」
伊波ディレクターの話を聞きながら、施設の定員には余裕があったはずだが、と糸季は内心首を捻った。
領域Aは施設収容能力、職員数といった諸条件から、年間3000人が入所者の受け入れ上限とされている。時期や状況により波はあるものの、一月に平均60人という受け入れ数は、ここ数年変わっていない。
つまり一週に10~12人ほどの入所者が新たに加わっているということだ。
退所者の人数もほぼ同程度になるように調整が行われており、通常であれば急に大幅な定員超過が起こることはない。
だとすれば、近々大人数の新規受け入れでもあるのだろうかと考える。
最近、国内のどこかの都市で大規模な非行グループの摘発でもあったのか。
もっとも関係機関との折衝もあり、微妙な局面でなされていることも多い本社判断について、糸季のように役付きでもない現場職員が明確に理由を聞かされることはまずないと思ってよかった。
だから糸季は口を閉ざして質問を飲み込んでいた。
小茂呂医師が脇から話に割って入った。
「室内競技会の終わった週明けからプレ選定にかける入所者の数を増やそう。
糸季くん、〈赤梨の森〉の課程まで進んだ入所者は現在何名ほどだい」
「20数名はいたと思います。ご自身の端末で履修状況の一覧表を参照されるのが正確かと思いますが」
きみが調べてくれないのかねと文句を言いつつも、小諸医師は白衣のポケットから小型端末を取り出して操作しはじめた。
ひげに覆われた顔や白衣にそぐわないほどのたくましい体つきから働き盛りのエネルギーが漲っている。
医師資格はあっても病院や診療所に勤務しているわけではなく、ベスト・モーメント社の社員として領域Aの学習課程開発と入所者の健康管理に従事している。
「現在の後期生からは、すでに何名かプレ選定を通った候補が出ているのか。
ふーん、それじゃ紋章持ちの糸季くんには教え甲斐があるなぁ」
「いえ、後方に下がった今、とくに特段の思い入れは……。それに推薦生のみ特別扱いしないように、とはディレクターから何度も念押しされていますから」
「候補者以外の入所者の進度は――……っと、この三好という入所者は週明けすぐにも退所移行課程に移れそうじゃないか」
糸季は小諸医師の端末の液晶画面を覗き込んだ。
「三好琅砂ですか、そうですね。
入所当初こそ荒れていましたが、このごろは落ち着いてきましたね。
同時期に入所した照降玻月、浅風鈴々花ともうまくやっているようですし」
糸季は、琅砂のショートボブの髪型と少しきつめの目つきを思い浮かべながら言った。
「ふぅむ、三好の個人評価グラフでは、感情抑制のほうは正常値でも、感情解放は少々不得手と見えるな。
修了へ向けては感情開発を促進する課程を増やすように頼むよ。
入所者どうしのテーマセッション、即興劇入りのワークショップ、それに芸術鑑賞活動などだな」
「はい。ただ、小茂呂先生はご存知かと思いますが。
各評価の数値には入所時の数値と比較した際の推奨変動範囲が、BM社の社内システムにより自動設定されています。ですから感情開発についてもあまり性急に進めるというわけにはいきません」
小茂呂は唇の端に笑いを浮かべた。
「入所者思いの糸季くんらしい意見だ。
しかし開発者のぼくに言わせると、わが社の学習課程は教育学より精神医学に重点を置いたものになっている。
罪を犯した非行少女の人格や意識を、われわれの用意した高度な学習課程による"教導"の下に、速やかなる社会再適応が可能な"いい子"のそれに近づけてやろうというのだよ。
システムが出す型どおりの警告はともかく、いくらやっても感謝されこそすれ、入所者から不平が出るはずもないと思うがね。
クソみたいなスラムのごみをもういちど有用な資源に再生して社会に返還というわけだ、ははは」
「ととっ、小茂呂先生、少しお口が過ぎるようですわ。
いくら孤児同然の入所者も多いとはいえ、領域Aについてよくないうわさを立てられてはわが社のイメージにかかわります」
一方的に持論の展開をしだした小諸医師を伊波ディレクターが制した。
「三好琅砂の感情開発については、ご指示のとおりにいたします」
「おう、移行に関してとくに不都合はない。
本人の体力回復の状況を見てきみから連絡してくれたまえ」
小茂呂医師の指示に糸季はうなずいた。