世界の外側
[Dec-24.Sun/23:15]
「派手に殺られちゃったねェ、君の駒たち」
クスクスと、押し殺した嘲笑い声が高層ビルの屋上に響く。声の主――大地天使を射殺さんばかりに睨みつけているのは、漆黒真祖の処刑執行を務める魔術天使だ。
前髪は額をさらけ出す程に短いが、横や後ろ髪は束ねる程に長いのが魔術天使で、前髪すらも長く、後ろで束ねている長身の男が大地天使である。
「寂然、黙れ。殺すぞ」
「あ、怒っちゃった。ごめんねぇ?」
「泰然。謝るつもりがあるのなら、その人を小馬鹿にした態度を修正せよ」
チッ、と舌打ちをした魔術天使は、視線を再び狙撃観測用のスコープに戻した。光学式の暗視スコープなので、どんな暗闇でも融通が利く。
「それはそうと……あのライフル使い、誰なのかな?どうして漆黒真祖や殺戮狩人と一緒にいるのか、かなり気になるね」
先程とは打って変わって、真面目な表情で呟く大地天使。彼の手には、赤外線関知方式の暗視双眼鏡が握られている。これもやはり暗闇に対して融通が利く。
「果然。別組織の者か?」
「どうだろう……まぁ、大した戦闘力でもないし、吸血蜘蛛でも繰り出せば充分でしょ」
「……顕然。そういえば、貴様には聞きたい事が少々ある」
観測用スコープから目を離さずに、大地天使に訊ねる魔術天使。
「俺が攻める直前に武装した奴らが車で移動しだした。……貴様の入れ知恵だろう、大地天使?」
「何の事だか分かんないなぁ」
心底から楽しそうに含み笑いを浮かべる大地天使だが、その態度はさも「何か言いました」と言っている様なものだ。
「確然。やはり貴様か。……大方、殺戮狩人にでも告げ口したのだろう?」
「まぁね」
大地天使は今度はあっさりと認めた。
相変わらず、目は前髪に隠れて見えないのだが、口元は嘲笑したままだ。一九〇センチ強の大男が浮かべる嘲笑にしては、やけに幼い印象がある。
「……組織を裏切るつもりか?」
「まっさか〜。ただ僕は、この方が君にとっても楽しいだろうなって思って、ただの親切心だよ」
「純然。もういい、失せろ。奴らの始末は俺の仕事だ」
「はいはい、仰せのままに」
わざとらしくため息を吐き、大地天使はロングコートを翻して歩きだし、ふと思い出したように魔術天使に向き直った。
「あ、そうそう、忘れてたよ。Merry Xmas」
「失せろと言った!」
魔術天使に怒鳴られ、大地天使は「つれないなぁ」と肩を竦めて階段を下りていった。
誰もいなくなった屋上に立ち尽くした魔術天使は、虚空に呟く。
「……喰えない野郎だ」
何を考えているのか、さっぱり分からない。
まさかとは思うが、ひょっとしたら、奴は《神ノ粛正ヲ下ス使徒》を裏切るかも知れない。
「……所詮は、カバラの樹に属さぬ、堕天使か」
天地創造の書『セーフェル・イェツィーラー』では、一〇の天使が世界の森羅万象を司っていると言われている。
メタトロンは第十天を。
ラツィエルは黄道十二宮を。
ザフキエルは土星を。
ザドキエルは木星を。
カマエルは火星を。
ミカエルは太陽を。
ハミエルは金星を。
ラファエルは水星を。
ガブリエルは月を。
サンダルフォンは地球を。
その中には、四大天使であるミカエル、ラファエル、ガブリエルの姿は存在するが、地を司るウリエルの存在はない。その理由は、ウリエルは一度、堕天使裁判にかけられたからという説もある。
十一の大天使が集結する《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の中で唯一の異端である大地天使。彼からは、どうにも不穏な空気を感じてならない。
「……地は即ち智。……何を企んでいる」
その魔術天使の呟きは、白い息とともに大気に溶けた。
[Dec-24.Sun/23:15]
「とりあえず、暫くは大丈夫だろう」
「そうね。追撃が来るにしても、ちょっとは休憩できそう」
「……休憩の必要があるのか、ルーナ?」
三者三様、それぞれの呟きである。
「さっきは篭手弓を使う暇もなかったからな。銀製のボルトアロー、魔物にはもってこいの代物だから、カナタのライフルよりはダメージを与えられる」
カシャッ、と篭手弓に矢を装填しながら、アキラ。さっき僕が渡した自動拳銃はズボンの腰に挟んでいる。
