宝石の騎士
無尽蔵とも思える魔力と闘気を放ちながら宝石の騎士が二本の霊剣を振るう。そのたびに凍てつく冷気が吹き抜け、鋭い刃に変じた群青色の闘気がレリィの身を削っていく。レリィもまた負けじと翡翠色の闘気を立ち昇らせ、全身全霊の力をもって対抗している。
全力ゆえに消耗は激しかったが、闘気が尽きればすぐさま赤く枯れた髪から周囲の魔導因子を吸収して闘気へと変換する。翠色の闘気が全身を包めば、体のあちこちに負った傷も急速に回復していった。
宝石の騎士もレリィも、双方ともに魔窟から力を吸い上げることで、いつ終わるとも知れぬ全力の戦いを延々と続けていた。だが、体の回復はできても精神の疲労は蓄積していく。特に、人間とは比較にならない強靭な心身を有した魔人である宝石の騎士に対して、レリィの精神的な疲弊は限界に達しようとしていた。
(……つらい。けど、退けない。クレスの元へ向かわないと……)
もはやレリィ以外のその場にいる者は手札を全て出し尽くし、体力も尽きて、絶望感の漂い始めたレリィの戦いを見守るほかなかった。そのレリィにも限界が来ている。
宝石の騎士を退けて先へ進まなければいけないのに、気が付けば群青色の斬光を防ぐのに手いっぱいで状況を打開する手立てが全く見えなくなっていた。
(――だめっ!? この場に踏みとどまることさえ――)
だが、宝石の騎士の苛烈な攻めが唐突に途切れる。
「どうやら、あちらは終わったようだ」
それまで息苦しいほど濃密に立ち込めていた魔力の気配が霧散していく。レリィ達は危機が去って安堵すると同時に、宝石の騎士が守る洞窟の奥で何かしら決定的な出来事に決着がついてしまったことを理解した。
「クレスは……!?」
激しい疲労で膝から崩れ落ちそうになる体をどうにか奮い立たせ、レリィは宝石の騎士の背後に続く洞窟を見据えた。
遠目に、一人の少女を腕に抱いたクレストフがゆっくりと歩いてくるのを見つけることができた。全身から黒い結晶を生やした姿には驚いたが、半ばほど剥がれた結晶の隙間から覗くのは間違いなくクレストフ本人の顔だ。穏やかな表情で少女を慈しむように抱くクレストフに、レリィはようやく気を抜くことができた。
「あれは確かに、ビーチェだわね……」
「……そっか、ミラは知っているんだね。あの子がビーチェちゃん……。取り戻したんだね、クレス……よかった」
がくりと腰が落ち、脱力して地面に座り込んでしまう。壊れものを扱うがごとく些細な衝撃も与えないように優しくビーチェを抱きかかえ、一歩一歩、腕を揺らさぬよう歩みを進めるクレストフを見てレリィは寂しい気持ちを覚えた。クレストフがビーチェの救出を決めたときから感じていた己の本当の想いはごまかせない。ずっとクレストフが救われることを願ってはいたが、同時に訪れるであろう関係性の変化には少しばかり感傷的になってしまう。
「ははは……あ~あ、ちょっと妬けちゃうなぁ」
「貴女も騎士ならば、主の幸せを祝福するべきだ」
宝石の騎士にも思うところがあるのか、クレストフとビーチェの二人へ視線を向けながら、どことなく羨ましそうな雰囲気を漂わせている。たぶん、レリィの表情も見ないで心有らずのまま言葉だけを聞いての反応なのだろう。
食い違う会話がなんだかおかしくて、自嘲気味な笑いを漏らしながらレリィは素直な胸の内を吐き出した。
「祝福はしているつもりだよ。ただね、結局あたしじゃあ駄目だったんだと思うとね……。大事な時に、大した役にも立てなかったし……」
今回は全くダメだった。レリィは専属騎士だというのに、クレストフの手助けに向かうこともできず、結局は彼一人で問題を解決して戻ってきてしまった。クレストフが無事だったことは本当に喜ばしい。けれど、自分が手助けしなくてもクレストフならば上手くやれてしまうのだと改めて思い知らされたようだった。
「それも違うだろう」
自嘲気味に語るレリィに、宝石の騎士はレリィの方を振り向いて言った。
「ん? どういう意味?」
「貴女も既に、あの人の幸福の一部ということだ。今更、欠けて良いものでもない」
宝石の騎士の言葉に、ふっと胸の内が軽くなる。この旅路でクレストフは、仲間の犠牲は一切出さないと強い意志を持っていた。それは彼にとって、既にビーチェだけが幸せの全てではなくなっていて、その中にレリィもまた含まれているのだと確かに感じられたからだ。
