世界の変化
メルカバ
イスラエルの人口は約四〇〇万人(内、ユダヤ人は三六〇万人)という少数国であるが故に、メルカバは搭乗員の安全を優先する為、砲塔を小さくし、多重装甲を採用している。
セルフ・シーリング式燃料タンク装備などと、防護に重点をおいたメルカバは戦闘重量が六〇トンもあり、これを動かすテレダイン・コンチネンタルAVD S1790−6Aエンジンは出力が900Hpしか出ない。出力/重量の比を見ると15Hp/tしかない。これでは、機動性を生かした戦闘は無理だ。
搭載する主砲はL7系統の105mmライフル砲で、IMIが開発したAPFSD弾が使用できる。カタログではこの砲弾は4Km離れた敵戦車を撃破できるという。
[Dec-23.Sat/20:20]
「アイツら……ふざけやがって……」
眞鍋のお陰でなんとか殆ど終わった宿題の入ったリュックを担ぎ直し、僕はマンションのエレベーターのボタンをカチカチ鳴らせた。
今日は、本当に厄日だった。何が最悪かと問われれば、全て最悪だったと答えよう。
「何で僕が……奴らに夕飯まで奢らにゃならんのだ」
しかも、食後のデザートには『メルカバサンデー』より更に大きな『エイブラムスサンデー』を注文しやがった。お陰で、財布は随分とダイエットに成功した。
女三人寄れば姦しすぎる。この怒り、この理不尽、どこにぶつけてくれよう。
僕が途方もない怒りに満ち溢れ燃えていると、チン、と小気味のいい音が鳴り、目的の最上階に到達。僕の部屋がある階だ。
自宅はエレベーターに近く、数歩でたどり着く。
ドアに鍵を刺そうとして、ある事に気が付いた。
(……中に、誰かいる?)
ドア越しに関知する呼吸。人の気配。ただ、それは非道く薄く、およそ人とは思えないのだが、僕はこの感覚を知っている。
(殺戮狩人……)
でも何故、僕の部屋なんかに?もう、僕は無関係のハズだ。
「鍵は開いている。入れ」
中から聞こえた声に、僕は息を呑む。気付かれていた。
何で居るかは、この際どうでもいい。問題は、これからどうするか。
接近戦は苦手だから、正直、真正面からでは殺される。
逃げるか。それもダメだ。家が知られた以上、逃げきれるとは思えない。
「どうした?中に入らないのか?ここは貴公の家だろうに」
カチンときた。そうだ。ここは僕の家だ。何を怖れる事がある?
狙撃手として、一時の感情に左右されるのもどうかと思うが、逃げても無駄と分かった以上、腹をくくるしかない。僕はドアノブを握り、力強く捻った。
玄関先には、フードを深く被った、黒いローブの殺戮狩人が立っていた。ボーガンの姿は見えない。持ってきてはいない様だ。
「……ハン、人んちに入った礼儀として、フードくらい取ったらどうだ?」
「問題ない。それより、人を招いた礼儀として、茶ぐらい出したらどうだ?」
「……招いた覚えはないんだがね」
靴を脱ぎ、殺戮狩人の脇を抜けてリビングに出る。後ろからは、音もなく殺戮狩人がついてきている。
(ミサトとスミレを連れてくればよかった……)
あの二人は、言わば接近戦のプロフェッショナルだ。格闘技の組み手では、一度だって勝った事はない。今更、そんな無駄な事が悔やまれる。
言われた通り、ソファに勝手に座る殺戮狩人に麦茶を出し、僕も向かい合って座る。
「……で、わざわざ不法侵入までした用件は?」
「なに、大した事ではない」
麦茶を一口啜り、言葉を続ける。
「――今日の昼下がり、漆黒真祖を発見し、交戦した」
ゾグン、と。
心臓が抉り取られたかと錯覚する様な衝撃が全身を貫いた。
(昼下がり……っつうと、僕が喫茶店にいた頃か。いや、それより……)
ルーナはあの時、何と言った?僕が『昼間は?』と訊ねた時、何と答えた?
