子宮筋腫摘出手術を受けました
女性特有の病気の話なので、苦手な方は回れ右してくださいね。
2024年8月9日に子宮筋腫と子宮全摘手術を受けました。
正直、手術室に入るのは初めてではないくらい昔から病弱で入院生活もあったのですが、全身麻酔での手術は初めてでした。
医者や病院と相性が悪くて何度も挫折しそうになりましたが、今考えれば闘病二年、発覚から10か月のオペでした。
最初から全摘希望だったので、レルミナという子宮への血液の流れを強制的に止めるお薬を最初から利用して治療が行われました。このレルミナ、先生からまともな説明も受けず投与され(血を止めるよく効く薬程度の説明)後から知りましたが「強制的に体を閉経に持っていき女性ホルモンを調整するホルモン剤」というやべーお薬で、体の負担などなど考えると半年しか使えません。
本来は。
最初に受診した田舎のレディースクリニックの先生の楽観的観測により、ろくに薬の説明も受けずに投与されました。
・全摘するなら血を止める薬でいいお薬があるので使います
・半年しか使えないので半年以内に手術しましょう
くらいの説明でした。
なぜ急いだかというと、筋腫による出血で一年以上血が出ている状態だったことにより、ヘモグロビン値が8まで落ち込んでいたからです。(成人女性は正常値12、8は生活が辛いレベルだそうです)
しかし、この時の私は自分がどれだけやばい状況なのか全く分かっていませんでした。
会社の健康診断でヘモグロビン値6.5をたたき出した過去を持っていたからです(健康診断DかE判定だった気が……)。その時は鉄剤服用し、約2年で13まで復活しましたが、その時の貧血症状は「座っていても目の前に白血球が飛ぶ」「電車通勤していたら吐き気でしばらく立ち上がれなくなる」「常に頭がぼーっとする」などです。
これで会社員でバリバリ働いていたのだから、今考えたら本当に社畜でした。
その話は置いておいて。
そんな悪い時を知っている私は、貧血そんなにひどくないじゃーん!くらいの感覚でした。血液が出続けることに慣れてしまっていたんです。
しかも血液が大量に出るのは更年期だと思っていて、子宮筋腫を疑うことなんて一度もありませんでした。そう考えると、急に血液量が多くなった時期まで逆算すると8年以上は子宮筋腫があったのかもしれません。その時は生理の血液量がいままでより多くなったなーくらいだったので気付きませんでした。怖いですね。
筋腫を疑ったのは、強いストレスを受けたある日。
こぶし大の血の塊が3~4枚膣から落ちたときでした。
あきらかに今までと違う出血量、これはやばいと思いました。今考えれば当たり前ですね、腫瘍が落ちてきていたんですから。
でも、私はその時ですら、いつもの生理の酷いバージョンだと思っただけで、貧血で意識もうろうとしながらもちょっとした事件現場くらい出た血を自分で片付け、翌日ごみの日でよかったくらいにしか思っていませんでした。しかし、カメラに収めるよりも片付けるが先に来てしまい、記録に残しておかなかったのはやはり頭が朦朧としていたのでしょう。
その後、血を失いすぎて少し気絶しました。
今思えば片付けまでしっかりやれたのは、脳裏に「これはやばい」の文字が浮かんでいたからかもしれません。それくらい、本当にすごい血液量でした。
そんなことが数回続き、さすがに何かがおかしいとレディースクリニックの門をたたきました。
検査の結果、私は全然更年期ではなかったこと(まだまだ子供産めるよーだそうです)、5.5センチの子宮筋腫があることがわかりました。
子どもが昔から苦手だったので産婦人科ではないクリニックを探すのには田舎では結構苦労したというのにその病院では手術ができず、紹介先の病院が産婦人科で子どもの声が聞こえるとのことで、私は先生に婦人科病棟だけの病院を紹介してくださいと頼み込みました。
しかし、提携先以外はダメだから自分で探せと言われ、ここからが大変でした。
・薬が使えるのは半年だけ
・すでに治療は始まっていて血液を完全に止めるまでに三か月かかったので残り三カ月しかない
・三か月以内に手術できる婦人科病棟だけがあるクリニック探しを〝自力〟で
無理です。私には婦人科の知識がありません。
でも先生はどんなにお願いしても一切答えてくれなかったので(むしろ厄介な患者扱いで邪険にされる)、自分で片っ端から電話して聞き、なんとか婦人科と産科が分かれた病棟のある病院をみつけ、転院しました。
総合病院で、近隣の県の中でもかなり大きな病院です。
そこでも担当医と反りが合わないとかいろいろ問題があったのですが、なによりも大きな問題は「三か月以内に執刀できない」ということ。
大きな病院なので、すでに半年先しか手術できる日が開いておらず、しかしレルミナは手術するなら必須だとのことで継続することに。
説明としては「骨粗しょう症になる可能性はあるけど数か月ではならないから大丈夫でしょう」というものでした。でも、副作用は後述しますが骨粗しょう症だけではなかったんです。
ここで、少しレルミナの価格について触れておきます。今のところ後発薬はなく、1粒約800円くらいします。(の、三割負担で約240円)
高すぎる!
