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 床に転がっていびきをかいている天翔丸を見て、陽炎は嘆息した。

「主たるものが……」

 上衣を脱がされて上半身裸、帯をほどかれて袴を下ろされかけていた。なんともあられもない姿だ。

 陽炎は熟睡している天翔丸の衣を着せ、襟を合わせて帯をしめ、その着衣をきっちり整えた。これでよしとばかりに一人うなずき、天翔丸の頬をぴたぴたとたたく。

「天翔丸、起きなさい。天翔丸」

「……んあ?」

 山姥の声にはまったく無反応だった天翔丸が、陽炎の呼びかけにはすんなり反応して目を開けた。しかし寝起きで意識が朦朧としており、目の焦点が合っていない。

 陽炎は天翔丸の顔を覗きこんだ。

「大丈夫ですか?」

 やがて焦点が合い、天翔丸の瞳に陽炎の顔が鮮明に映る。するとその瞳がとろんと熱っぽく潤みだした。

 天翔丸はむくりと身体を起こすと、いそいそと自分の帯をほどき、陽炎がせっかく着せた衣を脱ぎだした。

「天翔丸?」

 その行動の意味がわからず、陽炎は怪訝な顔をする。

 天翔丸は上衣を脱ぎ捨てると、熱いまなざしを陽炎にむけて言った。

「抱けよ」

「は?」

「俺が欲しいんだろ? いいぜ……おまえの好きにしていい」

 上気した声はいつもの天翔丸の声ではなかった。媚薬で火照ってなまめかしい。陽炎は思わず後ずさった。

「天翔丸、しっかりしなさい」

「陽炎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 天翔丸は猪のように突進し、陽炎にがばっと抱きついた。後ずさって体勢が不安定だったところに体当たりされ、陽炎はこらえきれずに後ろへ倒れる。すかさず天翔丸は馬乗りになり、陽炎の首に巻かれた布をはぎとった。

「て、天翔丸、やめなさい!」

 まるで火山が噴火するように、天翔丸は猛る欲情を爆発させて吠えた。

「ふんにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 陽炎は激しく動揺した。鞍馬天狗に押し倒されるという不測の事態に、滅多に表情を動かさないその顔に大きな戸惑いが浮かぶ。戸惑っている間にも天翔丸は全身でからみついてくる。媚薬で理性が吹っ飛んでいるせいか、その力はいつもとは比べものにならないほど強く、荒々しい。その執拗さはまるで発情期の獣だ。

 天翔丸は黒衣の襟をつかんで左右にひんむくと、あらわになった肌に吸いついた。

「よしなさいっ!」

 陽炎は天翔丸を力づくで押し離し、後方へとびのいた。

 天翔丸はふーふーと鼻息を荒くしながら何度も陽炎にとびかかり、陽炎はそれをたくみにかわし、一定の距離を保った。双方、武術の修行をしているとき同様、いやそれ以上に真剣だ。

 天翔丸は駄々っ子のように足をだかだかと踏み鳴らしてわめいた。

「もおおおおっ! なんでだよ!? どうして抱かないんだよ!?」

「どうもこうもありません」

「俺のこと、嫌いなのかぁ!?」

「そういう問題ではないでしょう。これは好き嫌いの問題では」

「……嫌いなんだ」

 天翔丸は兎が耳をたれるようにしゅんとした。

 陽炎はとっさに言った。

「嫌いではありません」

 生真面目な性格ゆえであろう。どう考えても正気でない主の言葉に、陽炎はまともに答えた。

「じゃあ、抱けよ」

「ですから、それとこれとは問題が違います。嫌いではないからといって、鞍馬の主であるあなたにそのような行為はできません」

「じゃあ、主やめる」

 天翔丸はぷいっと顔をそむけた。

「な、何を言い出すのですか!?」

「だって俺が主だから抱かないんだろ? だったらやめる。やーめた」

「いけません! あなたはすでに鞍馬の主、やめることはなりません! 絶対に!」

「じゃあ、立派な主になる」

「……はい?」

 天翔丸は挑発的に微笑した。

「おまえが俺を抱いたら、立派な主になって鞍馬山を護るために頑張るぞ」

 実行されるかどうかかなり疑わしい発言であったが、それは陽炎の急所のど真ん中を射抜くものだった。主と交わるなどという恐れ多いことはまかり間違ってもできることではない。だが山を護るのに主のやる気は必要不可欠だ。