「ってか、お前らに聞きたい。《神ノ粛正ヲ下ス使徒》は、こんな化け物を集めてどうしようってんだ?そもそも、お前らはなんで政府にケンカふっかけたんだ?」
アキラとルーナにシングルカーラムの弾倉を投げ渡しながら、訊ねる。
すると、アキラとルーナは揃って、ばつの悪そうな表情をして押し黙った。
「何、って……言っても信じないだろうし。……なぁ?」
「う、うん。……言うべきなのかな?」
二人して、躊躇している。何故だかそれが、僕には苛立って仕方ない。
「信じないつもりだったら、僕はこの場でお前らを拘留している。信じるから言えよ」
凄んだりするのは苦手だが、僕は力の限り、二人を睨みつける。
「そこまで言うなら話すけど……」
と、アキラ。
「多分カナタ、信じないよ?」
と、ルーナ。
二人が言うには、「理由が現実味に欠けすぎているから」らしい。吸血鬼に地獄犬を目の当たりにして、現実味も何もない。
「お前は、生物の生存条件を知ってるか?」
「は?」
唐突に、アキラが真顔で訳の分からない事を切り出してきた。僕は眉をひそめる。
「何言ってんだよ……そんな事より、僕は《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の目的を――」
「それが聞きたいんなら答えろ」
「……って言われても。知らないよ、そんな事」
いきなり言われても、そんな事分かる筈がない。
「生物の生存条件。それは、絶対数・生態・環境耐性の三つだ」
三本指を立て、アキラは続ける。
ここは口を挟むべきじゃないなと判断し、僕は口を噤んだ。
「種族数という言葉がある。ライオンだろうと猿だろうと、同種以外の種族との淫姦は結ばないし子孫は産まない。それは人間も同じだろう。
だが吸血鬼というのは絶対限度数が決まっている。真祖や爵級みたいな特殊な種族はともかく、従者や異端は血を吸わなければ生きていられない。そして吸血を行い対象を殺害して新たな吸血鬼を生んでしまった場合、それからはねずみ算式に増えていく。一人が二人、四人、八人一六人、三二、六四、一二八、二五六、五一二、一〇二四。二〇日もすれば五二四二八八もの吸血鬼……それも、血に飢え肉に飢えた、とびきりの『異端』が増える訳だ。コイツらの厄介な事は誰彼構わずに喰い散らかす事だ。ひとたび《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の目から逃れて街に出てしまえば、辺りは鮮血と肉片の海と化す。相対的だろうが絶対的だろうが、こういった不測の事態を引き起こす諸悪の根元たる吸血鬼を生かしておけないという理由はそこにある。俺がルーナを追っていた時、そういう大義名分で色々と組織側に融通を利かせていた訳だがな。
っと、閑話休題。
そういった理由から、真祖や爵級というのは滅多に同族を増やそうとしない。人間社会に紛れて暮らす事が多い。
だが反面、種族の絶対数が常に停滞的な現状が続く上に異端審問官に狙われるストレスもかかり、自害する者も現れる。一般人が吸血鬼なんて好き好んでなるでもないから、余計に減少は早い。どんなに強大な、それこそ食物連鎖の頂点に立つ様な最強の存在だとしても、人海戦術には敵わず、数的に見れば人間の方が圧倒的に多い上に超強力な武器も扱う。いくら吸血鬼の真祖――不老不死と呼ばれようとも、榴弾なり火炎武器なりを喰らえば死ぬ時は死ぬ。これが、生物的な弱さの一つだ」
早口で喋り、よく分からない内に完結したアキラは心底から嬉しそうな、恍惚に染まっている。
僕としては、一から理解しようとしていていつの間にか終わっていたので、実質的には最初と最後しか聞いていない。いや、別に聞いていた間、右耳から左耳へと抜けていた訳ではない。ちゃんとしっかり聞いていた。しっかり聞いていたのだが、その言葉が保存されたか否かと言われれば、おそらく問題点はそこだろう。
とりあえず、僕は言う。
「……ナニ言ッテンノオ前?」
片言で。
「いや……さっきの銃を預かった時の説明の報復という理由はあったりなかったりする訳だが……。そんな目で見んな。俺が悪かった」
アキラは一歩身を引き、頬に冷や汗を垂らしながら言葉だけで謝ってきた。そんなにイヤな目をしていたのか、僕?
