母の温もり
「あの…伴侶って…」
ひかりはドクドクと心臓が鳴る。嫌な予感がした。
なぜガルドの母親が来たのか、少し考えればわかることだ。
さっき言ってたではないか。
「ひかり嬢は次期辺境伯家の春だと、ガルドが宣言したとアルから聞いたわ。それは事実かしら?」
ヘスティアは、ひかりに優しく問いながらも真実を見逃さないように見つめていた。
本来、王家や辺境伯家へ先触れもなしに宣言するのはあり得ない。
何より、辺境伯夫人のエリンシアが知らないこと自体おかしなことだった。
「ごめんなさいね。言いづらいことだと思うのだけ
ど、ひかりちゃんの気持ちを聞かせてほしいの。
うちの家系はね、伴侶への愛が強すぎるのよ。
だから求められた側が無理をしていないか、一番に確認をすると決めてあるの。
受け入れるか、断るか、どちらでも選べるわ」
エリンシアとヘスティアは、ひかりの身を案じていた。
ーーー心配してくれているのに、私はどちらも答えられない
ひかりは唇を引き締め、強く目を瞑って俯いた。
「申し訳ありません…私は、ガルドの気持ちに答えていません」
「え?」
「…では、やはりガルドが勝手に?」
エリンシアとヘスティアは驚いていた。
ひかりは二人の顔が見れなかった。
「…私は、貴族の世界が全くわかってなかったんです。だから辺境伯家後見で店を出してくれるのも、ただ異世界人の私を守る為だと思っていました。
自分が伴侶になるなんて考えてもいなかったんです。
浅はかでした。本当に申し訳ありません」
ひかりは深々と頭を下げた。
今、自分に伴侶の資格があるなんて思えなかった。
エリンシアは、優しくひかりに声をかけた。
「ひかりちゃん、頭を上げてちょうだい。
大丈夫よ、気にしないでいいわ。
辺境伯後見は、異世界人を守るのに最適なのよ?
きっと伴侶関係なくガルドはそうしたわ。
それとこれとは切り離してね。…ガルドのお嫁さんになるのは考えられない?」
優しく話してくれるエリンシアに、ひかりは頭を下げたまま答えた。
「………今は、無理だと思っています。私の育った国には貴族が…階級が無いんです。
ほとんどの国民が平民です。生きる考えが違いすぎます。
このままでは上手くいきません。貴族を理解出来なかったら…辺境伯家にご迷惑をおかけします」
ヘスティアは、ひかりの聡明さに驚いていた。
平民で貴族を全く知らないのに、ここまで考えることの出来る世界。教養の素地がこの国とは格が違う。
エリンシアも気付いていた。
この二人は一方通行の関係ではない。
ひかりは、いずれ辺境伯家当主になるガルドを想って言っている。
ただ「貴族が無理」なのでは無い。
当主夫人として立ち振る舞えないなら、なってはいけないと理解しているーーー
部屋の中は静まり返っていた。
ひかりの手は、カタカタと震えていた。
ーーー怖い。逃げたい。
責任の重さが嫌というほど感じられる。
「私は…知識を渡せません。この国で、異世界人としても価値があるとは思っていません。だから、貴族とはどういうものか学ばない限り、答えられません」
泣くな。泣くな。
ひかりは目が潤むのを必死に止めようと、自分を叱咤した。
事実を話せば話すほど、見える答えは決まっている。
なんて馬鹿だったんだ。
今のまま、もう少しだけガルドの側で甘えていたいなんて望んでいた。もうそんな時間なかった。
すぐに始めなければいけなかったんだ。
今ここで全てが終わるかもしれない恐怖に、ひかりはのまれそうになっていた。
ヘスティアは、そんなひかりを痛ましそうに見ていた。
「…ひかり嬢、陛下と王子は確かにあなたの知識を望みました。でも、私は違います。
異世界人の知識は「守るもの」と思っています。あなたの中にあるままで良いのです。
私が一番恐れているのは、他国への知識の流失。国を破滅するほどの力が流れること。
あなたはこの国の民。
幸せに暮らせるようにすることが王族の務めなのです。
価値など、気にしなくて良いのですよ」
「貴族の矜持は確かに必要よ。
でもね、辺境伯家ではそれよりも大事なのは、相思相愛でいるかなの。
ひかりちゃんはガルドの将来を考えて、踏みとどまっているのね?
ならば、ゆっくり学びましょう。無理をしなくて良いわ。
あなたにはちゃんと選ぶ権利があるの。
ガルドが暴走しただけよ。ごめんなさいね」
エリンシアはひかりの思い詰めた言葉に、どれだけガルドのことを考えたのか理解し、気の毒に思った。
異世界人ゆえに誰にも助けを求められず、ずっと一人で考えていたのね…。
二人の思いやりのこもった言葉に、涙をこれ以上我慢することが出来なかった。頭を下げたまま、ぽたりと手の甲に涙が落ちた。
エリンシアはひかりの側に来て、優しく抱きしめた。
「怖かったわね。もう大丈夫よ」
「私たちがあなたを守るわ」
「…うっ。ううっ」
一人で必死に立とうとしていた。
でも、あまりにも大きな壁で壊れる寸前だった。
二人の温かさにホッとして、涙が止まらなかった。




