6. 美の女神とバラ
「フレイヤ、王妃様のところへ行ってちょうだい。」
この国にきてから割りあてられた女官室でくつろいでいると、女官長がノックもせずに飛び込んできた。ランのこと、ずっと嫌ってたくせに。馬鹿みたいに真剣な顔つきで頼んでくるから、仕方なく重い腰を上げた。正直、悲壮感漂うランとはあまり会いたくないんだよね。
はあ。
何度もため息をつきながら、3つ廊下を渡った先にあるランと王様の部屋を目指す。正直、この廊下は好きじゃない。だって、最後の廊下にかかるまでは、必ず、衛兵がいるから。で、衛兵がいると……
「フレイヤ!フレイヤじゃないか!久しぶりだな!」
ほら、面倒ごとが起こりまくる。
「こんにちは、コービー。」
余計なことは言わない。何を言ったって、こいつらが私に夢中になるだけだから。
「相変わらずつれないな。まあそういうところがかわいいんだけど。」
なでられそうになる手を避ける。あーめんどくさい。
「えっ、なんだよ、フレイヤじゃないか。コービー、独り占めするんじゃない!」
「ほんとだ、なんだよ、最近は顔を見せないで。」
いろんな衛兵が寄ってくるけど、あんたらまじめに警備でもしたら?
我がもの顔で私を取り合ってくる姿にイライラする。
ほんと何様よ?私があんたらの1人とでも寝たことある?この国に来てからはそういう行動も必死で我慢してるってのに、そしたら今度は高嶺の花のフレイヤさま?ふざけないでくれる?
そう思う気持ちを隠して、パーフェクト女官スマイルを作る。これもランのためだから仕方ない。
「いえ、ランの方が心配で……」
そう言った瞬間、みんなが真剣な表情になる。あーあ、これだから、男って簡単よねー。
「そうだよな、お妃さま、陛下を亡くしたばかりだから。」
「ごめんな、フレイヤ。またにするよ。」
「ありがとうございます。」そう言ってちょっとだけ頭を下げてから、構わず前に進む。ここをクリアすれば、あともう少し。
何度かこういうやり取りをかわしながら、やっと最後の廊下に差し掛かる。ここからは、衛兵はいないから気が楽。まあやたらと見られている感じがするから、誰かは見張ってるんだろうけどねー。でも話しかけてこないなら、いないも同然。
あーあーどうしたって自分の色気には参るわ。こんなこと言ったら不謹慎かもだけど。これだからこの道は好きじゃない。それをランは知ってるから、私に会いたいときは自分から私の部屋の方に来る。今回もそうだろうと思って、出向かずに待っていたのに。
みんな心配しすぎだと、私は思う。まあ、みんなはランがあんな状態になるのははじめてだから仕方ないけど。これで2回目の私は、時間しかランを治すことができないのを知っている。じたばたしてもしょうがない。
ガラス張りの廊下に差し掛かって、ふと外の庭を見やる。この庭をはじめてみたのは、ランに頼まれた王様の身辺調査でこの城に忍び込んだとき。まだ建設中だったこの庭とこの先の部屋を見て、愕然とした。特にこの庭は、エスリア国で、ランが大好きだった薬草園そのままだったから。ランたちの部屋から庭には自由に出入りができるようになっていて、ランがいつでも薬作り(訳あって彼女の趣味)ができるようにという配慮が見て取れた。あの王様、ランに相当惚れ込んでるなとは思ってたけど、まさかここまでとは。それまでは、わざわざ敵国に乗り込む必要はないんじゃないかと(サクマほどではないが)反対していた私も、その瞬間、心変わりした。この王様は上玉かもしれない。私は迫り寄ってくる男どもにすでに希望を失ってたから、結婚なんかするつもりさらさらなかったけど、ランにはランが自由に暮らせるだけの保護者が必要だといつも感じていた。ウレスの大陸は一部を除けばどこもかしこも男尊女卑がはびこってるから、ランほど頭がきれても女が商売をしたり政治に関わったりするのは難しい。でもこれだけランのことが大好きな王様なら、もしかしたらランに道を開いてくれるかもしれない。正直私はランが幸せなら誰でもいいかなと思ってたから(お姫さまに結婚しないなんて道はないからね)、身辺調査を終えてからは「応援してるわ」とだけ言って、結局ランのたった1人の付き人としてこの城までついてきた。まあ、1人っていうのは表向きだけどね。