「まぁいいや。次は生態について……」
さりげに僕が凹んでいると、アキラは話を続けだした。
「ストップ!やめやめ!終了しようよ!アキラ ヒルベルド先生の次回作にご期待しますので!」
それを何とか阻止。
アキラは口をまごまごと動かし、押し黙った。以外に押しに弱いタイプなのかも知れないが、今はそんな事はどうでもよろし。
「じゃなくて!その話の意義を先に説明しろよ!訳の分からん内に長々と『アキラ先生の生物学講座』を聞かされるこっちの身にもなってみやがれチクショウめが!」
「だから吸血鬼と《神ノ粛正ヲ下ス使徒》の関係性っつうか関連性だろ?それを聞く為には、先に予備知識が必要なんだよ。絶ッ対にお前、質問してくるから」
ビシィ、と格好良く僕を指さしてくるアキラ。というか、人を指さすな。
「……で、話を(大幅に)戻すけどさ。何で《神ノ粛正ヲ下ス使徒》は吸血鬼やら地獄犬やら物騒なのを仲間に加えてる訳?何か?世界征服でも狙ってるのか?」
「世界征服ぅ?そんな小さい事じゃねえよ、奴らの目的は」
言いながら、どこからかタバコを取り出して火をつけるアキラ。
一応、この国の首都では屋外での喫煙は条令で禁止しているのだが……まぁ、《子供同盟》の中には、中学生で堂々と道端で吸ってる奴もいる訳だし、別にいいか。
「じゃあ何だよ?まさか『ケンカ売ったら面白そうだから』とかじゃねぇだろうな?」
「……俺としては、その理由とさっき俺が言った生物学に共通点をどう持たせるかが気になるんだが……忘れとこう」
深く主流煙を吸い込み、肺に入れて一〇秒保つ。ピースだというのに、大したスモーカーだ。
紫煙を吐き散らし、アキラはおもむろに呟く。
「《神ノ粛正ヲ下ス使徒》はな。吸血鬼を始め、その他の世界の魔物を救済するつもりなんだよ」
……………………………………………………………………………………………………………………、へぇ。
「熱はないか?」
「ねぇよ」
僕はアキラの額に手を伸ばそうとするが、その手を叩き落とされた。
[Dec-24.Sun/23:30]
「正直な話……俺は魔術天使じゃ漆黒真祖を殺せないと思うぞ。お前はどうなんだ?」
ベンチに座って缶コーヒーを一口飲む烈空天使は、隣に腰掛けている大地天使に訊ねる。
「魔術天使じゃあ無理だろうね。僕もそう思うよ」
言って、手にしたココアを飲む。その姿はどことなく小学生ッポイのだが、一九〇センチ強という長身の男が行うにしてはあまりに不自然で似つかわしくない。
「だけど……彼には『アレ』がある」
ニヤリ、と口元を歪めて笑う大地天使。
「吸血蜘蛛……か」
神妙に烈空天使が続ける。どこか沈痛な面持ちである。
「そう、吸血蜘蛛。地獄犬を一四匹も集めたところで、所詮はただのデカい狼に過ぎない。殺戮狩人お得意の銀製の矢なんて使わなくても、あの妙なライフル使いの308のライフル弾で殺す事が出来るしね」
「だけど、それが吸血蜘蛛に効かないとは限らないだろう。俺達でも試した事はないんだ」
「問題ないでしょ。何せアレは――」
ココアを飲み干し、空き缶を握り潰しながら、大地天使は言う。
口元に、凶悪に残忍な笑みを浮かべ。
「――吸血鬼の『異端』なんだから」
言った。
