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 岩がせまってきたそのとき、空から落下するように現れた黒い牛鬼が天翔丸の前に壁のようにでんと立ち、巨岩をその雄々しい二本の角で割り砕いた。

 天翔丸は驚嘆した。山姥の怪力もすごいが、それをまともに受けて平然としている牛鬼の剛力はもっとすごい。

 怒りで真っ赤になっていた巴の顔が一気に冷め、口角を引きつらせた。

「げっ、(いわお)!」

 牛鬼の姿がぐにゃりと曲がり、人の姿に変化した。とは言っても頭は牛のままで、身体は見事なまでの筋骨隆々のたくましい青年となる。牛鬼は身体に似合わず温和な顔で巴に微笑みかけた。

「姫様、お迎えにあがりましたよ」

「そなた、あきらめたのではなかったのか!?」

「あなたをあきらめることなどありません。姫様、おっしゃったではありませんか。『顔を洗って出直してこい』と。ですからこのとおり、顔を洗って出直してまいりました」

 巌はツヤツヤ黒光りした顔でにこやかに笑った。

 対する巴の顔がひくひくと引きつる。

「くわ〜、いらいらする! その野暮ったさが嫌なんじゃ! おい鞍馬天狗、こののんきな牛をたたっ斬れ!」

 牛鬼は天翔丸の方をむき、大きな図体を折り曲げて深々と頭を下げた。

「あなた様が鞍馬天狗でいらっしゃいますか。護山に無断で入山したばかりか、大変お騒がせいたしまして申し訳ありません」

 その礼儀正しさから、天翔丸は話し合いのできる相手と判断して七星を鞘におさめた。

「いや、おかげで助かった。おまえは?」

「申し遅れました。わたくし、牛鬼の巌と申します。巴の婚約者でございます」

「婚約者〜!?」

 すかさず巴が怒鳴った。

「婚約なぞ婆様たちが勝手に決めたことで、わらわは承知した覚えはない! わらわは面食いなんじゃ! そなたのような牛面(うしづら)と結婚なぞまっぴらごめんじゃ! 顔を洗うだけじゃ不細工は直らん、どこぞで首をすげ替えて来い!」 