異国からこの国に嫁いでくる姫は、1人だけお供を連れてくるのを許されている。それが、私。といっても、それだけで大事なランを嫁にやるようなことをあの国の人たちがするわけない。特に、ランの兄さんと現王の父さんは。ランは気づいてないけど(というか、気づこうとしてないけど)あの人たちはドがつくほどの過保護で、ランを溺愛している(王様ともいいとこ勝負ってぐらいね)。それで、ランは彼女お抱えの隠密も連れてきてるし、他にも数人の守人がこの城に紛れて働いてる。そして私はといえば、この城の次期女官長としてめちゃめちゃに働かされてる(異国の姫の付き人はそうなるのが習わしらしい)。まあそれももう、終わりだと思うけど。あの王様がいないんじゃ、ランにとってこの城にいる意味なんて、もうないと思うから。
やっと扉の前につく。いつも思うけど、この城は無駄に広すぎて警備が難しいんじゃないか。エスリア王国では、王族の部屋のすぐ近くに私たちみたいな守人が住んでたし、廊下もよく入り組んでいて、隠れ通路も山ほどあった。ランと私と何人かとで、隠れ通路で鬼ごっこをしたこともある。あのときはあまりに知らない道が多すぎて、エスリアの歴史の長さを感じた。
ふう。
ひとつため息をつく。
また、前みたいに泣き腫らしてないといいな。
扉に手をかける。この動作だけで、ランには私がきたことが伝わってるはずだ。
そう、これがもうひとつ、私がこの国で怖いなと思ったこと。この国の使用人たちはみんなノックをする。普通の使用人だったらエスリアでもするんだけど、私たちみたいな守人は絶対にしない。ノックをする、ということは、部屋の中もしくは周りに潜んでいるかもしれない敵に、自分の存在を明らかにすることだし。でも自分の存在が主人にまでわからないのは本末転倒だから、私のように使用人に紛れて生活する守人は、取手の触り方や握り方の違いによって、主人が私たちを判別できるようにしている(そういうのを聞き分けるためにランみたいなお姫さまでも小さいときから訓練されてる)。それくらいしないと、何かあったときに瞬時に対応できないから。
でも仕方ないか。この国はまだ新興国。エスリアのように、何百年もの修羅場を超えてきたわけじゃないんだろう。
音も立てずに扉を開け、中に滑り込む。ランは庭の方を見ていた。
「久しぶり、フレイヤ。こっちの道嫌いなんじゃなかった?」振り向きながらランが笑う。まあ本調子じゃないのは確かだけど、作り笑いでもできてたら上等ね。
「女官長に言われたから来たけど、何?思ったより元気そうじゃない。」
「うん」少し微笑んでうつむく。まあそりゃあ悲しいか。
「ほら。」ランが座るベッドのとなりに腰掛けて、そのままランを抱き寄せる。そうして、ただランの頭をなでていた。
姫と女官。最初はたしかにそういう関係だったけど。今ではもう、年の離れた妹みたいに思ってる。ランの大人っぽいくせに、まだ大人になりきれていない部分がどうしようもなく好きなんだと思う。
「フレイヤ、私大丈夫よ。」そう言って自分から離れていくランに違和感を感じる。絶望のどん底にいるはずでしょ?何?悲しそうではあるけど、どうしてそれでも嬉しそうなわけ?
