四
口をあんぐり開けたまま硬直している天翔丸に、巴は熱い口調で語った。
「わらわは良い子を産みたいのじゃ。凛々しく、心優しく、優秀な力をもった立派な子をな。良き性格とたぐいまれな神通力をもつそなたの子種ならば、わらわの望みを叶えられる」
天翔丸はごくりと唾を飲みこんだ。
「冗談……だよな?」
巴は鋭い目つきでにやりと笑った。
天翔丸は樹洞の出口の方へ駆け出したが、巴が身軽に跳躍して出口にたちはだかり、逃走を阻まれた。そして獣のようにしなやかな肢体をゆらし、舌なめずりをしながらじりじりとせまってくる。
せまられた分だけ、天翔丸は後ずさった。
「お、俺は結婚なんて……!」
「結婚しろとは言うておらぬ。子種だけくれ」
巴はにじり寄りながら脅すように言った。
「さあ、わらわを抱け、鞍馬天狗」
「ちょ……ちょっと待て! 落ち着け! とにかく話し合おう! な?」
「問答無用!」
逃げ場をなくした天翔丸に、巴がとびかかった。
なにせ相手は大木を軽々とふりまわす怪力の持ち主、天翔丸はこてんと押し倒された。
「よせーーーーーーーっ!」
「なに、童貞とて心配はいらん。交尾の作法はわらわが手取り足取り教えて進ぜるでの」
「教えていらん!」
抵抗する天翔丸の両肩を力づくで床に押さえつけ、巴は勝ち誇った笑いを浮かべながらその顔を見下ろした。
「ほほほほ、そなたは最高の果報者じゃぞ、このわらわに選ばれて。山姥との交尾は至上の快楽を伴う。そなたも気持ちのいい思いをしたいじゃろ?」
「したくない!」
「それだけではないぞ。わらわと交われば、そなた、一気に強くなれるぞ」
兎が耳をぴんと立てるように、天翔丸は反応した。
「え? 一気に強く?」
「山姥は豊穣をつかさどる妖怪じゃ。肥沃な大地が草木を育むがごとく、山姥は交わった相手の能力を高め、膨大な力を与えることができるんじゃ。わらわを抱けば、そなたは今より何倍も強くなれるぞ」
強くなることはいまの天翔丸にとって最大の願望である。早く強くなって、陽炎に勝ちたい。勝ちたいがーーでも。
「交尾なんて、嫌だ!」
「今さら何を言う。そちらとて、わらわを手篭めにするつもりで寝床のある巣に招いたのであろう?」
ここは鞍馬天狗が寝食をおこなう巣であるから、当然、寝台もある。
天翔丸は腹が煮えくり返った。巣で山姥をもてなせと言ったのは黒衣の無表情男だ。
(あんにゃろう〜っ! こういうことだったのか!)
陽炎の望みは鞍馬天狗を鍛えて主にふさわしい力を身に付けさせること。どうやら山姥と交尾させて、その力を一気に倍増させようという魂胆だったようだ。
「善は急げじゃ。さっさとやってしまおう」
巴は天翔丸に馬乗りになり、衣を脱がしにかかった。
「よ、よせ! やめろって!」
「後から責任をとれなんて絶対に言わん。相手はそなただということは口外せぬゆえ、後腐れは一切ない。安心して抱け」
「嫌だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
天翔丸は手足をばたつかせ、渾身の力で抵抗した。
その見苦しいほどの抵抗と往生際の悪さに、巴はあきれ果てた。
「婆様の言うたとおりじゃのう。天狗はなんとけったいな生物じゃ。なぜ女子を抱かぬのじゃ?」
天翔丸はばたつかせていた手足をぴたりと止めた。
「女を抱かない? 天狗が?」
「なんじゃそなた、天狗のくせに天狗の生態を知らんのか」
「生態? ってなんだ?」
「そういえばそなた、母がおると言うておったな。母の腹から産まれた変わり種の天狗ならば、知らぬのもしょうがないか」
「どういうことだ?」
巴は天翔丸にまたがったまま、無知な天狗に教授した。
「基本的に、天狗には性欲がない。なぜなら天狗は『天樹』という樹から生まれるゆえ、交尾によって子孫を増やす必要がないからじゃ。それなのになぜか生殖機能があり、交尾のできる肉体をもっておる。理屈に合わない妙な生物じゃ」
山姥の話に、天翔丸は晴れやかな気分になった。どうやら女に無関心なのは自分だけではないらしい。
(な〜んだ。天狗はみんなそうなんだ! 俺、異常じゃなかったんだ!)