「ひっでえ」

 あまりのひどい言いように、天翔丸の巴に対する同情心はきれいさっぱり消え失せた。

「いくらなんでも失礼だぞ。牛の妖怪が牛面なのはしょうがないじゃないか。努力しようのないことで責めるなよ」

 天翔丸の発言も聞きようによってはかなり失礼であったが、言われた当人は気にする様子もなくのほほんと笑った。

「鞍馬天狗、どうぞお気遣いなく。わたくしが牛面なのは事実ですし」

「こんなにめちゃくちゃ言われて腹立たないのか?」

「滅相もございません。わたくし、姫のこういうずばずばおっしゃるところが……その……好ましいのですよ、はい」

 巌は照れくさそうに鼻の下をのばしながらのろけた。どうやら驚くべきことに、この傍若無人無礼千万な山姥にぞっこん惚れているらしい。

 天翔丸は腕組みしながらうなった。

「好みってのは、いろいろなんだなぁ」

 これだから色恋沙汰はよくわからない。まったく理解に苦しむところだ。

 しかしこの剛力で純朴な牛鬼を巴の婚約者に据えたあたり、山姥族の長老たちは少なくとも見る目をもった見識者であることがうかがい知れる。

「おい巴、この牛鬼と結婚しとけよ。おまえの性格をわかった上でこんなふうに好いてくれる奴、きっとこいつくらいだぜ」

「何を言う、わらわはもてるんじゃ! わらわを好く男などこの世に腐るほどおるわ! 男はみんなわらわに惚れよるんじゃ!」

 傲慢きわまりない発言をする巴に、巌は大きな体躯を折ってひざまずき漆黒の優しい瞳で見つめた。

「顔は牛でも、姫をお慕いする心は誰にも負けませぬ。この巌、生涯をもって姫を大切にいたしますことを誓います」

「はっ、ばかばかしい! そんな甘言をわらわが信じるとでも思っておるのか!? どうせ交尾目当てじゃろ!」

「交尾などどうでもよろしい。わたくしはあなたと良き夫婦(めおと)になりたいのです。まずは共に暮らし、お互いを知り合うことから始めましょう」

「嫌じゃ!」

「わたくし、ずっとお待ちいたしますから。姫のお心がわたくしに向くまで、いつまでもお待ちします」

 誠意に満ちあふれた言葉に、天翔丸は感動した。なんて心の広い良い牛なのだろう。しかし肝心の相手は誠意を踏みつぶすように地団駄を踏んだ。

「嫌じゃと言うておるのがどうしてわからんのじゃ!? この鈍ちんが!」

「お話のつづきは、山姥山でお茶でも飲みながらゆっくりといたしましょう。長老たちも心配しておりますよ」

 巌は逃げようとする巴をたやすくひっとらえ、よいしょと小脇に抱えた。巴は手足をばたつかせて暴れるが、怪力をもってしても巌のたくましい腕はびくともしない。

「離せ〜〜〜っ! こら、鞍馬天狗! 何をぼさっとしておる、早くわらわを助けろ!」

「なんで俺が」

「こんなに美しいわらわが困っておるのに、それを見捨てるのか! それでもおのれは男か!?」

 勝手なことをわめく巴に、天翔丸は今までのお返しとばかりに胸を張って答えた。

「おう、これでも男だ。おまえには惚れない男だぞぉー」

「く〜っ、なんて憎らしい奴じゃ! おのれ鞍馬天狗、あとで後悔してわらわに言い寄ってきても無駄じゃぞ、そなたの面など二度と見とうない!」

「あっそう。じゃ、これでお別れだな。まあ達者でやれよ」

「やかましいわっ!」

 唾をぺっぺと吐きつけてくる山姥をしり目に、天翔丸は牛鬼に言った。

「巌、本当にそいつと結婚するのか?」

「はいっ! 巴様との結婚は、幼き頃よりのわたくしの夢でございました。このたび念願かない、山姥族から正式に夫となる許可が下り、至上の喜びを噛みしめております。わたくし、巴様と幸せになります!」

 巌があんまりうれしそうに語るものだから、天翔丸はやめておけと忠告する気も失せた。

「ま……がんばれな。健闘を祈る」

「ありがとうございます! では、これにて失礼いたします」

 牛鬼は深々と一礼すると、んも〜〜と喜びの雄叫(おたけ)びをあげながら、嫌じゃ嫌じゃとわめく山姥と共に空を駆け雲間に消えていった。

 見送りながら天翔丸はつぶやいた。

「いろんな奴がいるんだなぁ。うーん、世の中は広い」

 巴と巌、彼らの結婚を祝福していいのかどうかわからないが、今はただ巌の前途に(さち)があることを祈るばかりである。祈るつもりで思わず合掌していると、ふいに陽炎に腕をつかまれ袖をまくられた。

「な、なんだよ!?」

「傷に薬を」

 そういえば猫又の爪にひっかかれて怪我をしていたのをすっかり忘れていた。肩の傷に薬をぬられながら、天翔丸は抗議の目で陽炎をにらみつけた。

「おまえ、俺を()めようとしたな」

「何のことですか?」

「山姥がどういう妖怪か、知ってたんだろ。俺に力をつけさせるためにあいつと交尾させるつもりだったんだろ」

「とんでもない」

 天翔丸の袖を下ろし、陽炎はきっぱり否定した。

「山に来たものの応対をし、相手の事情や思惑を見極めてどうするか決めるのも、主の大事な役目です。あなたの判断に任せるべくあえて何も言わなかったまで。山姥と交尾して強い力を得るのは一つの手段ですが、それを利用するかどうかはあなた次第ですから」

「俺がそんなことすると思ってたのか!?」

「正直、五分五分でした。この頃、あなたは早く強くなりたいと焦っていたようでしたから、あるいはと」

 天翔丸はぐっとつまった。誰にも言っていない悩み事を、よりにもよって復讐相手に見抜かれてしまっていた。なんだかすごく間抜けな気がする。

「あ、焦ってたって交尾なんかしねえよ! そんなことして強くならなくたって、修行して強くなればいいだろ!?」

「そのとおりです。あなたは山姥の力など借りなくても、もともと強い神通力を持っています。何者にも媚びる必要はない。今もっている力を最大限に引き出す努力をすれば充分強くなれます」

