【第一章】蒼炎のプロローグ(2)
「なに、いまの…」
悲鳴を聞いたフィルが困惑した声を出す。昼休憩も終わりに差し掛かり落ち着いていた教室がにわかにざわつきだすなか、廊下から狼狽した学生が飛び込んできて叫ぶ。
「Aクラスで魔術暴走が起きてる!水系統の魔術師がいたらすぐに来てくれ!」
「魔術暴走!?」
「Aクラスって…フィル、お前のクラスじゃないか」
行ったほうがいいんじゃないのか? といいながら食らいつこうとした二つ目のパンをフィルが取り上げる。
「なに食べようとしてんの! いくよレイス! 止めなきゃ!」
「いや俺が行っても何もできんぞ…」
AクラスのフィルとFクラスの俺。教室こそ隣だが実力は天と地の差だ。
もし暴走を起こしたのがAクラスの生徒が扱う魔術なのであれば、たぶん俺は何もできず死ぬ。間違いなく死ぬ。
パンを取り上げられたので口をつけようとした水も、手に取る前にフィルがひょいと取り上げる。
「つべこべいわずに行くの!」
——だって面白そうじゃない!
長い付き合いだ、こうなるとこいつは話を聞かないことは分かっている。
緊迫した面持ちをしながら爛々と輝く鳶色の瞳をみて、なかば諦めた心持ちで席を立った。
* * *
Aクラスの教室はサファイアブルーの炎に包まれていた。
あきらかに術師の手を離れており、うかつに近づいたものはすべて呑みこまんとばかりに荒れ狂っている。魔術暴走というのは本当らしい。
学院は一流の教師陣が編んだ魔術障壁に守られているため、炎はなんとかAクラス内で留まってはいるが、基本的に魔術障壁は外部からの攻撃に備えたものだ。内側からの圧には脆く、音を立てて軋み始めている。傍目にも限界が近い。Aクラスの障壁を破れば隣のBクラスとFクラスにも炎が流れ込むだろう。
廊下から数名の生徒が初級の水魔術で応戦しているが、炎とは魔力の格が違う。このままでは一時間放水したところで炎を抑え込むのは不可能に近い。
「文字通り焼け石に水だぞこりゃ」
「くだらないこといってないで手伝う!」
廊下に飛び出したフィルは俺の服の袖を強引に引っ掴み、鍛え上げられた脚力でAクラスまでの距離を一瞬で詰めた。同時に右手で宙に水の初級魔術の陣を描く。さすが学年No.2の実力だけあって素早く正確な起陣だ。
「フィル! 来てくれたか!」
「お願いフィル〜〜! もうあたしらじゃ限界!」
ギリギリで炎を押さえ込んでいた生徒たちがフィルを見て歓声をあげた。
高純度の魔力を練り上げるフィルの魔術は初級といえどかなりの威力を誇る。並大抵の炎であれば即座に消え去るだろう。だが——
「あっ…つぅ! 普通じゃないわよこれ!」
魔力のコントロールに苦戦しながらフィルが叫ぶ。
「【ハウゼンブルクの蒼炎】だな」
「なに!それ!」
「王家の懐刀、ハウゼンブルク家の火炎魔術だ。特徴は透き通るような蒼色の炎、んでそりゃもう強い」
「あんたねえ、そりゃ見れば分かるっての! もっとこう、弱点とかないわけ?」
「俺の知る限りではない」
「はあ!?」
背中に隠れて戦況を伺っていた俺をフィルが肩越しにギロリと睨みつける。
これ以上余計なことを一言でものたまおうものなら火の中に蹴り込まれそうだ。慌てて俺は付け足した。
「ま、まあ待て。この場に限ればある。教室の中央にある魔術書、術の根源はあれだ。あれを撃て」
「りょうかいッ」
廊下に炎が漏れ出さないよう全体的に散らせていた水流を、魔術書に集中させていくフィル。フィルの支えを失った周りの術者たちがぎょっとして力を強めた。
フィルの放つ水流が炎の渦を突破し魔導書に辿り着いた刹那、これまでの業火は嘘のように勢いを失う。
そしてがらんどうの教室を残して【ハウゼンブルクの蒼炎】は姿を消した。
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