クリームパンと冷やし中華と珈琲と。
二人が市民プールで遊んだ日から暫くが過ぎ、今日は夏休みの前日だった。
二人が市民プールで遊んだ日から暫くが過ぎ、今日は夏休みの前日だった。
それはつまり、明日から夏休みで、今日がその前の最後の登校日という事だ。
僕はそんな日にも関わらず、午前授業で何時もよりも早く終わった学校から、藤谷と一緒に下校して、そのまま真っ直ぐに藤谷の家に遊びに行く事にしていた。
藤谷は昨日、彼の家で僕と勉強会をし終わった時に「明日は夏休み最後の日だから荷物も多いし、真っ直ぐ帰ったほうが良いんしゃない?」と、言ったのだが。僕は「夏休み前日も、一年の内の一日に変わりない。それに、もう荷物も何時もと変わらない程度まで持ち帰ってるよ。だから、まあ、明日も藤谷の家に行こうかと思ってた。」と、答えたのだった。
『夏休みの前日も、一年の内の一日に変わりない』
そんな立派な格言みたいな事を言った僕だったが、その格言じみた内容の大半は煩悩によって生み出されたのは、僕だけが知ってる真実だった。
それは単に『僕は明日も藤谷に会いたい』って思いから出た言葉。
後で思えば、それは確かに煩悩だったが、言わば『純粋な煩悩』だったのかも知れない。
そんな事を言った僕は(いや・・・もしかして、藤谷にとっては迷惑だったか?)と、思った・・・。
しかし、その直後。
藤谷は少し困った様に「そう・・・」と区切った後「なら、しょうが無いから良いよ。」と言ってハニカんでくれた・・・。
(藤谷がハニカンでくれたからんだから、もう!しょうが無い!)って思った僕は、もう免罪符を授与されたっと信じた!
そんな今日は午前授業で下校を迎えたので、昼食を摂って無いって事だから、僕は藤谷のお母さんに迷惑を掛けない様にと思って、ちょっと寄り道させてもらって、コンビニで菓子パンを買った。
そういう意味では、真っ直ぐ藤谷家に向かったって訳では無かったが、僕の気持ちとしては直行って感じだったからしょうが無い。のである。
藤谷はコンビニに寄ってる時に「お母さんが素麺か何か出してくれるから、何も買わなくても良いよ。」と言ってくれたので(そうなのか・・・?!)と、思った僕だったが「そんな事を勝手に期待して、お邪魔する訳にいかないよ。」と、内心『そんな事』を期待してたにも関わらず、体裁を整えるのにそう答え、自分の昼ご飯を菓子パンで用意したのだった。
因みに、買った菓子パンはクリームパンだったのは、藤谷のおお母さんが食事を用意してくれた時には、食後のデザートがわりになるだろうとの下心からだった・・・。
僕はそんな自分の行動と選択に(こうした事に関しては、自分でも抜け目が無いな・・・。)などと思いながらコンビニを出て、藤谷と並んで歩きながらクリームパンを鞄に積めた。
すると藤谷が「何をにやけてるの?」と言ったので、僕は自分の小さな企てが顔から滲み出してしまってる事に気が付いた。
「え?いや?・・・にニヤけてか?」
「うん・・・そう見えた。」
「いや・・・そうそう。クリームパンって好きなんだけど、久し振りに買ったから楽しみ過ぎてさ。それでニヤけてしまった。」
「そんなに?クリームパンが?」
「そうそう。それで知らず知らずに顔がにやけてしまったんだ・・・。」
「ふ~ん・・・そうなんだ。」
「そうなんだよ。」
「ふ~ん・・・・でもさ、クリームパンなら、4日前にも買って、僕の部屋で食べてたよね?」
僕はギクッとした・・・。
藤谷にそう言われた僕は、僅か4日前の記憶を辿りながら「え~っと・・・そうだっけ?」と言った直後に(そうだった・・・。)と、クリームパンを買って藤谷の家に行って食べたのを思い出した。
すると、僕よりも僕がした事を覚えてた藤谷が「うん。そうだよ。」と言うので、僕は「う~ん・・そうだっけ?」と、思い出した事を悟られ無いように惚けた返事をした。
