3. 期待外れ
ゲオルク邸に来てから早ひと月程。レイアはがっかりしていた。早い話、期待外れだったのだ。
ひと月前、ニコラスに案内されて、ゲオルク将軍の屋敷に来たあの日。
「あなたはレイア殿……」
「はい、レイアと申します。ゲオルク様、ご機嫌よう」
ゲオルクは見事な美丈夫だった。すらっとした体躯、短い黒髪に凛々しい眉、通った鼻筋にブルーサファイアの目。三白眼が相手に威圧感を与えるが、それさえも彼の魅力の後押しをしていた。
「結婚の話を受けてくれて……、嬉しい」
受けたわけではない。あの家でレイアに選択肢はない。水が低きに流れるように、どんぶらこと着の身着のまま来ただけだ。
「ここはもうあなたの家だから、好きに使ってくれ」
レイアにとって家は好きに使えるところではない。好きに使われるところだ。
「これからよろしく頼む」
「ええ、こちらこそよろしくお願いいたします」
レイアはにこやかに差し出された手を握った。心に浮かぶ取り留めないことは一切感じさせない笑みだ。
「………………」
「何でしょう?」
ゲオルクはレイアの手をじっと見つめたまま黙り込んだ。
「この手……」
そういうことかとレイアは合点がいった。あかぎれだらけの貴族のご令嬢らしくないこの手のことを不審に思ったのだろう。手入れされていない、働いている者の手。完全に偏見だが、男でこのことに気付くとは、噂通りの朴念仁ではないのかもしれないとレイアは勘繰った。
「家事一般が趣味なのです」
にっこりとレイアは笑った。これで了承してくれ!とレイアは念を飛ばした。さすがに親や妹に使用人同然として扱われているんだよね、アハハハハなどとは言えない。あのような扱いを受けていることを言えば事が荒立つとレイアは一定の常識は持っていた。
「美しい手がお好みならば、他の方をお呼びしてください」
レイアは手の話について触れさせないついでに、無礼な口を聞いてみた。失礼なことを言われると、その人の浅ましさが出やすい。つまり、レイアはこの人はどんな人間味 (愚かさ) を見せてくれるかなと試したのだ。大変悪趣味である。
「……俺にとってはこの手が一等美しい」
レイアは予想外の言葉に思わず、手を引っ込めた。レイアの猫被りは完璧で、一挙手一投足、表情さえも制御され、心のままについ動くということはなかった。だが、この時、レイアは気持ち悪っと怖気付いた気持ちに動かされて、思わず手を引っ込めるという動作をしてしまった。
「……ごめんなさい。驚いてしまって」
レイアは何とか被った猫を取り繕った。
「……すまない」
ゲオルクはぶっきらぼうにそう言うと屋敷から出て行った。
それから、一度もレイアは彼と顔を合わせていない。仕事柄忙しいということもあるのかもしれないが、恐らく、嫌われたのだろう。別に構わない。こちらもあのような人間は願い下げだとレイアは思っている。あんな浅はかの欠片もない人なんて趣味ではない。
ゲオルクにどう思われているのかは知らないが、この一ヶ月、とってもとっても大事に扱われている。蝶よ花よと言わんばかりの待遇だ。ふわふわのベッド、新品で高価そうな調度品、柔らかなシルク、ひらひらのお洋服にあったかいご飯とお風呂……。ここまでするのかというくらい大切に扱われている。慣れないし、始終猫を被りっぱなしで疲れるなぁというのがレイアの正直な感想である。