#3 兄妹
「じゃあね~」
妹と話していたのだが、叶に一方的に切られた。
「お、おう…」
呆気にとられて、数秒間固まる。
いきなりのことで驚きながらも、妹との和解ができてよかったと思った。
彼女の方から歩み寄ってくるとすれば、誰かの力を借りることは分かっていたため、僕の方からきっかけを作るタイミングを探していた。
先を越されてしまったのが、唯一の心残りだ。
妹は昔から頑固だった。そして、素直に相手とやりとりすることが苦手だった。
友達との喧嘩が絶えなかった。そんな時、いつも叶が助けてくれていた。僕も何度か相談に乗ってやったことがある。
その都度注意をしてきたのだが、今日まで変化の兆しはない。
妹のことについて、いろいろと考えていると部活の仲間に呼ばれた。
もう部活の集合時間のようだ。
気持ちを切り替えて部活動に励む。昨日よりかは集中できた。
大会に向けて今日から、コンディションを整えるために過度な練習は避ける。とはいえ、普段よりも練習量は多い。
早めに切り上げて、他の部員の練習をストレッチしながら眺めていた。ふと忘れ物を思い出し、汗だくのまま教室に向かう。
すっかり陽が傾いた廊下を早足で行く。自分の教室には明かりが灯っており、まだ残っている生徒の話し声が聞こえてきた。
「ユキってさ、なんか暗いよねー」
「そうだよねー」
「そういえば、あいつコウキと付き合ってるらしいよ」
「マジ?うける!全然想像できないんですけどー。どうせ噂でしょ?」
「デートしてるとこ、ミキが見たんだって!」
「マジ?それ笑い事じゃないじゃん!どういう経緯なの?」
「分かんないけど、明らかに付き合ってる感じだったらしいよ」
「嘘!明日問い詰めよ」
「そう言うと思ったけど、やめとこうよ」
「だって、気になるじゃん!」
ありがちな放課後の会話。関わるとろくなことはない。
忘れ物を諦めて寮に帰った。
風呂に入り、自室に戻る。
スマホに着信があることに気づいた。妹からだったため、すぐにかけ直した。
学校を望む西向きの部屋の窓際で通話する。夕陽が直に入り込み眩しいくらいに明るい。
「なんだよ?」
「あの、今日はごめん…」
「いや、別に…。それよりお前、また叶に頼っただろ!」
「ごめん……そんなつもりなかったんだけど…」
「まぁ、今度から気をつけろよ」
「うん…」
「それより、今日も一人か?」
「うん。二人とも忙しいみたいでさ」
「そっか…なんか、すまんな」
「えっ!なんで謝るの?」と少し戸惑っているようだった。
「いや、俺が家から通えば寂しい思いしなくて済んだだろ」
自分でも恥ずかしい言葉とは分かりつつ、この言葉を選んだ。
「さ、寂しいわけじゃないから!そんな子供じゃないんだから!むしろ一人暮らししてるみたいで楽しいし!というか、お兄ちゃんは居ても居なくても一緒だし!」
ツッコミを入れたいところだが、あえて触れないことにした。
「そうか…なら良かった。で、何で電話したんだ?」
「いや……いきなりあんな電話しちゃったから、謝ろうと思って…」
「気にしてないから」
「うん……」
少し気まずそうに返事をした。
「そうだ、言うの忘れてたけど、週末にそっち帰るよ」
「えっ!急に?」
驚いた様子だった。
「いや、もともと帰ろうかなって思ってたんだ。大会が近くなったら週末も忙しくなるし…」
「そうなんだ…分かった。あっ、部活お疲れ様。それじゃ切るね」
「あぁ、それじゃあな」
電話は向こうから切られた。
そんな週末は明後日だ。
次第に薄くなってゆく夕空を眺めながら、どんな話をしようかと考えていた。
晩御飯を食べて、部屋に帰る。
今度はメールが届いていた。
《結から聞いた。帰ってくる時間を教えてくれたら迎えに行かないこともない。そういえば、いつ結と縒りを戻したんだ?今度聞かせてくれ》
父からのメールだ。きまって変なメールを送ってくる。