ふだん自分は天狗なんかじゃないと言い張っている天翔丸であるが、都合のいいことは積極的に受け入れるのである。
性に関する悩みの答ーー天狗だから性欲はない。以上。
悩みがきれいさっぱり解決し、これで堂々と八雲に反論できるぞと喜んでいると、巴の目がきらりと光った。
「じゃが、性欲のない天狗をその気にさせる方法がひとつだけある」
巴は懐からとりだした小瓶の蓋をあけ、素早く天翔丸の鼻元に突きつけた。
「ん……あ?」
いい香りを鼻から吸いこんだ瞬間、頭の芯が溶けるような感覚に陥り、天翔丸は瞬時に意識を失った。
こてんと倒れて眠った天狗を見下ろしながら巴はほくそ笑んだ。
「ふふふふ……これは山姥族秘伝の媚薬じゃ」
性欲を増進、覚醒させる薬である。効力は絶大、理性を麻痺させ、どんな相手でも目の前にいるものと交わりたくなるという強力な薬は、山姥族の頭脳を結集して対天狗用に開発されたものだ。
「さあ、わらわを見よ鞍馬天狗。そして沸き立つ情欲のおもむくままにかき抱くがよい」
巴は身体をほぐし準備体操をしながら、交尾相手が起きるのを待った。しかし鞍馬天狗に起きる気配はなく、それどころかいびきをかいて熟睡しだした。
「こら、早う起きろ鞍馬天狗。おい。女を待たせるとは無作法じゃぞ。起きろというに!」
待ちきれずに頭をばしばしはたくと、天翔丸は寝たまま不機嫌に顔をしかめた。
「……んにゃあ!」
はらい上げた天翔丸の手が、巴の頬にぺしんと軽く当たった。
巴は頬をおさえながら呆然とし、わなわなと震えだした。
「な……手をあげたな!? 婆様にも叩かれたことのない美しいわらわの顔を、叩いたな!?」
怒った巴は天翔丸の帯をほどき、上衣をはぎとった。
「せっかく甘美な思いをさせてやろうと思うたが、もう待ってやらん! おのれのような不届き者は犯してくれる!」
巴は天翔丸の顔をがしっとつかみ、その唇めがけて唇を突進させた。
そのとき、樹洞入り口の樹皮を突き破って猫又がとびこんできた。
「いややーーーーっ!」
猛烈な勢いで突撃してきた猫又姿の琥珀を、山姥は宙返りでひらりとかわし、羽衣をはためかせながら着地した。
「なんじゃ猫又、覗いておったのか」
「天翔丸にちゅーしようとしたわね!? うちかてしたことないのに!」
「接吻は子づくりの第一段階じゃ。いちおう段取りは踏まんとな」
やることはむちゃくちゃな割に、妙なところで律儀である。交尾の段取りをきちんと踏まえるのは山姥族の長老たちによる教育の賜物である。
琥珀は毛を逆立てながら山姥を威嚇した。
「言っとくけど、うちと天翔丸は仲良しなんやからね! 昨日かて、一つのお布団でにゃんにゃんしたんやから!」
「にゃんにゃん?」
「そうや。にゃんにゃん鳴きながら、一緒のお布団で寝たんや。いいでしょ〜」
胸を張って得意げな琥珀を、巴は笑いとばした。
「猫又、そなたの言うにゃんにゃんは、真のにゃんにゃんではない」
琥珀は目をぱちくりさせた。
「……違うの?」
「真のにゃんにゃんとはどういうことか教えてやる。近う寄れ」
巴はそばに来た琥珀の耳元にごにょごにょと何やら言う。瞬間、琥珀の顔がぼっと真っ赤になった。
「にゃ、にゃにそれ〜!?」
「ほほほ、そなたの言うにゃんにゃんはただの添い寝じゃ。これではっきりしたぞ。よいか猫又、そなたは何とも思われておらんのだ。ただの飼い猫じゃ。鞍馬天狗がそなたを女と見ておるなら手を出さぬわけがないからのう」
琥珀はきっと巴をにらんだ。
「そんなことないもん!」
「安心するがええ。事が終わったら、わらわは山姥山へ帰る。そんなに鞍馬天狗を好いておるのなら、頼んで抱いてもろたらええ。わらわの後になぁ」
優越感たっぷりにころころと笑う。
琥珀は憤りで耳を真っ赤にしながら負けじと言い返した。
「天翔丸は、あんたなんかぜんぜん好きじゃないんやから!」
「男はみんなわらわに惚れよる。鞍馬天狗とてわらわにぞっこんじゃ」
「すごく嫌がってたやない!」
「照れておるんじゃ。その証拠に、わらわを鞍馬山にかくまうと言うてくれたぞえ」
「天翔丸はみんなに優しいんや! あんただけやない、みぃーんなによ!」
「なんじゃ、節操のない奴じゃのう」
「天翔丸を悪く言わないでよっ!」
琥珀はむきーっと怒り、乏しい語彙で言い慣れない悪口をぶつけた。
「あんたなんて毛虫よ! うにょうにょの毛むくじゃらよっ!」
苦手な毛虫を用いた悪口というにはかわいらしい言葉だったが、巴はむかっと顔をしかめた。
「山姥族の姫である美しいわらわにむかって毛虫とはなんじゃ。口のきき方に気をつけい」
「気をつけないもん! あんたなんかだーい嫌いっ!」
「言わせておけば生意気な。こうなったら勝負じゃ! 猫又、表に出やれ」
「ええよ!」
山姥と猫又はかわいい顔に闘志をみなぎらせて、鞍馬天狗の巣をとびだしていった。