「何?」凝視する私に、ランが問いかける。
「なんか嬉しそうね?」
「ああ」そう言って目線をそらしながら、口角を上げるランに、私の直感が働く。もしかして…… ひとつだけ、思い当たることがあった。そうであったとしてもおかしくない。あの王様、この子のこと狂ったように離さなかったから。夜はもちろん、昼間だって。
「ラン、もしかして……」
「やっぱフレイヤには隠せないよねー、まあ隠す必要もないけど。」そう言って、ランはお腹に手をあてた。「私、旦那さまとの子どもがいるみたい。」
あの野郎。
やってくれたなっていうのが、一番の感想。よくもうちのかわいいランに。あの王様が、ほくそ笑む姿が目に浮かぶ。相変わらずの独占欲。まあこうすればランは一生あいつのものだもんね。双子だって聞いてさらに呆れた。それにしても。
してやられたくせに、そんなに幸せそうな顔をする私の主人こそどうにかならないものか。いや、してやられたとも思ってないのか。死んだやつの子どもなんて私だったら即お断りなのに。だって1人で育てるなんて面倒臭すぎる。早く適当な旦那見つけて、そいつとの子だってしてしまうのが一番妥当。まあランに関しては、子育てをすすんで手伝うやつはたくさんいるし、あの王様なら色々手立ては考えてあるだろうから、心配はしてないけど。
「で、城を抜け出すとか言い出すの?」呆れながらもそう問うと、にっこり笑ってランは首を傾げる。この顔をされると、どうしてもランのお願いを聞いてしまう。
「どうして?」意地悪そうに聞くから、図星なんだろう。本当に、ランのことをよくわかるようになった。
「だって、ラン、その状況なのに、私のところまで話が来てないわ。普通だったらみんな喜んで大変なのに。ってことは、ランと、多分あいつとが口止めしてるんでしょう。」
そこまでしてやりたいことなんて、城脱出劇とかしかないわ、そういうと、笑顔をさらに輝かせて、ランが聞いてくる。
「フレイヤ、あなたはついてきてくれるわよね?」
そんなの今さらじゃない。ついてく気がなかったら、最初からこんなことになってないでしょ。何年いっしょにいると思ってるのよ。
ランと出会ったのは10年ほど前。当時の私は、エスリア王国の城に女官として潜り込み、ある人の命で情報収集をしていた。何のため、どう使われる情報か、そんなことは考えはじめればきりがない。そもそも城に忍び込んでまでして集める情報が、悪用されないはずがないでしょう。でも、誰かが死ぬからとかそんな理由でこの仕事はやめられない。私にも守らなければいけないものがあったしね。
言い訳をしながら、心を殺して毎日をやり過ごす日々も4年。最初の頃は多少抵抗はあったけど、もう慣れた。
『誰のこの情報がほしい。』
命令はいたって単純。その情報を得るためには、私はなんでもした。というより、私たちはしなきゃいけなかった。天井裏に忍び込むなんて序の口だったし、何人もの男と寝て、同僚を騙して。でも、戦争ばかりのこの時代にそれは対して珍しくもなくて。この国が明日あるかさえも定かじゃないから、気を抜けばあっけなく崩れ落ちる。何もかも。私の国がそうであったように。
ふう。
ひとつため息をついてからもう一度鏡を覗きこむ。自分の淫らな体が服でしっかりと隠されていることを確認する。まあこれで寄ってくる男が少なくなる訳じゃないけど、仕事に支障が出ない程度にはなるでしょ。落ちてきた一房の髪をピンでとめてから、部屋を出た。
あーあ。
正直、そのとき任されていた仕事に私は乗り気じゃなかった。貴族やほかの隠密の調査ならまだしも、王族はめんどーでしかない。警備の硬さもそうだけど、とりわけエスリアの王族は頭がキレるから気づかれないでいるのが精いっぱいだった。
スッ。
廊下で別の使用人とすれ違う。すれ違いざまに、手が触れる。意図を汲み取った私の右手は、彼の左手から紙を抜き取る。服の乱れを直すようにして、自然な動作でそれを盗み見る。
『星に動きあり。』
気をつけろ、ということだろう。星とはこのエスリア国の王を指す。動く、とは多分新しい同盟関係か何かかな。あとで聞こう。そう思って紙をそのままポケットに滑り込ませる。
まだ、仲間だったのか、あいつ。
今紙を渡してきたやつとは、依頼主が違う。だから、正式には仲間じゃない。でもたくさんの思惑が蠢く世の中だから、みんな利用できるものはとことん利用する。依頼主は違えど、同じ諜報を生業にするなら、敵に回らない限り、こうやってわずかなつながりを持っていた方がいい。私のように近くに頼れる仲間がいないものは特に。ただ、いつ敵となるかはわからないから、気を抜かず、ずっと目を光らせてないといけない。そんな作業がめんどくさいと思えていた昔の自分が懐かしい。今は何も考えなくても、体が勝手に感じ取る。
「失礼いたします。」
そう言って厨房と昼食の間をつなぐ通路に入ると、皆がばたばたと忙しそうに働いていた。
「フレイヤ。早く、手伝って。」
同僚女官のミナに声をかけられ、エプロンをつけながら、食器とグラスの数を数える彼女の元に向かう。ミナがセットを組み終えたカトラリーや皿は、すぐにほかの女官によって昼食の間に運ばれていく。
「ミナ、どうしてこんなにばたばたしてるの?」
「急に同席者が13人増えるっていうから、みんな大慌てなのよ。」
「本気、それ?」
「うん。ほら、フレイヤもどんどん運んでって。」
そのまま受け取った皿を昼食の間まで運んだ。ミナの言う通り、テーブルが足されて、いつもより許容数が増えてる。
エスリア王国では、昔から昼食会っていうのがある。意味はそのまま、昼食をいっしょに食べる会。城内にあるこの昼食の間はもともと王が昼食を取る場所だったんだけど、いつからか希望すれば城で働くものや地方から出向いた貴族は誰でも王族といっしょに昼食をいただける謎の部屋になってる。まあ大抵は王族が怖いから、私たち使用人はいっしょに食べたいなんてまともな神経では言い出せないし、貴族もまちまちといったところ。だから、普段のお昼はだいたいエスリアの現王、現王子、それと重臣何人かで和気あいあいとしてたのに。何があったか今日はプラス13人。わけがわからない。
ずっと動き回っていたら、すぐにお昼の時間になった。私は広い昼食の間の奥、人々が腰掛けるテーブルからそんなに遠くないところに控えて、目を伏せていた(使用人だからってのもあるけど、無駄に貴族に目をつけられても困るしね)。
入ってきた客人たちを盗み見ると、若いものばかりだったから驚いた。いつもの重臣たちはいるけど、追加された13人とやらは全員若者。と思ったら、1番奥の席、王の左隣の席が空席だった。じゃあ足された若者は12人か……
残り1人は誰?
