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最優の解決を 投稿中止  作者: 雨野 素人
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最優の選択

 時刻は午後の5時45分。朝野さんとの第一回勉強会を終えた僕は帰路へとついていた。

 ちょうど学校と家との距離の半分についたあたりでバイトの件を思い出した。急いで学校付近まで戻りバイト先に向かう。


「いらっしゃい。おや、遅かったね」


「すみません」


 バイトは午後の6時からということにしている。今は6時10分。10分の遅刻ではあるが早くに気がついてよかった。


「ほら、着替えて。今日はもうあまり来ないと思うから仕事に慣れて明日からは早く来てな」


「はい」


 ここはシックな喫茶店ということで男性は執事服っぽい制服、女性は秋葉原系ではない方のメイド服を着ることになっている。


「着替えた?それじゃあまずは接客。今おられるのは常連さんばかりで話はつけてあるから多少の無礼は許されるけどきちんと対応して。わからないことがあれば従夜さんに聞いて」


「わかりました」


 すでに真冬は仕事を理解し終わっているらしく慣れた手つきで仕事をしていた。もともと従者になるための育成をされているためか飲み込みが早い。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」


「君、新人かい。かわいいね、四人だよ」


「ありがとうございます。では、こちらへ」


 遠目から真冬を観察する。下手に動くよりも端の方で見ている方が邪魔にならないし勉強になる。


「端のも新人だね。店長が人手不足で悩んでたから助かってるだろうな」


 この人は常連だったらしく調理場の方を微笑ましそうに見ていた。確かに前に店に来たときは店長しか見た覚えがない。店長だけでこの店を回しているはずがないのでタイミングが悪かったのだろうかと思っていた。


「そうだったのですね」


 客とのコミュニケーションも取れている。


「小鳥遊くん、調理場に来て。やっぱり君には調理の手順を教える」


 どうやら僕は接客よりも調理の方が向いていると思われたらしい。僕は料理も残念な人なのだが。とりあえず調理場に行って実力を発揮しようと思う。


「ホールを見てると彼女1人でも問題なさそうだからね、君には調理を担当してもらう。君、料理できる?」


「えーと。残念な部類です」


「そうか。だったら1から教えようか。まずは包丁の握り方から」


 それから店長は注文の品を作りながらも丁寧に僕に料理の基礎を教えた。なかなかに料理をするのは難しいのだが教え方がいいのかすらすらとできるようになっていった。


「君、飲み込みがいいね。いいよ、さぁやってみて」


 まずは簡単な品を。ということでモーニングで出すらしい目玉焼き。

 これに関しては卵をきれいにわれるかどうかだと思うのだが。さすがの僕も失敗はしない。


「はい次。食パンは、まあ大丈夫か。それなら少しレベルアップしてコーヒーを淹れてみてくれ」


 これはインスタントの粉ではなく豆からの作業になる。とは言ってもこれも機械を使うため問題はない。


「よしよし。これで君にはモーニングを頼めそうだ。とりあえずはもう閉店時間だしこのくらいかな。明日の朝を頼めるならここに6時くらいに来てくれ」


「わかりました」


 普段起きるのがそのくらいだ。つまりもう1時間早く起きなければいけない。生活資金のためだ、やるしかない。腕輪をまた使うことになりそうだ。電撃がきくといいのだけど。

 最後の客が出ていくのを確認してから店を閉める。


「従夜ちゃんも明日は朝から来れるかい?」


「はい」


「本当に助かるよ。朝はこの時間帯とは違って人が多かったからね。早い者勝ち状態だったんだ」


 こういう喫茶店は普通のレストランとは違って朝と午後の3時頃がもっとも人が多い時間帯だ。


「そうだったんですね」


「あぁ。それじゃあ今日はこれくらいで。お疲れさま」


 この店の制服は自費で購入したものなので着替えずに店を出る。真冬の方はメイド服だったので着替えるように言ったのだが何故か気に入っているらしく着替えようとしなかった。


「では小鳥遊さま。私は晩御飯の食材を買ってから帰りますのでお先に帰っていてください」


 帰り道にあるスーパーの前で真冬が立ち止まる。そういえば家には食材がなかった。その日その日の生活をしてきたため家に食材がないのは当然だ。


「却下。僕も行くよ。荷物が多くなるだろうしね」


「すみません」


「謝るなよ。これは僕のことでもあるんだから」


 やはりまだ真冬には従者としての意識が残っているようだ。メイド服もその一環だったりするのだろうか。


ーーーーー


 真冬が来てから何かと便利になった。というのも彼女は従者としての意識からかもしれないが自分から率先して家事をしようとする。僕としても家事は苦手な部類だったため素直にさせている。


