世界の表面
前回の後書きでは、間違えてM92Fの説明をしてしまいました。ネタバレを書き込んでしまった事を深くお詫びします。
[Dec-23.Sat/00:45]
ミサトも帰宅し、僕はテレビを点けてぼんやりとそれを眺めていた。
バラエティ番組だった。最近人気が出てきた新人芸人が司会を務めて、新宿辺りの店を紹介していくヌルいノリの番組だ。
(……吸血鬼、ねェ)
テレビの音は右から左に流れていく。
空を飛ばれて蝙蝠になられたら嫌が応にも信じなければいけない事実なのだが、時が経てば経つ程、なんだか嘘臭くなってきた。
自信のあるテストが返ってきて、点数が悪い時の様な、何とも言えない虚無感が残っている。
ルーナと名乗った、吸血鬼の女。
殺戮狩人と呼ばれた、ルーナを殺そうとしていた男。
あれは、ホントにあった事なのか?全てが夢の出来事に思えてならない。
チラリと視線をずらし、ガラステーブルの上に放っていたドイツ製の自動拳銃を見つめる。
残弾は3発。銃弾を使ったという事実が全てを物語っている。
(……寝よ)
考えるだけ無駄だ。
あれが現実であろうとなかろうと、もう僕には関係がない。
ルーナには二度と逢えないだろうし、殺戮狩人と戦う事もない。
逢えないのならば巻き込まれる事もなく、現実も夢も大差ない。
目を瞑り、ため息を吐いた。
[Dec-23.Sat/09:50]
その日、僕は図書館に赴いていた。冬休みの宿題という強敵を討ち滅ぼす為に。
「寒っ、寒ッ、寒い!」
市立の図書館に駆け込み、暖房の利いた室内で頭や肩に積もった雪を叩き落とす。周りの客の迷惑とか、知った事か。いきなり降ってきた雪が悪いんだよ。
心の中でそんな俺様思考(俗に言うジャイアニズム)な言い訳を呟きながら、二階の席に座って鞄を広げた。数学、物理、化学、日本史、古典、英語、倫理。
……とにかくもう、投げ出したいくらい沢山ある。ってかこれ冬期休暇課題の量じゃないぞ。絶対。
「……銃の歴史とかならいくらでも書けるんだがな」
例えば、回転拳銃の原型となった銃はペッパーボックスという名前だとか、その数年後にアメリカのサミュエル・コルトが回転連発拳銃を開発したとか(パターソン・コルトとも言う)。
起源から最新まで、あらゆる知識が僕の頭の中に詰まっているのだが、こんなトコでは何の役にも立たない。というか、考え方が『受験に追い込まれ気味なオタク中坊』なノリでちょっぴり自己嫌悪してたりして。
「まずは数学からかな」
呟きながら、数学の問題集を開く。確か、宿題の範囲は正弦定理と余弦定理だったかな?
「……むぅ」
パッと見、さっぱり分からないとまでは言わないものの、解くのは面倒くさそうな文字の羅列具合である。シャーペンの滑りが悪い。
(……真北の頭脳が欲しい)
いまさらの様に切に願う。いや、常日頃から思ってんだけどね。
「それはそうと……さって、頑張ろうかね!」
意気揚々と問題集に取り組み――
「あら、時津くん?」
――始めようとして、話しかけられた。
盛り上がり始めた気合がマックスからミリタリーまでショボンと下がりまくった。
「宿題?へぇ、偉いわねぇ」
背後を振り返ると、見慣れぬ少女がいた。
少し長めの黒髪をサイドで束ねた、可憐という言葉がなんとも似合いそうな少女だ。クリンとした大きな瞳は綺麗な二重で、とても愛らしい印象をこれでもかと与えてくる。間違いなく『美少女』に値するだろう。白のセーターに膝丈のフレアスカートはどこかのお嬢様的な感覚を彷彿とさせる。脇には、紺の毛皮のコートを挟み、肩からは花柄をあしらったクリーム色のポシェットをかけている。
知り合いか、という疑問を自問し、脳内のデータベースに一通りアクセスしてみた。
結果、
「……どちら様?」
僕は知らない。
「あ、非道い。私が分からないなんて、ショックだわぁ。あ〜んなに知り合った仲だって言うのに」
「いや、済まないが、本気で記憶に御座いません。アンタ誰?」
どうやら彼女は僕の事を知っているらしいが、皆目見当つかない。誰だろう。
「これでどう?」
少女はツインテールしていたゴムを外し、ポシェットからアンダーフレームのメガネを取り出し、装着した。
ボブカットのメガネっ娘に変身した少女を見て…………、あ。
「もしかして、もしかしなくても、……眞鍋さん?」
「当ったり〜」
えへへ、と笑いながら髪を戻す美少女は誰あろう、クラスメイトの眞鍋 鼓だった。
「それにしても、ちょっとコンタクトしただけで気付かないなんて、ホントにショックだわぁ」
「いや……こりゃ驚いたな。眞鍋さんだったとは……」
全く、これっぽっちも気付かなかった。
よく考えたら声で分かるのだが、いつものお淑やか――敢えて悪く言えば地味――な彼女とは、見た目じゃまるで別人だ。女は変われば変わるもんだな。
「っと、それはそうと、眞鍋さんはどうして図書館に?」
隣に腰を下ろした眞鍋に問う。