“行かないこともない”と“縒りを戻す”という言い回しに心の中でツッコミを入れながらも、簡単な返事を送った。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。ドアといっても古い木製の引き戸。加減を間違えると結構うるさい。
「ヒロ、居る?」
この声は中川だ。僕の古くからの友達である。ちなみに妹との面識はない。
引き戸を開けて、返事をする。
「なんだ?」
彼女はベージュのワンピースを身にまとっている。僕にとっては見慣れた服装だが、通りすがる寮の男子たちは興味ありげな目線を送る。
ここの女子の私服はジャージやTシャツ短パンが主流。可愛らしい格好をする子は珍しい。
「今、大丈夫かな?」
申し訳なさそうに訊く。
「別に良いけど、ここじゃ何だからリビング行くか?」
周りが気になって仕方ない。
廊下の右端の事務室のカウンターから、立派な髭を蓄えた厳つい寮長(45)が電子たばこを咥えながら眺めている。ニヤニヤしながら、顎で「(部屋に)入れちゃえよ!」というジェスチャーを送っている。
そして、左端のリビングには食事担当のおばちゃん(40)と女性の教頭(32)がお茶しながら、こちらの様子をうかがっている。目が合うとおばちゃんは険しい顔で無反応。教頭は満面の笑みで軽く会釈した。
僕は部屋から出て、広いリビングの隅で話を続ける。
「それで、なんの話だっけ?」
「これ、教えてほしいなぁって…」胸に抱くように持っていたノートとプリントを差し出す。それは明日が期限の宿題だ。彼女の苦手な歴史である。
「ヒロは終わらせてるよね?」とそれが当然と言わんばかりの言い回しだった。
「あ、それ…教室にあるわ…忘れてた」
夕方に取り損ねた忘れ物が、それである。
「えっ!やってないの?珍しいね」
驚いた顔を浮かべる。
「考え事してたから、すっかり……」
「そっか~どうしよ…」と、困ったようにする。それ以上にしょんぼりしているのは何故だろうか。
「まぁ、そこは覚えてるから教えるよ」
とりあえず、分かるところだけは教えてあげることにした。
「本当?ありがと」
彼女は嬉しそうだった。
得意ではないが、ある程度覚えているため教えてあげた。
「お!お前たち、宿題は済んでるか?」
突然、歴史の先生(32)が覗いてきた。教えているのをバレてしまった。
「こら、今やんなよ! 教える余裕があるお前は済んだんだろうな…?」
「あ、あの…教室に忘れたんですが……」
「あーそうか、問題ない。一限目までに終わらせれば良いことさ」
「いや、朝練があるんですが…」
「ん?無理なのか?なら、しょうがない。居残りだな~」
「わかりました!やります!」
「じゃ、二人とも頑張ってね~。あんまり夜更かしするなよ」と去っていこうとしたが、別の生徒を見つけて絡み始めた。
男っぽい性格の先生で、一部の生徒から兄貴と呼ばれている。僕らの担任でもあるのだが、どの生徒に対してもこんな感じで、男女問わず人気がある先生なのだ。
課題が終わり別れる。部屋に戻ろうとしていたところ、寮長が声をかけてきた。
「なんで、部屋に連れ込まなかったんだよ~」
「いや、あの状況はまずいですよ。その前にそんなつもり一切無いですから」
「ちぇっ、つまんねぇな~。まぁ、いいや、おやすみ」
「おやすみなさい」
部屋に帰り、明日の準備をした。特に何をするわけでもなく、スマホの目覚ましを設定して寝た。
その夜、夢を見た。
大きな砂時計を抱えた少女が、その中の砂を別の砂時計に移していた。
ただ、その光景が永遠と続く。
その時、全身に激痛が走り、堪らず声を上げた。
「わ!痛ぁっ!!!」
飛び起きると朝だった。
窓から差し込む朝日。
鳴り始めた目覚まし時計。
そして、胸部の違和感。
辺りを見回して戸惑う。
ここ、僕の部屋じゃない……。
何がどうなっているのか分からなかった。