「小鳥遊さま、お食事ができました」


 今日はハンバーグのようだ。


「明日からなんだけどさ。もし僕がこれで起きれなかったら、起こしてくれ」


 電撃になれてしまったため起きられる自信がない。


「承知しました。では、何時ごろに」


「普段起きる時間から一時間早くにお願い」


「わかりました」


 自分で起きられる自信がないというのも恥ずかしい話だ。


「小鳥遊さまでもそういうことがあるのですね。少し意外です」


「それ、前にも言われたな。目付きだけでクールだと思われたり私生活が完璧に思われる。例えば休日でも平日並みに規則正しい生活してるとかね。実態は午前中はずっと寝てたり」


 真冬はこちらをずっと見ている。そんなに面白い話ではないだろうに。というかむしろこちらが恥ずかしくなってくる。


「はいおしまい。さぁ、冷めないうちにご飯を食べようか」


「はい。ハンバーグのソースを二種類用意してありますのでお好きな方をお使いください」


 マジか。ハンバーグのソースってデミグラスだけかと思ってた。


ーーーーー


 そんな平和な日々が何週間も過ぎ事態が急変したのは定期テストの二週間ほど前。

 真冬がこの家に来てから疾うにお試し期間である1週間は過ぎ、真冬が家にいることが当たり前とかした今、いつものように晩御飯を食べていた時のこと。非通知から電話がかかってきたのだ。


「はいもしもし。どちら」


「早く来て。同じマンションの君のとこから2つ上でエレベーターから3番目の部屋。ロックは外してあるから」


 用件だけ伝えて切られた。スマホを耳に当てるのが嫌でスピーカーにしたから真冬にも聞こえている。


「その部屋は神凪さまの部屋でございます」


「話し方から栞だな。ちょっと行ってくる」


「私も行きます」


 食事を中断して急いで向かう。エレベーターを待つ時間がもったいないので階段を使う。僕の階から2つ上でエレベーターから三番目の部屋。


「えっと。入っていいんだよな?」


 ここまで何も考えずに走ってきたけど普通に考えたら押し入りとかだよな。


「失礼します」


「ちょ、真冬」


 そんな僕を置いて真冬は堂々と入っていく。僕はその後ろをこそこそと付いて行くことにした。


「やっと来た。たぶん最期の言葉。思ったより時間がなかったみたい。僕はもう出てこれないかも。中間テストまでには終わらしてほしい。それまでは頑張るから」


 用件だけを伝えて倒れる。

 出てこれないのに頑張れるのか。それよりも救急車を。


「もう呼んであります。今は言い訳を考えましょう」


「あっ」


 自分がおかれている状態が意外とまずいことに気がつく。

 結局警察と医者には僕達は友達で彼女が急に倒れたと伝えた。必要だと思い医者には彼女が二重人格であることも伝えた。


『勉強会の件、そろそろできますか?』


『あぁ、教師の方はいけそうだ。でも他の《最優》達を言いくるめられるのか?』


『そこは教師を使います。今年の新入生は平均点が例年より低いとかそんな感じの言い訳を《最優》に伝えてもらいます』


『なるほどな。では、その事も伝えておくよ』


『ありがとうございます』


 定期テストまでに、とは定期テストを含んでも結果発表を含まない可能性が高い。であれば《最優》の座を譲る前に決着がついてしまう。ならばそれよりも前に僕が彼女に何かで負ける必要がある。