「勉強しに。長期休暇の課題はいつもここでやってるの。あと、冬休み中に二〇冊は本を読むから、それを借りにっていう目的もあるんだけどね」
「二〇……そりゃまた大量な……」
なるほど。学年首席カップルの片割れなだけあって、やる事なす事、模範的優等生なんだな。
「あ、じゃあ今日は真北と一緒に来たとか?」
「うぅん。昂太はこういう静か〜な所、嫌いだから。今日は松永くん――あ、隣のクラスの男子ね――とほか数人と遊びに行ったみたい」
……なるほど。この辺が天才と秀才の行動の違いか。ってかアイツはいつも遊んでるけど、宿題とかいつやってんだろ。何気にキッチリ出すんだよな。
「それはそうと、時津くんさえよかったら、宿題一緒にしない?」
「喜んで。分からないトコが多々あるから、教えてもらえるとかなり助かる」
[Dec-23.Sat/12:35]
昼飯時という事で、いったん図書館を出て、近くのファミレスに寄る事にした。宿題の方はかなり進み、眞鍋様々だ。
「宿題、助かったよ。お礼になんでも奢るから、何でも頼んでいいよ」
「え、マジ?やりぃ!」
ガッツポーズを取り、席に座る眞鍋と向き合う様に座る。
端から見れば、デートに見えるのだろうか?
「じゃあ私、この『海のパスタセット』ってのにする!美味しそう!」
「(ランチタイムで一〇八〇円(税別)か。ドリンクは二五〇円でフリーだから、合計一三三〇円……ちょっと高くつくな。やっぱマ〇クとかにしときゃ良かったかも)」
「……そこ。小声で金額の計算しない。頼みにくいじゃない」
「気にするな。ん〜、僕は『ハンバーグセット(一二六〇円)』でいいや。ライスは大盛りにするとプラス五〇円か」
ウェイトレスを呼び、注文する。合計額が二八九〇円という事もあり、僕としては少し陰鬱になる。
すぐにドリンクのコップが届き、眞鍋がそれを受け取る。
「ジュース、何がいい?」
「あぁ、じゃあコーラで……って待て待て。僕が行くって」
「いいの。奢ってもらうんだから、このぐらいさせてよ」
有無を唱える前に席を立つ眞鍋。
ここまでされると、無理に断るのも気が引ける。僕は黙って眞鍋を見送る事にした。
一人になり、やる事もなく手持ちぶさたに窓の外に目を向ける。大通りに面していて、行き交う人々をボーッとウォッチングしていると、店内の通路側から声を掛けられた。
「カナタさん?」
……今日はやけに知った顔に出会うな。というか、壮絶に振り返りたくない。
気付かなかったフリをしていると、背中をポンと叩かれた。クソッ、実力行使にかかったかチクショウめが……。
ゆっくり、首がギチギチ鳴る程ゆっくり振り返れば案の定、見慣れた長い黒髪の少女・桜井 美里の姿が。冬だというのにノンスリーブシャツにミニのプリーツスカートという出で立ちだ。脇には真っ赤なコートを抱えている。
「ってアレ?澄澪も一緒?」
「そッスよ〜、カナタくん〜」
ミサトの背後にいる、ソバージュのかかった長く色素の薄い髪をツインテールにした少女・的部 澄澪がいた。僕やミサトの仕事仲間で、暗号名は雷双槍。
「あ、あたしたちここに座りま〜す」
ニコニコと、案内していたウェイトレスに報告し、僕の向かいに座るスミレ。一拍遅れて、ミサトが隣に腰掛けてきた。ってコイツら、人の許可なく勝手な事をしやがる。
「あれ?誰かと一緒ッスか?」
そう言えば、向かいの席には眞鍋のコートを置いていたハズだ。
それを発見したスミレは鬼の首を取ったかの如く、満面の笑みを浮かべた。
「なかなか隅に置けないッスねカナタくん。女の人とファミレスに来るなんて」
「おいおい、勘違いするなっての。クラスメイトだよ。宿題手伝ってもらったからそのお礼に奢るってだけの話だよ。変な勘ぐりすんな。それに大体がだな、眞鍋さんは……」
そこまで早口にまくし立てて、隣から発する殺気に気付いた。
「へぇ……女性の方と……」
冷ややかな、まるで、波も立たない澄んだ水面の湖の如く、平坦で抑揚のないミサトの声。穏やかな物言いのハズなのだが、どこか薄ら寒さを感じてならない。
「……何さ?」
「いえ別に?」
ニコリ。そんな擬音が聞こえそうな程、わざとらしい微笑みを浮かべるミサト。
「……なんか、賑やかね」
コーラとカルピスを両手に持った眞鍋が、いつの間にかテーブルの横に立っていた。
「随分と遅かったね」
「一人だけの席を探してたのよ。そしたら全然なくて、時津くんの姿を探してたら……」
ドリンクをテーブルに置き、スミレの前を通ってわざわざ僕と向き合う様に座る眞鍋。
「こぉんな美少女二人と一緒なんだもの。そりゃ気付かないわ」
言って、カルピスをグイッと一口。
「ねぇねぇ、あたしも頼んでいい?」
甲高い声を張り上げ、スミレが訊いてきた。
「あぁ。自分の金でなら」
「もちろんカナちゃんの奢りで!」
「ふざけんな。ってかカナちゃん言うな」
というか、僕はいつからカナちゃんに?