 絶対に抱けない。抱けないが……でも。

 陽炎は葛藤のあまり、そのまま固まってしまった。

 その隙を天翔丸は見逃さなかった。すばやく距離をつめ、陽炎の首に腕をからめることに成功した。

「つかまえたっ」

 陽炎が我に返ったときには遅かった。すでに天翔丸の顔は息のかかる距離にあり、首にがっちりと両腕をからめられて押し離すこともよけることもできない。

 天翔丸は唇をとがらせて、陽炎の唇めがけて突進した。

「ん〜〜〜〜」

 二人の唇がふれそうになったそのとき。

「この莫迦天狗!」

 飛来した大鴉の黒金が、(くちばし)で天翔丸の脳天に強烈な一撃をくらわせた。

「ぐあっ!」

 その一撃で天翔丸の目から色情が消え失せ、いつも快活さが戻った。

「いってててて……」

「おめえ、山姥の媚薬を嗅がされたな。守護天狗のくせに操られてるんじゃねーよ。莫ァァァァ迦」

「く、黒金! いきなり何す……おわっ!?」

 陽炎の顔がくっつきそうなほど近くにあることに気づいた天翔丸は仰天し、あわてて離れた。

「お、おまえ、べたべたすんなっていつも言ってるだろうが!」

「抱きついてきたのはあなたの方です」

「はぁ? なに言ってんだ、俺がそんなことするわけないだろっ! げっ、俺なんで裸なんだよ? まさかおまえが脱がしたんじゃないだろうなっ!?」

 媚薬が効いている間のことは記憶に残らないようだった。陽炎は顔をぷいっとそらし、そっけなく言った。

「知りません」

 誤解も甚だしい。しかし弁解する気にもなれず、せめて答えないことで抗議をする。

「なんだよ、知らないって? 後ろめたいことがある奴はそうやってとぼけるんだよな〜」

 陽炎は天翔丸に衣をさしだした。

「早く衣を着なさい。風邪を引きますよ」

「あっ、話をそらした! ごまかそうとするところが怪しいぞっ!」

「そもそもあなたは迂闊なんです。どうしてそんなに無防備なんですか」

「無防備だからって、ふつう脱がせるかぁ!?」

「私は着せたのです」

「人が寝てる間に勝手に着替えさせたのか!? 気色悪いことすんなよ!」

 こんがらがってきた言いあいに、黒金が突っこみを入れた。

「オイコラ、わしを無視して痴話喧嘩してんじゃねェよ」

「痴話喧嘩じゃねえ!」

「痴話喧嘩ではない!」

 言い返した声がぴったりそろった。

 二人は互いの顔を見、同時に顔をそらして背をむけ合うと、それぞれ自分の乱れた着衣を整えた。

「おめえら、わしの留守中に何やってんだァ? 外でもえらいことになってるぞ」

「外?」

 天翔丸が巣穴から顔をのぞかせて外を見ると、山姥と猫又の激しい戦いが繰り広げられていた。巴のふり回す大木を琥珀が敏捷な動きでかわし、琥珀の突き出す鋭利な爪を巴は怪力でもちあげた岩で防ぎつつ、それをぶん投げつけて反撃する。互角のいい勝負をしていたが、このまま争いがつづけばどちらかが傷つくのは必死だ。

「おい、こら! 巴、琥珀、やめろ!」

 叫んだものの、二人とも互いの一挙一動に集中しており、天翔丸の声にまったく反応しない。天翔丸は急いで巣から下りると、双方の間に割って入った。

「やめろって!」

 瞬間、血がしぶいた。琥珀が突き出した爪を止めきれず、天翔丸の肩を爪先で傷つけてしまった。

「ぐ……っ!」

「あっ」

 小さく悲鳴のような声をあげて琥珀の顔がこわばった。琥珀は大きく身震いし、泣きそうな顔をして樹林を駆け去っていった。

「おい、待て! 琥珀!」

 追いかけようとした天翔丸を、山姥がその腕をつかんで阻んだ。

「飼い猫なぞ放っておけ。さあ、さっさと交尾してしまおう」

 天翔丸はその手をふりほどいた。

「交尾の相手は他をあたってくれ」

 巴は怪訝に眉をひそめた。

「……なんだと? そなた、いま何と言うた?」

「だから、交尾の相手は他で探せって。俺、おまえとそういうことをする気はまったくないから」

「な、なにを……なにを寝ぼけたことを言うておる! よいか鞍馬天狗、この世の男たちはみんな山姥と交わることを望んでおるのじゃぞ? わらわと交われば最高の快楽を味わえ、なおかつ強い力を得られるのじゃからな。強くなりたくないのか?」

