結
屋敷が燃えております。
燃えておりますのは、太郎兵衛様のお屋敷でございます。動ける者は逃げ惑い、動けぬ者は引きずられ、息ない者は捨てられる。
屋敷を襲う足軽どもは太郎兵衛様のお姿を見つけると、組みふして縄をうち、いずこかに引きたてて行きます。
龍神様が龍ヶ淵を経たれた後に、ものものしく動きだす者たちがおりました。
太郎兵衛様を含めたふもとの村の者たちです。日頃から腹に含むものがあった彼らは、龍神様の留守を幸いと力を合わせて龍ヶ淵を攻めおとそうとしたのでした。
特に大棚田が出来たせいで水に困るようになった村の者の鼻息は荒く、大棚田を狙ってひそかに介入してきていた近隣の大名の後押しもあって、龍ヶ淵攻めは流域の村々の総意となっておりました。
こっそりと募った兵の数は彼らの方がずっと多く、ここに近隣の大名から戦術指南役の将兵が数名、村の者たちに与えるための武器を手土産に、すでに龍ヶ淵周辺に入り込んでおりました。
また、いざとなれば動けるように大名の軍勢も龍ヶ淵に向けて動き出しております。
そして、さあ攻めようとなったその時に、なんと龍ヶ淵方が攻めてきたのでございました。
龍ヶ淵方の兵は主に小作人として雇われた足軽百姓で構成されておりました。その中には、生来より百姓であった者ばかりではなく、無宿人の荒くれやどこぞで用兵を覚えた者もおります。みな手入れされた武器を持ち、えらく訓練が行き届いておりました。そして、そこに水妖どもの手助けが加わります。
龍ヶ淵方とふもとの村方の違いは兵の配置の偏りにございました。
総数では勝るふもとの村方でございましたが、兵の配置は挙兵の前でございましたので、それぞれの村に分散しております。一方で、龍ヶ淵方は全ての兵が龍ヶ淵に集結しております。
つまり、局面での数的な有利というものが龍ヶ淵方にはあったわけでございます。
ですから、龍ヶ淵方は先手を取って動き出し、近場にある上流の村から順番に怒涛のごとく、ふもとの村々を攻め落としていったのでございました。
このようなことができましたのも、ふもとの村々にこっそりと忍び込ませた間者の手引きがあったということもあげられます。
こうして、戦の趨勢はものの数日も経たずに決してしまったのでした。
縄をうたれた太郎兵衛様やその村の者たちは、いずこかに引きたてられていきます。
足軽百姓や水妖の軍勢を横目に見ながら連れて行かれた先には、彼らの大将がおりました。
そこにいらしたのは涼姫様でございます。
涼姫様は太郎兵衛様やその村の者たちを目に止めると、取り巻きの者たちをかき分けて、太郎兵衛様たちの元へと足を運びます。
「お父様、みなさん、お久しぶりでございます。私の顔はまだ記憶にございますか」
驚いた表情をする太郎兵衛様を尻目に、涼姫様はさらに言葉を続けます。
「私は人柱となって龍ヶ淵に捨てられてから、ずっと忘れられなかったことがございます」
涼姫様の表情はお怒りというよりも、どこか悲しみの方が勝られているかのようでございました。
「みなさんの顔です。死んでこいとおっしゃったお父様の顔。輿に乗る私を死人を見るかのような目で見たみなさんの顔です。まだ生きている私に、みなさんが向けられたそんな顔です。それを私はずっと、ずっと忘れられずにいたのです。だから、こうして龍ヶ淵より舞い戻らせていただいたのです」
そして、涼姫様は太郎兵衛様をぐっとにらむと背を向けて取り巻きの軍勢の中に帰って行かれました。
こうして、龍ヶ淵流域一帯を涼姫様はその手で治めることになったのでした。
人界の荒事はこうしてかたがついたものの、龍神様はいまだにお帰りになりません。
しかし、風のうわさは、どこぞの大名の軍勢に大雷がずどんと落ちたなんて奇妙なお話を口伝えに運んできます。
こうして、龍ヶ淵流域一帯を治める大名主となられた涼姫様は、「平手の女房様」とほうぼうであだ名されるようになり、龍神様のお帰りを待ちながら、幼子とともに末永く幸せに暮らしましたとさ。