「想いの透明な欠片」 §2
窓からにじみだす白昼の陽光が、取り替えたばかりのベッドカバーのふくらみを、なだらかに浮き立たせていた。
A棟1012号室。
後期課程受講中の入所者たちの寝室の一つとして使われているこの部屋には、6台のシングルベッドが一列にずらりと並べられている。
琅砂と玻月は、右端のベッドから取りかかって、いま3台目に手を付けたところだ。
「先週まで真ん中にあった衝立がなくなっている」
新しく掛けたシーツのしわを、琅砂の向かい側を持って伸ばしながら玻月が言う。
「目聡いのね、玻月さんは。わたしはちっとも気づかなかったわ」
「それは琅砂さんが周りをよく見ていないせいだ。淡い緑の覆い幕がかかった衝立、よその寝室にはない備品で目立ってた」
玻月は言って、細い銀縁の眼鏡の奥で軽く詰るような目つきをした。
「ふうん、いいわね間仕切り。
だれか隣の人の寝言に文句でも言ったのかしら」
笑いながら琅砂はシーツをマットの下へ折り込んだ。
「あ、糸季先生に頼めば、玻月さんも貸してもらえるかもしれないわよ」
「いいえ」
玻月はかぶりを振って、それきり口を噤んだ。
外に面した壁際へ等間隔に飾り窓が並んでいる。
縦長の窓枠に嵌められた乳白色の曇り硝子、それに直線と曲線を組み合わせた飾り格子。
石造り風の壁紙に板張り風の床、それにこの飾り窓はこの棟共通のものだ。
琅砂はときどき自分が100年も200年もの歴史を誇る古い修道院か神学校にいるかのような錯覚を起こすことがある。
だが、可視光レーザー仕様の天井照明や季節を問わず一定の暖かさに保たれた空調、それにセンサーや加温の機能まで備えたトイレといった近代的な設備を見れば、ここがむしろよほど新しい建物であることがわかる。
琅砂が16歳でここに来てから丸一年が経とうとしていた。
玻月も入所期間は同じくらいのはずだ。
抱きかかえた掛け布団がブラウスの袖と接するところで、布と布がとろりと一色に溶けている。
あまりにも光を隠さないその色が、目に痛いような気がして、琅砂は思わずまつ毛を伏せる。
ほかの少女たちと同様に、琅砂と玻月も領域Aの制服を身にまとっていた。
ここへ来て生まれて初めてはいたスカートにも、同い年の少女と互いに"さん"付けで呼び合うような言葉遣いにも、もう慣れた。
玻月とペアを組んで週一回行うリネン交換の作業にも。
もっとも、琅砂は領域Aについて詳しいことはほとんど知らない。
はじめのうちこそ面談のたびに糸季先生へ喰ってかかる勢いで説明を求めた。
初回の面談の際、糸季先生から返ったのは
「質問されても、わたし個人の判断では説明するわけにいかないわ」
という答えだった。
あとはたいてい微笑むばかりで必要最小限のことしか教えてくれなかったし、琅砂が少しでも暴れるそぶりを見せれば後ろに控えている別な職員たちが決まって制止に入った。
明らかに長期入所を念頭に置いている領域Aの規則の数かずや、入所している少女たちに多くの情報は与えない領域Aの方針について、だんだんと理解しはじめると――……琅砂もやがてここについて知ることよりは、ここのこうしたやり方を受け入れてここになじむことに関心を移すようになっていった。
それでも少しはわかったことがある。
琅砂が入れられたこの施設の正称が「BMS女子教導所」であり、通称が領域Aであること。
株式会社ベスト・モーメントという民間企業が、ある公的機関からの委託を受けて運営する、少年院に入れられるには至らないが不良行為にあたる、なんらかの犯罪未遂を犯し、一定期間の保護が必要と診断された逸脱青少年(とくに女子)向けの医療生活支援一体型青少年保護施設であること。
生活施設および教育施設である領域A(A 棟)と、隣り合う職員施設および監視施設の示準M(M棟)の二つの施設が一体的に運営され、建物外のグラウンドも含めた全体が、首都近在のある市の郊外にちょっとした公園か研究所程度の広さを占めていること、などだ。
琅砂と玻月は次のベッドへ移ると、手早く元の布団やシーツを取り除けた。玻月が手押しカートの洗濯ずみリネンの山の中から新しいものを手に取る。
それぞれ片一方の端を持ち、マットの両端に立って真新しいシーツをふわりと広げる。
広げられた布が一瞬、乾いた空気と光る塵を孕み、気泡のごとく虚空に半球形をえがいた。