『普通の人間と変わらないわよ。聞いた事ないかしら、人間に擬態する吸血鬼の話とか』
普通の人間と変わらない。
そんな時に、殺戮狩人と一戦交えた。
それが意味する事は、つまり――
「殺した……のか?」
吸血鬼として、最も力を発揮できる夜でさえ不利だったと言うのに、人と変わらない昼間の戦闘では最早、虐殺にしかなりえない。
「殺す、という表現は好ましくないな。滅す、と言うべき存在なのだ、奴らは」
「そんな事はどうでもいい。テメェは、ルーナを、殺したのか、って聞いてんだよ!?」
犬歯を剥き出しに吼え、自分でも信じられない事に、腰から自動拳銃を引き抜いて殺戮狩人に向けていた。
今は、サイレンサーなんてついていない。撃てば確実に爆音が轟くだろうが、そんな事は知った事ではない。
「何を、そんなに激昂する必要がある?貴公は漆黒真祖とは一度会ったきりなのだろう?」
落ち着いた様子で、麦茶をもう一口啜る殺戮狩人。
顔はフードで隠れて分からないが、多分、無表情なのだろう。高ぶっていた怒りが急激に冷めてきた。
「……それでも、」
脱力した僕は自動拳銃を持つ手をソファに下ろし、殺戮狩人を見つめながら、
「助けたいって思って……何が悪い」
「悪くはない。が、その対象が良くない。アレは人ではなく、人に害なす吸血鬼だ」
淡々とした殺戮狩人の言葉に、僕はギョッとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!害なすって、アイツは血を吸わないって言ってたぞ!?実害はないじゃないか!」
「知っている。かつては志を共にした同胞だからな」
……は?
「……ちょっと待て」
「待たせてばかりだな、貴公は」
この時に初めて殺戮狩人の嘲笑みを拝んだのだが、どうでもいい。
今はそんな事を考えている場合ではない。
「……訳分かんねぇよ。どういう事だ。だって、アイツを殺す理由は吸血鬼だからなんだろ。いや、それより同胞って……」
「……一から説明しよう」
フゥ、とため息を吐き、殺戮狩人は言う。
「が、その前に一つ」
麦茶を飲み干し、殺戮狩人は僕を見据えて(と言っても表情は分からないのだが)言葉を紡ぐ。
「……何か作ってくれないか。簡単な物でいい。実は夕方からここにいて、何も食べていないんだ」
それと同時に、殺戮狩人の腹がクルルと鳴いた。緊張感の欠片もない。
畏怖にも似た、僕の中の凛然としている殺戮狩人の第一印象が、ガラガラと音を立てて崩れさった。
[Dec-23.Sat/20:50]
簡単に即席食品を出すと、殺戮狩人は美味そうに(繰り返し言うが、実際の表情は分からない)貪り食う。
「食事の時ぐらい、フード取れよ」
「それは出来ない」
口に湯で溶かした乾燥麺を頬張り、
「正体を明かさない。それが我々の基本方針だからな」
「……まぁ、いいケドさ」
食事は、ほんの五分足らずで終わった。
「さて……まずはどこから話そうか……」
「話す前に、教えろ。ルーナを殺したのかどうかを」
「そうだったな」
フッ、と嘲笑い、俯く殺戮狩人。
「結論から言うと、仕留めきれなかった。人混みを巧みに使い、まんまと逃げられたよ」
それを聞いて、僕に二度目の脱力感が襲った。但し、先刻の様な、虚無をはらんだ脱力ではない。安堵に溢れた脱力だ。
「じゃあ、まずはアンタとルーナの関係性から話してもらおうか」
「構わんよ」
やがて、殺戮狩人は淡々と、昔話でもするかの様に語りだした。
[Dec-23.Sat/21:00]
繁華街の路地裏に、ルーナは腰を下ろしていた。生臭さに咽び返りそうになるが、我慢するより他ない。
失血が思ったより非道い腹部は血で濡れ、出血は止まったとは言え、未だ傷は塞がっていない。
「不味い……わね。……再生、しない」
正確には『再生』ではなく『復元』なのだが、傷が癒えるという点を取ればどちらも同じだ。
「なかなか……大胆な事をするわね……殺戮狩人も……」
彼女の手には、彼女の腹部を裂いた鋭利なナイフが握られている。
