世界の隣接
[Dec-24.Sun/22:30]
一次会をカラオケで、二次会をゲーセンで過ごした僕とルーナは、マンションのリビングでぐったりとしていた。
「疲れたな……」
「疲れたね……」
双方、ハシャギ過ぎた結果だ。
最初は見慣れない外国人に戸惑っていたクラスメイトだが、時が経ち、次第に馴染んできた。眞鍋が率先してくれたお陰だ。彼女には、いくら感謝してもしたりない。
「お前、酒呑んでたみたいだけど……大丈夫か?」
クラスの男子が持ってきた、ある意味での名酒『いいちこ』をルーナは結構呑んでいたのだ。
「平気平気。日本酒は軽いから。あの程度じゃ酔わないよ」
「ふぅん……やっぱ、血かな」
外国人は酒に強いらしいし、彼女も例外ではないのだろう。
「カナタは何で呑まなかったの?」
「酒や煙草は身体の毒だからな。特殊部隊を長く続けたいし、嗜まない事にしている」
「そうなんだ」
ふぅん、とルーナは鼻を鳴らす。
「……《神ノ粛正ヲ下ス使徒》」
「ッ!?」
唐突に呟いた僕に、驚きを隠せないルーナ。
「……お前、そこの元構成員なんだってな」
「どうして……知ってるの?」
「殺戮狩人に聞いた。昨日、来たんだ」
泣きそうな顔で、ルーナは僕を見つめている。僕は立ち上がり、ルーナに近付く。
「私を、捕まえる為に助けたの?」
「黙れ」
一歩ずつ、ゆっくりとルーナに歩み寄る。
「カナタは、私を捕まえる為に私に近付いたんでしょ!?」
「黙れ」
ルーナは手元に落ちていた雑誌を取り上げ、僕に投げつける。
「非道いよ!私は、カナタを信じていたのに!!」
「黙れ!」
怯まずに歩き、やがて、ルーナの目の前に立つ。
「……君に助けてもらった生命だから、私は、抵抗はしないよ。好きにして」
「……なかなか、殊勝な心掛けだな」
俯き、涙を隠すルーナに向けて、手を伸ばす。ビクッ、とルーナは身体を震わせた。
「……カナタは、吸血鬼になって初めて、信用できる人だと思ってたのに」
「だったら、信用しろよ!!」
僕は、身を強ばらせるルーナの身体を抱き締めた。
「………ぇえ?」
「僕を信用しろ。お前は、絶対に誰にも渡さない。特殊部隊にも、《神ノ粛正ヲ下ス使徒》にも!誰にも殺させやしない!僕は、全身全霊を以て君を護ってみせる!!」
どうしてだか分からない。
どうして僕は、彼女を護ろうとしている。
彼女は、僕の家族を殺した、憎き組織の元構成員だと言うのに。
それに、仲間も裏切る事になると言うのに。
あの一夜の内に、何かが変わったのだろうか。
僕の中で、何が変わった?
考えても分からない。
「だけど、だから、僕は君を護ってみせる。絶対に、何があっても……」
「カナタ……」
ルーナが囁き、僕の背中に彼女の手の感触を感じた。
「……お楽しみのところ悪いのだが、いいか?」
「うわぁ!」
僕は驚いて振り返る。
毎度毎度いつの間にいたのか、そこにはフードを被った殺戮狩人が――。
「……ってお前、殺戮狩人か?」
「私が殺戮狩人以外の何者に見えると言うのだ?」
「いや……格好が殺戮狩人に見えなくて……」
確かに殺戮狩人はフードを被ってはいるのだが……黒いパーカーのだ。たった二回で見慣れた、今の時代では浮きまくったローブではない。
「っつうかテメェ、どうやって入って来やがったゴルァ!」
「ノック、アンド ドア ウィル ビー オープン トゥ ユウ(叩け、さらば開かれん)。ドアをノックしただけだ」
そう言う殺戮狩人の左手には、レーキングピックが握られている。……ピッキングじゃねェか。
が、その反対の手に、小さくて携帯に便利な弓篭手が装着してある事に気付いた。一昨日に装備していたボーガンを、剣道の篭手にくっつけた様な、小さな物で、デザインとしては射出機が弦からバネに変わっただけだ。
その暗殺具を見て、僕はハッとした。
「テメェ、ルーナは殺らせねェ!」
僕は殺戮狩人とルーナの間に割って入り、睨みつける。
が、
「事情が変わった。私は漆黒真祖……いや、ルーナを狙わない」
「事情?」
「クビを切られたんだ、先方にな」
……は?
