ガルドの気持ち
ガルドは最終の巡回を終えて、砦の商店が並ぶ道をゆっくり歩いていた。
少し入り組んだ道を入ると一つの落ち着いた店が現れる。扉を開けるとチリン…と小さくベルの音が鳴る。
「おや若様、いらっしゃいませ。お探しのものがおありで?」
「いや、ただ呑みに来た」
「そうですか。どうぞこちらへ」
きっちりと白いシャツとベストを着こなす、40代の髭の生えた店員がにこやかに声をかける。
バーテンダーの背後にある棚には、酒の瓶がずらりと並ぶ。
ここはどんな情報も集まる、辺境伯家が営むカウンターバーだった。
「あれ〜ガルド、今日は忙しかったんじゃないの?」
「なんでマークがいるんだ?」
「ひかりちゃんの店の進捗確認よ。砦に来るとアイザックんとこの肉料理と、ここの酒が呑みたくなんのよね」
マークはへらっと笑いながら、グラスを持ち上げる。マスターにガルドの分の新しい酒を頼む。
「なにかあったか?」
マークはほろ酔いの顔で笑いかけた。
ガルドの表情がどこか、影を落としている。
コイツは一人で抱え込みやすいからなあ。
苦笑しながら、話し始めるのを待つ。
マスターが琥珀色の酒が入ったグラスをガルドの前に置いた。
「お待たせしました」
「ああ、ありがとう」
ガルドは、力なくグラスを持ち上げ酒を口にする。
グラスの中の氷がカランと小さく響いた。
「ーー平民にとって、やはり辺境伯夫人の座は重圧だよな」
ガルドが目を伏せてポツリと話す言葉は、沈んでいた。
「……まあなあ。夫人として色々学ぶことが多いよな。ひかりちゃんには難しそうなのか?」
「いや、ひかりはすぐに理解出来るだろう。ただ、貴族として耐えられるか…」
「ああ、そっちね」
マークは、グラスに口を付けて軽く呑む。
辺境伯は特殊だ。戦に特化しているし、外交も担う。
当主は囲うように溺愛するので、社交はほとんど当主が寄り添っているが、やはり貴族としての矜持は必要だ。
いざという時、貴族として判断を迫られる時もあるだろう。
マークは商会の会長をやっている為に、平民とも関わりが深い。そこらの街娘に高位貴族の矜持を持たせられるかと言ったら、答えは否だ。
「逃げられそうなのか?」
「……逃がしてあげられない…」
ガルドは、苦しそうに息を吐く。
「先に外堀を埋めるなんて、馬鹿なことをした。ひかりは、貴族として生きようと必死になるだろう。どれほどの重圧がかかるか、わかってなかった……」
生まれた時から辺境伯筆頭の嫡男のガルド。騎士団で貴族も平民も関係ないと言っているが、生まれの違いはやはりどうしても出てしまう。
団員のカーティスは、護衛対象の貴族の平民に対する考えに辟易して、隊長格に上がる事へ背を向けた。
ーーー騎士団のトップを狙える実力を持っているのに。
階級に苦しめられる平民は多い。
ひかりには、逃げ道すら与えなかった。
守ればいいと貴族の傲慢さが出ていたことに、今更気付いた。
ーーーー「ありがとう。ガルド」
あれは、ひかりからの精一杯の返事だった。
当主夫人という責任を理解しているからこそ、簡単には応えない。
なんてことをしてしまったんだろう。
王家にひかりを取られるなんて嫌だった。知識が目的の人間となんて幸せになれるはずがないと決めつけた。
幸せなんて、いろんな形があるのに。
貴族の重圧に苦しまない人生も選べたんだ。
結ばれる未来に浮かれて、好きだと何度も言っていた。
現実が見えていなかった。ひかりの方が気付いていた。
ーーーー愛だけじゃ、共に生けていけない。
それでも……それでもやっぱり離せない……
ひかりが好きなんだ。




