その発想はなかった
司教の名前をエリア→マロウに変更しました。
オルガンを披露し、王宮のピアノを借りられることになったのは僥倖だと思いました。
……けれど、別れ際にマロウ様から。
「楽器の演奏は、令嬢の嗜みですので……シラン様も満足して頂けたようで、何よりですね」
「……オソレイリマス」
笑顔で言われた台詞に、何とかそれだけ答えました。多少、棒読みになったことはお許し下さい。
(そうよ! 嗜みだから、家庭教師の私が教えてるのよ……決して、自分が嫁ぐ為ではなく! ってか、さっきシラン様が笑顔だったのも私に嗜みがあったからってこと!?)
けれど、マロウ様なりに独身女性である私を気遣ったのだとは思うのですが。
思わぬ方向からの攻撃(本人としては、援護射撃なんでしょうけれど)に、私は内心、頭を抱えて絶叫していました。
※
それでも、シラン様から何かを言われた訳ではないので、私はこっそり深呼吸をして次の目的地に向かいました。
ただ、父の生家(仮)であるレギア商会は、一般人がふらりと入れるような店ではありませんでした。外からチラッと見た限りですが、商っているのが高級絨毯やワインなので、訪れているのもワインの仕入れをする業者や、絨毯を購入出来る富裕層――とは言っても、当人ではなく使用人のようです(それでも、身なりは平民とは違います)けれど。
「一階がワインで、二階は絨毯を商っていると聞いている。よければ、部屋に敷く絨毯でも」
「お気遣い無く」
笑顔で口にされたのは、あるいは冗談だったのかもしれませんが、万が一にも本気だったら困りますので私は被せ気味に断りました。
そして、隠れた本命と言いますか――レギア商会本店の隣にある、居酒屋に入りました。
居酒屋と言うと、日本では飲み屋さんのイメージが強いと思いますが、この異世界の場合は『アルコールが飲める食事処』ですのでレストランの方がイメージが近い気がします。
……とは言え、女性が外で飲むことは好まれない為、客層もほとんどが男性で。
一人ではないので、咎められることはなかったですが――シラン様と見比べられ、何だか気遣われていると言うか、哀れまれている視線を向けられてしまいました。
(もしかして、地味眼鏡の私をシラン様が誑かしているように見えるのかしら……あと、残念だけどデートには男ばっかりで不向きね。次回、機会があったらカフェにも行こう)
一人でね、と固く心に誓って私とシラン様は店員さんに案内されて席に着きました。それから、用意されていたメニューに目を通しました。
(白ワインもあるんだ……でも、冷やす技術はなさそうだから赤ワインがいいわよね。そうなると、料理は肉がいいかしら)
教会との関係か、嬉しいことに羊肉の香草焼きがあります。羊肉って好き嫌いが分かれるんですけど――前世で流行った時、私は美味しく頂けました。羊肉って美容効果の他、冷え症にも効果があるんですよね。
「楽しそうだね」
「……えっ?」
そんな私に、シラン様が微笑みながらそう言って――次の瞬間、店中に驚愕が広がります。
この反応ですとロッテン○イヤーさんモードは健在で、表情筋は動いていなかったと思いますが、周囲の反応を知ってか知らずかシラン様が言葉を続けました。
「君の雰囲気から、そう感じたんだが……違ったかい?」
「……いえ」
嘘をつくことでもないので、私は正直に認めました。
途端に店の雰囲気が何だか生温かいものに変わったのは、とりあえず誑かされている訳ではないと通じたことにします。
そしてそれぞれ注文をし、美味しい料理とワインに舌鼓を打っていましたが。
「ヴァガンス兄さん?」
聞き覚えの無い声に聞き覚えのある名前を口にされて、私は思わず肩を跳ねさせました。
それでも、自分の名前ではないので振り向くことは堪えましたが――そんな私に近づいてきたかと思うと、声の主である金髪の男性は言ったのです。
「……耳の形が、ヴァガンス兄さんとそっくりだ」
父親の名前を口にし、エリカさんと同じ緑の瞳を細め――笑顔で、何だかとてもマニアックなことを。