もしや……
客人貴族たちが全員席に着くと、もう一度閉ざされた扉が開いて、王族が入ってくる。いつもは王と王子の2人なのに、王のあとに続く王子の左腕に小さな手が乗せられている。よく見ると、まだ齢6にも満たない王女さまが、薄紫のふわふわドレスをまとって部屋に入ってきた。
貴族たちが一斉に立ち上がって礼を取る。もちろん私たち使用人も。王はそれをさっと手で制してそのまま自分の席に歩いていったが、王女さまは少し身をかがめてかわいい挨拶を返す。その姿を横で王子がにこにこしながら見ていた。
王女さまが王子に引かれた椅子にちょこんと座ると同時に、王が合図をかけ、食事がはじまった。
ふーん、そういうことね。昼食の間での会話をなんとなく聞いていると、今日の急な人数追加の理由は、王女さまをひと目見たかった、的なものらしい。たしかにあの王女さま、夜会にはほとんどといっていいほど顔を出さない。それでもここに集まってきた若者たちは近い将来この王女さまをお嫁にもらうかもしれないからどんな人か気になって仕方ないんでしょうね(相当な年の差婚かもだけど、これぐらいはこの国では普通)。城で働く私たち女官だって、噂さえ聞いたことない人だしね(王族付き女官は特別な人しかなれなくて、私たち一般女官とは住まう場所も働く場所も全然違うから井戸端会議とかもない)。とにかくみんな、王女さまがどんな人なのか、興味津々なわけ。あのガードの固い王も王子も王女さまにべた惚れだって言うからなおさら。
まだたったの6歳だったけど、王女さまは美しかった。お話しするときに少しえくぼが浮かぶのもかわいらしい。こりゃあべた惚れにもなるわ。王女さまのお母さまの王妃は見たことがなかったからわからないけど(こちらも滅多に社交界に出てこない)、兄とも父とも違う美形だったから、母似なんだろう(王や王子も相当な美男だったけど、もう王女さまは別格なの)。すっと通った鼻筋に形のよい唇。透き通るような肌に、切れ長で大きな瞳。王女さまと王子と王がただひとつ共有するものは、きらめく金糸の髪と青い目、かな。でも、やっぱり美しくて、ついつい王女さまに目がいってしまう。
厨房に追加料理の指示をしてから戻ってきたとき、王女さまと目があった。びっくりしていると急に微笑まれた。その美しさと言ったら!(この6年後、12のお披露目会でやっと夜会に顔を出した王女さまは、その美しさゆえにウレスのバラと呼ばれるようになる……のはまた別のお話。)
そのあとも何だか知らないけど、王女さまはこちらばかり見ていた。私は理由がわからなかったけど、いつも以上の忙しさにそれを気に留める余裕がなかった。不自然だったのに。今思えば、私はなめてかかってた。6歳でもエスリアの姫には変わりなくて、とんでもなく頭がキレる子だってことに、私はまだ気づいてなかった。
だから次の日、女官監督の女性(一般区域女官のトップね、すべての女官のトップ・女官長は王族の方で働いてる)にいきなり呼び出されて、配属を変えられたときは心底驚いた。出自もわからないような私に王族付き女官が任されたんだから。しかもあの王女さま付きの。
途中になってしまってすみません。また明日の0時に投稿します。