「そうだよ。」と、藤谷。
「じゃあ・・・そうなんだね。」と、僕。
すると「・・・・・なに?それ?本気で忘れてたの?」と言った藤谷は、最後にはクスクスと笑ってくれたので、僕は窮地を脱する事が出来たのは、不幸中の幸いだった・・・のだが。
これは、幸福中に起きた不幸中の幸いだったと、後で思い返したのだった・・・。
藤谷の家に着くと、藤谷の母さんが、早速出迎えてくれた。
「いらっしゃい。明日から夏休みなのに熱心ね。どうぞ、上がって。」と、藤谷の母さんに言われた僕は「いえ。そんな、たいそうな事では無いです。」と言った後に「では、お邪魔します。」と言って靴を脱いで玄関の廊下に上がった。
「今日は素麺を用意してるから、一緒に食べてね。」と藤谷の母さんに僕が言われると、先に上がってた藤谷は僕の方を振り返って『ほらね!』って笑った。
「今日も暑いから、梅干しののった冷やし中華にしようと思ってるのだけれど・・・梅干しは大丈夫?」
藤谷の母さんに、そう聞かれた僕は「大丈夫です。梅干しののった冷やし中華は食べた事は無いですが、凄く美味しそうです!」と、最後の方は、アピール気味に強調して答えた僕は、藤谷がクスクス笑いをこらえてるのをチラ見した。
藤谷の母さんは「それならよかった。直ぐに出来るから、楽しみにしててね。」と言って、キッチンの在る方へと戻って行った。
僕は夏に食べる冷やし中華は好きだが、家でも何処でも梅干しをのせたりした事は一度も無かったので、藤谷の母さんの後ろ姿を見ながら、内心、期待と不安が入り交じった。
それでも僕は、それなりに大人になって居たので、先のような大人の対応が出来たのだろう。
そんな僕の様子を見る藤谷は、またもクスクスと笑って居た。
きっと藤谷には、少し不安そうな僕の心の内が透けて見えたので、面白かったのだろう。
そうして玄関での挨拶と、お昼の献立を教えて頂いた僕は、いつもの様に藤谷に連れられ、2階にある彼の部屋へと入った。
今日は雨の予報では無かったのと、藤谷の母さんが家に居たので、彼の部屋の窓は開けられて網戸になっていた。
そのお陰で、彼の部屋のドアを開けると同時に、室内から少し生温い風が入って来た。
生温かいと言ったら、何時もよりも不快な状態と思われるかも知れないが、いつもの締め切った時から比べたら、部屋の暑さはかなり抑えられてたので、僕らは随分と助かった。
それでも藤谷は立ったまま鞄をローテーブルの横に置くと直ぐにエアコンのスイッチを入れると窓を閉めた。
部屋の中には、涼しい風が強く吹き、体に浮き出してた汗を高速で乾かしてくれた。
藤谷はベッドに腰掛けて、エアコンの風に当たりながら、ワイシャツのボタンを首から下に向かって3つ緩めた・・・。
彼の首筋と鎖骨の辺りには、薄っすらと汗が滲んでいた・・・。
その姿は、仕事を終えて家に帰ったサラリーマンの様でもあった筈だが、僕には色っぽい仕草に見えた。
それはきっと藤谷の仕草は、男っぽい感じが少なくて、ちょっと上品な感じがするからなのだろう。
藤谷の姿にちょっと見惚れた僕も、床に敷かれた座布団を壁に近付けてから座ると、藤谷と同じくワイシャツのボタンを緩めた。
ボフッとベッドに横向きで寝転んだ藤谷は「多分、そんなにしない内に、お母さんに呼ばれると思うから、このまま少し休んでようよ」と言うので「そうなのか。じゃあ、そうさせてもらうかな。」と、僕はホッとして答えると身体を後ろに倒すと、自分の体重を背中の壁に預けた。
そうして二人は15分ほどグッタリとして居た。
すると一階の階段の所から、藤谷の母さんが「冷やし中華が出来たから、下に下りて来て。」と呼んだので、僕らは一度顔を見合わせると、ちょっとダルくなりかけた体を立ち上がらせ、一階へと下りた。
僕が藤谷家の食卓に呼ばれるのは、これで5回目ぐらいになるだろうけど、昼食に呼ばれたのは、これが初めてだった。