ただの平々凡々なナイフではない。純銀製のコンバットナイフだ。
「……本当に、私を殺すというの……殺戮狩人」
路地裏の狭い空に浮かぶ、赫い半月を見つめながら、呟く。
「あれ?君は……漆黒真祖じゃないか」
不意に、繁華街の方から声を掛けられ、振り向き、ルーナの表情が恐怖に染まる。
「烈空天使……」
そこに立っていたのは、一人の少年だった。年の頃は、恐らく昨夜の少年と同じくらいだろう。
「ちょっと所用があってこの辺をうろついてたんだけど……まさかこんな所で再会できるなんて、御伽話の様な偶然だね、漆黒真祖」
逆光で表情は分からないハズなのに、何故か、ルーナには少年・烈空天使が微笑った気がした。
まるで、見た事もない玩具を見つけた子供の様な微笑みを。
「殺戮狩人は君に惚れてるみたいだから、殺す気はないみたいだし。いつもギリギリ死なない程度に痛ぶって逃がすってのがその証拠だね。路地裏なんかで僕らが出逢ったのも何かの縁だし――」
スラリと、まるでケータイでも取り出す軽い仕草で、コートの内ポケットから、黒光りする何かを取り出す烈空天使。
イタリア製の、大型自動拳銃。
「残念ながら、銀の弾丸はないんだ。でも……今の君なら、ただのホローポイントでも致命でしょ」
クスリ、と小さな微笑い声が漏れる。
ただそれだけの事なのに、ルーナは背中を嫌に冷たい汗が伝うのを感じた。
「ら……烈空天使、待って!こんなトコでそんな物を撃てば、貴方が警察に捕まるわよ!?」
「君は、ボクがあんな無能に捕まると、本気で思ってるワケ?」
思わない、とルーナは心で呟く。
「ボクは烈空天使。《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の大天使なんだよ」
ゆっくりとした動作で、自動拳銃の照星をルーナに向け、
「じゃあね、ルーナ。死界でまた逢おう」
引き金を引いた。
[Dec-23.Sat/21:00]
「じゃあ、何か!?アンタは現役で《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の一員で、ルーナは元構成員だってのか!?」
「肯定だ」
「テメェ……奴らの仲間だったのか」
ソファの上に置いたままにしていたドイツ製の自動拳銃を殺戮狩人に向け、発砲。今度はさっきみたいに躊躇わなかった。
ドゥン、ドゥン、ドゥン!
爆音が轟き、音速を超えてパラベラム弾が吸い込まれる様に殺戮狩人の額に飛来し、
突如として、弾丸が眉間間近で急停止した。
「なっ……」
「まぁ、そう急くな。話はまだ終わっていない」
カラカラカラと、変形すらしていない弾丸がカーペットに落ちる。
僕は殺戮狩人を呆然と見つめる。
「お、前……何を……」
「何を?観客に種明かしをする手品師がどこにいる?」
フン、と殺戮狩人が鼻で笑う。
「次、私にそれを向けた時……生命を断絶する事を今ここで貴公に誓おう」
「誓うな、迷惑だから……」
「それはそうと、私が貴公に話したい事はそんな事ではない。漆黒真祖との関係性を語る為に貴公に逢いに来るというのは、リスクが高すぎる上にメリットがなさすぎるだろう?」
そういえば。
戦闘能力に劣っているとはいえ、僕は自衛隊員であり殺戮狩人はテロ組織の一員なのだ。捨て置いても良い問題を、わざわざリスクを犯してまで言いに来たとは考えられない。尋常な沙汰ではない。
「……って、だったら何でお前はここに来たんだ?お約束として、ルーナを守れとでも言いたいのか?」
「初めに言った。『アレは人ではなく、人に害なす吸血鬼だ』と。今の時点では滅するのが最善なのだ」
「……何が、言いたいんだ?」
まるで、殺戮狩人の考えが分からない。
吸血鬼だからという理由ではなく、《神ノ粛正ヲ下ス使徒》を抜けた裏切り者として殺そうとしていると殺戮狩人は言ったが、その割には『吸血鬼=悪』と言う。人々を苦難と沈痛と混沌に陥れた組織の手の者の筈なのに、やけに人々の無事を気にする。