「小鳥遊さま」


「ん、どうかした?」


「神凪さまの体調は回復傾向にあるそうで、明日には目覚めるそうです」


「そうか、ありがとう」


 病院の待機室。個室に真冬を残して僕は会長と連絡を取っていた。


「これからどうなさるつもりですか?」


「ひとまずは勉強会を開く。急だし神凪がのらなかったらただの校内イベントになるけど」


 予定表には載っていない行事だから自由参加になるだろう。他の《最優》に話がつけられるかどうかもまだ不明だ。


「そうですか。私にできることがあれば何でもおっしゃってください」


「助かる」


ーーーーー


 翌朝、真冬には朝のバイトを休んでもらって神凪の個室に向かってもらった。僕は客が少なくなった頃を見計らって早めにバイトをあがらせてもらって生徒会室に向かった。


「やあ。早かったね。そんなにも私に会いたかったのか?」


「そうです」


「冗談だ。そんなマジな目で言わないでくれ。で、勉強会の件ならもう話した。後は《最優》達がどうリアクションするかだ」


「ありがとうございます」


 《最優》が参加するか否か。最悪でも半数は参加してほしい。そうすれば開催はできる。後はその教科の勉強がしたい奴が勝手に来るだろう。学校行事としてはそれでいい。


「神凪の件はいいのか?」


「真冬、従夜さんに任せました」


「そうか。とりあえず今はそんな感じだ。開催は今週の土、日曜日になりそうだ」


 お辞儀をしてから部屋を出る。それから僕は屋上の方へと向かった。屋上の工事はもう終わっていて自由に出入りができるようなっている。

 屋上への扉まで来たところで後ろから声をかけられる。


「クレンってさ見た目に反してアクティブだよね」


 イリーの日本語も上達していた。成長速度が早いのは彼女の美徳だろうな。


「まあな。ドア越しに聞こえてたか?」


「グループで話はあがってるから前から知ってたよ」


「そういえばそうだったな」


 そして扉を開き屋上に行く。イリーも付いて来た。


「ちゃんとしたフェンスだな」


「そうだね。ネズミ返しっていうのかな、先が曲がってる」


 のぼって出られないための対策だろう。自殺者がいただけにそこら辺の対策はしっかりとしている。


「今日は風が強いな。でもこの季節にはちょうどいいか。少し暑いと感じ始めたところだし」


 まだ夏ではないもののもうほぼ夏の一歩手前だろう。


「どうしてクレンは彼女を救おうとしているの?赤の他人でしょ」


 あれだけフレンドリーなイリーにこう言われてしまうほどなのか。いや、それよりは


「少し変わった?前はそんなこと言いそうになかったけど」


「それはクレンの私に対するイメージだよ。ほら、前にも言ったことあるよね。ここにいるのが私でそれ以外は全部イメージだって」


 そういえばそんなことも言ってたな。入学してすぐの保健室での言葉だ。


「そうか。なら僕がアクティブに見えないって言うのもイリーの中の僕へのイメージだってことだな」


「ハハッ。そうなるね」


 愉快そうに笑っているはずなのに目は笑っていない。あの時もそんな目をしていたような。

 結局全てはイメージで偶像。本物が見えてると思うことは勘違いということか。


「戻ろっか」


「あぁ。そうだな」


 前のハイテンションな方と今の少し冷たい方のイリー。どちらが本物のメトーデ・イリーなのか。なんて、その2択に絞っていることがもうイメージなのだろうか。

 教室までの道でイリーは少し用があるからと生徒会室に入った。僕は特に用もなかったからそのまままっすぐ教室に戻ることにした。


「今日は早いんだな」


「おはよ、鳳。たまには早く来たくもなるさ」


「あっそ。で、勉強会についてはどうなんだ?」


「他の《最優》の参加待ちかな。せめて半数は参加してほしい。じゃないと開催事態が怪しくなる」


 そういえばイリーに参加するか聞いていなかったな。まあ参加してくれる気がするけど今のイリーだと少し怪しい。


「そこまでしてなぜ開催したいんだ?君は学校行事にはそこまで協力的ではないと思っていたのだが」


「それは鳳のイメージだ」


「イメージね。別にイメージでいいじゃないか。僕が君の全てを知らないように君も僕の全てを知らない。だから見た目や少し関わってみた感じでその人を自身の中に作ってみる。そうすれば少しでもその人をわかった気になるから」


「わかった気になるだけだ」


 盛大な勘違いは自身と他者のどちらも苦しめる結果を生む。


「それでいい」


「あっそ」


 なんと言うか朝から難しい話ばかりだな。高校生ってこんな難しい話を日常的にするのか? 


