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魂の在処  作者: 黒崎 光
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第4話 安らぎ

       一年後



「ほらっ、今蹴ったわ」


 沙紀のお腹にそっと耳をあてる。


「ほらっ、また」

「今のは俺も感じたよ」


 不思議な感覚だった。生物学的に言うなら、自分達はもはや生命ではない。決してその不安を表に出さないよう努めてはいるが、やはりその事実を再認識させられる瞬間はある。でも、そんな自分達が子を得る事ができるのだ。


 そしてこの世界においても、子を持つのに妊娠という、極めて生物的な過程が必要な事実も感慨深い。


 それは乳児の思考パターンプログラムの〇.一パーセントにあたる、個体差の解析を行って行くうちに分かったのだ。この中に僅かに乳児が持つ記憶の情報が含まれていたのだ。それは母親の胎内にいる間の記憶。


 この記憶情報を省いた状態でオブジェクト化したらどうなるのか。それは定かではない。だがその予測は現実世界においての情報から想像がつく。


 母親の鼓動。父親がお腹に向かって話しかける声。これが生後の発育に大きな影響を及ぼすというデータは数多く存在する。


 今までのフロンティアの定義になかった母親の胎内という空間。これを作り上げるには現実世界の協力が必要だった。


 つまりフロンティアを運営する医療機器メーカー、ビッグサイエンス社の承認と協力を得たのだ。倫理的な観点からの反発も確かにあったが、議題が上層部に上がるとすんなり通ってしまった。


 上層部で何が有ったかは解らない。


 勿論代償は必要だ。子の成長過程のデータ取りを会社は要求してきた。まぁ、それは当然だろう。


 そしてそのデータは現実世界においても生命の根源を探るのに十分価値のあるデータとなるはずだ。


 こうやって耳を付けていると自分の子の胎動が良くわかる。その鼓動まで聞こえてくるのではないかと思うほどだ。


 沙紀の手がそっと自分の頭の上に置かれる。


「なんか夢のようね」

「そうだな」


     五年後


「ともやぁー、早くぅー。 さきもー」

「なぁ、沙紀。すっかりこの子、俺達の事名前で呼ぶようになっちゃったぞ?」


「私達が名前で呼びあってるから仕方ないわ。名前で呼ばれるの嫌?」

「やっぱりパパって呼ばれたいな。娘には。息子だったら別にきにしないけどさ」

「そんなもの?」


「ねぇ、愛。パパーって言ってよ」

「パパー」


 満面の笑みを浮かべる愛。たまらず抱きしめる。


「ともや、おひげ痛い」


「だから言ってるでしょう? そんな無意味なオブジェクトさっさと解除しちゃいなさいって。ロクに剃らないんだから」

「面倒臭いけど、生えてこないってのはなぁ。それに父親に髭の記憶って思い出に残ってない?」

「確かにあるわ。私にも」

「だろ?」

「嫌な思い出としてね」


 その言葉に思わず顔を顰め、沙紀を振り返る。


「沙紀は父親嫌いか?」

「ううん。大好きだった」

「ならこのままでいいや」


 近くの公園まで歩いて向かう。ウィンドウを呼び出してしまえば、一瞬でそこへ行くことも可能だが、それではあまりに味気ない。


 殆ど現実世界と変わらない風景。ただし空中の至る所に、広告を表示したウィンドウが浮かぶ。


 生活する上で街を徘徊する必要は一切ないが、それでも人通りは多い。中にはジョギングをする人までいる。この世界でそれをしても、健康に全く影響はないのだが。走る事に快楽を感じる者もいると言う事だろうか。


「あら、可愛い!」


 前から歩いてきた女性が足を止めた。歳は六十前後と言った所だろうか。老いどころか、オブジェクトの年齢設定が自由なこの世界で、この年齢を選択する者は珍しい。


 自分ですら、沙紀がフロンティアに旅立ったころの年齢設定を使用しているのだ。


「お嬢ちゃんいくつ?」


 愛が四本の指をたてて、誇らしげに


「よんさい!」


 と宣言する。


 子を連れて歩いていると、意外にも多くの人に話しかけられる。


「賢いねぇ」


 女性はにっこりと笑いながら、愛の頭を撫でる。


「孫がね、丁度これくらいの年なんですよ。私には逢うことは叶わないけど。それでも声を聴くことはできるでしょう? 写真とか動画とかは、娘が送ってくれるんだけどね。やっぱりこうやって孫の頭を撫でたいわ」


「近い将来、叶うかもしれませんよ?」


「え?」


「生体での仮想空間ダイブ技術の進歩も、ここ最近は目を見張る物がありますから。解像度と処理速度の違いで、まだフロンティアへのダイブはまだ無理ですが、でも近いうちに、それも可能になりますよ」


「何だか、難しいことは良く分からないけど、孫をこの手に抱ける日が来るかもしれないって事ね?」


「そうです」


「楽しみだわ」


 女性が瞳を細める。


 それが可能になれば、現実世界とフロンティアの境目は限りなく薄れる。いずれこの世界を『死後の世界』などと呼ぶ者もいなくなるだろう。




 

「愛――。そろそろ帰るぞぉ」


 砂遊びに夢中になっている愛に声をかける。返事が無い。


 二時間ほど二人で愛の遊びに付き合うと、二人してバテてしまった。まだ遊びたそうにする愛に砂遊びを提案し、二人でベンチからその様子を見守る。それからさらに一時間くらい経過しただろうか。愛の体力には驚かされるばかりだ。オブジェクトの体力設定的には、自分達の方が上のはずなのに。


「夢中になると人の声が届かない所は、貴方にそっくり」


「そっか?」


「俺は、物の並び順とかに妙に拘る所とか、沙紀にそっくりだとだと思うけどな」


「そうかなぁ」


 沙紀に手を差し出す。沙紀はその手を握り立ち上がった。愛の側に二人で歩みより、しゃがみ込む。


「愛、帰るぞ」

「えー、まだ遊んでたい」


「今日の夜ご飯、愛の好きなものにしようと思ってたのになぁ」

「ほんとぉ? ハンバーグ?」


 大きな目を見開き沙紀を見つめる愛。


「うん」


 沙紀が微笑み、頷く。


「やったー! さき、サイコー!」

「あんま。パパの口真似しちゃだめよ? 智也、口悪から」


「ともや、お口、わるいの? ともや、お口痛い?」


 心配そうな表情をする愛。


「大丈夫だよ、愛。あんま変な事、教えるなよ」

「あら、変な風に育ちそうなところを、修正しようとしてたところだけど?」


 自分と繋いでいた手を離し、愛の手を握る沙紀。愛がもう片方の手を差し出してくる。その手を握ると愛は勢いよく立ち上がった。


「かえろー」


 さっきまでまだ遊びたいと言っていたのがウソのようだ。自分達の手をグイグイ引きながら、駆け出そうとする。


 自然と沙紀と目が合った。お互いクスリと笑う。


 今掛け替えのない存在が二人の間に在る。幸せだった。この上なく何よりも。


 娘、愛の扱いについて現実世界においては、人とまだ認められてはいない。だがそれでもこのフロンティアでは不都合はまだない。ビッグサイエンス社の承認のもと、幼稚園にも入れた。彼女が大人になり、現実世界との関わりが出てくるまでには人権を獲得したい。決して楽な道のりではないだろう。けどそれでもやり遂げてみせる。


 西へと傾いた仮想の陽光が、長く伸びた三つの影を作り出していた。



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