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ノームの終わりなき洞穴【Web版】  作者: 山鳥はむ
【ノームの終わりなき道程 第一章】─ 幸の光 ─
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黒猫商会

 騎士の修行を始めてから数週間、訓練の合間を縫って、レリィは街へと出かけることが多くなった。特別な用事はなかったが、ずっと宝石御殿の中にいると世間一般の感覚からずれていく気がしたのだ。

「さーてと! クレスの家に泊めてもらっているおかげで宿泊代も浮いたし、せっかくだから何か買い物でもしようかな!」

 黄金の球体がはめ込まれた重厚な門扉を出て、相変わらず曇りがちな首都の空を仰ぐように伸びをする。門扉はクレスがレリィの存在も認識するように調整したことで、自由に出入りできるようになっていた。ただ、大きな虎目石の眼球がレリィを認識するためか毎回のように睨みつけてくるのはいつまでも慣れなかった。

(泊まる所があって、食糧も足りているから、他に必要なものと言えばやっぱり衣類だよね……)

 自身が着ている衣服を見下ろしながら、小さく溜め息を吐く。白一色で統一された胴着。四方に切れ目の入った腰巻は、動きやすさを重視して自分で切れ込みを入れたものだ。生地は非常に丈夫な素材で出来ていてレリィの一張羅となっている。

「せめて同じようなのをもう一着、欲しいかなぁ……」

 繁華街の方面へと歩きながら、衣料品店を探してみる。さすがに首都だけあって高級服飾店や騎士御用達の武器防具店など、立派な店が多く目に付く。ただ、外からガラス張りの店内を覗いてみると、値札には金貨数十枚単位の金額が提示されていることがほとんどだった。

「あ、ありえない、なんなのこの値段……」

 ぼったくりではないのか。そう疑ってしまうほどに、レリィの常識からかけ離れた相場観であった。

(……ひとまず、前に紹介してもらった黒猫商会に行ってみよう。チキータさんがいれば色々と物価の話を聞けるかも……)

 早々に高級店には見切りをつけ、チキータからもらった名刺を案内に黒猫商会へと足を向けることにした。

 ……しかし、予想してしかるべきだった。到着した黒猫商会は首都の中でも一等地に店を構える大商会だったのだ。クレスが贔屓ひいきにしている商会という時点で安い店ではありえないのだ。

(はぁ……。まあ、せっかく来たわけだし、一応は商品を見せてもらおう……)

 気後れしながらも黒猫商会の扉を開けて中に入る。

 一階には意外にも日用品や雑貨が並べられていた。値段も極端に高い物はない。店内には中流階級の庶民と思しき人々が多く見られ、主婦や職人、傭兵や術士、果ては子供や亜人まで様々な人で賑わっている。

「へぇ……驚いたぁ。安い品物も取り扱っているんだ」

 一通り日用品を見て回った後、二階の衣料品売り場も見てみることにした。このお店なら、そこそこの値段で衣服も買えそうな気がする。

 店の隅にある魔導で動く階段に乗って、二階へと上がる。実はこの動く階段は初めて見たのだが、遠目からちらちらと様子を窺い、皆が自然に乗り降りしているのを見てから何食わぬ顔でレリィも乗った。降りるとき、勢い余って前につんのめったのは少しだけ恥ずかしかった。

 衣料品売り場も庶民向けなのか、手頃な価格でそこそこの質の衣服が並べられていた。レリィの財布事情でもどうにか手が出せそうなところだ。

(それでも、ちょっと割高感があるなー。ん~……とりあえず、下着だけでも買い足しておこう)

 女性向けの下着売り場を見れば、実用的な下着も揃う中、派手な色と形の下着も陳列されていた。派手な下着の並べられた売り場の一角では、レリィと同年代くらいの若い女の子達が、下着をお互いに押し付けあってかしましく騒いでいる。

「ねぇね、これなんかいいんじゃない?」

「えー、うっそー。誘っているのが、丸わかりだしー」

「勝負するならこれだって!」

「ないない。見たら、引くって……」

 彼女らが話題に上げている下着は、レリィから見るとフリルなどの無駄な布地が多く、値段が高いだけでちっとも実用的ではなかった。やはり単純な作りで、余計な布地や色付けのされていないものが安くて機能的であり好ましい。

(あ……これなんかいいかも)

