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「うちね、うちね、天翔丸がだ〜い好きなの!」

 琥珀は白い髪から出ている大きな耳をぴんと立てて、元気よく告白した。当人は人間の少女に化けているつもりだが、大きな耳や二本の尻尾、髭も隠しきれていない。その正体は愛嬌のある猫又である。

「ほんまに、ほーんまに大好きなんよっ」

 告白を受けたのは天翔丸その人ではなく、鞍馬寺の住職だ。住職と呼ぶには若く濃い色香をまとっている青年は、広い本堂で脇息にもたれながら経典を読んでいる。

「だからね、天翔丸のために何かしたいの。天翔丸が喜ぶことしたいの」

 八雲は経典から目を離し、板の間にちょこんと正座した健気な妖怪を見た。

「おまえは口を開けば天翔丸天翔丸だな。あいつのどこがそんなにいいんだ?」

「全部よ、ぜーんぶっ。どうすれば天翔丸は喜んでくれるやろか? 住職様、いい方法知らない?」

 八雲はふむと顎に手をあてながら思案し、やがてその美貌に魅惑的な笑みを浮かべた。

「名案がある」


 山間に陽が落ちて闇漂いはじめた鞍馬山の山中を、天翔丸は傷だらけの身体を引きずりながらよたよたと歩いていた。

「いてて……くっそ〜〜」

 今日も、陽炎にこてんぱんに痛めつけられて一日が終わってしまった。全力で武術の修行に励んでいるというのに、どうがんばっても剣がかすりもしない。

 陽炎が強いことは充分に知っているし、簡単に討てるとは思っていないが、一向に縮まらない力の差に焦りが色濃くなる今日この頃だ。

(う〜〜〜〜〜、早く強くなりたいっ! なんか、一気に強くなれる方法はないのかぁ?)

 思案しながら歩いているうちに影立杉に到着した。山奥の小高い場所に立つこの大杉の樹洞が天翔丸の住まい、巣である。現在はここで猫又と寝食を共にしており、いつも琥珀は杉の枝に腰かけて出迎えてくれる。

 天翔丸は足をとめ、不審げに見上げた。

「あれ……?」

 枝にいたのは猫又ではなく、見たことのない相手だった。白銀の髪、雪のように白い肌をし白い衣をまとった女性。薄闇漂う山中で汚れ一つないその姿が幻のように映えて、いやに目が引きつけられる。どこか人間離れした美しさをもつ清楚な美女だった。

