目覚めのとき
好き。
窓越しに見える彼に小さく呟いた。もちろん彼に私の声は聞こえないが、私の聴覚が彼の声を聞き逃すことはない。
楽しそうな声に自然と頬が緩む。あぁなんて幸せなのだろう。彼の存在はこんなにも私に幸福を与えてくれる。
グランドを駆け抜ける彼が最も見やすいポイントを発見して早3ヵ月。彼を見るためだけに帰宅部な私は放課後同級生のいない教室に残っている。
「………君、本当に奏弥が好きなんだね」
「…」
「そんな顔で睨まなくても何もしないよ」
幸せを噛み締める私に冷たい声が浴びせられた。
少し長めの前髪から覗く冷たい目。それとは反対に口元に浮ぶのは柔らかな笑み。
何を考えているかよくわからない人。けれど、それをミステリアスと取ってこの人に見惚れる人がいるのはたやすく想像できる。平々凡々な私と比べるのは恐れ多いほど
この人はとてもきれいな顔をしているから。
先輩のような人に見ているだけで幸せになれる私の気持ちなんて分からない。
私のとは違う色をしたネクタイを緩めて婀娜に笑えば百発百中で女の子は墜ちる。勿論、私は高崎くん以外興味ないので墜ちないが。
私のもの言いたげな視線に気づき先輩は呆れたようにため息を吐いた。ムカつく。
この人は本当に何がしたいというのだ。
「何か聞きたいとこがあるなら言ってごらんよ」
聞きたいこと、それならたくさんある。
なんでそんなにきれいな顔をしているんだ、とか、なんで私なんかと話すんだ、とか。
そういえば今までずっと聞けなかった疑問があった。
「あの。…先輩は、」
「ん?」
「先輩はどうしてここにいるのですか?」
この2、3週間ずっと気になっていた。放課後の2年生の教室に3年生がなぜいるのか。あまりにも自然な笑みで横にいたから聞きづらくて黙っていたけど。
高校3年生はそんなに暇ではないはず。なのに、この人は2、3週間前からこの教室に来て、高崎くんを見ている私を冷めた目で見つめつつ、身のない話をふってくる。行動の意図が読めない。
「あぁ、そのこと。もう少ししたら帰るよ」
「ここにいても面白くないでしょうに」
「そんなことないよ。君と一緒にいるのは十分面白い」
私の頬をツンと長い指でつついた。「痛い」呟くと「嘘つき」と言いながらはつついた所を優しくなでられた。よく分からない。
「…ねぇ、君はさ」
「はい?なんですか」
「―――君はアイツとどうなりたいの?」
高崎くんを指差しながら首を傾げる様は絵になりそう。美術室に行って絵のモデルにでもなって来ればいいのに。関係ないことを考えて流そうとしても。「ね、どうなの?」彼は追求を緩めてはくれなかった。
――高崎くんとどうなりたいのか
恋をすれば必ず誰だって、好きな人と両想いになりたいと願う。それが叶うか叶わないか別として。
ただ私は、そう願うことすらしてはいけない。
だって、あまりにも身分不相応だ。教室で影の薄い女とみんなの中心にいる男の子。私と高崎くんの間には見えないけど、明らかな隔たりがある。
私は今の状態に満足している。私なんかが関わろうとしちゃ迷惑だ。
でも、これは本音じゃなくて。動かず見つめているのは、少しでも動いて泣きを見たくないから。弱い自分を守るため精一杯の自衛行為。
じっと私を見る先輩の目から逃れるように目を逸らした。先輩の目には私はどんな風に映っているんだろう。きっと酷く滑稽に見えている。好きだと思うだけで一つも動かない弱虫だって。
「……私はどうもなりたくはないです」
どうせ叶わないなら夢なんて見ない方がいいから
「…なんで叶わないって決めつけるの」
なんで、か。
理解しがたいという顔をした先輩に笑みが漏れた。やっぱり先輩は私とは違う。
先輩なら好きな人を絶対振り向かせられる。知り合ってから少ししか経っていないけど強い人だってことが感じ取れた。
「分かり切ったことですから」
「………君って馬鹿なの?」
突然の馬鹿宣言に口をぽかんと開けてしまった。何を言い出すんだこの人は。失礼にも程がある。綺麗だからなんでも許されると思うなよ。
不満を目で訴える私に呆れたように溜息を吐く。何か文句お有りですか。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、ここまで馬鹿だったとはね」
「それ喧嘩売っているんですか」
「……はぁ、馬鹿は馬鹿同士仲良くしてれば」
はい?よく分からない先輩の言葉に首を傾げる。
馬鹿同士って他にも仲間いるのかな。だとしたらお仲間さんも先輩にこんな酷いこと言われているのか。可哀相に。見知らぬ仲間に心の中で合掌する。
「和弥先輩!」
「ほら同士が来たよ」
「へ、え?」
仲間って、もしかしていやもしかしなくても
教室のドアを開けた声の主に予想がつき思わず逃げ出す。が、先輩に捕まる。
どこ行くのって、ここじゃないどこかですよ。
「和弥さん、用って何ですか…ってあれ?」
「奏弥、この子が話あるって」
「え、ちょ、先輩!」
私は首根っこを掴かまれ高崎くんへと押し出された。高崎くんはきらきらとまぶしい目を丸くしている。こんな間近に高崎くんを見るのは初めてでどうすればいいか分からない。
直視することができなくて視線が左右に動く。
先輩、これは新手の嫌がらせですか?
「じゃあ、俺用事あるから。」
「!」
「はい。さようなら」
普通に教室から出ようとする先輩に目で必死に助けを求める。が、一瞬ニヤっと笑って彼は出て行った。
残された私と高崎くんの間に変な空気が流れる。この沈黙どうしてくれるのだ、あの野郎。
「…えっと、話って何?」
「え。あの、その…」
困り顔の高崎くんにどうすればいいか分からない。
話って何?なんて私が聞きたい。もしかして告れと先輩は言っているの?そんな無茶ぶりにも程があるよ。
「あ〜、もしかして和弥さんが勝手に言ったの?」
言葉が出ない私に高崎くんが空気を読んでくれた。高崎くんの言葉に激しく首を縦に振る。そう!先輩が勝手に言ったんだよ!
「そ、か。そうだよな。…少し期待しちゃったじゃないか、和弥さんめ」
「へ?」
あ、と高崎くんは口を押さえた。しまったって感じ。小声で言ったみたいだけど、距離が距離だからはっきりと聞こえた。
―――期待したって・・・、私も期待してもいいのかな
それに心なしか顔が赤い気が…。さっきとは違う沈黙が流れる。
「あの、高崎くん」
「あ、あぁ」
もしかして可能性を握り潰していたのは私だったのかな。間近にいる高崎くんを見てそう思う。窓を通してじゃないそのまんまの高崎君。
「わ私、高崎くんのこと」
私はただ恋にあこがれていただけかもしれない。
ガラス越しに見える高崎君に憧れて焦がれて、夢を見て。
でも、もう夢見るのはお終いだ。
目の前の高崎君に言わなくちゃ夢から覚めるためのコトバ。
「、好きなの」
その一言が夢を覚ます鍵。
ハッピーエンドかどうかは読んだ方の想像にお任せします。