どういう事だろう、と僕が考える前に、殺戮狩人が告げる。
「神殺槍。今から、自分に万全な装備をまとめろ。外で戦闘を行う」
「は?やっぱテメェ、ルーナを狙っ……!」
「私ではない。……というか、実は私も奴らの標的にされてな。出来れば手を貸してほしい」
事情がよく分からない。殺戮狩人は何を企んでいるんだ。
その気になれば僕とルーナを同時に相手して、尚、勝利を得れる実力者だと言うのに。
「……時間がないので簡潔に説明する。私は漆黒真祖を殺せない失敗続きで、《神ノ粛正ヲ下ス使徒》をクビにされた。奴らは私を生かしてはおかないだろう。つまり、私もルーナ共々抹殺される。故に、貴公に助力を申請したい」
軽く会釈をする程度に、殺戮狩人が頭を下げてきた事に、僕は驚いた。
「殺戮狩人……それは、信じていいの?」
僕の背後からルーナが顔を見せる。
「当然だ。この状況で虚偽を申し付けたりはしない」
「……うん、分かった」
ルーナが、ポンと軽く、僕の肩に手を置いた。
肩越しに振り返ると、彼女は満面、微笑んでいた。
「殺戮狩人……ううん、アキラは信用できるわ。カナタ、彼は嘘をついていない」
「……マジか」
次に殺戮狩人に振り返ると、そこには殺戮狩人はいなかった。
自然な金色の短い髪。肩胛骨辺りまで伸びた長い襟足。耳に無数のピアス、口に一つのピアスの、長身の青年が代わりにいた。
ただ、青年は殺戮狩人が着ていたラフな服を着ていた。
「……どちら様?」
僕が訊ねると、
「ある時は宵闇を駆ける殺戮狩人。またある時は勇猛果敢な活動家。して、その実体は――」
ビシッ、と親指を自らの胸に突き立て、青年は締める。
「アキラ ヒルベルド、その人である!カーッカッカッカッ!」
そして、大口開いての高笑い。
これが、殺戮狩人の正体か……。
何か、とてつもない脱力感に襲われ、僕は床に突っ倒れた。
断言しよう。コイツは決して、あの殺戮狩人ではない。
[Dec-24.Sun/23:00]
郊外の山の麓に、三つの陰。僕は使い慣れた狙撃銃の整備と、予備弾倉のチェックをしていた。
「カナタって、車の運転できたんだねェ」
尊敬の眼差しでルーナが言う。
「陸と空の乗り物は殆ど扱えるよ」
少し離れた所に停めている車を横目に、再び整備点検に戻る。
「カナタ、だっけ?コイツはどう扱うんだ?」
僕が支給した自動拳銃を様々な角度から眺めている殺戮狩人……もとい、アキラが訊ねてくる。
「銃を握って、親指のトコにレバーがあるだろ。それが安全装置だ。そいつを下ろしてバレルをスライドすれば弾が装填される。握り方は、親指の付け根に真っ直ぐになるのが正しい。足は肩幅より少し大きく開いて、腕を肩の位置まで上げて真正面を向いて構える。アソセレス・スタンスと呼ばれる構えだ、素人はそれを覚えれ。銃口は下げずに真っ直ぐ。もっと肩の力を抜け。照門は見なくていい、照星を見るんだ。引き金を引く時は手に力を入れず、指だけで引け。違う、銃口を下げすぎ。肩の力を抜けってば……お前は猿か!」
「やかましい!ポンポン言うなバカ野郎!こっちゃ初めて握るんだぞ!?」
自衛隊員の使うドイツ製の自動拳銃を持ったアキラが叫び返す。僕が隊に支給された物を、そのまま彼に渡したのだ。
非常事態の為に、アキラとルーナには同じ物を貸している。
「まぁ、素人がいきなり当てれる程、甘くはないしな。とにかく、敵が接近してきたらブッ放せ。狙う箇所は頭じゃなく、身体だ。頭はそう簡単には当たらない。あと、もし敵が人だった場合、絶対に使うなよ?」
「分かってるよ」
ブツクサと呟きながら、アソセレス・スタンスを繰り返し行うアキラ。