僕は冷やし中華に梅干しがのってる事よりも、食卓の椅子に座った窓から見える外の明るさと風景に目を向けてしまって居た。
僕が「昼間だと、こんな風に見えるんだ。」と言うと。「あれ?見た事無かったかな?」と、藤谷はそれは意外だと言った。
「もう、タレも掛けてしまってるから、伸びない内に食べて。」
と、藤谷の母さんにそう言われた僕は「有り難うございます。頂きます。」と言ってから、改めて藤谷家では普通らしい『梅干しののった冷やし中華』を見た。
細切りにされた、キュウリ、ハム、薄焼き卵。それにワカメ、三日月形のトマト。そして更に半分に切られた茹で玉子と・・・問題の梅干しがのっていた。
いや、梅干しは小山の様に盛られた冷やし中華の頂上にあったので、それは、のってると言うよりは鎮座してるって言う雰囲気だった・・・。
しかし、なのに・・・なのに僕は。
梅干しよりも(卵の薄焼きがのってるのに、茹で卵までのってるのか・・・?)と思った後に(なんて豪華なんだ!?)って思った。
『卵に玉子』
(世間では炭水化物に炭水化物は罪とされる食文化が一部にあると言うけど、卵に玉子はその限では無いのだろうか?)と、僕はそんな事を考えた。
そして(茹で玉子を食べるタイミングは、卵の薄焼きを食べた直後は避けるべきなのだろうか?)とも考えたのだが(それは味覚の都合で考えてるのか?それとも作法とか礼節とかの意味なのだろうか?)と、追加で考えた。
しかし今は、そうした事を食事を前にしてスマホで検索するのは最も礼儀に反するだろうと考え、結果として、この事はこれ以上考えない事にした。
その結果。
僕は美味しく冷やし中華を頂く事が出来た!。
薄焼き卵と茹で玉子は、同じでは無いのは知ってたが、ダブルで食卓に並ぶ事は僕の家では無かったと思う。
それが同じ皿にのってるのだから僕は嬉しかった。
そんな事に喜んでるなんて自分でも子供だな等と思ったが、嬉しかったのだ。
問題の梅干しは、思いの外、冷やし中華に良く合った。
しかも、梅干しは見た目では種が入ってる様に見えたのだが、実際には種は入って無かった。
藤谷の母さんが、見た目が悪く成らない方法で上手に種を取り除いてくれてたのだ。
藤谷の母さんは、食べる前の僕らに「梅干しの種は抜いてるからね。」とか言ってくれなかったので、僕は梅干しをどうやって食べようかと考えながら、箸をそっと刺して中の種を取り出そうかと考えた。
しかし、その前にと梅干しを箸で摘むと、その感触から種が入って無いと直ぐに気が付いた僕は「藤谷の母さんって、本当に料理上手なんだろうな・・・。」と感心してしまった。
それは、過去に夕食をご馳走になった時も思ってたのだが、それは『息子の友人をもてなす為に、何時もよりも手の混んだ料理を出してくれてるから』なのだろうと思っていた。
しかし、簡単に(僕は料理をしないので、本当はそんなに簡単でもないのかも知れないが・・・)作ってくれた料理でも、一皿の中に気遣いが感じられるのである。
(藤谷の母さん恐るべし・・・・。)と、思った僕は(それに比べて、うちの母さんは・・・。)等と思ってはイケナイのだと思った。
梅干しを箸で持ち上げた僕は、これを一口で食べるのも勿体無いし、かと言って囓って冷やし中華の皿に戻すを繰り返すのも良くないと思った。
そこで(箸で割って麺と一緒に食べたら、より一層美味いんじゃないか?)と思った。
そんな自分の結論に御満悦になった僕が藤谷の方を見ると、彼は既にそうして居たのである。
僕は少し恥ずかしくなった・・・。
それから僕は、藤谷の母さんが作ってくれた梅干しののった冷やし中華を、存分に味わった。
冷やし中華を食べ終えた僕は、結果として(梅干しを冷やし中華にのせるのは、これはこれで有りだな!)と、勝手に偉そうに思った。