 美女はにこりと微笑むと、枝からとびおりて綿毛のような軽さでふわりと天翔丸に抱きついた。

 天翔丸はぎょっとし、あわてて美女を押し離した。

「うわあ〜〜っ!? だ、誰だおまえ!?」

「だれ……? いややわぁ。うちに決まってるやない。おかえりなさい、天翔丸」

 その童女のような声で、天翔丸は美女の正体がわかった。

「お、おまえ……琥珀か!?」

「うんっ」

「猫耳はどうしたんだ!? 尻尾は!? 髭は!?」

「隠したんよ。変化の術、がんばって練習したんやから」

 そう言って微笑むと、琥珀は美女の姿で目を閉じ、かわいい口を突きだして顔を寄せてきた。

 天翔丸は怪訝に眉をひそめた。

「琥珀? 何してんだ?」

 すると琥珀は耳元に甘えた声でささやいてきた。

「抱いて。あ・な・た」

 天翔丸は琥珀の両肩をつかんで、がくがくと揺らした。

「琥珀、血迷ったか!? 寝ぼけてんのか!? 目を覚ませ! 正気に戻れ〜〜〜!」

 頭をぐらぐら揺らされて琥珀は目を回す。その拍子にぼんっと術がとけ、いつもの猫耳のある童女の姿になった。変化の術はまだ完璧ではないようだ。

「や〜んっ。天翔丸、うちはちゃんと起きてるわっ」

「ほんとか? じゃあ、いまのは何の真似だ?」

 琥珀は耳をぴんと立てて、にぱっと笑った。

「住職様に教えてもろたんや。きれいな女の人に化けて、天翔丸に『抱いて』って言えって。そんで、お口とお口をくっつけてちゅーってすれば、天翔丸が喜ぶて」


 天翔丸は観音開きの扉を蹴り開けて、鞍馬寺の本堂に怒鳴りこんだ。

「この生臭坊主!」

 寺の住職は肩に衣を羽織っただけの格好で酒を飲んでいた。かたわらにある乱れた布団が生々しい。どうやらまた女を寺に連れこんでみだらなことをしていたらしい。

「何事だ? 天翔丸」

 僧侶の身でありながら贅沢をほしいままにし、酒を喰らい女を抱く破戒僧は、にこやかな笑みで山の主を迎える。

 天翔丸は八雲の手にあった杯をぶん取り、とりあえず大好物の酒を飲み干してから苦情を申し立てた。

「琥珀に変なこと教えんなよ! どういうつもりだよ!?」

「奥手なおまえも、美女に迫られればその気になるだろうと思ってな。気の利いた趣向だったろう? 存分に俺に感謝しろ」

「するか!」

「なんだ、あれでは不満だったか? 幾多の女を見てきた俺の目から見ても、なかなかの美女に化けたと思うが」

「女に迫られて誰が喜ぶかっ!」

 八雲が真顔で眉をひそめた。

「おまえ、女を抱きたいと思わないのか?」

「ぜんっっぜん!」

「男なら誰しも美しい女を抱き、交わりたいと思うもの。それが男の本能だ。本当に女に興味がないとしたら、おまえ異常だぞ」

 思わぬ反論をされ、天翔丸は口ごもった。

「い、異常……?」

 大人の男が女性とそういうことをするのはなんとなく知っている。しかし天翔丸は十四歳ながらその経験はなく、またまったく興味はなかった。

 八雲は肩をすくめながら鼻で笑った。

「それか、まだまだ子供だということか。ま、おまえは後者か」

「そ、そんなことねえよ! 今日はたまたまその気にならないだけで、俺だってその気になれば……!」

「童貞が何を言ったところで、負け惜しみにしか聞こえんな」

 天翔丸はむぐぐとつまる。

「だから、俺の女を紹介してやると前から言ってるだろ。明日にでも幾人か呼んでやるから、気に入った女を選んでさっさと童貞を捨てろ」

「じょ、冗談じゃねえ! 知らない女と、んなことできるか!」

「なら、琥珀でいいじゃないか」

「莫迦言うな! だいたい、琥珀は猫じゃないかっ」

「猫じゃ駄目なの?」

 かたわらで話を聞いていた琥珀が目をうるうると潤ませながら見つめてきた。

「天翔丸は猫が嫌い?」

「あ、いや、そういう意味じゃなくて……」

「どういう意味?」

「そ、それはだな……とにかく、猫は嫌いじゃない。うん」

 琥珀はほっと息をつき、笑顔で言った。

「じゃあ、うちとにゃんにゃんしよ!」

「にゃんにゃん……?」

「住職様が教えてくれたの。仲良しな同士は、一つのお布団で一緒ににゃんにゃんするんやって」

 天翔丸の刺々しい視線を、八雲は涼しい顔で扇子をひらひらさせながら受け流す。

「お布団で仲良く声をそろえてにゃーにゃーって鳴くんやろ? 楽しそう!」

 琥珀は一歳にも満たない猫である。八雲のやらしい言葉の意味がわかるはずもなく、言葉どおり、一緒の布団に入って鳴くだけだと思っているようだ。

 天翔丸は琥珀の勘違いをこれ幸いと話を合わせた。

「よし、わかった! 今日は一緒の布団でにゃんにゃん鳴こうっ」

「ほんま? わ〜い! うちが天翔丸に上手な鳴き方教えてあげるねっ」

「あ、あぁ……」

 ぽくぽくぽくちーん。

 八雲がご愁傷様とばかりに木魚をたたいて(りん)を鳴らした。

 その夜、天翔丸は布団の中で猫又と一緒ににゃーにゃー鳴きながら考えこんだ。

(俺って、異常なのかな……?)

 十四歳で性欲がないのは、そんなにおかしいことなのだろうか。


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