ちなみに、今の彼の銃には弾は入っていない。構えが様になってきたら渡すつもりだ。
「ねぇ、アキラ。本当に敵は来るの?勝手に移動しちゃったケド」
ルーナのもっともな意見に、アキラは真顔で首を横に振る。
「奴らの情報網を甘く見てはいけない。それはお前だって知ってるだろう?きっと、俺らが移動した事にも気付いてる」
「僕からも質問。本当に、奴らは化け物を引き連れて来るのか?ってか、そうそう化け物なんているのか?」
「吸血鬼がいるんだ。そりゃいるだろう。『獣と吸血蜘蛛』の言葉通り、奴らは絶対に――」
言葉を切って、アキラは宵闇の向こうに目を向けた。
「……お出ましだ」
アキラの視線の向こうは、完全な闇。
だが、ただならぬ気配を感じる。これは――この気配が、人間である筈がない。
『グルルル……』
くぐもった唸り声を挙げる、何か。
「これが……獣……」
ルーナが身構える。
そこに現れたのは――大きな獣。
体毛は漆黒。
双眸は金色。
表現が一番近いものとしては、『巨大な狼』。
「……ちょっと待て。マジか?」
「もはや、口癖ね」
驚愕する僕に、ルーナがどうでもいいツッコミをする。
「地獄犬……冗談、キツいぜ」
虚ろな微笑いを浮かべるアキラを見る辺り、これは……ひょっとして……。
「……事態は絶望的?」
「当たりだ……ドワッ!?」
急に突進してきた地獄犬を、僕ら三人は拡散してかわす。
「ちょっと待て!こんなん、どうやって倒すんだよ!?」
「こうやってだよ!」
ギュル、と円を描き、アキラは足下を中心点にそのままに右回転。
左手は腰に溜め、回転と同時に掌底を放つ。
「破ッ!」
太極拳陳式・円転歩掌。
ズドンッ!
まともに腹部に喰らった地獄犬は弾き飛ばされ、3メートルくらい地面を激しく滑る。
「……あ?」
「いつ見ても、アキラの発勁は素晴らしいを通り過ぎて、凄まじいわね」
非現実的な光景を目の当たりに、呆然とする僕と恍惚とするルーナ。
「発勁……って、中国拳法の?」
「うん。マンガとかでよく『氣』を使うとかいうでしょ?呼吸を操り氣を練る事で一気に発散する、柔拳。それが内家拳の一つ、太極拳。アキラは中国拳法の使い手なの。他にも形意拳、八卦掌などの柔拳に、六肘頭、八極拳、金剛八式などの剛拳(外家拳)もやってるって聞いたけど」
「……ソウデスカ」
そんな非現実的な……とも思ったが、吸血鬼がいて地獄犬がいて、非現実も何もない。むしろこの場では、僕こそが異端なのかも知れない。
「それより、私達も加勢しなきゃ」
「いや、その心配はないような……だってアイツ、普通に強すぎるぞ」
傍目から見ても、アキラは地獄犬と互角以上に戦ってる。突進されてはかわし、反撃の一手を打って出る。とても加勢が必要だとは思えない。
「だからって、アキラ一人に戦わせる訳にもいかないでしょ?」
「確かに……一般には、人が素手で倒せる動物は三〇キロ程度だと言われているが……」
アレはどう見ても、ライオンや虎ぐらいの大きさはありそうだ(三〇〇キロ)。アキラ一人に任せる訳にもいかないのは確かだ。
僕は狙撃銃に突撃銃用の二〇連弾倉を装着し、レバーを引いて弾薬を装填、石が露出した地面に伏せる。
照準器を使う必要もない、僕にとっての必中距離。
ライフルを抱き締める様なスナイプ・スタンスを取り、銃口を地獄犬に向ける。アキラが動き回ってるお陰で地獄犬を引き付けるこの戦法は、実はポイントしにくい。まぁ、僕にとっては何の問題もない事だが。常人では、味方に弾が当たる恐怖で引き金を引けないだろう。
「とりあえず、くたばっとけ」
呟き、地獄犬がアキラから離れた一瞬を狙い、セミ・オートでの速射。
ゴゥン!ゴゥン!ゴゥン!ゴゥン!ゴゥン!