「オッスお前ら。早いな」


「久しぶりに会った気がするな、高安」


「あ?毎日会ってるだろ」


 いつもと変わらないこいつを見ると高安は僕のイメージ通りだと思える。


ーーーーー


 放課後になりいつも通りバイトをしに行く。生徒会室は工事が終わったため用事があるとき以外は行かなくなった。


「今日もよろしくな小鳥遊くん」


「はい、よろしくお願いします」


 店長とも仲良くなり調理技術も向上した。今では調理場担当になっている。


「いやあ。あの頃では予想がつかなかったくらい成長したよね。ほんと」


 まだそんなに経ってないと思うのだが店長は昔を懐かしむような言い方をする。


「従夜ちゃん、最近忙しいのかい?」


「そうですね。そろそろ落ち着きますよ、たぶん」


 2日に一度ほど彼女にはここを休ませている。その理由は神凪だ。何を仕出かすかわからないので監視の意味も込めてお見舞いに行かせている。


「まあ午後のこの時間は人で溢れるほどは来ないからいいよ。さて、仕事するかな。軽ディナーセット5ね?」


ーーーーー


 翌朝。僕はまた昨日と同じくらい早くに学校に向かった。


「やあ。今日も早いね、君は。何の用だ?」


「勉強会について」


「その事なら君を含めてぴったり半数の《最優》が参加を表明したから実行だ。なんだ?そんな事を聞きに来たのか」


 どうせ今日知るだろうに、なんて顔をしている。実際そうだ。教師側も発案者は僕だと知っているはずだから。


「いえ。ただ、気になっただけです」


「そうか。で、神凪はあれからどうだ?」


「精神は安定してるそうです。でもまだ病院からは出ない方がいいって言ってました」


「まあ今はこのくらいだろう。ではな」


 僕より先に会長が生徒会室を出る。なんとなく僕はここにとどまることにした。


「在学生徒の名簿。見ておくか」


 会長の机の上に置かれていた。勝手に見るのも問題かとは思ったが気になったので仕方がない。


「従夜、琴音?」


 現3年生、元生徒会長従夜琴音。会長と会計を兼任。《数学の最優》であるものの他の教科は全て学年2位。備考欄には他の教科の《最優》を取れる素質はあると記されている。


「真冬の姉か」


「そうだ」


 会長。いつの間にか帰って来ていた。


「盗み見とは。まあ私のせいだからなかったことにしといてやる」


「前生徒会長はどんな人だったんですか?」


「琴音さんは、しっかりした人だった。なんでも出来てそれこそ《全教科の最優》になれるポテンシャルを秘めていた」


 会長は昔の事懐かしむように、自身の中でも当時の事を回想しながら話していた。


「天才というのは病だ。天才ゆえに差別される。あいつなら出来る。あいつならってな。例えそれが努力によるモノであっても周りは認めたくないんだよ。言い訳が欲しい」


 言葉に段々と怒気が混ざる。これは彼女にとって過去の回想ではなく戒めだった。


「なぁ小鳥遊。認められない天才はどうなると思う」


「生憎と僕は天才ではないので」


「はっ。減らず口を。まあいい。認められない天才はな壊れるんだ。出来て当然、出来ないのはおかしい。そうやって壊されるんだ。多数のために」


 割れ物注意か。


「《最優》は少なくとも奴らにとっては天才の部類だ。言われたことないか?わかる奴にはわからない奴の気持ちがわからないって」


 初日に言われたセリフだ。追加で鬼とも言われたっけ。


「わかるわけないだろ。努力しない人間の事なんて。とまあ私の愚痴だよ。付き合ってくれてありがとう。それではな」


 名簿を本棚に戻して会長は部屋を出る。今度こそ帰ってこないことを察した僕は本棚から名簿を取り出して読むことにした。


ーーーーー


 終礼で勉強会についての紙が配られた。クラスメイトの反応は多様ではあったが皆、参加意欲を示していた。


「物理と国語、英語の《最優》が不参加。イリーが参加しないのは意外だな」


「君、いつからメトーデさんを呼び捨てで、しかも下の名前で呼ぶようになったんだ」


「3年前」


「嘘つけ」


 あっちの少しクールな方が本当だったのか。残念だ。


「で、3人が不参加の勉強会が開かれるわけか。場所はここじゃないのな」


「え?」


 急いで紙を読み直す。すると場所は学校ではなく、


「英国山自然研修所?で、隣の高校と合同って初耳なんだが」


