灰色の空を見上げたんだ
「あんたは呪いの子よ!」
今日もまたおばさんに殴られた。魔物と人との間の子になる俺は、母親を殺して生まれてきたらしい。母親をかわいがっていたおばさんからはすごく恨まれていて、食べ物すらくれない日もたくさんあった。俺は死にたくないから森で木の実を食べたり池で水を飲んだりしてたけれど、それも気に入らなかったみたいでまた何度も殴られた。でも食べないで死ぬのは嫌だから、やっぱり何度でも森で食事してまた何度でも俺は殴られた。
体のあちこちに赤や青、黄色と色とりどりになったあざが浮かんでいる。もう体が痛いのにはすっかり慣れたし、あざなら放ってても膿んだりしないから対処が楽でよかった。包丁で切られた時は治るまでずいぶん大変だったから。骨も折れてないし食事もあったから、今日は幸運だったと思う。
でも少し冷やした方がいいかな。そう思って森の中にある池に向かった。池の近くに一人誰かが立っている。このあたりでは珍しい、長い白藍の髪をしたこども。風助だ。声をかけようと思ったら、先に風助の方がこっちに気がついて俺の名前を呼んだ。
「親人」
柔らかな浅葱色した瞳が緩く細くなってこっちを見ている。風助は俺を傷つけないから好きだ。あったかくってきっと幸せってこういうことなんだってわかるから。俺もその優しい瞳に返すようににっこり笑って、風助の名前を呼んだ。
「風助。来てたんだ」
風助はこの近くの水辺をつかさどる龍の神様らしい。今は俺と同じ子どもみたいな見た目をしてるけど、本当はもっと大きくてすごい見た目をしてるんだって。なんで子どもになってるのって聞いたら「だって親人は大人が怖いでしょう?」って言われた。そうなのかもしれない。だって大人はみんな俺を殴ったり蹴ったりしてくるから。こどももおんなじだけど体が小さいから痛みは少ないし。でも風助ならきっとどんな姿でも怖くないよっていうのは言えてないんだけど。
「うん。今日は、雨が降るよ」
風助はいつもぼんやり空を見てる。水の神様だからか雨が降るのを教えてくれるのは嬉しい。今日はおばさんの機嫌が悪いから、森の中で過ごそうかな。今は木にたくさん葉っぱがあるから雨宿りするのが楽なんだ。
「そっか。じゃあ風助には嬉しいね」
風助は水が好きだ。はじめて風助に会ったときも、ぼんやりしながら池につかってたし。溺れてるのかなってびっくりして飛びこんだら、水に浮かんでただけだよってふしぎそうな顔してた。その時は今よりもうちょっと大きかったと思う。
龍の姿だと大きすぎて池に入り切らないから、人の姿になってたんだって聞いた。魚や小動物になると、同じ種族の子たちに話しかけられることが多いから静かにいられないんだって。人はあんまり池の近くに来ないから、人の姿でよくぼおっとするのが好きだって言ってた。
「うん。雨は好き」
雨の日は龍の姿で空を泳ぐのが楽しいんだって風助はよく言う。その姿を俺は見たことはないけど。風助はいつもぼんやりしてるから会話がちぐはぐになる時もあるけど、それが風助なんだなって思うと別に気にならない。話を聞いてないわけじゃなくて、色々考えたりしてるからだって知ってるから。
「今日も殴られたの?」
風助がゆるっとこっちを向いて尋ねてきた。俺はうん、とうなづいてから服を脱いでゆっくり池に入る。軽く熱を持っていた部分が冷やされて心地いい。一度ざぶんと水の中に入ってから、浮かび上がって顔だけを出す。ゆらゆらと水面に浮かんだまま、灰色の空を見上げて息を吐いた。人よりも少し浅黒い血が、ゆっくり水に溶けて消えていく。
「痛いね」
風助は俺が殴られた時、いつも寂しそうな声でこう言う。俺よりも痛そうな声で痛いと言う。風助は優しいから、俺の痛みを知ってそう言う。でも俺にはよくわからない。もう痛いのになれすぎて何がほんとうに痛いのかわからないから。だから俺はこう言うしかできない。
「もうどこが痛いのかもわかんないけどね」
身体中のあざはきっと全部痛い。裸足で森を歩くから足の裏は傷だらけで水がしみている。石を投げつけられたところには軽い切り傷があるし、殴られて地面に倒れた所が擦り傷になったりもする。
毎日傷やあざが増えていく。どうしようもないしどうにもできない。生きていられるだけで十分なんだ。だから痛いのは考えないようにしてる。考えるとずっとどこかが痛くなるから。
化け物が人の中で生きるのはすごく難しい。それは俺が一番よく知ってる。