「女性に財布を出させようとは……最低ですね」
ボソリとミサトが呟き、眞鍋とスミレが非難的な目つきで見つめてきた。
「……おい」
「ゴチでス、カナちゃん!」
……天の救い?そんなハズない。今なら断言できる。
今日は厄日だ。
[Dec-23.Sat/13:10]
カラン……。
テーブル中央の、ガラス張りのバケツの様な器にスプーンが投げ込まれた音が僕の耳に響く。
スミレが『海のパスタセット』、ミサトが『森のパスタセット』を頼み、二人分のフリードリンクで計二六六〇円。更に食後のデザートに、パーティ専用の『メルカバサンデー』を頼んで二五〇〇円の追加。
「……なんだよ、『メルカバサンデー』の『メルカバ』って。イスラエルの戦車か」
……ようするに戦車の様な威圧感のサンデーって事か。ふざけてるとしか言えない。
昨日行った喫茶店『カモフ』といい、何なんだこの街は。もっとマシなネーミングはないのか。
「はぁ……八〇五〇円の出費か……」
何でこんな事に……。
「端数(五〇円)なら払ってあげてもいいですよ」
「黙れミサト!」
「パフェ、もう一杯いいッスか?」
「死ねスミレ!」
はぁはぁと肩で息をする僕と、その僕をからかってるとしか思えないミサトとスミレを見渡し、眞鍋がクスリと笑った。
「……なんだよ?」
「ん〜ん。そう言えば、自己紹介まだだったなぁって思って」
「そういやそッスね。今更って気もしますが、自己紹介しときましょうか」
ギラリと、ミサトの瞳が煌めいた気がした。
「初めまして、眞鍋 鼓です。時津くんとはクラスで委員会をし合う仲です(はぁと」
「ちなみに眞鍋さん、彼氏いるから」
「ちょっ、時津く〜ん!」
顔を真っ赤にしながら、眞鍋がブンブンと手を振る。……う〜ん、やはり休日仕様の眞鍋はかなり可愛いな。おっと、こんな事を考えてると、真北に殺される。
「それじゃ、次はあたしね。あたしは的部 澄澪ッス。可愛くスミレって呼んで下さいね!」
「うん、分かった。スミレちゃんね」
「ちなみにスミレ、高二だぞ」
僕が補足すると、眞鍋は仰天の様相のまま動きを止めた。
まぁ、そりゃそうだろうな。年上に『ちゃん』呼ばわりしたんだから。
「んで、最後のこの根暗は桜井 美里。中三だ」
「誰が根暗ですか」
ズビシと、テーブルの陰から肘打ちが飛んできた。「うがっ」それは見事に僕の水月(みぞおちの事)に突き刺さった。
「中三かぁ……どこの高校行くの?ってかウチの高校に来ない?」
何が面白いのか、ニコニコと笑顔で訊ねる……というか、さり気に勧誘してる眞鍋。
「いえ……ウチはエスカレーター式ですので。そのまま持ち上がりなんです」
「あ、そうなんだ。残念」
肩を落とす眞鍋を見て、ふとミサトから殺気を感じなくなっている事に気付いた。いつからだろう?
チラリとミサトを見て、その向こうから新たな殺気を感じた。
「……あ」
ウェイトレスが、射殺さんばかりの形相でこっちを睨んでいる。鬼だ。般若だ。
……それもそうだろう。注文の品を食し、特にドリンクを飲んでる訳でもないのに一席乗っ取って雑談しているのだから。この昼下がりの忙しい時間に。
「……出るぞ」
「え?もう?」
コートを羽織り、財布を取り出しながらレジに向かう。一拍遅れて、三人もついてきた。
通路で先程のウェイトレスとすれ違った時、「やっとかよ」という言葉を聞いた気がした。舌打ちも聞こえた気がした。それは多分、空耳じゃないのだろう。
……本当に、今日は厄日だ。
ペッパーボックス拳銃
名称の由来は、銃身が胡椒の容器に似ていたという。銃身を五〜八本束ね、回転させて撃つという構造だったが、重量の問題で実用性のない火器であった。
その為、円筒を別にして銃身を一本に改造した銃を採用し、これがリボルバー拳銃の原型となる。