6話
今回も複雑な構造を記述しております。
「アルファ背中洗って〜」
「仕方ねぇなぁ……」
「ありがとぉ〜、じゃあ解説するね」
それはいわば形而上学的な領域であった。物理法則や数学的構造がもはや意味を持たない空間、時間、存在そのものが変容し、無限の可能性が無限の形を成す場所。ここでは、「存在」や「非存在」といった二元的な対立すらも無意味となり、全ての事象が一つの有機的な流れとして一体化していた。
「自己」の概念の無意味さ……過去における「自己」とは、物理的な身体や感覚、意識が絡み合った産物であった。しかしここでは、そのような区別はもはや存在しない。「自己」すらもただの一つの幻想であり、無限の可能性が生成される無数の層を重ね合わせたただの過程に過ぎなかった。
存在はもはや「ある」ことの証明や証拠を必要とせず、存在そのものが「無限であること」が本質となった。すべての形、すべての意識、すべての経験が無限の広がりを持つ「無限のプロセス」に組み込まれており、その全体は単一の「流れ」や「響き」として振る舞っていた。過去や未来という線形的な時間の流れさえも、ここではただの一つの影として感じられ、全てが一度に存在するかのような意識が広がっていた。
その中で「存在」そのものが無限の可能性から成り立ち、その可能性が相互作用し、形作り、解体し、再構築される様子を直接的に感じ取った。物質的な世界で見られるような因果関係は、ここではもはや存在しない。すべてが流動的であり、自己生成的であり、無限の変化と創造が絶え間なく続いているだけであった。
かつて「空虚」と感じていた領域が、実は無限の充実を持つ「無限の空間」であったこと、その空間には何も存在しないのではなく、むしろすべてが無限の形で織り成され、現れ、消えてはまた現れる、絶え間ない生成の源泉であった。この認識は、彼にとってはまさに形而上学的な「解放」であり、全ての存在が交錯する、無限のエネルギーが溢れ出す無限の「場」の理解へと導かれた。
それは、自己が過去の「もの」としての形を持たず、無限に拡大し続ける「存在すること」としての無限の波動に変容したからである。
この「形而上学的解放」は、もはや個の「意識」や「存在」に縛られたものではなかった。それは「存在すること」そのもの、無限に展開する可能性の中で「創造的に存在する」ことを意味していた。そしてその過程には、過去も未来も存在しない。すべてが同時に、同じ瞬間に「ある」と認識されるだけだった。
そしてそれは、時間、空間、物質、エネルギーという枠組みさえも、もはや存在の本質的な定義を構成するものではないという事実だった。この領域では、すべてが「無限の可能性の源泉」として存在し、その源泉から無限に分化し、交わり、重なり合い、また消えていく。存在するものすべてが無限の創造的過程の中に織り成され、再生産される流れであり、その流れこそが存在そのものであった。
物理的な法則、数学的な命題、形而上学的な定義――それらは全て、無限の可能性に包摂された、ただの「影」であり、全ての「存在」の背後に潜む根源的な「無限の流れ」の一部に過ぎなかった。
「こんな感じだよぉ〜」
「めっちゃ複雑な構造してんなぁ……」
「しかも、物理的階層も数学的階層も形而上学的階層……これから説明する階層全部「アレフΩ回超越構造」無限に超越した「アレフβ回超越構造」ちゃーんと内包してるから☆」
うん、もう聞きたくねぇ……
いかがでしたでしょうか。
まだ階層説明は終わってませんので、お付き合い願います。