「想いの透明な欠片」 §1
「警察!?」
見張り番の翔太が叫ぶ甲高い声が聞こえた。
続いてなにか硬いものが診療所の扉に打ち当てられて、強化硝子にひびを入れていく音がした。
並んで雑魚寝をしていた待合室の床の上で少年少女たちが次々と起き上がる。
「襲撃だ、総員、応戦態勢ッ!!」
年長の進介が発した命令に応じる暇もなく、琅砂は息を詰めてソファの下に転がり込んだ。
――――――――――…………!!!!
予想どおり、次の瞬間には爆発したような破裂音とともに硝子の破片が待合室じゅうに飛び散った。
少年少女の悲鳴がそこかしこからあがる。
身をすくめながらも琅砂は自分の無傷に感謝した。
チーム内では比較的年少で、ソファで寝ることを許されて"いなかった"ことが却って幸いしたわけだ。
ソファの下から手だけを出して鉄パイプとヘルメットを引き寄せる。
Tシャツからむきだしの二の腕にちりりと痛みが走り、床に落ちた硝子片が肌を傷つけたことがわかる。
「おらぁっ、出てこいやぁ、嵐二。
てめー、よくも金龍組の縄張り荒らしやがったな、うらぁッ」
「いい気になってんじゃねぇぞ、くらぁッ」
襲撃をかけてきた一団が開けた扉からなだれこみ、口々に喚くのが聞こえる。
口ぶりからすると原因はチームリーダーの魚倉嵐二にあるらしい。
まだほんの16歳でチーム内では下から三番目の位置にすぎない琅砂は、"幹部"と呼ばれ、"さん"付けで名前を呼ばされる上層メンバーが手がける商売について詳しいことは知らない。
ただ、嫌な予感はしていた。
夜の町に女ができたという噂の立った去年の春あたりから嵐二のようすは目に見えておかしくなっていた。儲け方も遣い方も異様に激しくなり、言動も急速に無軌道になっていった。
No.2の魁九が止めるのも聞かずに麻薬の売買に手を出し、本人も使いはじめたという話もある。
そのせいか最近、地元のならず者集団やよそのチームとの抗争が増えたことに不安は覚えていたのだ。
すでに襲撃者と仲間たちの間にもみ合いの始まっている騒ぎが伝わってくる。
自らを奮い立たせるように一つ舌打ちをして、琅砂は掴んだ鉄パイプとともにソファの下から飛び出した。
耳の脇で散った毛先のそろわない黒髪が頬にかかるのがうっとおしい。
このごろ本拠地にしている繁華街はずれの廃診療所の照明は消えたままだ。
「関係ねーぞ、因縁付けてんじゃねえ」
リーダー嵐二は玄関先に立ち、拳に巻いたナックルの棘型の鋲を閃かせて襲撃者たちを威圧していた。
「うわあぁぁーっ」
あと二歩ほど跳べば、嵐二の柄入りジャケットの背中に届くのを見て取り、琅砂は加勢するつもりで飛び出した。が、
一歩踏み出したところで目元にゴーグルを身に着けた派手な口紅の女に割って入られた。
「ガキはねんねしていな!!」
至近距離から顔面に勢いよくガスを吹き付けられ、たまらず目をつぶる。
―――――――――…………
眩い光がまぶたの裏で広がる。
すぐに痛みと刺激で皮膚が覆われ目を開けることができなくなった。
「どいてろ、邪魔だ」
いらだった声で叫んだのは嵐二だった。
「!!!」
琅砂は自分が襟首を掴まれ、横の壁際に突き飛ばされたのを感じた。
壁にぶつかった衝撃が肩口へ走り、倒れた拍子に外れたヘルメットが床に転がったのを感じる。
琅砂は床に寝たまま、さっき受けた催涙性のガスの刺激に涙と鼻汁を垂らしながらむせかえった。
肺がひどく痛む。
呼吸がうまくできず、気が遠くなっていく。
喧騒に耳を侵されるがまま、琅砂は自分の意識が虚空へ落ちていくのを感じ……
――気を失う最後の瞬間、遠くからかすかにサイレンの音が聞こえた、気がした。