七
茂った熊笹の下で、琥珀は童女の姿で膝に顔をうずめて泣きじゃくった。
(どうしよう……)
よりにもよって天翔丸に怪我を負わせてしまうなんて。
(どうしよう……天翔丸に嫌われたよう……)
どうしたらいいのかわからず、琥珀はただ肩を震わせて、涙をぼろぼろとこぼして泣きつづけた。
そのときふいに髪に温かなものがふれてきた。
「泣くな、琥珀」
はっと顔を上げると、いつの間にか天翔丸がすぐ目の前にいて頭をなでていた。琥珀は跳びあがっておどろき、一目散に逃げだした。
「待て、琥珀!」
数いる妖怪の中でも敏捷さに秀でている猫又の足に、翼のない天狗が追いつけるはずもない。天翔丸は一気に遠ざかった。
「琥珀、待てよ! こは……うわっ!?」
琥珀がふりむくと、足をすべらせて転んだのか、天翔丸がうつ伏せで地面に倒れている。
琥珀は恐る恐る声をかけた。
「て……天翔丸? 大丈夫?」
呼びかけても返事はなく、天翔丸はぴくりとも動かない。琥珀はあわてて引き返した。
「天翔丸、しっかりして〜!」
駆け寄って顔を寄せたところで突然天翔丸が起き上がり、首にしがみついてにっと笑った。
「つかまえた」
「あっ! 天翔丸、わざと転んだのね!? ずる〜いっ」
「おまえが逃げるからだろ。なんで逃げるんだよ?」
琥珀は肩を落とし、耳と尻尾をしゅんと垂れた。
「うち、駄目やもん……」
「何が?」
「駄目やもん……」
「だから、何が?」
「全部……駄目やもん……」
視界がぼやけ、涙がぽろぽろこぼれた。
「わっ、泣くなって! なんで泣くんだよ? 琥珀〜、頼むから泣くなよ〜」
天翔丸の困った顔に、ますます涙があふれる。喜んでもらいたいのに、迷惑ばかりかけて、傷つけて、こんなにも困らせて。
泣くと天翔丸を困らせてしまうのはわかっていたが、目を押さえつけても涙は後から後からあふれて止まらない。何をどうすればいいのかわからなくて、琥珀はひたすら泣きじゃくった。
そのとき、耳にきれいな音が入ってきた。
はっとして顔をあげると、天翔丸が横に座って笛を吹いていた。濃い闇の漂う山に、主の透きとおった笛の音が響きわたる。
琥珀は目を閉じ、音色に耳をすませた。優しく温かい笛の音は天翔丸そのもの、大好きな音だ。聴いているうちにいつの間にか昂っていた気持ちが鎮まり、嗚咽が止まった。
天翔丸は一曲を吹き終えると、袖をまくって傷のあった部分を見せた。
「ほら、薬をぬったから傷はもう治ったぞ。もう痛くもかゆくもないから心配いらない」
たしかに傷は跡形もなくきれいに消えていた。天翔丸は衣の袖で涙をぬぐってくれながら言った。
「急に割りこんだ俺の不注意だ。おまえはぜんぜん悪くないんだから、泣くことないぞ」
頭をなでてくれる手が気持ちよくて優しい。
(いつもこうや)
いつも優しくしてもらうばかりで、何も返せない。
何かお返しをしたくて、天翔丸に喜んでもらいたくて、琥珀は問いかけた。
「天翔丸はどんな外見がいい? うちね、どんな姿にだって変化するよ。天翔丸が好きな姿に化けるわ」
「姿なんて、なんでもいいよ」
包みこむような優しい声で天翔丸は言った。
「子猫だって、猫又だって、子供の姿だって、どんな姿でも琥珀は琥珀だろ?」
「うちは……うち?」
「そう、おまえはおまえらしくしていればいいんだよ。いつもどおりにな」
琥珀は膝を抱え、身を縮めた。
「せやけど、うち……天翔丸のために何かしたいんや。うち、天翔丸が好きやから……天翔丸にも好かれたい」
突然、天翔丸が笑いだした。山中に響くような大きな笑い声に、琥珀は戸惑った。
「うち……なんかおかしいこと言うた?」
「あぁ、すごくおかしいぞ。だって俺はおまえのこと、とっくに好いてるのに」
琥珀は大きな瞳をぱちくりさせた。天翔丸の言葉を胸の中でくりかえし、おずおずと聞き返す。
「……ほんまに好いてるの? うちのこと」
「ああ」
「せやけどうち、迷惑ばっかりかけて……」
「なに言ってんだよ。いつもごはん作ってくれるだろ、一緒に寝てくれるだろ、笛を聴いてくれるだろ、迷惑なんて一つもないじゃないか」
きょとんとしていると、天翔丸が微笑んだ。
「おまえといるときが一番楽しいぞ。いつも一緒にいてくれて、ありがとな琥珀」
琥珀の顔がぼっと紅潮した。耳まで真っ赤になり、胸がどきどきする。顔を見られるのが恥ずかしくて、袖で隠した。
うれしくて、うれしくて言葉にならない。
「好いているのは笑ってるおまえだからな。だから、もう泣くんじゃないぞ」
琥珀は目にたまっていた涙を袖でごしごしふいて顔をあげた。
「うん。うち、もう泣かない」
「よし」
天翔丸はうなずき、満面に笑みを輝かせる。琥珀は天翔丸の頬に頬をすり寄せて、幸せいっぱいに笑った。
「天翔丸、だぁい好きっ!」
(終)