「なりたいさ。でも好きでもなんでもない相手と交尾しなきゃ得られない力なら、そんな力いらない」

 天翔丸は凛と告げた。

「俺は、自分で強くなる」

 巴は信じがたい事態にあぜんとした。山姥に交尾を求められて拒否する男はいない、そう思っていた。巴にとってこのように真っ向から男に拒絶されたのは初めての経験。

 陽炎が進み出て天翔丸を背に隠すようにし、丁重に山姥に言った。

「山姥の姫、鞍馬天狗の返答はお聞きのとおりです。姫のご好意は光栄至極ですが、当山の主にあなたを受け入れる意志はございません。今回はご縁がなかったということで、お引き取り願います」

 おどろきに目を見開いていた巴の美しい顔がみるみるゆがみだした。

「嫌じゃと言うのか……このわらわと交わるのを、嫌じゃとぬかすか!」

 その髪がざわざと音をたてながら逆立ち、口の両端から鋭い牙が伸び、山姥は憤怒の形相で火を噴くように怒鳴った。

「許すまじ鞍馬天狗!」

 巴は地面に埋まっていた大岩を怪力でひっこぬき、天翔丸にむかってぶん投げた。

「うわあっ!?」

 天翔丸は反射で抜剣し、剣身に神通力をこめて岩を斬った。どんなものも消し滅ぼすことのできる鞍馬山の宝剣は、巨岩を瞬時に消滅させる。

 だが息つく間もなく、巴は蹴りでへし折った大木を手に殴りかかってきた。天翔丸は後退しながらかわすが、媚薬を嗅がされたせいで頭がふらつきうまく立ち回れない。足がよろけて地面に手をついたところへ、巴が猛然と大木を振り下ろしてきた。

「くらえっ!」

 刹那、陽炎が天翔丸を抱え、素早く跳躍して黒金のとまっている木の枝に避難した。

「鞍馬天狗、どこへ行ったぁ!? 出てこーい! うらあ! おりゃあ〜!」

 巴は拳や蹴りで岩や木々を破壊しながら、見失った獲物を探し回った。

 心優しい天翔丸は女子供に手をあげた経験はないが、山姥のあまりに身勝手で粗暴なふるまいにはさすがに頭にきた。

「あんにゃろう、一発張り倒してやる」

「なりません。ここは穏便(おんびん)に」

 いつも戦うことを強いてくる陽炎にしては珍しい意見だ。不審に思っていると、黒金がその理由を述べた。

「山姥族は結束の強い種族だ。あいつが『鞍馬天狗に乱暴された』と一族に訴えれば、ああいう怪力女が集団で鞍馬山に襲撃してくるぜェ」

 その光景を想像して、天翔丸はぞっとした。それはなんとしても回避したい。

「どうすればいいんだ?」

「なんとかなだめるしかないでしょう」

 大木をふり回して暴れまくっている女をどうなだめろというのか。話し合いをしようにもおそらく相手に聞く耳はない。

「そうだ、八雲に頼もうぜ。あいつなら女の扱いはうまいだろ」

 天翔丸の名案を、陽炎が即座に却下した。

「なりません。あの男に頼み事などしたら、見返りに何を要求されるか」

「だったら、おまえがなだめろよ。あいつおまえの顔は気に入ってるみたいだし、優しい言葉の一つでもかけてやればおとなしくなるかもしれないぞ」

「……何と言えばいいんですか?」

「俺が知るかよ。やっぱ八雲だ。黒金、鞍馬寺までひとっ飛びして連れてこいよ」

「やなこった。なんでわしがおめえの命令に従わなきゃならねぇんだ」

「ケチケチすんなよ、ケチ鴉」

「莫迦も休み休みに言え、莫迦天狗」

 枝の上で三者が小声で言い合っていると、山姥が大暴れする振動で天翔丸が足をすべらせて落ちそうになった。

「おわっ!?」

 陽炎に引き寄せられて落下は免れたが、思わず出てしまった声で居場所がばれた。

「そこかぁ!」

 巴の強烈な蹴りで足場にしていた大木がへし折られた。黒金は翼をひろげて空中に避難し、天翔丸と陽炎は足場をなくして共々に落下する。

「くらえええええっ!」

 天翔丸と陽炎が着地したところに、巨岩が勢いよく飛んできた。


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