世界の存在
[Dec-24.Sun/23:35]
「世界中の魔物、って……そんなにいるものなのか?」
僕はアキラに訊ねた。
魔物と言われれば、僕にはどうしてもRPGに出てくる人型モンスターが思い浮かぶのだが、その辺がどうにも理解できない。あんなのが世界中にいるのだとしたら、世界はユーマ騒ぎでパニックに陥ってしまう事だろう。
だが、アキラはタバコを吹かせながら答える。
「いるさ。吸血鬼、半獣人、鬼妖人、夢魔、擬態人、妖精。大まかに分ければ大体こんなトコだ。まぁ、イギリスでは未だにキピナペァーズやバゲーン等のホブゴブリンによる被害は相次いでいたりする」
「……嘘くせぇ」
得意げに語るアキラだが、僕にはどうにも信じられない。
って言うか、キピナペァーズやバゲーンって何?ホブゴブリンと言われても、ちゃちな鎧を着て棘棍棒を持った変な生き物しか思い浮かばないのだが、この知識が合致しているかは甚だ疑問だ。
「今この場合、種族別の数は問題じゃない。問題視すべきなのは種族内の数だ」
アキラははっきり言い放つ。
「これらの魔物は、人間なんかより遥かに高い能力を持っている。事実、人間程度じゃ下級鬼の一匹も殺せやしない。だけどカナタ――いや、神殺槍なら殺せる。何故か。それは、強力な火器があるからだ」
「それって逆に言えば、魔物が火器を持てば勝てるって話じゃないのか?」
「それはそうなんだが、魔物は科学というものを毛嫌いする傾向がある。それに、一匹二匹の魔物が武器を持ったとする。そいつを殺すとしたら、お前ならどうする?」
「……そりゃ、狙撃して殺すさ」
何とも嫌な質問だと思いつつ、僕は素直に答えた。
「そう、狙撃。頭をブチ抜かれりゃ、魔物でも余裕で死滅する。吸血鬼も例外ではない。魔物を一くくりにしても、全体的に世界人口の万分の一にも満たない。それらが武装してどっかの都市に一箇所に集結すれば、尚更やりやすいだろ?そこに大陸弾道ミサイルでも撃ち込めば一網打尽だ」
「……な〜んか話が変な方向にズレ始めてる気がするが……まぁそうだな。成る程、人より秀でても、狙撃なり爆破なりなんつー手段が人間にはあるから、魔物は勝てないのか」
「そうだ。一対一の死合いならいざ知らず、多対一では一がどんな力を持とうとも負ける事が多い。喧嘩だって、空手部の主将が相手でも三人四人集めれれば余裕で倒せる。生物である限りは、人海戦術には敵わないんだよ」
タバコをフィルタぎりぎりまで吸っている事に気付き、アキラは投げ捨て、足で踏み消した。
僕はとりあえず見なかった事にして、再びアキラに訊ねる。
「んで、また質問を戻すんだが。どうして政府に喧嘩売ったんだ?」
「知らねぇよ、そんな事」
だが、今まで通り、きっちり返ってくると思っていた答えは、思わぬ形となって返ってきた。全身の筋肉が虚脱のあまり弛緩し、ガチャリ、と狙撃銃を落としてしまった。
「な……なんだよそれ!?一番のネックじゃないか!」
気付けば僕は、力の限り叫んでいた。アキラはため息を一つ吐き、面倒臭そうに、
「って言われてもな。俺が《神ノ粛正ヲ下ス使徒》に入ったのは今から二年前。それより前に行った計画――何だっけ、《物理崩壊》だっけかな?――の事なんか知るハズないだろ!第一、俺はただの下っ端だったんだから!」
負けじとアキラも叫び返してくる。
だが僕は、アキラが《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の下っ端だという事実に心底びっくりした。あれだけの戦闘力を持ったアキラが下っ端だとすれば、それより上はもっと強いという事か。本格的に勝ち目がない気がする。
いや、位が上であればある程、戦闘能力が低下するというのはよくある話だ。
……余程に訓練を積んだ特殊な人間じゃない限りは。
そこまで考えると、アキラは僕の心情を悟ったかの様に呟く。
「因みに、奴ら一人一人は大体俺と同じぐらいかそれ以上の強さだ。一対一なら勝てる可能性も出てくるが、まぁ確証はない」
……瞬時に僕は脱力した。炭酸ジュースの炭酸が抜ける瞬間というものを自ら初めて味わった気分だ。
「だからと言って勝ち目がない訳じゃない。今のはあくまで、正攻法で挑んだ時の例えだ。実戦ではバカ正直に真正面から挑んだりはしない。それに大体、奇襲戦略なら俺よりかはお前らの方が得意だろう?」
「まぁ、色々と鍛えてはいるけどさ。正直、僕も突入の訓練はした事あるけど、それでもお前に勝てるとは思えないんだよ……」
元来、季節の変わり目には必ず風邪にかかるような病気がち少年だった僕だが、訓練を重ねてようやく人並みはずれた身体能力を手に入れたのだ。
だが戦闘の才のない僕では才能のある者――例えばユーサクやミサト――にはまるで歯が立たない。せいぜいでスミレぐらいしか勝てないだろうが、最近では努力の差が出始めてスミレにすら敵わない事もある。狙撃屋だからといって訓練を怠るのはどうかという意見もあるだろうが、僕としては文系の高校生に理科をやらせようとする様な愚かしい無駄としか思えないのだ。
