その6・冷たい意思
「……いいでしょう」
長い沈黙の後、ロックスがぽつりと言うと、エレナ嬢が頬の濡れた顔を上げた。
「ロックス様……、それでは……」
「ただし、今度こそ嘘は無しですよ。事実をお願いします」
ロックスは、ぴしゃりと言った。
「は、はい……。ロックス様」
エレナはレースのハンカチで頬を拭い、話し始めた。
「アルバート卿との婚約は6か月前です。しかし、私にはそれよりずっと以前から懇意にさせていただいているお方がいました。アーサー・グッドウィル卿です」
「アーサー卿のことは存じています。たいへん評判のよいお方ですね」
「ところが、お父様が、アルバート卿の方を気に入り、婚約を決めたのです。その時は、私もそれが家のためと信じました。しかし、その後で、アルバート卿の噂を知ってしまったのです」
「それを、御父上におっしゃったのですか?」
「ああ、あの時、もっと強くお父様に言っていれば! お父様は、噂は噂にすぎない。それより、ロス家と縁戚になるほうが良いと考えたのです」
「なるほど。それでアーサー卿はなんと?」
「私は、アーサー卿がもうお心変わりされたとしても、仕方がないと思っていました。しかし彼は、私への想いは変わらないと、おっしゃったのです」
「誠実なお方ですね」
ロックスは表情を変えずに、相槌を打った。
「ああ、私は、恥じ入るばかりです。お父様の言いつけとはいえ、一度は心変わりした私を、一言も責めることなく、あの方は想い続けてくださるのです。私はもはや、あの方の妻にはふさわしくないのかもしれません。でも、あのお方は、たとえ何があろうとも、私を想う気持ちに変わりはないとおっしゃってくださるのです」
エレナは片手で口元を押さえた。
「ロックス様、わかってくださるでしょうか? アーサー卿のお心が気高いほど、アルバート卿の心根が薄汚れて見えるのです」
「……よくわかりました。エレナ嬢。それでは、すでにアルバート卿と婚約してしまっている以上、最も良いのは、互いの合意による円満な婚約解消ではないでしょうか?」
「はい……。それくらいしか方法はありません」
「となると、一番いいのは、御父上のコールドストーン卿を説得することですね。ロス家と穏便に婚約解消するように、と。そのためには、アルバート卿の本性をお伝えする必要がありますね」
「はい。でも、そんなことが出来るでしょうか?」
「人を動かすにはですね、エレナ嬢。絶対に出来るとか出来ないとかは、言えないんですよ。五分五分の賭けだと思ってください」
「わかりました。私に出来る事なら、何なりとおっしゃってください。どんなことでも致しますわ」
「けっこう。私が御父上の説得を試みましょう。エレナ嬢、あなたが仲介してください。しかし、口実が必要ですね。そうですね……美術品の鑑定に不正の疑いがある、などいかがでしょうか?」
「いいえ、その必要はないと思います。私が頼めば、お父様はロックス様に会ってくださいます」
「ほう、そうですか?」
「お父様は、私の言うことはなんでも聞いてくださいます。婚約以外のことならですが……」
「それなら決まりですね。では、エレナ嬢。手筈をお願いします」
◆ ◆ ◆
──3日後。ロックスはコールドストーン邸を訪ねた。馬車が正門前に着き、門番に名を告げると門が開き、並木道を進む。
正面玄関に着くと、従者がドアを開けた。
ロックスが中に入ると、玄関ホールで執事がお辞儀をした。
「ゴーディ・ロックス様でいらっしゃいますね?」
ロックスはうなずき、名刺を盆の上に乗せた。
「ロックス様!」
吹き抜けの2階から、澄んだ声が響き、エレナ嬢が慌てて階段を降りてきた。
「お待ちしておりましたわ、ロックス様。ジョンソン、この方は、私がお父様の書斎までご案内します」
「し、しかし、お嬢さま……」
「お父様には、私から言っておきますから」
「お、お待ちください、お嬢さま……」
執事が慌てふためいていると、2階から厳格な声が響いた。
「かまわん、ジョンソン。エレナの好きにさせなさい」
「は、はい。承知いたしました、旦那さま」
エレナとロックスも驚いて、2階を見た。
「エレナ、その方を書斎までご案内しなさい」
「は、はい。お父様」
2人は階段を登り、エレナが書斎の前まで案内すると、ドアをノックした。
「失礼します」
2人が書斎に入ると、革と紙の匂いがした。
本で埋めつくされた本棚と美術品に囲まれたコールドストーン卿は、椅子に座ったまま、威厳に満ちた表情で振り返った。