烈空天使もコーヒーを飲み干し、缶を握り潰した。スチール缶は衝撃に強い構造になっているにも拘わらず、いとも簡単にあっさりと。
「ようするにRPGゲームと同じだね。魔法使い自身は脆弱なものだけど、魔術を行使すれば強大な戦力となる。彼自身にはそれほど力はないが、それでも地獄犬や吸血蜘蛛を使うという事で、僕らは戦力として認めているだろ」
「……だな」
烈空天使は胸ポケットからタバコを取り出しながら、肯定する。
自衛隊、機動隊、警察、特殊部隊。
これらは全てあらゆる事象のプロであるが、《神ノ粛正ヲ下ス使徒》は所詮は一介の少年少女の集まりに過ぎない。天使は戦術・戦略のプロであり、それ故に戦闘・戦争のプロではない。
そしてそれを互いに補い合う為に構成されたのが、ジャンル別に徳化された十一人の天使達なのだ。
例えば、烈空天使は狙撃能力に長けているし、大地天使は策略を練る事を得意としている。他の天使も同じ様なもので、ある一部分のみが秀でている存在なのだ。
そんな中、特に数年前の爆破テロ時――天使達は《物理崩壊》と呼んでいる――では火焔天使の爆薬精製能力が大いに役に立ったのだ。
タバコを口にくわえ、烈空天使が火をつけて一口目を味わうと、隣からヌッと延びてきた手にタバコがさらわれた。説明するまでもなく、犯人は大地天使である。
一瞬、烈空天使は非難的な視線を送ったが、大地天使は気にした様子もないので(気付いてはいるんだろうが)すぐに諦めて、新たなタバコを口にくわえて火をつけた。
「あのライフル使いについては、調べておく必要はありそうだね」
そろりと大地天使が呟く。
「この銃刀法違反の国で、大々的に銃器を扱う存在と言えば政府関係ぐらいだろうしね。《聖骸槍》とかいう特殊部隊の噂も気になる」
「あぁ。対テロ組織の噂か」
烈空天使は相槌を打ち、紫煙を吐き出す。
「何でも、俺らと同世代の人間を集めて結成したって言う、アレか。《子供同盟》のデモに紛れて、動向を窺う存在だって話だが、俺らがそう簡単に捕まると本気で思ってんだろうか」
「姿を確認した者がいないってのがネックだね。探りようがない。ケドまぁ、純水天使にでも頼んでみる事にしよう」
「放っといてもいいんじゃねぇのか?そんないるかどうかも分かんない奴らなんてさ」
「烈空天使。自分で言うのもなんだが、僕は策士だよ。少しでも不確定要因があるとするなら、まずはそれを調べなければ今後の計画に差し支える。政府の持ち駒を理解出来ていない内は、こちらは迂闊に王手を掛けれない。もし向こうに強力な飛車があったらどうする?僕らは全滅だ」
思わず、烈空天使は押し黙った。大地天使の人となりを知る彼としては、こんなに神妙な様子で語る彼を見るのは初めてなのだ。
どんな窮地に立たされたとしても、そのスリルさえ楽しんでいるかの如く嘲笑っている大地天使が、ここまで真剣に語るという事は、余程の事なのだろう。
「……まぁいいケドな。俺が調べる訳でもないし。純水天使に『足がつく様なヘマはするな』っつっとけ」
「彼女なら、その心配もないと思うケドね」
んふふ〜、と大地天使は口元を歪めて嘲笑う。
視線は前髪で隠されていて、烈空天使には本当に笑っているのか、判別出来なかった。