世界の結末
[Dec-25.Mon/12:00]
肋骨が痛いなと思って検査したところ、二本程ヒビが入っていた。
「バカみたい。どうしてこんな怪我をしたのですか?」
冷めた目つきでミサトが、ベッドに寝ていた僕に言う。
「アカンよぉミサトちゃん。怪我人にはもっとソフトにしなきゃ」
えせ関西弁を話す男は、紋知槍の異名を持つユーサクである。
「初登場という事で、理解していない読者様もいるかも知れへんケドな」
「……誰に言ってんのよ、アンタは」
こめかみを押さえつつ呟くのはスミレだ。
「それはそうと、どうしてこんな重傷を負ったのか説明して欲しいわね」
スミレの、珍しく低い声に身震いしながら僕は答える。
「えっと……夜の繁華街を歩いていたら、不良に絡まれました、ハイ」
あの闘いから約半日、僕が考えた嘘は、そんな稚拙なものとなった。
信じてもらえると思う程、僕はバカではない。だが真実を話すつもりもない為、この嘘を貫き通すつもりだ。
「……カナタさん」
フゥ、と深くため息を吐きながら、ミサトが僕を睨んできた。反射的に僕は視線を逸らす。
これから来るであろうミサトの罵倒を覚悟していると、ミサトは何も言わずに病室のドアに歩み寄る。
「……どうして話してくれないかは分かりませんが、今回はこれで諦めます。……私で良ければ、相談して下さい。他言は致しませんので」
それだけ言って、ミサトは病室を後にした。
その様子を見ていたスミレとユーサクは、クックッと息を殺して笑っている。
「……何だよ?」
「いやぁ、別にぃ。ミサトちゃんは可愛いなァ思てな」
「可愛い?アレが?」
剛腕と無愛想を足して二で割った様な女が可愛いとは、どうしても思えないのだが……。
「ミサトってばねぇ。君が病院に運ばれたって知った時、すっごい困惑してたのよ。もう、見てるこっちがハラハラするくらい。涙目になってたんだからね」
「……へぇ」
意外な一面もあるもんだな、と僕が思った矢先、
「ゲーセンでガンシューやってたんだけどね。ミサトったらレーザーガンを握り潰すし、ゲーセン出ようと走り出してぶつかった人を吹き飛ばすし。尋常じゃない取り乱し方だったわよぉ」
スミレの証言を聞いて、僕は前言撤回。
「私はミサトを追いかけるから。じゃあね。ちゃんと養生しなさいね」
ニッコリと男を惑わす小悪魔的な笑みを浮かべたスミレも、病室を後にした。
個室に残ったのは、僕とユーサクの二人だけである。
「何があったかは俺も知りたいトコやけどな、今回は追及せん事にするわ。上への報告書にはそう書いとくケド、……正直、お前がおらへんと作戦が滞る。早よう治しや」
「……悪いな、ユーサク。借りは必ず返すから」
「晩飯一回で勘弁しといたるわ。ほな、帰るわ」
笑いながら、ユーサクは片手を挙げながら病室のドアに手をかけ、ピタリと動きを止めた。
「あぁそや。最後に一個だけ」
「何だ?」
「あんまミサトちゃん泣かせんようにな。ほなな」
言葉の意味が分からず、僕は首を傾げる。
後ろ姿だから分からないが、恐らく、ユーサクは意地の悪い笑みを浮かべている事だろう。
[Dec-25.Mon/12:30]
「不良に絡まれたら逃げるのが常識だろうに。なぁんで立ち向かうかなぁ」
「……時津くんって、以外とアレなのね」
「ちょっと待て。アレって何だ」
次に僕の病室に訪れたのは、眞鍋 鼓と真北 昂太だった。
「これ、見舞いの花。俺が選んだんだぜ」
そう言って真北が差し出してきた花は――百合と菊だった。
「……何の嫌がらせだよ」
「いや、こっちの方が楽しいかなと思ってな」
ケラケラと笑う真北を見て、まぁコイツが見舞いに来ただけでも珍しいかも知れないと思う。隣の眞鍋を見てみると、ハァと沈痛なため息をこれ見よがしに吐いていた。
「だから言ったでしょ、コータ。時津くん、今からお花買ってくるから」
「いや、いいよコレで。真北が来ただけでもスゴい手土産な訳だし」
「……おい。俺はそこまで薄情な奴じゃないぞ?」
ムスッと、不機嫌そうな表情で真北が答える。
身長は一七〇前後、髪は茶髪で肩まで長く、前髪は五:五で分けられている。如何にも軽薄そうな印象を与える真北だが、分かっているからこそ僕と眞鍋は言ったんだ。
あんな非現実な闘いの後だったからか、三時間、親友二人が帰るまで、僕は日常を楽しんだ。
[Dec-25.Mon/15:45]
真北と眞鍋が帰って少しして、ドアが小さくカラカラと開いた。
