その5・無知な鳥
──2日後、エレナ・コールドストーン嬢は、ロックスの部屋を訪ね、報告を聞いた。
「ご依頼どおり、手紙は取り戻しました。エレナ嬢」
ロックスは、手紙をシェリーが淹れたお茶の横に置いた。
「あ……、ありがとうございます。ロックス様」
「これでもう、婚約の破棄はないでしょうね? エレナ嬢」
「は、はい。これもロックス様のおかげで……」
「私が介入しなくとも、どちらにせよ同じことでしたよ」
「と、いいますと?」
「ドーレスに起こったことは、ご存知でしょう。どのみち、やつを止める必要もなかったわけです」
「そうですね、ロックス様。まさか、こんなことになるなんて……」
「私にとっても予想外でしたよ。ところで、エレナ嬢。率直にうかがってもよろしいですか?」
「なんでしょうか」
「なぜ、わざわざ私に、偽物の手紙を盗ませたのですか?」
エレナは言葉を失った。ゆっくりとティーカップを置くと、カチャリという音が静かな部屋に響いた。
「ど、どういうことでしょうか? ロックス様」
「ドーレスの目は誤魔化せたようですが、私はそうはいきません。その手紙は偽物です」
「いいえ、これは確かに私が……」
「そうです。確かにあなたの筆跡です。しかし、この手紙は、半年前のものとおっしゃったが、最近書かれたものです」
エレナは手紙に目線を落とし、黙ってロックスの話を聞いていた。
「その手紙のインクの変色の程度と染み込み具合を見ると、半年どころか、書かれて1か月も経っていません。それに、切り口の変色から見て、1枚の紙から切り分けたのも、最近のことです」
ロックスは、エレナから送られた依頼の手紙を取りだした。
「この手紙と、取り戻した手紙の切断面を詳細に観察すると、2枚は同じ紙から分けられたものです。おそらく、同じころに2枚の手紙を書いたのでしょう」
ロックスは2枚の手紙をテーブルに並べた。
「ドーレスに依頼をしたのも、あなたですね? エレナ嬢」
「……はい、ロックスさん」
「ドーレスのやつが私の依頼主を知ったら、驚いたでしょうね。もっとも、それは私も同じですが」
「…………」
「となると、貴女は、わざわざご自分のスキャンダルの手紙を書き、そしてそれをドーレスのような男に渡し、さらに私に取り戻させたと。いったい、どうしてですか?」
エレナは無言のままだった。
「ま、いいでしょう。ともかく、依頼は履行しました」
ロックスは、立ち上がるとドアに向かった。
「それではごきげんよう。エレナ・コールドストーン嬢」
ロックスがドアを開けると、廊下から入る冷気を感じた。
「あ、あのロックス様……。依頼をお願いできませんでしょうか……」
エレナ嬢は、立ち上がってロックスにすがるような視線を向けた。
「いったい、どんな依頼ですか? まさか、ドーレスへの依頼の肩代わりではないでしょうね?」
「そ、それは……」
「どうやら、エレナ嬢。説明が必要なようですね」
ロックスはドアを閉め、椅子に戻った。
「あなたの私への依頼の内容には、嘘がありました。そのために、私はちょっとしたピンチになりました」
エレナは何かを言いかけたが、ロックスに促されるままに椅子に座った。
「我々の世界では、依頼は全力で遂行します。失敗は、信用にかかわるからです。しかし、貴女は、虚偽の依頼をしました。お分かりですね? この意味が」
ロックスは背もたれに寄りかかり、両手を頭の後ろで組んだ。
「そういうわけです。貴女の依頼をお受けすることはできません」
ロックスが椅子ごと横を向くと、エレナ嬢は、両手で顔を覆って泣き崩れた。それでも、ロックスは目をそらしたままだった。
「私の婚約相手のことをご存知ですか……?」
「アルバート・ロス卿のことですね? 存じています」
「私……、あのお方と結婚したくありません」
エレナの言葉を聞いても、ロックスの表情に変化はなかった。
「なるほど。そういうことですか。卿が放蕩息子だということは聞いております」
「はい……きっと彼はコールドストーン家の財産を狙っているんです。なにより、彼は……」
エレナはためらうように言葉を切った。
「彼は、女性をまるで道具のように扱うのです。使用人から貴族まで、いったい何人の女性が被害に遭っているか……。ああ、このような言葉を使うのをお許しください。彼は、けだもののような男なのです」
「それも存じております。エレナ嬢」
「ご存じだったのですね。私が依頼する前から……?」
「はい。しかし、貴族の事情に、私が口を挟むことはできませんからね。となると、お父上のコールドストーン卿は、アルバート卿のことをご存知ないのですね?」
「はい。アルバート卿はただの獣ではありません。狡猾な獣です。表向きは、立派な貴族で通っています」
「つまり、あなたは恋文を書き。ドーレスを使ってアルバート卿に手紙を渡し、婚約を破棄させようとしたのですね?」
エレナが無言のままうなずくと、ロックスは彼女に向き直った。
「エレナ嬢、それで本当に上手くいくとお思いでしたか? 婚約が破棄になったとしても、コールドストーン家にとっての不名誉には違いありませんよ?」
「承知しています、ロックス様。でも、あの時は、私は必死だったのです。どんな手を使ってでも、あの男と結婚したくなかったのです」
ロックスは軽くため息をつき、黙って聞いていた。
「嘘をついていたことは、本当に申し訳ありません、ロックス様。でも、私には、どうしていいか分からないのです」
エレナは口を手で覆った。両眼からは涙がとめどなく流れ落ちている。
「せ、先生……」
シェリーが目で訴えた。
「先生、このままでは、エレナ様がお可哀そうです」
ロックスは、無言のまま肘掛け椅子の背もたれに寄りかかり、両手を頭の後ろで組んだ。
──長い沈黙が流れた。部屋の置時計の音だけが時を刻んでいた。