 陽炎はごく自然な所作で膝を折り、天翔丸の顔を仰いだ。

「私が全力をもって、必ずあなたを強くします」

 天翔丸の顔がかっと赤くなった。

 いつも長身の陽炎には上から見下ろされており、ひざまずかれて仰がれるなど初体験だった。慣れない位置関係に天翔丸は内心激しく動揺した。でもそれを見抜かれたくなくて、力一杯言い返す。

「は、早く強くするんだぞ! おまえをこてんぱんにできるくらい、すごく強くだぞ!?」

「はい。私など足元にも及ばないくらい強くです」

「でも今日の修行はここまでな! 山姥に変なもの嗅がされて頭がふらふらするからよ!」

「わかりました。では琥珀を迎えに言ったら、今日は巣で休んでください。明日からはこれまで以上の修行をしますから」

 琥珀を迎えに行こうとしていることまで見抜かれてしまっていることが悔しい。何か一言、陽炎を驚かせるような言葉をぶつけたくて、天翔丸は考えた。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あばよっ!」

 結局なにも思いつかず、冴えない捨て台詞を残して天翔丸はふらふら樹林を走っていった。

 ひざまずいたままその背を見送る陽炎に、黒金が笑いを消した声で問いかけた。

「陽炎、なぜひざまずく? 眷属じゃあるまいし。それとも、あいつの眷属にでもなるつもりかァ?」

「違う」

 陽炎は立ち上がり、膝についた土を払い落とす。

「鞍馬天狗の眷属になる資格は、私にはない」

「なら、なぜだァ? まさか、敬意を表したとでも言うんじゃねえだろうなァ〜?」

 笑いながら冗談めかして言った黒金の言葉に、陽炎はうなずいた。

「そうだ」

「……おいおい、正気かよ? かいかぶりすぎだぜ。あいつはガキだから、ただ単に交尾するのが嫌だっただけだろォ」

 陽炎は冴え冴えとした瞳を鴉にむけた。

「黒金、天翔丸の他に知っているか? 山姥と交尾をする資格があり、求められながら、それを拒否したものを」

 黒金は一瞬つまり、うなりながら答えた。

「ーーいいや」

 山姥は衆生に恵みを与える豊穣の妖怪である。その恵みを得ようと交尾したがるものは数知れず、中には力づくで山姥をかどわかそうとする不埒(ふらち)なものもいる。実際、(いにしえ)には山姥を巡って熾烈な争いも起きたほどだ。

 ゆえに山姥の子は生まれたときから山姥山に集められ、厳重に護られる。しかしそうしてぬくぬくと囲われて育った山姥は狭い世界から知らず、社会性に欠け、相手の力は計れても、その心までは見抜けないという欠点をもつ。そのため適齢期になった山姥の結婚相手は、老練の長老たちによって徹底的に調査され、吟味される。良い子を産める子種をもっているか、山姥の恵みを狙って襲ってくるものたちを撃退できる力があるか、そしてなにより妻となる山姥を生涯大切にし、幸せにできるか。

 その資格ありと長老たちが判断した伴侶と結婚してから、若き山姥ははじめて山姥山を下山し、夫と結婚生活を営みながら社会性を身につけていくのである。

 そんな厳しい制度の中で生きる妖怪であるから、結婚前の山姥から交尾を求められるなど奇跡、千載一隅の幸運な出来事といっていい。それを拒否するなど、さまざまな妖怪の動向に通じている黒金でさえ聞いたことがなかった。

「あいつはそのへんの事情がよくわかってねえだけだ。莫迦だから」

「違う。誇り高いからだ」

 陽炎は天翔丸が去っていった樹林に目をむけた。

「甘言に屈して楽をするより、己の意志を貫いて努力することを選んだ。あの誇り高さに見合う戦闘力を身につければ、きっとなれる。鞍馬の名にふさわしい守護天狗に……」

 小さく、けれど高揚した声で陽炎はつぶやく。

「必ず、なる」

 すでに視界から消えているその残像を、蒼い瞳がのめりこむように見つめつづけた。

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