世界の欠片
[Dec-22.Fri/22:00]
男――殺戮狩人は、漆黒真祖を狙っていたボーガンを僕めがけて構えてきた。装填された銀の矢が、真っ暗闇にも関わらずに妖しく輝いている。
殺戮狩人に負けじと、僕も臨戦態勢に入る。
「漆黒真祖よ、一〇分預かるぞ」
その言葉でスイッチが入った様に、殺戮狩人の気配が辺りから消えた。
特殊な訓練を積んでいるお陰である程度は瞳孔の調節が可能な僕とは言え、この闇の中ではかろうじて人影の性別が確認できる程度で、戦闘での効果はあまり望めそうにない。こうなれば、視覚はいらない。むしろ、余計な物――例えば木の陰とか、漆黒真祖の陰とか――のシルエットが見えてしまう分、とっさの判断が鈍ってしまう恐れがある。
僕は目を閉じ、五感の内の一つを排除した。呼吸を上手くコントロールして、気配だけを読んで索敵する。
(……一〇時の方角に、八メートル……いや、一〇メートルか?十二?)
微かに気配を感じるのだが、殺戮狩人は気配を消すのがかなり上手く、読みづらい。
狙い撃ちされない様に、足音を立てずに僕も移動する。狙撃手としての必須技術だ。
(八時の方角に、七メートル)
躊躇せず、その方向に大口径の一撃を放つ。ポヒュッ、というコミカルな音が暗闇に響いた。が、その弾丸は木に当たったのか、パァンと大きな音がしただけに終わった。どうやらかわされた様だ。
不意に、右手方向――四時の方角から風を切る音が聞こえ、僕は瞬時に地面に伏せる。
ガッという、ボルトアローが僕のすぐ傍の木に突き刺さった音が聞こえた。
(こいつ……強い)
不味い。この状況は非常に不味い。暗闇の中ではまず勝ち目がない。
狙撃手の僕より隠密行動が得意な奴がいるとは、驚きだ。
それに、銃というのもヤバい。発射時の音は消音器で抑える事が出来るが、辺りの木に当たってしまえば激しい音をたててしまう。その角度を逆算されてしまえば、僕の居場所はずぐにバレる。
対する殺戮狩人はボーガンだ。発射時とインパクト時の音はほとんど皆無と言えよう。
習った対テロ戦術の中でそういった訓練も施されたが、ここでその技術を使うのはかなり難しい。
(くそ……こんな事なら、普段からもっと武器を持ち歩くべきだったな……)
ちなみに現在の僕の武装は、ドイツ製の高性能自動拳銃が一挺とその予備マガジンが3つ、コンバットナイフが一振りにスローナイフが三振り、非致死性手榴弾が一つだけだ。どうせなら、一気に敵をセン滅できる様な短機関銃が欲しい。
(贅沢も言っていられない……とは言え、このまんまじゃ確実にじり貧だ)
敵対している男――殺戮狩人は一体、何者だ?暗殺者か?