私は冒頭でも述べた通り病弱で、すでに毎月の病院代は1万円を超えていたので、レルミナを服用することで合わせて病院・薬代を合わせると、毎月約2万円近い出費になりました。
しかも病院は県外なので、別途交通費がかかってきます。
そしてレルミナを長く続けることで予想外の出来事が起きます。なんと、使用半年を過ぎてレルミナの副作用が強く出始めました。
前述したとおり、レルミナは無理やり女性ホルモンを止めて血液を止めるお薬で、半年以上続けて服用している私の体に疑似更年期障害を起こしました。
体は鬱状態で何も考えられず、体は動かず、働きたいのに働けません。しかも、大好きな小説すら書けなくなり(連載はまず無理で書けて短編)動けなくなる日が続きました。
曜日感覚だけはあるものの日付の感覚がなく、アッという間に8か月の時が経過しました。本当に日々がアッという間に過ぎたので、今が何月かも分からないくらいでした。
しかし手術日の日程合わせが難航し、なかなか手術日は決まりません。
近くにきょうだいもおらず、親戚との交流も浅い私には立会いをしてもらえる人間がいませんでした。
姉に頼むと、時期的に仕事を長期で休むのが無理と言われ、仕方なく手術日は夏のお盆の時期となったのです。
働けないのにお金だけは無くなっていく、地獄の日々はもうそれはそれはひどい有様でした。
私の場合は高齢の母の面倒を見ながら自分の体に都合をつける。結婚はしていないので、頼れる相棒もいません。何から何まで八方ふさがりでした。
生活はかつかつ、まともに頭が働かない、動かない体で仕事に行けば今までの働きを知っている上司から結構ののしられました。出来ていないと言われるのが本当に苦痛で、大好きな職場だったのに転職も考えました。
どれだけ苦しいかなんてきっと男性には伝わらないのでしょうけど、本当にキツかったです。
事件はこれで終わりません。
血は止まっていますが、私の場合長く服用した結果「変な液」がレルミナ服用半年を過ぎたころから出始めました。
おりものというより、けがをした時の「血小板」のような黄色い液体で、量がどんどん増えていきました。レルミナ服用後9カ月頃になると、夜用ナプキン1枚が数時間でずっくりになるくらいには出ていました。
男性医師に何度言っても通じず、自分で色々調べても何も出てきませんでした。ただ、調べた記述の中に「子宮の中がただれてしまう」といったような記述を見つけることができたので、主治医を女性医師に変えて同じように訴えたところ「ああ、腫瘍への血を止めているので腐ってきてそう言った液体が出ていることはあり得ますね」とのことでした。
そして女性医師の診断を受けた数日後、一気に腫瘍が決壊しました。
手術前検査を受け、その説明を受けて先生と話した数日後に悲劇は起きました。
あんなにも苦しめられていた血液の塊の落下が始まったのです。手術まであと2週間、私は手術日をずらすわけにいかないんです。一緒に立ち会ってくれる人がいないんですから。
先生には大出血して大変なことがあれば連絡くださいねと言われたものの、そもそも病院に行けないです。長時間の移動に体が追いつきません。しかも病院に一日以上車を置いておけないルールの病院だったので、電車で行くとなると片道二時間以上かかります。
病院に行くまでに死ぬわ!
