第38話 ロイドの狂気
身動きのとれなくなったクリスに向かって、ロイドは言う。
「嫌だと言うのならそれでも構わんよ。ただし、それなら今すぐ死んでもらうことになるかもな」
「くっ……」
そう脅されてしまっては、これ以上暴れることもできない。結局、ミラベル共々部屋の外に連れ出され、ロイドの目の前に座らされる。
「ようやく大人しくなったか。さて、まずはどちらに飲ませるかな」
ロイドは二人を交互に見ながら、楽しそうに言う。ホムラを飲んだ二人がどう壊れていくのか、想像しているのかもしれない。
それを見て、思わず体が震えた。
麻薬に手を出した者がどうなるかなんて、クリスもよく知っている。自分もそうなってしまうかと思うと、怖くてたまらない。
だが下手に抵抗しても、殺されて終わりだ。悔しさと歯痒さが、胸の中に広がっていく。
その時、今までずっと黙っていたミラベルが口を開いた。
「ねえ、私にしてよ」
この言葉に、ロイドも興味を引かれたように彼女を見る。
「ほう。自分から希望するか」
「だって、それを飲めば気持ちよくなれるんでしょ。どうせ死ぬなら、少しは楽しい思いをしたいじゃない」
相変わらず気だるそうに、そんなことを言う。
思えば彼女は、最初からこの状況に絶望し、諦めているようだった。ホムラを飲めば、そんな不安から少しでも解放される。そう思ったとしても不思議じゃない。
だがクリスは、そんなことを認めるわけにはいかなかった。
例え相手が誰であっても、目の前で誰かが不幸になるのを見過ごすなんてできなかった。
「ミラベルさん、ダメです！」
必死になって声を上げる。だが、それが限界だ。
体を動かそうにも、男達にしっかりと押さえつけられ、立ち上がることもできない。
そうして何もできないでいる間に、ロイドは無情な決定を下す。
「ならば望み通りにしてやろう。遠慮なく飲むがいい」
そう言って、ミラベルにホムラの入った小瓶を差し出す。
「待って！ ホムラって、とても貴重なものなんでしょ。こんなことに使っていいの!?」
ロイドが少しでも躊躇ってくれたらと思い、必死で叫ぶ。だがロイドは、それを聞いても笑うだけだ。
「ホムラなどこれからいくらでも手に入る。それよりも、見てみたいのだよ。ヒューゴを産んだこの女が壊れるところをな」
「なっ……!?」
笑いながら言うロイドを見て、クリスはこれまでにない恐怖を感じた。
同時に、この男はどこか狂っていると感じた。
「元々ヒューゴなど、こんな女から生まれ落ちた卑しい身だ。それが、アスター家当主の候補だと。そんなもの許せるはずがないだろう。自分がどれだけ下賎な存在か、いつか思い知らせてやりたかった。そのために、この女ほど役立つ奴は他にいまい。ある意味では、私もまた奴の無事を祈っているよ。自分を捨てた母親の成れの果てを、ヒューゴに見せてやりたいからな」
「──っ！ あなたという人は！」
ロイドがヒューゴを嫌っているというのは知っていた。しかしまさか、ここまでの狂気を孕んでいるとは思わなかった。
彼は、ミラベルを交渉材料として拐ってきたと言っていた。
だが実際には、そこに合理的な損得や計算などなかったのかもしれない。その心にあるのは、ヒューゴを苦しめたいという憎悪だ。
ロイドがどうしてこんな風になってしまったかはわからない。当主の座を争う対抗意識から、歪んでしまったのかもしれない。だがそれにしたって、明らかにまともじゃない。
「ミラベルさん。飲んじゃダメ！」
このまま、黙って見ていることしかできないのが悔しかった。できることなら、力ずくで止めたかった。
だがそんな思いも虚しく、ミラベルは小瓶を受け取り、恐る恐るといった様子で蓋を開ける。
しかしそこで、急に動きが止まった。
あとは口をつけるだけ。そこまで来て、まるで石になったように固まってしまう。
「どうした。飲まないのか？」
ロイドに促され、ミラベルの肩がビクリと震える。
怖いのだ。いくら全てを諦めたような態度をとっていても、どうせ死ぬんだと本気で思っていたとしても、自分が壊れてしまうことに、恐怖を感じないわけがない。
ならば、なおさら止めてやりたかった。
だがどれだけ強く思っても、それだけでは何も変えられない。
しかし、その時だった。
通路のはるか向こう側から、何やら大きな声が聞こえてきた。
「だからよ、ちょっくら上がって調べさせてほしいんだって！ やましいことがないなら、別にかまわねーだろうがよ！」
突如聞こえてきたその声に、その場にいた誰もが怪訝な顔をする。
よほど声が大きいのか、これだけ聞こえてきているのに、かなり距離は遠そうだ。当然、声の主の姿などまるで見えない。
だがクリスは、それが誰であるかすぐにわかった。
（キーロンさんだ！）
聞き間違えるはずがない。
キーロン＝スターキー。警備隊の同僚として共に働き、何度も一緒に戦った戦友の声だ。
