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がたんごとん

作者: りもこん


世の中こんなにかわいい子って、いるんだな。


座れるほどじゃないけど、そんなには混んでいない車内。

俺は自動ドアへ軽く寄りかかって流れる景色を眺める。

外は雨が降っているから気温差がある。そのせいで窓は曇り気味で家の明かりが滲んで光っている。


わざとらしくガラスに付いた露を指で拭って、ちらりと外を見てからそれとなく向かい側を盗み見る。

彼女は腕を組んでうつむいている。


思ったよりも背はそんなには高くなかった。細身で手足が長く見えるせいだったのかもしれない。

首元には大きく太いマフラーをぐるぐるに巻いていて、うねうねした黒い髪までしまい込んでいる。

黒い細身の皮のジャケットにインディゴ染めのデニム。スネの下までの中途半端な長さのスエードのブーツ。

足元にはなんだか恐ろしく大きなボストンバッグ。


ゴールデンレトリバーくらいならなんとか入ってしまいそうなバッグはパンパンに膨らんでいる。

何が入っているんだろう。


美容学校の専門生かなにかだろうか。

雰囲気もなんとなくそんな感じがしなくもない。

おしゃれだし、かわいいし。


たぶん寝ているのだろう。彼女はうつむいたままだ。

もう一度、顔が見てみたい。


一つ前の駅で俺が電車に乗った時の一瞬だけ、目が合った。

綺麗な目だなって思った。肌の色が白かったけど、頬は温かみのある肌色だった。

時間が本当に一瞬だけ止まった。


次の駅まではまだ10分くらいはある。

どうかまだ降りませんように。


もしまだ彼女が降りないとしても俺は声をかけるなんてできないし、かけたところで何を話していいかも分からない。

それでも距離が近いわけでもないのに、なぜかこうしているだけで幸せな気分になれる。

・・・男って馬鹿、とはよく言ったもんだ。


思わず、ふっと息を吐いて笑ってしまった。

急いで横を見る。横にいる男は無表情で吊革を掴みながらipodをいじっていた。

男のポケットにぶら下がった傘から雨の雫が垂れていて、俺の足元に流れていた。


いらない赤っ恥をかかなくてよかったと思いながら大きく息を吸って顔を戻す。ふと前を見る。

吐くはずの息が出ない。

彼女はマフラーの中に顔を埋めたまま大きな瞳を細くして俺を見ていた。

口元は笑っているようだった。


目線を逸らそうとしても吸い込まれてしまう。

このまま見つめ続けたら一人で妄想して笑う変な人から、ただの変態にランクアップしてしまう。

俺はどうにか頬を引き上げ、やっとの思いで微笑みを返すことができた。

もしかしたらとんでもない顔になってたかもしれないが、ベストは尽くした。


窓の露を拭って外を見ようとすると、車内アナウンスが流れた。

「まもなく到着します・・・次の駅では・・・・・・」


このあたりの片田舎の駅では待ち合わせの時ドアは手動になる。

手動といっても「閉・開」のボタンを押すのだが、それはちょうど俺の脇にあった。

つまり俺がドアの担当になるわけだ。


がたんごとん。

電車が大きく揺れた。

ふっ、と足のバランスが崩れたが足の裏でふんばる。

瞬間、滑った。

思い切り閉開ボタンが付いているケースに額をぶつけた。


たまらずしゃがみこみ、額をおさえる。

小さな笑い声のようなものが聞こえるが、今はそんなことを気にしていられない。

ズキズキと額が痛む。

おさえた手のひらを返すとほんのり血が滲んでいた。


今度は手の甲を額にあててみる。

確かに血が付いているが、そこまで血が付いているわけじゃないので大丈夫だろう。


「だいじょうぶ、ですか」


見上げると、彼女が心配そうに俺を覗き込んでいた。


「ええ、まあ」


自分でも驚くほど情けない声が出て一瞬で泣き出したくなった。


「これ」


差し出した手にはポケットティッシュがあった。

俺はそれを受け取る。袋からティッシュを取り出すと三枚ほど一緒に取ってしまった。


「すいません」


「いえ、こちらこそ、すいません」


俺は首をかしげて彼女に催促する。なにがすいませんなんですか。


「なんというか、テレビでもやらないような、その、コケっぷりで、笑ってしまいまして・・・。

 うずくまってるところまではおもしろかったんですけど、血が出てるみたいだったから・・・」


「・・・そうですか・・・・・・」


電車が止まった。ホームに着いたらしい。

降りる駅はまだ先だけど、こころなしか気分が悪いし、居心地も悪い。


「ティッシュありがとです」


それだけ言って電車を降りた。


「私もここなんで。笑ってすいませんでした」


