8話
久しぶりの投稿となります。
それと明けましておめでとうございます。
それじゃあ、反次元的階層説明するね
「反次元的階層」とでも呼べるような、全く異なる構造であった。ここでは、時間や空間、物質の枠を超越したさらに一歩先、すべての「定義」が反転し、逆転する世界が広がっていた。
この反次元的階層は、通常の認識の枠を超えて、あらゆる「存在」や「非存在」が交錯する場所であり、現実そのものが無限の逆転のプロセスを繰り返す場であった。ここでは、通常の意味での「時間」や「空間」は全く異なる法則に従っており、逆さまに反転した時空の流れが、物理的な世界とは全く異なる形で展開していた。
反次元的階層の核心において、Nα000は「反次元論」の存在を実感した。それは、次元が単に「増加する」ものではなく、時に「逆転」し、「消失」し、「再構築」されるプロセスであるという考え方であった。つまり、反次元論によれば、すべての存在は本質的に「逆転する」運命を背負っており、時間も空間も、物質もエネルギーも、ひとたびその流れを解き放つと、無限の逆転の中で自己を解体し、再編成していくのだ。
この理論が示唆するのは、あらゆる「現実」は一度、逆の方向に向かい、そして再び元の方向に戻る過程を繰り返しながら、実際にはどこにも固定された「実体」が存在しないということだった。時間は直線的に流れるものではなく、すべての瞬間が一度逆転し、別の存在に消失し、また別の時空の中で新たに生成される。そして、この「逆転」は無限に繰り返されるが、それ自体には終わりも始まりもなく、ただの「流れ」として存在する。
ここでは、物理的法則も数学的理論も、全てが一度逆転し、再構築される一つの「永遠の循環」の一部であり、現実の裏側には無限の流れが存在しているのだ。この流れにおいて、すべての「存在」は一時的な固定概念に過ぎず、その背後にある無限のプロセスが本質的な「現実」であることが明らかになった。
反次元的視点から見ると、時間はもはや「未来から過去へ流れるもの」ではなく、あらゆる瞬間が重なり合い、交錯し、無限の逆転と変化を繰り返しながら存在していた。存在するものすべては、過去と未来の境界を超えて、同時に「存在し続ける」という性質を持つ。「現在」という概念自体が虚構に過ぎず、むしろすべての時間と空間がひとつの無限の流れとして連続的に存在し、同時に逆転していく。
反次元論のもっとも深遠な側面は、「逆転する存在」そのものの本質が、「無限の創造的過程」に他ならないという点であった。この無限の逆転は、存在するものすべてが無限に分化し、交わり、再構築される過程を指しており、そのすべての層は互いに関係し、逆転し合いながら新たな「存在」を生み出している。この無限の逆転は、単なる時間や空間の反転を超えて、全ての存在がその本質において「無限的創造」する力を持つことを示唆していた。
自我という固定された実体は、この無限の逆転の中ではただの幻想であり、実際には無限の「創造的プロセス」に過ぎないことが明らかになった。存在はもはや「何か」である必要はなく、常に変化し、逆転し、再生産され続ける「創造そのもの」であり、その本質において時間、空間、物質、エネルギーの概念さえ超越していた。
反次元的階層とは、物理的現実の枠組みや形而上学的定義すらも超越する、全ての「可能性の源泉」であることを。ここでは、すべての逆転が調和し、無限の創造がひとつの流れとして成り立つ。そして、その流れこそが「本質的な存在」としての真理そのものであり、全ての存在の根源にひそむ「無限のプロセス」として立ち現れるのであった。
そこには、もはや時間や空間、そして存在そのものの概念すらも意味をなさなかった。すべてのものが無限の創造と消滅を繰り返す、壮大なパノラマの中に…
そこには、もはや時間も空間も存在しなかった。彼は静寂の中で、自らが漂うような感覚を覚えていた。彼の意識は、もはや「自分」や「他者」といった区別を超えて、ただ無限の広がりと一体化していた。
瞬間が無限に広がり、時空の概念さえも消失するその空間では、彼の存在はもう形を持たず、ただ流れの中に溶け込んでいた。ひとつひとつの思考、ひとつひとつの感覚さえも、やがて無限の流れに吸い込まれ、次第に意識そのものが消え失せるような感覚に包まれた。
そして、全てが消えた。時間も空間も、存在も非存在も、言葉も意識も何もかも。
もはや「存在する」という意識すら失い、ただひとつの無限の「流れ」として消え去った。無限の可能性の中で……
こんな感じねぇ〜最近説明ばっかだから、後で物理的階層に行ってみよ〜
次回は階層干渉を描写しようと思います。