引き戸は僅か五センチしか開いておらず、その中程に、眼があった。
綺麗な碧色の瞳を僕が見間違える事はない。ルーナだ。
「何してんだよ。さっさと入れってば」
アキラの声が聞こえたと同時、ルーナは力強く押されて病室に倒れ込みそうな勢いでなだれてきた。
「あ……」
呟き、ルーナの視線が僕――正確には、さらしのように僕の胸に巻いた包帯――に固定し、涙を浮かべて口元を両手で覆う。
「うわぁん!ゴメンねカナタァ!」
と思った矢先、ルーナが両手を広げて抱きついてきた。
僕の胸の中に。
「おがァ!ちょいルーナさんルーナさん!折れとるがなアバラ折れとるがな!!ちょっと待てマジかテメェ!?」
「ゴメンね!私のせいで、あんな事に巻き込んでホントにゴメンね!」
怪我人の悲痛の叫びもなんのその、ルーナも負けじと叫んでいる為に耳に届いていないご様子。あまつさえ、頭をぐりぐりと押し付けてくる始末。
天国と地獄の抱きつきを喰らって僕がベッドの上で身悶えていると、入り口に背中を預けているアキラが、ニヤニヤと笑いながら僕を見ている事に気付いた。
「ちょ、止めろ止めろ止めろアキラ!僕が死ぬって教えてあげて!?」
「はいはい、りょーかい」
薄ら笑みを浮かべたまま、アキラはルーナの首根っこをひっ掴み、ひょいと持ち上げる。
「落ち着けルーナ。カナタが本気で死にそうだ」
「ふ……ふぇぇええ。だって本当に悲しかったんだもん!」
「いや……だからって殺したら本末転倒だろう」
……まぁ、アキラの言い分は尤もなんだが、正直、その窘め方はどうなんだろう。いや助かったからいいんだけどね。というかルーナさん、病院ではお静かに。
「ま、全治二週間ってのは暁光だったな(安静にしてれば)。鍛えていた筋肉がそれなりに衝撃を吸収してたんだろ。良かったじゃねぇか」
「……良くないって。冬休み中ここにいろってか」
冬休みに入って四日だと言うのに、早くも入院生活になるとは。
しかも、退院予定日は一月八日となっている。翌日には新学期だ。
「……これはきっと誰かの陰謀だ」
「偶然だってば」
ケラケラと笑いながら、アキラは病室の窓を開け放つ。冬の冷気が侵入してきて、あっと言う間に暖房の力が押し負かされる。
「ちょっと待て!マジで正気か!?何してやがんだテメェは!?」
「あん?タバコ吸おうとしてんだよ。見て分かんねぇ?」
キン、チン、キン、チン、とアキラはジッポを開けたり閉めたりしながら答えた。見舞いに来て病室で速攻タバコを吸おうとは……なかなかいい度胸している。
「ッじゃねぇよ!寒いから閉めれ!」
「子供は風の子元気の子〜。問題ない」
「大有りだ!」
ハァ……とため息を吐いて諦めていると、アキラは服のあちこちをまさぐっている。
「アレ、っかしぃな。失くなったかぁ?」
「?」
僕とルーナが同時に怪訝な視線を送ると、アキラは財布から千円札を取り出した。
「悪い、ルーナ。俺がいつも吸ってるタバコ買ってきてくれ」
お札をルーナに渡しながら、アキラはもう片方の手を顔の前にやって「お願い!」のジェスチャーをする。その行動がどうしてもアキラには似合わない。
「ヤだよ」
が、ルーナは頬を膨らましそっぽを向いてこれを拒否。
「そう言うな。お釣りで好きなモン買ってきていいからさ」
「サーイェッサー!」
ビシッとアキラに敬礼したルーナは、お札を受け取りスキップ気味に病室を出ていった。
「ピースのミディアムだぞ!?第二希望はショッポでよろしく!!」
「分かったぁ!」
ルーナの返事が聞こえたと同時に、引き戸がゆっくりと閉じた。
「……で、話って何だ?」
一部始終を傍観していた僕は、アキラに訊ねる。
「何の話だ?」
「ここはとぼける所じゃないだろうに。……お前、コートの内ポケットにタバコ入れてるだろ?」
「バレたか」
たは〜と頭を軽く掻きながら、アキラはコートの内側からタバコのパッケージを取り出した。
「人の隠し武装を見破る能力は身につけているからな。そりゃ分かるさ」
「お見事」
開けっ放しだった窓を閉め、アキラはベッドに腰を下ろす。
「議題としては『俺とルーナの今後の動向』について、かな」
「……やっぱり、出て行くのか?」
「《神ノ粛正ヲ下ス使徒》とはいえ、今は高校生に擬態している。この街を出てしまえば、追ってくる可能性は低い」
「……そうか」