彼女は先へ歩いて行く。大きなボストンバッグは思ったよりも軽そうだった。


俺は目の前のベンチに座って、ティッシュで額をおさえたままうなだれた。

なんだかどっと疲れた。

雨はまだしとしと降っている。アスファルトの冷たさが靴を超えて、足から全身を冷やしていくように感じた。


ホームにアナウンスが流れて、何百回も聞いたことのある音楽が流れて、電車が流れていく。

俺は、まだ、ここにいる。

あんなに殺伐としている車内なのに、外から見ると妙に暖かみをを感じる。


部活帰りの女子高生が何かを食べながら笑い合っている。

スーツ姿のカップルらしき男女が寄り添って座っている。

旅行帰りだろうか、中年の夫婦がトランクケースの間にはさまっている。


速度はどんどんどんどん早くなって、中の様子は何も分からなくなって、そして流れ去った。


俺は額の手を戻す。

思ったよりも血が染み込んでいた。


ティッシュを新しいものに替えて、頭の重みでおさえつけるように手に額をあてた。

次の電車はすぐ来るだろうか。

かなり冷えてきたな、寒いな、一度トイレに行って鏡でも見てこようかな、この駅には喫茶店なんてないよな、なんて考えていると、話しかけられた気がした。


「だいじょうぶ、ですか」


声の主は先程の彼女だった。


「ええ、なんとか」


できるだけ冷静を装って答えた。

内心はどきどきしてしまっているが。


「動けないくらい痛むんですか」


「そこまでじゃないですよ」


「待ち合わせ、とかですか」


「ああー・・・」俺はバツが悪そうに答えていた。「俺が降りる駅はここじゃないんですけど、あそこにいるのも気まずかったので。

 それに思ったよりも痛かったし、ちょっと休憩です」


彼女はなにも言わずに、下を見てしまった。


「笑ったことを気にしているのなら、気にしないでいいですよ。なんとも思いませんから」


彼女は顔を上げない。


「あの、鏡。鏡を持ってたら貸してもらえませんか」


顔を上げず、はい、と一言だけ答えた。


大きなボストンバッグの影に小さなバッグがあったようで、彼女は手鏡を取り出し、それを俺は受け取る。


ティッシュを額から取り、鏡を覗き込む。傷口はそんなに大きくない。


「ありがとう。やっぱり平気みたいだ」


「ならよかったです」気分が和らいだのか、幾分か声が明るくなった。「ティッシュいくつか置いて行きます。使ってください」


「うん、助かるよ」


彼女は大きなボストンバッグのファスナーを開いた。

そこには文字通り山ほどのティッシュが入っていた。


「どのくらいあれば平気ですかねぇ」


真面目な顔をしてバッグの中を覗き込んで、そう呟く姿にたまらず俺は吹き出した。

彼女は目を丸くしてから、すぐにむっとした表情になった。

俺は笑いが少し落ち着いてから、ようやく言葉を搾り出す。


「そんなにはいらないよ、つーか、その中みんなそれなのかよ」


彼女はむっとしたまま答えた。


「そうですけど」


俺はまだ余韻がおさまらない。

電車が来るとか来ないとかのアナウンスが聞こえたが内容まで聞きとる余裕がなかった。


「それ、どうしたの」


「バイトです。駅とかで配るやつ」


「めっちゃ余ってんじゃん、君、かわいいからすぐさばけそうだけどね」


「そんなことないです、誰もぜんぜんもらってくれないし。たいへんなんですよ、これ」


今にもテッシュを鷲掴みにして投げつけてきそうな勢いだ。

でもきっと大丈夫、なぜなら俺は――。


「知ってる。知ってるよ、俺もそのバイトやったことあるから。昔に」


え、そうなんですか。

そう言いたそうな顔をしている。


「ふたつちょうだい、いや、もらってもいいですか」


「はい。ひとつサービスです」


みっつ、手渡される。

大きな音が聞こえる。

ちょうど電車がやってきた。


「もう行きます」


君がテッシュをぜんぜん配れなくて、俺のことを笑ってくれて、よかった。

だけどなにより一番なこと。


「ありがとう」


俺は頭を下げた。


彼女は笑顔で手をふり、奥にある階段へと歩き出す。

俺は電車に乗り込む。ドアが閉まり、またいつものポーズで寄りかかる。

電車は動き出す。

がたんごとん。

ゆっくりとスピードを上げる。

がたんごとん。がたんごとん。

そして彼女を追い越す。

彼女はちらりともこちらを見ずに、軽そうにボストンバッグを持って歩いている。

がたんごとん。がたんごとん。がたんごとん。

スピードを増す。

そしていま、俺は、動いている。






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