ということで、何とか意識がハッキリしないまま何とか耐え、予定通りに手術を行うことができました。
手術は腹腔鏡手術で、全身麻酔で行われました。子宮を取る前にまず筋腫をねじ切り、先に膣から出してから腹に穴をあけて子宮摘出手術という手順です。
とにかく手術に対してのネガティブな感情が一切ない私はワクワクでオペ室に入り、ベッドに寝た瞬間手術着と下着をはぎ取られ、本当は左に入れるはずが右の方が入りやすいと言う理由で点滴用の血管は右手に刺されました。麻酔医の方は本当に百戦錬磨で、針を血管に入れる速さが尋常じゃなく、痛みも無くて相当上手いと思いました。
麻酔が入りますねー、という麻酔医の説明で口にマスクを当てられて、私のテンションはMAXに及びました。一番気になっていた麻酔、どれくらい意識が耐えられるのか気になっていたからです。
数秒で意識がなくなると聞いていましたが、私の場合は4~5深呼吸くらいで意識がブラックアウトしました。
次に意識が戻ると、ストレッチャーで運ばれている感覚、手術成功しましたよという声かけ、今から部屋に戻りますとの説明、筋腫が想像以上に大きかったことの報告と、姉の「ちゃんと動画で取ってラインするから、麻酔が完全に覚めるまで寝てな! もう帰るから」という連絡を聞いたところで、ホッとしたのか意識は再度なくなりました。
しかし地獄はその後でした。
再び目が覚めた時、麻酔で口の中はカラカラなのに誤飲を避けるために水を飲んではいけなくて、発狂しそうになりました。
体は麻酔でまだよく動かないのに同じ姿勢で体中が痛くてたまらず、姿勢を変えたくても傷口が痛くて動かせない、尿道カテーテルが通っているので股が気持ち悪いという生き地獄が私を待っていたのです。
最初は躊躇したのですが、一度ナースコールを鳴らしたらもう止められませんでした。
まずは痛みがひどいので痛み止めを点滴で入れてもらい、次は痛み止めが気持ち悪くなって吐き気止めを入れてもらいました。身体が痛すぎて寝返りが打てず、寝られたらいいのに意識をずっと失っていたので眠れないのです。
夜中何度もナースコールを鳴らしては、看護師に何か飲ませてほしいと懇願し「明日の朝、先生がいいっていうまでダメでーす」と言われ、なんとか口の中に水を入れて吐き出すくらいならいいと言われてそれを二度やってもらいました。
体が痛すぎて態勢を変えてほしいと何度もナースコールを押したせいで「さっきから15分しか経ってないですよ」「まだ朝じゃないですよ、今何時か言おうか? 5時です」みたいなやり取りを数回しました。
こんなに朝が長かったのは生まれて初めてです。二度とこの経験はしたくないです。
翌朝、先生が巡回出来た時に水を飲んで良いか聞いたら「誰がダメっていったの? 全然いいよ」とのことで、ようやく水分を取ることができ何とか人心地ついたので、夜ごめんなさいと看護師さんにあやまりました。人は必死だとあんなに時間が長く感じるものなんですね。たった15分が一時間以上に感じました。
あー、あのやり取りは思い出しても恥ずかしすぎて顔から火が出ます。
術後一日が経ち、何とか身体も動かせるようになり、私が見たいと駄々をこねたため姉が撮影してくれた腫瘍と摘出した子宮の動画を見ました。
うっすらストレッチャーで運ばれるときに先生の説明で「腫瘍が大きかった」という声が聞こえてはいましたが、見た感想は「えー、あの、腫瘍が子宮より大きいんですけどなんですかこれ」です。
摘出されたものは、こぶし大くらいの腫瘍がありました。10センチ超えていたそうです。
先生の説明では「想像していたよりも腫瘍が大きかった」とのことでした。
あれ? 腫瘍って5.5センチじゃなかったの?
事前に落ちてきた腫瘍合わせたら普通に男性のこぶし大くらいあったのでは……?
そりゃあ、しんどいに決まってるよね……。
入院の間は免疫が落ちて持病のぜんそくが出てしまい、息は吸えないし手術あとに咳が響いて痛み、
術後経過が最悪で本当に何もできませんでした。動いた方が良いと言われても動けず、ご飯もほとんど食べることが出来ず、何とか落ち着いたのでこのエッセイがようやく書けました。
まだ病院のベッドで通信環境も良くないし、もうすぐ消灯時間なのでとりあえずエッセイをアップして寝ます。
皆さん、体に不調を感じたら早めに受診してください。あと、きちんと薬についてはお医者さんに説明してもらってくださいね。
殴り書きで読みにくいところも多々ありますが、読んでくださってありがとうございました。
また落ち着いたら修正します。(無事に8月14日に退院でき、追記・修正しました)
皆様、お体にはお気を付けくださいませ。