「……そっか。まあ、そう思っておこうかな!」
自身の心に整理をつけたレリィは、満面の笑み……とはいかなかったが、笑顔を浮かべて立ち上がった。自分が専属騎士として支える相棒、クレストフの悲願成就を祝福するために。
◇◆◇◆◇◆◇◆
魔人化のあと、慣れない体の変化によって歩くことも覚束ないビーチェを抱えながら、俺はレリィ達のいる場所へと戻ってきた。
そこには道中で俺に進む先を示した宝石の騎士もいた。レリィ達は全員が全員ぼろぼろの様相で疲弊しきっている。その様子から両者に激しい戦いがあったことはわかるのだが、互いに致命的な怪我を負っていない状態で戦闘は終了している。随分と穏当な状況といえるだろう。
最悪、この宝石の騎士ともう一戦あるかもしれないと考えていただけに拍子抜けした。
なにしろ、改めて相対してみればこの宝石の騎士、人間にはありえない量の魔力を内包しているのがわかったからだ。『金剛黒化』の術式で鋭敏になった感覚では、この宝石の騎士が闘気と魔力を混ぜこぜにした恐ろしいまでのエネルギーを秘めているのが肌で感じ取れる。
疑いようもなく、この宝石の騎士が魔窟主であろうと俺は判断したのだが、当人には既に戦う意思はないようであった。魔窟の主といえば、魔窟の攻略者に対しては問答無用で互いに殺すか死ぬかするまで襲い掛かってくるイメージしかなかったのだが、どうもそのような雰囲気はない。最初からこの魔窟自体が普通ではなかった。それゆえに、魔窟の主もまたイレギュラーなのかもしれない。
何と声をかけていいものか迷いながら、宝石の騎士の前まで俺は歩いてきた。近くに大の字で横たわっているレリィに視線を送るが、彼女は疲労困憊の様子で微妙に頬の緩んだ中途半端な笑顔をしたまま倒れ込んでいる。砕けた超高純度鉄の鎧から覗く胸元が大きく上下して、治まることのない荒い呼吸を繰り返していた。まだしばらくは休息を取らないとまともに会話もできなさそうである。
「改めて。お久しぶりです、師匠」
不意に宝石の騎士から、若い女の声が聞こえてくる。レリィの様子に気を取られていた俺は宝石の騎士に対して半ば反射的に受け答えをしてしまう。
「あ? 誰が師匠だ。俺は術士だぞ。騎士の弟子を取ったことなんて一度も――」
不思議な既視感があった。
かつて、同じやり取りをしたことがなかったか。
「お前は……」
「宝石の丘で、別れて以来ですね」
「――セイリスなのか」
「はい」
ここまで来て、あるいは遭遇することもあるかもしれないとは思っていた。宝石の丘の旅で喪失した、今思えば掛け替えのない仲間の一人だった。あの旅で俺が失ったものはビーチェだけではなかった。全員で無事に宝石の丘から帰還できていれば、あるいは手に入れられたかもしれない幸福が他にもあったのだ。
「お前も亡者として迷い出てきたのか。この魔窟の影響で……」
「違います。師匠、私は生きています」
セイリスが口にした否定の言葉を俺はすぐに理解できなかった。
何かの比喩であろうか。
俺はこの目で、宝石の丘で、セイリスが宝石喰らいに殺されるのを確かに見た。
「まさか……そんなはずは……確かにあの時、死んだはず……」
「いいえ、仮死状態だったのですよ。致命傷は負っていましたが、まだ命尽きてはいませんでした。そしてそのまま、師匠によって結晶に封じられたのです」
馬鹿げた話である。致命傷を負っていたのだから、間もなくセイリスは息を引き取っていただろう。まだ死に切る前に結晶へ封じ込められたとして、それは死ぬ寸前の体を保存するだけの効果しかないはずだ。確かに俺の『晶結封呪』の術式は、包み込んだ対象物をそのままの状態で保存する効果がある。だが、決して致命傷を負った人間の傷を回復させる効果はないのである。
「ただ、命を繋いで復活するには、魔人となるほか選択肢はありませんでしたが」
セイリスが真白い石の面頬を持ち上げて兜ごと外す。一括りにされた長い銀髪が背を伝って垂れ落ちた。顔色は真っ白で血の気が失せており、両の瞳は銀色に輝いていた。生前と比べて全体に色を失った、今のセイリスからはそんな印象を受ける。
「宝石の丘で仮死状態のまま眠る私の元へ、ビーチェが二匹の貴き石の精霊を連れてやってきました。傷んでいるとはいえ、あの場で五体満足に体を残していたのは私だけでしたから。他に縋る者もいなかったのでしょう。私はビーチェの願いと貴き石の精霊の力を受け、あの地に漂う幻想種達と融合することで魔人として復活したのです」