「貴公は、自衛隊でもかなり上位の者なのか?」
「あ?あ、いや……ただの一等陸曹……上から一二番目、下から七番目で、まだまだ下っ端だよ」
「ほう……それは丁度良い」
ソファを立ち上がり、ずっと立ったままだった僕と目線を同じくし、殺戮狩人が呟く。
「頼みがある」
[Dec-23.Sat/21:15]
「取り逃がしちゃったな、漆黒真祖……」
烈空天使は雑踏に紛れ、先程までいた路地を眺める。
そこには警察の群が出来ていて、路地裏は大きなブルーシートで隠されている。
発砲の瞬間、間一髪で『飛行』で空を飛び、『変態』でコウモリに変身したルーナを、烈空天使には追いかける術はない。
しかし、発砲事件があって死体がないのはおかしいので、自然な成り行きにする為に、その辺のヤクザを捕まえ、射殺しておいた。組同士の縄張り争いの抗争、と受け取られる事だろう。
「ま、ボクが殺しちゃっても、つまんないしね」
野次馬と化した雑踏を抜けながら、呟く。
「やっぱここの素晴らしいシチュエーションとしては、愛しい女を殺す男、ってのがベストだよ。そうは思わないかい、純水天使」
「悪趣味・悪質・悪逆。最低」
笑顔で喋る烈空天使に返すのは、彼と背中合わせに立つ小学生くらいの少女・純水天使。
「不快・不愉快・不可解。閑話休題、伝聞、於・大地天使。緊急召集」
「うぇっ、マジィ?ボク、これからアイツらの殺り合いを見物に……」
「無関係。絶対帰還。拒否、不認」
「う〜ん……どうしようかなぁ」
腕を組み、わざとらしく烈空天使は呟き、
「やっぱ行かない」
ピキ、と純水天使の額に青筋が浮かび上がる。金髪のウェーブ、蒼い瞳などのお陰で人形の様に可愛らしい顔なのだが、今はすべてが台無しだ。
「この後、人と会う約束があんの。じゃあな、純水天使。変なオジサンについていく時は一〇万以上は取れよ〜」
ケラケラと笑いながら、烈空天使は雑踏を離れた。純水天使が何かを叫んだ気がしたが、気にしない。
五分ほど歩き、待ち合わせ場所に到着すると、見慣れた少女の姿を見つけた。
「……三〇分の遅刻よ」
「悪い悪い。道の途中でちょっと事件があったみたいで、野次馬してたんだよ」
やや長めの髪をツインテールにした少女は、不機嫌そうな表情から一変、驚いた様な顔をした。
「事件?何かあったの?巻き込まれたの?大丈夫?」
「ん〜、なんかヤクザの抗争で、殺人事件にまで発展したらしい。大丈夫、巻き込まれた訳じゃないから」
抜け抜けと答える、殺人の張本人。
少女は安堵の表情を浮かべ、静かに微笑んだ。
「そう、良かった」
「じゃ、そろそろ行こうか。遅刻した分、ちゃあんと奢るよ」
「……私、なんか今日は奢られてばかりね」
「ん?何か言った?」
「ううん、別に」
苦笑いながら烈空天使に腕を絡ませ、少女は言う。
「ゲーセン行こう!ゲーセン!」
「仰せのままに、お姫様」
烈空天使と少女は、近場のゲーセンに入って行った。
[Dec-23.Sat/21:15]
殺戮狩人の『頼み』を聞いて、僕は目を見開いた。
「何、だと……!?テメェ、もう一度言ってみやがれ!」
犬歯を剥き出しに、叫ぶ。
「何度でも言おう」
憎悪と嫌悪をはらんだ怒気を意に介した様子もなく、殺戮狩人は淡々と『頼み』を繰り返した。
「我が組織、《神ノ粛正ヲ下ス使徒》にそちらの情報を明け渡せ」
静かに、抑揚もなく殺戮狩人は唱えた。
エイブラムス
他国の戦車の様にディーゼルエンジンを使わず、DSUを搭載したガスタービンエンジンを用いて走行する、全く新しいタイプといえるアメリカの戦車である。DSU(デジタルエンジン制御システム)とは、エンジンへの燃料供給、燃焼などの制御を行い、効率性を向上させてエンジン性能を高める為の装置である。
車長用独立熱線視察装置(CITV)や車内情報システム(IIS)、自己位置航法システム(POS/NAV)や砲手用主照準サイト(DGPS)など、他にも多々ある電子機器を一つに纏める、操作・設定を簡単に行えるユニットを独自で精製している事でも優秀と言えよう。