そして(冷やし中華のタレには酢が使われてるが、梅干しは酢とも相性が良いのだろな。)と、思うと(これは帰ったら母さんに言って、来週にでも作ってもらおう!)と、僕は考えた。
それほど、梅干しと薄焼き卵と茹で玉子がのった冷やし中華は、僕のお気に入りとなったのである。
ここで勝手に後日談を語ると。
藤谷の母さんが作ってくれた冷やし中華の話を聞いた僕の母さんは「冷やし中華に梅干しは、あなたが自分で自分の分の皿にだけのせなさい。」と言って「あと・・・薄焼き卵がのってるのに茹で玉子は勿体無いから、どっちかにしなさい。」とピシャリ・・・・。
それで僕は(これが、大人用語で言うところの『ケンもホロロ』ってやつなんだな)って思った・・・。
冷やし中華を食べた終えた僕らに、藤谷のお母さんは「食後に珈琲を出しましょうか?」と僕らに聞いてきたのだが、藤谷は「それなら、僕が後で2階に運ぶから、君は先に部屋に戻ってて。」と僕に言うので、僕は「分かったよ。」と藤谷に言った後に「ご馳走様でした。」と藤谷のお母さんにお礼を言ってから立ち上がった。
そして、僕は1人で2階に上がり彼の部屋に入ると、エアコンで快適に保たれてる事に感謝しながら寛いだ。
そうして10分もしない内に、左手に小さめの丸いトレーを持った藤谷が、片手で部屋のドアを開けて部屋に入って来た。
見るとトレーの上には、カップが2つ載っているのが見えた。
すると途端に部屋の中には、珈琲の良い香りが立ち込め、僕はとても優雅な午後を過ごしてる気分になった。
僕が普段、家で飲んでる珈琲はインスタントなのだが、藤谷が持って来てくれた珈琲は、それとは違ってもっと強くて良い香りがした。
「いい香りだな・・・レギュラー・コーヒー?」と、僕は藤谷に聞いた。
「うん。近くの喫茶店で豆を挽いてもらってるのを買ってるんだ。」
「やっぱりそうか。インスタントとは違うのは僕でも分かった。」
「お砂糖とミルクもあるよ?」
「おう。欲しい。」
インスタント珈琲も、それはそれとして、普段は美味しいと思って飲んでたのだが・・・。
藤谷が僕が座るロー・テーブルの前に置いてくれた珈琲の香りを嗅ぐと、挽いた豆から淹れた珈琲とインスタントとの差は大きいと思った。
珈琲の香りに少し驚いてる僕を気にするでも無く、藤谷は自分の珈琲をテーブルに置くと、ベッドの上に腰掛け「ふぅ・・・。」と、溜め息をついた。
「いただきます。」と言った僕は、砂糖もミルクも入れずに珈琲の味見をした。
口の中に含まれた珈琲は、より強くその香りを感じさせてくれた。
そしてその味は、程よい苦味の後に爽やかな酸味があった。
正直なところ、僕は珈琲の酸味は少し苦手なのだが、この珈琲の酸味は嫌いじゃ無いと思った。
それは、この珈琲豆が美味しいからなのか、それとも喫茶店の焙煎や豆の挽き方が上手いからなのかは僕には分からなかったが、初体験の美味しさだった。
「お味はどう?」と藤谷が聞くので、僕は「軽い口当たりで、後味の酸味が良いな。」と、少し気取って答えた。
藤谷は「そうなんだよね。飲みやすくて美味しいよね。この珈琲。」と言うので、珈琲通でも無かった僕は、自分の味覚や感性が間違って無いらしい事に安堵した。
藤谷はベッドに座ったまま上半身を屈めロー・テーブルの上の珈琲カップに手を伸ばし、飲んだ。
すると又「ふぅ。」と溜め息をついたのを見て、僕はちょっと嬉しくなった。
「え?なに?」と、藤谷が僕に微笑んで聞くので、僕は自分の中に湧き上がる浮ついた感情を押し止めるように顔を引き締めながら「いや。何だか和むなって思っただけだよ。」と答えた。
藤谷は「そう。・・・なら良かった。」と言って笑顔になると、もう一度、珈琲を口に含んだ。
僕はここで、自分の鞄の中に入れてたクリームパンを取り出そうと、そっと手を伸ばした。
つづく
親しい友人の家とは言え、他人の家でこんなに寛げるとは、少し前の僕には想像も付かない事だった・・・。