全ての弾丸が、吸い込まれる様に地獄犬を貫く。
「うわっ!わわわわわ!」
カランカランと、次々に排出口から薬夾が弾き出される。だが、僕は手を休めない。
合計十二発も地獄犬に撃ち込んだ僕は狙撃銃を抱えたまま、立ち上がる。
「テメェ、俺を殺す気か!?」
「当たってないだろ?だったらいいじゃん」
「当たったらゴメンじゃ済まないんだぞコラ!!」
「そんなヘマしない」
ズカズカと僕に向かって大股で歩いてくるアキラは、どうやらかなりご立腹のご様子。
僕が地獄犬がピクリとも動かなくなった事を確認していると、アキラが返してきた。
「もっと、こう……『離れろ!』とか『後ろに飛べ!』とか合図しろよ!いきなり撃たれたらビックリするだろうが!!」
「バッカ、狙撃はお前が思ってる以上に集中するんだ。そんな暇あるか。お前が離れた瞬間を狙ったんだ。その一瞬を見極めるのがどれだけ精神をすり減らせると思ってる……」
「ねぇ、二人共。口論してていいの?」
『あん?』
口論する僕とアキラにルーナが割って入り、僕らは異口同音で返す。
「あれ」
とルーナの指し示す方向を二人同時に見つめ、
「……ちょっと待て」
「……冗談きついぜ」
驚愕のあまり、ひきつった笑顔になってしまう。
先程の地獄犬が来た方向から――ぞろぞろと歩いてくる獣たち。
漆黒の体毛と金色の眸の獣たちが、僕ら三人を睨みつけてくる。
「おい……何匹いるように見える?」
「ざっと数えて10数体……だな」
交互に、僕とアキラは語る。
「んっとね、十三匹かな」
吸血鬼は夜目が利くらしく、ルーナが得意げに答える。
が、明確な数を知ってしまった僕とアキラは、早くも戦意喪失し始めていた。
「どうする?一匹だけでもツラいのに、あんな群を相手するか?」
「それしかないだろうが……正直、キツいだろうな」
話し合ってる間にも、地獄犬の群はジリジリと歩み寄る。事態はかなり絶望的だ。
距離は十五メートル程度。人間からすれば、かなり間合いの外だろう。
だが、奴らは一足で飛び込んで来れる筈だ。
次の瞬間には、僕は死んでいる可能性が充分に芽生えてきた訳だ。
玉砕覚悟で集中速射を繰り出すべきか?いくら化け物とは言え、ライフル弾を頭に喰らえば絶命するだろう。一発一殺の覚悟を決めるしかあるまい。
しゃがみ、狙撃銃を構えた時、十三匹の地獄犬との距離は一〇メートルにまで縮まっていた。
「こういう時は、お姉さんに任せなさい」
僕の背後に立っていたルーナが囁き、
グシャリ、とルーナが繰り出した一閃が一匹の地獄犬の頭を地面に叩きつけ、頭蓋を粉砕した。
『……へ?』
唖然とする僕とアキラを余所に、ルーナの一閃で、今度は別の地獄犬の首を斬り飛ばした。
さっきまで僕の背後にいたのに、いつの間に、どうやって移動したのか。
ルーナは次の瞬間には、地獄犬の群のド真ん中まで移動し、一瞬で二匹もの地獄犬を葬っていた。
仲間を殺られて逆上した地獄犬らがルーナに襲いかかる。
ザシュッ、バシュッズバガシュベキグチャビチャ!!
聴くもおぞましい、残酷な殺傷音が夜闇に響き渡る。
踊る様に立ち回り、黒い鮮血を散らしながら、ルーナは次から次へと地獄犬を殺していく。今のルーナはまるで、死舞を踊る妖精に見えなくもない。
ガシ、と最後の一匹の頭蓋を鷲掴みにしたルーナは、闇を、赫き月を称える女神と化し、謳う。
「相手が悪かったわね」
そのまま、夜の支配域を欲しいままにする吸血鬼の真祖は、《グチュリ》、地獄犬の頭を握り潰した。
買ったばかりの服を返り血で汚したルーナは、僕らの元に何事もなかったかの様に、戻って来た。
「えへへぇ」
可愛らしい笑みを浮かべて。
あまりに凄惨な光景を目の当たりにして、僕は隣で呆然とするアキラに呟く。
「……ルーナを付け狙ってた間、お前が生きてたのって……ただ単にルーナに殺す意志がなかったからじゃないのか?」
「……みたいだな」
放心状態のまま、アキラが答えた。
アソセレス・スタンスとは
?足を肩幅より少し大きく開く
?肩と垂直になる様に腕を上げる
?肘は真っ直ぐに伸ばし、手首を固定する
?照門(撃鉄付近についている照準器)と照星(バレル先についている照準器)を合わせて撃つ
といった構えである。両足と頭が二等辺三角形を作っている姿勢が正しく、歪んでいると発射時の衝撃で大きくぶれるので身体のどこかの関節に負担がかかる。
射撃訓練時はこのスタンスを行うといい。もしタイや韓国などの国に行った際には試していただきたい。
補足だが、カナタが「照門は見なくていい、照星だけを見ろ」と言った理由は、至近距離(7M程度)ではピントを合わせるより早く撃つ事が銃撃戦時の常識だからだ。