 手に取ったのは無地の下着。腰まわりは紐で括る作りとなっていて、極力むだな布地を排した意匠となっている。動きやすそうだし、通気性も悪くなさそうだ。使われる布地が少ない分、何より安い。これならばまとめ買いしておいてもいい値段である。

 価格は一枚たったの四〇〇ルピア、銅貨八枚だ。店員に銀貨一枚を渡して、迷わず五枚ほど同じ物を購入することにした。下着の会計を済ませているレリィを見て、同じ売り場にいた若い女の子達が何やらひそひそと会話している。

「……過激ぃ~」

「あの丈のスカートだと、危険だしー……。スリットも入って、ちょっと真似できないかも……」

「胸の方は下着つけないのかしら?」

「体形に自信あるのよ、きっと……。呪わしい~、垂れ落ちろ~……」

 何故か妙に視線を感じる。ひょっとして、同じ下着ばかり買ったのは田舎者臭かったのだろうか。

 少し恥ずかしくなって、足早に下着売り場を立ち去る。通りすがりに女の子達と視線が合ったが、彼女らはレリィの翠色の瞳に見つめられると、慌てて視線を逸らしていた。

 とりあえず上の階も見てみようと売り場を離れかけたとき、先ほどの女子集団から、小さな声ではあるものの気になる話が聞こえてきた。

「ねぇ、そう言えばあの子……最近、噂になっている例のアレじゃない……?」

「え、本当にー? でも確かに特徴的な深緑の髪だしー」

「瞳も綺麗なエメラルドグリーンだったわ」

「妬ましい~。きっとあの下着で、金持ち錬金術士を悩殺するつもりよ~」

 ――何か、とても具体的におかしな噂をされている気がする。

 三階、傭兵向けの武器防具の売り場に入ったレリィであったが、先ほどの噂話が気になってしまい落ち着いて武器や防具を見ることができなかった。

 意識すると途端に周りの人の視線が気になり始めるのだ。気のせいだと思い込もうとしても、事実、周囲への警戒心を高めると確かに今の自分は少なくない人に視線を向けられている。

 何となく居たたまれなくなって、さらに上の階へと移動する。この先は何の売り場だったろうか。

 四階は術士向けの怪しげな道具類が販売される場所になっていた。当然、そこに買い物に来ているのは術士、それも女性の術士が大多数であった。場違いなレリィが現れると、少なからず会話や物音のしていた売り場に、奇妙な静けさが生まれた。

 集中する視線は、いつまでも無遠慮に目で追ってくる。レリィの髪が珍しい深緑色だからとか、術士に見えない格好をしているからとか、そんな理由とは思えない。首都へ着いたばかりの田舎者を見る目とは違う、全く異質な感情を伴った視線。それはまさに、酒場でクレスの名を口に出した時と同じような、複雑な負の感情が混じり合った嫌な視線だ。

(……完全に場違いなところに足を踏み入れちゃったみたい……)

 動揺して、階段を上りきった場所で棒立ちになってしまう。その間も女性術士達の無遠慮な視線はレリィに絡み続けていた。

「お客様、本日はどのような御用件でいらっしゃいますか? 何かお手伝いさせて頂けることがあればお申し付けください」

 固まっていたレリィに、黒猫商会の店員が声をかけてくる。背丈の低い、円らな瞳の猫人だった。白くてふわふわの毛並みと、ぴんと立った髭は見ているだけで心が癒される。自然と心の中に余裕が生まれてきた。黒猫商会だけど白猫もいるんだなぁと。

「あ、うん……チキータさん、いるかな? 前に名刺もらったんだけど」

 小さな猫人は名刺を確認すると、にっこりと笑い返してレリィの手を軽く引きながら歩き出す。

「チキータ支店長でございますね。お取次ぎいたしますので、ひとまずこちらの応接室でお待ちください」

 助かった。素直にそう思った。とりあえず、衆人環視のこの場から穏便に立ち去ることができそうだ。気にせず回れ右をしても良かったのだが、背中を見せた途端に何か飛んでくるのではないかと、本能的な危険を感じていたのだ。

 部屋の片隅にあった出入り口から売り場を出て、長い廊下を歩くとクレスの邸宅にあった応接間のように立派な赤絨毯の部屋で待たされる。小さな猫人は可愛らしく一礼して去って行った。レリィは脱力したように、柔らかな綿の詰まったソファに腰を下ろした。目の前のテーブルには、いつの間に用意されたのか紅茶が二杯置かれていたが、すぐに口をつける気にはなれなかった。