有り得なくもない話だが、僕の中でそれは違うだろうと直感した。
女を漆黒真祖と呼び、躊躇いなくその肢体に矢を突き立てる。挙げ句、女を吸血鬼と呼ぶ。
一見すれば酔狂な偏執病患者の様なイカレ野郎だが、殺戮狩人の凛然とした態度のせいか、それを疑っていない自分がいる。
そうこう考えながらも、戦闘は続く。未だ、お互いにアドバンテージはない。
「ふむ……このままでは、決着はつきそうもないな」
林全体に反響する殺戮狩人の声。殺気は感じない、音源も分からないと、何とも狡猾な戦い方だ。
「聞け。こちらの矢はなくなった。この場は私が退こう」
「何……?」
「だが、私は漆黒真祖を諦めた訳ではない。必ず仕留める。そうしない限り、この世に安息は生まれない」
気配はなく、まるで、辺りの木が喋っているかの様な錯覚がした。
「逃げるなよ、漆黒真祖。……尤も、銀でつけられた傷は治りが遅いから、しばらくは逃げられないだろうがな」
声は途絶え、それきり聞こえなくなった。
やけにあっさりとした幕切れだったが、僕は心底からホッとした。
あのまま殺り合っていたら、恐らく、僕が殺されていただろうから。
武器がなくても、素手だけでも。
この場合……戦略的撤退というよりは――
(……生かされたんだろうな)
完全無欠に、僕の負けだ。
「君……大丈夫?」
背後から声をかけられ、慌てて振り返る。左肩と左太股と左脇腹から血を流している漆黒真祖だ。暗闇で表情はよく分からないが、とりあえず元気そうでなにより。
――かと思った途端、漆黒真祖が大きく咳き込んだ。
「お、おい……!?」
「ん……平気平気。銀の矢って言ってもこの程度じゃ死なないし、それに……慣れてるから」
何でもないと言わんばかりにケラケラ笑う漆黒真祖。僕の心のどこかで、嫌な感じがした。
「とりあえず、手当しよう。救急キットなら常備してる」
「……私は吸血鬼なのよ?怖くはないの?」
「信じられないからな」
「あ、そう」
漆黒真祖の肩を支え、僕らはとりあえず、街灯のある公園の広場に向かった。
[Dec-22.Fri/22:15]
「どうして、あの部外者を殺さなかったの?」
「必要がないからだ」
「必要ならあるでしょ。彼が漆黒真祖を逃がしちゃったらどうするのさ?」
「追えばいい。それだけの話だ」
街灯の一つも灯らない、漆黒闇の路地裏にいるのは殺戮狩人ただ一人。
彼に語りかける声――それは幼い少年の声だ――の主は、どこにも見当たらない。いつもの事だ。話す時はいつも、殺戮狩人にすらどこに潜んでいるのか分からない程の隠密性を発揮してくる。
「それより烈空天使よ……なぜ貴公がここにいる?」
「どういう意味さ?」
烈空天使と呼ばれた少年の声が訝しげる。
「確か貴公は、天地逆転計画に立ち回っていた筈ではなかったか?だからこそ、今回の吸血鬼狩は私が担当したのではなかったか?」
あぁその事ね、と烈空天使は人を小馬鹿にした、空虚な嘲笑を吐き出した。
束の間、路地裏に嘲笑いが響き、やがて夜闇に掻き消された。
「君が知ってるボクらの内部事情なんて、当てにならないって事だよ。今みたいにわざわざ、偽情報を送っていたりね」
「……私を愚弄する気か?」
「そのつもりはなかったんだけど……所詮、自分に与えられた任務もまっとう出来ない役立たずの扱いなんて、そんなモンだよ」
「……」
殺戮狩人は答えない。ただ、強く強く拳を握るだけ。
自分の無力さ、ふがいなさを痛感しただけ。
「……契約を執行し終えたら、真っ先に殺してやる」
「楽しみに待ってるよ」
それきり、声は聞こえなくなった。
路地裏に残ったのは、殺戮狩人の称号を持つ、一人の男だけ……。
[Dec-22.Fri/22:15]
「私の名前はルーナよ。名字は長ったらしいからこの際省略するわね」
「僕は彼方だ。普通にカナタと呼んでくれて構わない」
「じゃあ、私もルーナでいいわ」
服を巻くし上げ、腹部を夜風に晒しながら、ルーナは微笑んだ。
その優しみがこもった笑顔とは裏腹に、ボルトアローの痕のなんと痛々しい事。
アルコールを染みさせたガーゼを傷に当てがい、それを固定する為に包帯を少しキツめに巻いていく。
「早速だけどルーナ……さっきの男――殺戮狩人だっけ?――といい、お前といい、ホントに何なんだ?ただ者じゃないだろ」
暗闇にも関わらず、的確な行動を取る二人。人間離れした俊敏性・機動性を持つルーナ。完全に闇に溶けきり、気配の欠片も漏らさなかった殺戮狩人。
「それに……吸血鬼ってのも……未だに信じられないんだが……」
「まぁ、それが普通の反応なんだケドね」
振り返らず、ケラケラとルーナは笑う。
その声は心の底から完璧に、非の打ち所のない笑い声だったからこそ、どこか嘘くさく感じた。
微かな疎外感か。
僅かな緊張感か。
「どうすれば信じてもらえるのかな?狼か蝙蝠に変身すればいい?空も飛べるし、霧散する事も出来るし」
「出来るのか?」
「当たり前よ。私は漆黒真祖……世界最強クラスの吸血鬼なんだから」
僕は、ルーナのお腹に包帯をグルグルと丁寧に巻きながら、よく観察してみた。やや白過ぎる気はするのだが、まぁ、普通だ。普通にほっそりとした、筋肉とは無縁そうな腰回りだ。
「次、肩だせ」
「分かったわ」
包帯の端をテープで留め、次は腕の処置に当たる。
これまたほっそりとした、新雪の様な白い腕だ。二の腕なんて、全然筋肉がついていない。ってかこれ、脂肪も少なすぎじゃないか?大丈夫なのか?
