遠回り道中記
下校時。僕は、それほど親しかった訳でも無かった男のクラス・メイトを、彼の家まで送り届ける事になった・・・。
学校の玄関内で僕は、藤谷を上履きから外靴へと履き替えさて居た。
藤谷の右足の上履きを脱がした時、夏の気温よりも高い温度の空気が彼の足から立ち昇って来るのを、立膝になって彼の右足を手で支えてた僕は顔全体で感じた。
と、同時に、僕はその生温かい空気を藤谷に気付かれない様にしながら、鼻腔一杯に吸い込んだ・・・。
すると、ほんの少し、汗の匂いがした。
でもそれは、全く不快では無く、例えるなら少し甘い香にも感じ、僕の嗅覚を惹き付けた・・・。
『何だろう・・・?男の足なのに、何か違う気がする・・・。』
僕が後頭部に覚醒めいた感覚を覚えながら、そんな事を思ってると。
「あの・・・。」っと、藤谷が戸惑った感じで僕に言った。
「あ・・・。ああ。ごめん。」
本当の所、何が『ごめん』なのか、言った自分でも分からなかったが、変に手間取ってる事に違いは無かったので、僕は反射的に謝り、急いで外靴を履かせた。
椅子に座ったまま、足を下ろした藤谷が「もしかして・・・僕の・・・。」と、そこまで言った時。
「何でも無いよ。匂いとか、何もしないし・・・。」と、僕は彼の言葉に被り気味に言ってしまった。
クラブ活動でグランドやテニス・コートへ向かう生徒や、ただ下校する生徒達が騒めく中で、僕らは少しの間、沈黙してしまった・・・。
そんな僕ら二人の様子を、靴を履き替えながら怪訝そうに見ながら立ち去る生徒も数人居た。
それから先に口を開いたのは藤谷だった。
彼は確かめる感じで「やっぱり・・・その・・・におってた?」と、小声で僕に言った。
その言葉が『形容詞』なのか『動詞』なのか、僕は分からずに焦った。
しかし、内心後ろめたさがあったのだろう、だから僕は「そ!・・・そんな事はしてないよ!」と、言ってしまった。
「え?」っと言う藤谷。
「ん?・・・え?」っと、僕は少し驚いた返事をしてしまった。
藤谷は又も小声で「もしかして、足の臭いとか・・・好きなの?」と、少し困り顔の眉毛をして聞いてきた。
「そ・・・!そんな訳無いよ・・・。」僕はそれと無く胡麻化した。
「ふ~ん・・・。」藤谷は、納得してない感じだ。
「ああ・・・。ただ。藤谷の匂いは、何か他の男の臭いとは、違う感じがするんだ・・・。」それは、誤魔化しでは無かった。
「そうなの?」藤谷は、何故か僕の答えに食い付く。
「うん。それで、それが何でかなって、気になったんだ。」
僕のその奇妙な答えに「ふ~ん。」っと頷く感じで答えた藤谷は、椅子から立ち上がり、靴の感触を確かめた。そして「それで・・・何か分かったの?」と、又も聞いてきた。
僕の変な行動への藤谷の変な質問責めに僕は「う~ん・・・。何にも分からなかったな。」っと、少し苦笑いしながら答えた。
すると一瞬、キョトンとした表情を僕に見せた藤谷は「そっか。それじゃあ、謎は謎のままだね。」と、そう言ってクスクスと笑った。
藤谷は、どうしたって変な会話だから、笑ったのだろうか?
それとも、もっと別の意味があって笑ったのだろうか?
それは僕には分からなかった。
ただ、藤谷が、こんな変な事をした僕の事を気持ち悪がって無い事に、僕は安心したのだった・・・。
藤谷と一緒に彼の家に向かって歩いて見ると、彼の家へは、僕の帰宅する道筋からは遠回りだった・・・。
藤谷は、この辺の中学校に通ってたまま、地元の高校に通ってるのだが、僕は隣町から通ってるのだ。
そんな訳もあり、藤谷は徒歩通学のみで高校に通える好立地に住んでるのに対し、僕はバスと徒歩の併用での通学であった。
そして、その僕が普段利用するバス停からは、藤谷の家は少し遠回りになってたのである。
今日までの藤谷と僕は、学校で、たまに話す程度の間柄でしか無かったのだが、それでも僕は、彼の家の大体の場所は聞いて居た筈だった。
しかし、これまで藤谷に特に興味を持って無かったのと。それと繋がる意味で、あまり親しくした事も無かったので、彼の家の場所は僕の頭の中から抜け落ちていたのだった・・・。
しかし、こうなった(藤谷を家まで送るという)手前、しかも、急に親しい友人関係になった様な気がする藤谷の家の大体の場所さえ僕が覚えて無いのを、僕は彼には知られたく無いと思ったのだった。
今朝までは、そんな事を気にした事も無かったのにである・・・。
僕は藤谷の家までの道中を、痛む左足を少し庇いながら、ゆっくりと歩く彼の道案内に合わせて歩いた。
教科書の入った二人分の鞄と、藤谷の体操着の入った鞄を両肩にぶら下げながら・・・で、ある・・・。
『僕は藤谷の事を良く知らない。』
今も、そう言って良いと思うのだが・・・。
藤谷だって、きっと僕の事は良く知らない筈である。
それなのに何故か僕らは、今日は仲良く下校してるのである。
それは藤谷が左足を痛めたからだとは理解できるが、それでどうして、彼は僕に自分の鞄を持たせて家まで持って来させようと思ったのだろうか?
もっと親しい友人が同じ教室か、或いは同じ学年の別のクラスに居たのでは無いだろうか?
担任に頼まれて、たまたま僕が彼を保健室へと連れて行っただけなのだが、その対応が頗る良くて、それで存外、僕を高評価してしまい、この様な結果を招いたのでは無かろうか?
何だか分から無い事だらけではあったが、僕はこれ迄の単調な日常の繰り返しから逸脱した行為に、得体の知れない期待をして、すこしワクワクとし始めてる自分に気が付いたのだが・・・。
それは、もう。
藤谷の家の玄関前の階段の手前のでの事だった・・・。
つづく
短い道中記でした。