「地獄犬と吸血蜘蛛の闘い。あれには監視者がついていた。《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の天使の一人、魔術天使がな。だが、それでもお前の面がバレたとは考えにくい。つまり俺とルーナがこの街を出れば、お前は今まで通り平凡に暮らせる。……尤も、特殊部隊を掛け持ちしている高校生活が平凡とは言いづらいがな」
キン、チン、キン、チン、とジッポで手遊びしながら、アキラが呟く。僕は、視線を窓の外に移した。
「……いつ発つんだ?」
「さぁね、まだ不明。と言っても、早いに越した事はないだろうけど」
ギシ、とベッドが揺れたので、僕がアキラの方に振り返ると、
アキラは僕の脚部を跨ぐ様に身を乗り出して、僕の頭に手を乗せている。
「アキ、ラ……?」
次の瞬間、
力任せに、押し付ける様に僕の頭をベッドに打ちつけてきた。
「ガ……ァ」
あまりの急展開に僕の思考がついてこない。
僕の呻き声にも構わず、アキラは続けて僕の胸を押さえつけてきた。ミシミシと、アバラが軋みをあげる。
「な……に、しやがんだゴルァ!」
胸に左膝がつく程曲げ、アキラの顎を打ち上げる。
が、それを難なくかなしたアキラは、益々力を込める。
「ン……っの!」
脹ら脛でアキラの首を絞め、肘を使って上体を起こす反動を利用してベッドに押し倒す。
「急に何なんだよお前は!」
「別に。深い意味はない」
ぐるん、とアキラの身体がバク転の要領で浮き、僕の束縛を破ってベッドの上に降り立つ。
「お前はこれから、俺と同様、またはそれ以上の強さを持つ天使と戦う事になる。……その意味が分かっているのか?」
「何、だと……」
「言ってる意味が分からないか。だったら単刀直入に言ってやる」
ニヤリと笑いながら、アキラは言う。
「俺がお前の力になってやるよ、っつってんだよ」
「……はぁ?」
アキラのその言葉が理解できず、僕としては唖然とする他ない。
「鈍チンだなぁお前も。ようするに、俺も戦うって言ってんだよ」
「はぁ?だけどお前、逃げるんじゃ……」
「ルーナがどうするかは知らないが、多分俺と同じ事を言うと思うぜ。奴らにゃ、ちぃとばっかし鉄拳制裁してやりたいと思っていたしな」
ベッドに横たわり、アキラは続ける。
「そんな訳で、暫くはお前んちに厄介になるわな」
「ちょっと待て!何だそれは!?」
「言葉通りだよ。《神ノ粛正ヲ下ス使徒》を抜けて……ってかクビになって、住むトコなくて参ってたんだよ。いやぁ助かった」
「ブッ殺す!」
かくして、僕とアキラの『二度目の戦争』が幕開けした。
[Dec-25.Mon/12:50]
タバコと大量の菓子類の詰まった袋を抱き締める様に持ったルーナは、病室のドアに背中を預けて天井を見上げていた。
アキラがカナタを襲った時は流石に飛び込むつもりだったが、トントン拍子に話が進み、入るタイミングを失ってしまったのだ。
「……これからも、カナタと一緒にいられるんだ」
勿論、そこにはアキラも含まれている。
三人で一緒に、時を過ごせる。なんて幸せな事だろうか。
吸血鬼の真祖は歳を取らない不老不死だ。悠久を生きる真祖と必ず死が訪れる人間では、住む世界が違う。
だけど。
だから。
(……今は、とりあえずその問題は先延ばし、という事で)
ふっくらとした形良い唇を微笑みに変え、ルーナは勢いよく扉を引いた。
「カナタカナタ!苺抹茶味のせんべいが売ってたよ!みんなで食べよう!」
今は、この時を大切に――――。
[A happy ending]
帰り際、アキラはこんな事を言い残して行った。
「旧約の話でな。レメクとツィラという夫婦がいた。その息子のトバルカインはエデン東方、ノドの地で鍛冶屋をしていた。アダムとイヴを一代目の人類とした場合、トバルカインは七代目に相当する。
トバルカインは自分の異父兄弟……カインの子孫、つまり吸血鬼を助ける為に、神にこう言った。
『主よ。カインとレメクの息子たちを助ける事が出来る、よりよい武器を作る為の材料を与えて下さい』とな。
主は天より金属を与え、トバルカインは一振りの槍を生み出した。その槍は後に、ロンギヌスの槍(Spear Of Longinus)と呼ばれた。
……カナタ。お前がルーナと出会ったのは、もしかしたら偶然じゃなく必然だったのかもな」
何故かアキラは悲しく笑い、ルーナと共に病室を出て行った。
神殺槍。
僕は拳を握り締め、その二つ名を噛み締め、呟く。
「こんな名前なくたって、ルーナは絶対に守ってみせるさ」