どう見ても、人の肉を片手で引き裂いた腕には見えない(実際に裂いたのは右手だけど)。
「……どっからあんな馬鹿力が出るんだ?人の肉を引き裂くって、余程の事だぞ」
「基本的に、夜は吸血鬼の支配域だからね。昼間と違って力は出るんだよ。う〜ん、分かりやすく現代風にゲームとかで言えば、魔法で攻撃力を上げた状態かな」
「昼間?昼間って、大丈夫なのか?吸血鬼なのに?」
伝承……本物を前にしてはかなりの眉唾だが、吸血鬼は陽に当たれない筈だ。
「漆黒真祖は太陽の下は平気なんだよ。水にも溶けないし、血も吸わなくて大丈夫!」
……えぇと。
「太陽と水はともかく……血を吸う必要ないの……?」
血を吸わない吸血鬼も分類上は吸血鬼かも知れないが、正直微妙じゃねぇ?
腕にも包帯を巻き終え、次は太股に巻く為にスカートをめくり上げたルーナ。僕はとっさに顔を逸らす。
「ちゃんと見てやらないと、しっかり固定できないわよ」
「……わざとだなお前」
「冗談よ。ここは自分でするわよ」
僕から救急キットを受け取り、手際よく巻いていく。
吸血鬼といえば、やはり不老不死という印象が強い。その旨をルーナに訊ねると、
「私は真祖だから不老不死なんて呼ばれてるけど、全種が全種、不老不死じゃないわよ」
「……へぇ」
話によると、ランクは大きく分けて四つ。
元から吸血鬼である真祖、呪いによって鬼化した爵級、どちらかから咬まれて鬼化した従者、従者に咬まれて鬼化した異端、という分別らしい。
「自殺した屍体が蘇ったのが真祖。成り方としては、『狼に殺される』や『魔術の過度行使』、『狼が殺した羊を食う』や『人狼死』ってのもあるわね。あ、他にも『墓を黒猫が跨ぐ』ってのも聞いた事あるなぁ。かなり迷信臭いけど」
「ホントにそんな事で吸血鬼になれんのか?」
「どうだろうね。私は五〇〇年近く生きてきたけど、私以外の真祖は一度しか見た事ないわね」
ふとルーナの包帯を巻く手が止まった。表情にも憂いが窺える。
「あ、ちなみに私は自殺よ。世を儚む美少女なんて絵になると思わない?」
ケラケラとリアクションの取りづらい事を笑って言うルーナ。
「真祖の能力は『飛行』、『変態』、『霧散』の三つね。ただし、これは夜限定なの」
「昼間は?」
「普通の人間と変わらないわよ。聞いた事ないかしら、人間に擬態する吸血鬼の話とか」
「そういや、欧州の方の小説にそんな吸血鬼がいたな」
確か、紅茶好きな吸血鬼の話だ。人間に擬態している内に好物になったとかそういった内容だったかな?うろ覚えだ。
「次に爵級なんだけど、これは呪いによって鬼化した吸血鬼なの。基本設定は真祖と変わらないわ。ただ、真祖から『変態』と『霧散』の能力を取り除いただけね」
包帯をテープで留めながら、ルーナは淡々と話を進めていく。
「従者が一番、人の思い描く吸血鬼に近いかな?太陽が苦手・水に溶ける・血を吸うってね。ただ、寿命は人と変わらないって言われてるわ。真祖みたいな特殊能力は全くなし。運動能力が優れてるだけの、吸血人種ってだけね」