役に立たない経験を積むくらいならば、自分の得意分野を伸ばす事を考えるべきではなかろうか。尤も、その結果がこうしてアキラやルーナに守られる様な不測な事態を招いているのだが。
「って僕、情けな〜……」
「いや、頑張って鍛えても、普通の鍛え方じゃあの化け物は倒せないと思うケド……」
銃を腰のベルトに挟んだルーナが、僕の隣に立って呟く。
顔色を見る限り、使い方を覚えて満足したんじゃなくひたすらの単純作業に飽きたのだろう。
「カナタ。私はこれ、返しとく。どうにもこの感覚は苦手みたい」
ルーナは言いながら、僕に銃を差し出してきた。
「……苦手って……十五世紀にはすでにゼンマイ仕掛けのホイールロック方式の銃が発明されていたと記憶してるんだが。まぁ、あまりに機構が複雑だから高価すぎて貴族が美術品として買い取っていたらしいケド。……ってドワァ!?バカ、ルーナ!略してバカルーナ、銃口を人に向けるな!」
「ふぇ?」
差し出してきた銃は撃鉄は起きているが、安全装置が掛けられていない。暴発の恐れがあるという事を、ルーナはまるで分かった様子がない。
「没収!例えお前が使いたいと言っても使わせられません!マジで危ないっつーの!」
「ふぅん……やっぱり武器って面倒くさいね」
「慣れれば役立つんだろうが、……まぁそうだな」
篭手弓を使っている癖にしれっと会話に入ってくるアキラに、僕は訊ねる。
「ってか、どうしてお前は暗器なんか使ってるんだ?素手でも十分に強いのに」
「愚問だな。お前だってそこらのチンピラよりは強いのに、銃を使ってるじゃねぇか。それと同じだ。元々、俺のコイツは対魔専用だ。銀には魔を殺す力がある、というオカルト知識ぐらいはあるだろう?ローマ帝国が銀食器を使っていた理由は装飾品という事もさることながら、最初は魔除けとして使っていたらしいしな。どういう訳か、科学的な見解は知らないが効果は抜群なんだよ」
「ふぅん……」
これだけの博識をどこから持ってきているのか知らないが、説明の度にアキラは饒舌になる。身長一九〇強、耳には無数のピアス、口にも一つのピアス、金髪は短いが襟足だけは異様に長く、端から見ればどこぞの不良だと言われても疑わない様な容姿の持ち主であるというのに、やたら頭がいい。
もしかしたらコイツは、殺戮狩人なんて物騒な二つ名とは違って、怖い奴ではないのかも知れない。
「それにしても……こんだけ待ってると言うのに、吸血蜘蛛とやらは来ないよな」
アキラの博識にもそろそろ飽きてきた僕は、呟く。
ここは山の麓の荒原で、先程の地獄犬が来た方角は街の方だった。
つまり《神ノ粛正ヲ下ス使徒》は魔物を街から放っているらしいのだが……。
「よくもまぁ、あんなデカい動物を隠蔽できるものだな」
「そう難しい事でもないさ」
シュボ、とタバコに火をつけながら答えるアキラに、僕は「また説明か、うんざりだぜ」的な視線を送る。だがアキラはこっちを見ていなかったから意味がない。
「奴らの本拠地は、烈空天使の口振りから察して地下だという事が分かった。だったら、それは恐らく下水道と繋がっていると考えてもいい。山の麓には下水道は存在しないが、どこかに隔壁の薄い面があるだろうから地獄犬にブッ壊してもらえば難なく人目に付かずに移動できる」
アキラはそう言うが、僕はある事に気が付いた。
「烈空天使って、誰?」
「《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の幹部だよ。他にも天地反転の理想の為に下っ端してる奴もいるが、実質、それらを動かしているのは十一人の生命樹の天使だ」
もっとも、一人だけ堕天しているがな、とアキラは付け加える。
「中でも烈空天使、大地天使、火焔天使、純水天使の四人は強力だ。この四大天使は《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の初期メンバーだと言われている」
「……まぁ、神殺槍なんて名乗ってる僕が言うのも何だけどさ、カルト臭いったらねぇな」
「あぁ、もう一つ言い忘れてた。俺とお前が初めて会った時の事、覚えてるか?」
「一昨日の事じゃねぇか。覚えてるさ」
アキラは足でタバコをもみ消しながら僕の答えを聞き、ニヤリと笑った。
「じゃあ、俺が『ロンギヌス?貴公は漆黒真祖の使役魔か?』って言った事、覚えてるか?」
「えっと……どうだったかな?」
普段から使っていない分、こういうとっさの思考では記憶が出てこない事が多い。
が、今回は奇跡的に、その時の情景を思い出せた。
「あぁ、言ってたな。あん時、『使役魔って何語だ?』とか思ったし」
「俺がアレを言ったのには、ちゃんと理由があるんだよ」
何がそんなに楽しいのか、ケラケラと笑うアキラ。
「アレは――」
アキラが僕の方を向いて言おうとした瞬間、
ザギィン!ザシュ!