 ほどなくして部屋の戸が二度叩かれ、スーツ姿の黒い猫人が顔を出す。

「にゃ、これはこれは御足労頂きまして、まことにありがとうございますレリィ様」

「どうも、こんにちは。お買い物のついでに寄らせてもらいました」

「にゃはにゃは、それはどうも、お買い上げありがとうございます」

 チキータは親指と人差し指で髭を撫でながら、柔和な笑みを浮かべてレリィの向かい側の席に座る。

「ちなみに不躾な質問でなければお聞きしたいのですが、お買い物は何を?」

「え? 下着を数枚……」

「にゃ、下着でしたか。これは立ち入ったことを。ですが、当店の肌着はいずれも質にはこだわっております。価格以上の満足感を得られるかと思いますよ」

 あえて正直に言うことでもなかった。思わず赤面してしまう。照れ隠しに紅茶を口に運んで、その後の沈黙をごまかした。チキータも紅茶に口をつけると、静かに、そして優雅に、音もなく紅茶を喉に流している。

 こちらが何か言い出すのを待ってくれているのか、相手の気遣いが今は重かった。特に用事もなく来た挙句、まさかお店の支店長だとは思わず呼び出してしまった。とりあえず必死に話題を探して、一つ、疑問に思っていたことを聞くことにしてみた。

「あ、ところでチキータさん。この前、クレスの家に来ていましたよね」

「はい、仕事で用事がありましたもので」

「チキータさんがいた地下室……あそこって、どうしてあんなに色々な物資を備蓄してあるんですか?」

 その質問に、紅茶のカップを持つチキータの手が一瞬、震えた。チキータの大きな瞳が、レリィを品定めするように正面から見据えて、細く絞られる。

「理由は……クレストフ様ご本人に聞かれましたか?」

「いやぁ~、どうも聞きだせる雰囲気じゃなくって……」

 なるべく重苦しい雰囲気にならないよう、軽く言いつくろってみる。無理に聞き出そうとしたわけではないのだ。あくまで世間話程度のつもりだったのだから。

 そんな態度が伝わったのか、チキータは微笑みを浮かべるときっぱり言い切った。

「では、知らないままの方がよろしいかと。商会としましても、顧客の情報は身内にも話すな、と言われておりますので」

「あー、うん。そっか、そうだよね。すいません、つまらないこと聞いちゃって」

「いえいえ、お気になさらず」

 その後の会話はよく覚えていないが、首都における物価の相場を色々と教わってしまった。


「――あ、レリィ様」

 帰り際、チキータが一度引き止めて声をかけてきた。

「お帰りの道中、十分にお気をつけください」

 商会の裏口から出てこられたので、人の視線に晒されることはない。ただ、念を押したチキータの言葉が嫌でも気になってしまった。

(……変な噂が広まっているみたいだし、言われたとおり十分に注意しないとね……)

 気を張りなおして、繁華街の大通りへと出る。雑踏に紛れ込んでしまえば視線もそれほど気にならない。後はこのまま人の流れに乗って帰り着けばいい。

 露店の立ち並ぶ通りを、人の波を避けながら進んでいく。前方から来る人、後ろから歩いてくる人、それらに気を配りながら歩く。

 その道中、露店の物陰にあった脇道から急に目の前へ飛び出してくる『鍋』があった。

 ――どうして鍋が――? と考える間もなく、続いて飛び出してくる人影。

 まともにぶつかって、尻もちをついてしまう。

「わ――」

 ぶつかった拍子に相手の抱えていた鍋が宙を舞い、腰の辺りへ茶色の汁を盛大にぶちまける。

「ひややっ! 冷たい!」

 下着の中まで滲み込んできた液体はやたらと冷たく、鳥肌が立つほどだった。

 ぶつかってきた相手は鍋を引っ掴むと、そのまま何も言わず走り去ってしまう。

「ちょっと! これ、どうしてくれるの!」

 非難の声にも聞く耳持たず、下半身を濡らして尻もちをついたままのレリィは無視して、鍋を持った人物は街中へと消えていった。

「……最悪だ……」

 茶色く染まった下半身を見て、もはやこの格好で相手を追い回す気にもなれず、レリィは憤慨しながらも再び帰路についた。


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