「ってか、吸血鬼って生物学上、どうなんだ?人から成るって事は、やっぱりホモ・サピエンスなのか?」
「さぁ、どうなのかしら」
テキパキと包帯やら何やらを片付けながら、ルーナは小首を傾げた。
「さて、私はもうそろそろ行くわね」
「あ?行くって、どこに?」
「殺戮狩人の追いつけない所に」
……なるほど。
説明がダラダラと長すぎて忘れていたが、コイツは追われてるんだったな。
吸血鬼……か。
フワリと、ルーナの身体が中空に浮かんだ。ワイヤーとかのトリックを使った訳でもないのに。
「これで、信じてもらえた?」
緋色の半月をバックに、ルーナが妖しく微笑む。
「……信じない訳には、いかないって事か」
『飛行』の能力という奴だ。ここまで現実を突きつけられれば、嫌でも認めてしまう。
「それにしても……君も変な人だよね」
「何がだよ」
「普通、目の前で空を飛ばれたら、もっと騒がない?しかも私は吸血鬼なのよ?どうして冷静でいられるの?」
「さぁな。殺戮狩人との戦いがハードだったりしてインパクトが強すぎたから、なんかいまいちピンと来ないんだよ」
遊園地でコワい絶叫マシンに乗った直後に、ヌルいアトラクションを体験した様な、何とも言えない温度差……とでも言えばいいのだろうか。現在の心境は、まぁ、そんな感じだ。
「それに、こっちゃカミサマのシモベと戦ってんだ。吸血鬼くらいじゃビビらないよ」
「神の?天使?」
「いや、知らない」
怪訝そうに眉を八の字に描くルーナは、考えても無駄だと判断したのか、
「ん〜……まぁいいわ。それじゃね」
「ああ。逢えたら、また」
満面の笑みを浮かべた。
『次はもうきっとないよ』と、言葉にしていない言葉が聞こえた気がした。
ゆっくりと高度を上げ、地上一〇メートルくらいまで昇るとその細い肢体が崩れ、無数の蝙蝠が月夜に羽ばたいた。
「……吸血鬼、ねぇ」
ホントにいるんだなぁ、とぼんやりと呟きながら空を見上げ、視線を動かして――
「……あ」
視線が、時計塔を捉えた。
10時45分。
……色々とありすぎて、忘れていた。そうだ。僕は確か、近所のスーパーに買い出しに、行って、た、様、な。
烈火の如く怒り、猛り狂うミサトが、かなりナチュラルに想像できてしまって怖い。
ってかそもそも、買い物袋どこ行った?辺りを見渡す。
……ない。
【BERETTA M92F】
全 長:217mm
重 量:975g
口 径:9mm×19
装弾数:15+1発
生産国:イタリア
世界的に有名なM92Fは、イタリアのベレッタ社が一九八五年に開発した、アメリカ軍制式拳銃である。
もともと、イタリア軍の制式拳銃であったベレッタM1951に代わる次世代拳銃として開発された。
直列弾倉の使用により装弾数は少なく、撃発メカニズムはシングルアクションという使い勝手の悪い物から、ダブルカーラムで弾数の多いマガジンを装備させ、即応性の高いダブルアクションの撃発メカニズムを組み込んだ物が本銃である。
これをベースに、ベレッタ社は多くのバリエーションを製作している。