地面に鉄を打ちつけた様な音が鳴り、その刹那には肉を引き裂く音が宵闇に響き、僕とアキラの間をルーナの華奢な身体が吹き飛んでいった。
[Dec-24.Sun/23:50]
あまりに唐突な出来事に、僕は反応できなかった。
アキラは表情こそ強ばっていたものの、瞬時にルーナが吹き飛んできた方角にめがけて篭手弓から銀の矢を放った。
すると。
暗闇の中に吸い込まれる様に、高速の軌跡を描いていた矢が、空中でピタリと動きを止める。
グジュッ、という吐き気を催す効果音と同時に。
「ようやくお出ましか……」
その言葉で、全てを理解した。敵が襲撃してきたのだ。
つまり。
今、ルーナを吹き飛ばしたのは。
この濃い闇の中に蠢く。
吸血蜘蛛。
「ルーナ!」
僕は狙撃銃のベルトを肩に掛け、倒れたままのルーナに駆け寄る。
「ッンの馬鹿!このウマシカ野郎!気を抜くな、殺られるぞ!?」
耳にアキラの叫びが聞こえると同時――。
ビヒュン!
僕の側頭部を、何かが掠めた。
「……!!」
掠めただけだと言うのに、灼ける様な激痛が走り、ルーナに駆け寄る前に僕はその場に倒れ込んでしまった。
「……なるほど、吸血蜘蛛か。吸血の蜘蛛とは、なかなか言い得て妙じゃねぇの。クソッ、何で俺は気付かなかったんだ!」
近いはずのアキラの声が遠い。もしかしたら、聴覚に異常でもあるのかも知れない。
傷口を触ってみると激痛が走った。ヌメリとした、ナマ温かい嫌な液体の感触もする。
闇の向こうにいる吸血蜘蛛とは、狙撃手の空間把握能力から推定するにおよそ四メートル弱。にも関わらず吸血蜘蛛が何らかの攻撃をして、僕はそれを喰らった。
この異様に広い間合いは、一体……?
僕は腰に下げていた自動拳銃を引き抜き、装備していたフラッシュで吸血蜘蛛を照らす。
そして、僕は背筋を凍らせた。
そこには、まさしく蜘蛛がいた。
形こそ人と変わらない筈なのに、それは『蜘蛛』と形容するほかない。
全長は四メートルはあろうか。腕は以上に長く、目測でも二メートルぐらいに見える。
「これが……吸血蜘蛛……」
人間では骨格的にまずあり得ない、まさしく異形の『蜘蛛』がそこにいた。
闇夜の筈なのに、その双眸は爛々と輝いて見えた――。
[Dec-24.Sun/23:50]
闇に溶け込んだ魔術天使は、一部始終を見つめてほくそ笑む。
吸血蜘蛛は、彼の作った魔物の中では最高傑作の一つで、その芸術品が見事に奇襲に成功したからだ。
「已然。倒せるものならば倒してみよ、カインの末裔――漆黒真祖よ」
クックックッ、と咽を鳴らして笑う。
この光景を烈空天使辺りが目撃していれば、不気味さに身を竦めていた事だろう。
いや、彼の人となりを知っている者ならば、誰でも。
「俄然。吸血蜘蛛の製造法は解釈した。これを量産できれば、天地反転にも大いに役立つ事だろう」
呟き、魔術天使は胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
今回、吸血蜘蛛を繰り出した理由は試運転だ。使い物になるのかどうか、それが知りたかっただけである。
正直な話、彼には漆黒真祖の抹殺などどうでもよかった。
自らの作品がどこまでの性能を持つのか、その目で見たかった。
勝ち負けなんてどうでもよくて、どこまで漆黒真祖を追い詰められるのか。
「見せてもらうぞ、漆黒真祖。吸血蜘蛛の礎と化せ」
その呟きを聞いた者はいない。