そんな奇跡があるというのか。
俺がセイリスの体を、せめてあの地で永久に残そうと考えなければ起きなかった偶然だ。
その後で、新たに生まれた貴き石の精霊とビーチェが友誼を結び、セイリスを復活させようと思わなければ実現しえなかったことである。
「初めに会ったとき、なぜ仮面をつけていたんだ?」
「ビーチェとの再会を前に、つまらぬ動揺をさせたくなかった。私はあくまで魔窟の主として復活した身。魔窟を生み出した根源たる想い『望郷』の念に従い、ビーチェがあなたと無事に再会を果たすことが全てにおいて優先されたのです」
「確かに動揺はしたかもな……。だが、お前が生きていたなら、それは俺にとって喜ばしいことだ。何も隠す必要なんてなかった」
「私の生存も、喜んでくれるのですか?」
「何を意外そうに言っているんだ、当然だろ。よく生きていてくれた、セイリス。……一緒に帰ろう」
「師匠……」
白亜のように白い肌を、一筋の涙が零れて伝う。
魔人でも人と同じく感傷で涙を流すことができるのなら、共に生きる道はあるはずだ。
「しかし、よく自我を保っていられたな。一流の騎士がなせる業か」
「貴き石の精霊の助力で魔人化したのが良かったのでしょう。ビーチェの意思も反映されて、生前の自我を固定化した状態で復活ができました。……今も私の精神は安定しています。ですが、念のため師匠の術で縛っておいてもらえるでしょうか。魔窟の主としての務めを果たした後は、この意識もどうなるかわかりません」
確かに、何の束縛もない魔人を前にして対話を続けられている状況が既に奇跡なのだ。いつまでも偶然性に甘えているのは危険だ。
俺はセイリスの申し出を承諾すると、金剛石の結晶を項と腰の二か所に埋め込み、『眷顧隷属』の呪詛をかけた。
すると、不意にセイリスから漂っていた濃密な魔力の気配が薄れる。
「どうやら魔窟との縁が断ち切られたようですね。無尽蔵に送り込まれていた魔力の流れが止まりました」
「魔窟の主ではなくなった、ということか?」
「はい。隷属を受け入れたことで、私は師匠に『攻略』された扱いなのでしょう。倒されたものとして、魔窟とは切り離されました」
なんとも都合のいい話だ。本当にそんな雑な扱いでいいのだろうか。魔窟とはいったい……と、俺はこれまで以上に魔窟の謎を見せつけられた想いだった。
「ここの魔窟が今後どうなるか、わかるか?」
「私は師匠をビーチェのもとに導く、その為だけにこの魔窟を生成しました。使命を果たした魔窟がどうなるのかはわかりません。ゆっくりと元の環境に戻る可能性もあれば、このまま意味を持たない魔窟として存続するのかも……。いずれにせよ、しばらくは異界の残滓として魔窟は残るでしょう」
中途半端な結末だが、これから無事に帰還の道を辿らねばならない俺達にとっては好都合だ。魔窟が消滅して異界に放り出されるなんて恐れもあることを考えたなら、緩やかにこの魔窟が異界から現世の環境へと戻ってくれるのは時間の猶予があって助かる。
語るべきことも語り尽くした俺はすぐに帰還のことを考え始めていた。まずは二匹の貴き石の精霊を足止めしていた風来の才媛と合流しなければなるまい。
そう思って、帰還すべき方向はどちらだったか洞窟を見回していると、背の高い女と大柄な体格をした男の影が近づいてきているのに気が付いた。風来の才媛と騎士ゴルディアが、気絶している貴き石の精霊を二匹、金色の鎖でぐるぐる巻きにして引きずってきた。
あの凶悪な精霊二匹を捕縛したのか。さすがとしか言いようがない。
「お帰り、クレストフ。ついに宿願を果たしたようだね、おめでとう」
鎖で引きずってきた貴き石の精霊については、なんということもないようにそこら辺に転がして風来の才媛は俺に祝いの言葉を投げかける。ビーチェを抱えた俺を上から下までじろじろと眺めまわし、ふぅ、と一息つく。
「それは禁呪の類かい? だいぶ無茶をしたようだね。でもまあ、君のことだ。不可逆な呪いを自分にかけるような馬鹿はしてないはずだ。それくらいなら見逃すとも」
風来は俺の変貌した姿を見ても大したことがないと言いたげに、あっさりとした反応を見せる。
「――ああだけど、『ソレ』を連れて帰ることは許されないよ」
それまでと変わらない淡々とした口調で、風来の才媛はビーチェを指差していた。