「さっき説明されてただろ」


 なんと。話を聞いていなかったのか。気がつかなかった。


「《最優》に勉強を教えてもらおうなんて見出しつけてよ。誰の発案だか」


「それは僕じゃないぞ」


 それっぽいことは言い訳に使った記憶が残っているかもしれないけど。


「まあいいさ。それじゃ、部活があるから僕はこのくらいで」


 軽く手をふって教室を出る。僕は彼を見送った後バイトまでまだ時間があることを確認し生徒会室に向かった。


「ハロー、クレン」


「やあイリー。参加しなかったんだね」


 予想通りの人物と出会う。


「へへ、バレちゃった。怒ってる?」


「いや、それはない。参加するかどうかは自由だからね。でも意外だとは思った。僕のイメージとは違うから」


 イリーはイメージと言う言葉に強く反応する。


「そっか。イメージ、ね。まあ参加しても先生じゃなくて生徒かな。考えとくよ」


 それからは最低限の話のみで事務作業をした。勉強会についての書類を会長に代わって発案者の僕がしなければならないからだ。イリーはまた別の作業をしていた。


ーーーーー


 英国山自然研修所。突飛高校から車で30分近くのところにある山に建てられた研修所で、不定期にイベントをしているそうだ。今回のように学校のイベントにも使われることがある。


「一泊二日とは学校側も力を入れてくれたんだな」


「生徒発案の勉強会だ、学校側も力を入れるさ」


 《最優》、教師サイドは通常よりも1時間早くに集合で準備をさせられることになっている。

 服装は学校の行事ということで皆制服だ。


「塩枝さん、参加ありがとうございます」


 僕たち以外のクラスから唯一の教師サイド、《化学と生物の最優》である塩枝さん。初対面の時とは何も変わらず制服の上から白衣を着ていた。暑くはないのだろうか。

 紙には化学と生物、ついでに物理も同時に教えると書いてあったが理科全般ができるのだろうか。というよりも3教科を同時にとは恐れ入る。


「いえ、感謝されるようなことではありません。他生徒のレベルアップは私たち教える側にとってもメリットがあります。今回私は理科系教科の平均を大幅にあげるために来ました」


「よくやるよ」


「2日間も与えられたのですからこのくらいは当然です。《最優》としての責務ですから」


「そうだな、僕もそのくらいの勢いを持たなければ」


 塩枝さんのまっすぐな気合いに圧倒される。そのまっすぐさが彼女を《2科目の最優》の位まで押し上げたのだろう。


「では、準備しましょう」


「と言っても」


「用意すること、全然ないんだよな」


 今回の勉強会は僕たちから手を施すのではなく教師が用意したワークを各生徒が解き分からない点を僕たちに聞くと言うスタイルだ。


「いえ。前もってこれを解いておくのです」


 そのワーク事態は今日配られる。僕たちにもだ。つまり、僕たちも同時進行で解くことになる。それも生徒側に説明できるように。


「そうだったな」


 そうしてワークを解くこと1時間。生徒側がバスに運ばれてきた。


「監視用に先生も来てるよな。やっぱ」


 生徒を乗せたバスの中から見覚えのある人物が姿を現す。


「各教科に一人な。数学担任の浅上だ。仕事がないことを祈ってるからそのつもりでな、小鳥遊」


 数学は浅上先生だ。他の教科も1人ずつ先生が来ている。


「そんじゃ、今から1時間。各教室にて勉強会を始める。各々学びたい教科の部屋に行け。間休憩は15分だ」


 生徒の指揮は浅上先生がとるらしい。人の指揮は僕には厳しいと考えていたから助かる。

 僕も移動する生徒の波に身を任せ教室に向かった。

 ただ1人。過去に嫌になるほどその姿を見たことのある人物に視線を奪われながら。


ーーーーー


 勉強会はその名に違わぬ程授業をした。苦手教科に来ていることもあってほぼ全問題で生徒が行き詰まる。それによってほぼ全問題で授業形式の説明になった。浅上先生も説明してくれてはいたがそれほど力を貸してくれなかった。


「よし。15分の休憩だ。違う部屋への移動もこの間にな」


 そんなこんなで1時間が経過した。

 マイクがないため大声での説明になった。そのため喉が死ぬほど乾いた。前もって飲み物を準備しなかった自分を恨みながら売店へと足を進める。

 が、ある人物が僕を捕まえそのまま人気のないところまで連れ去る。


「よぉ?久しぶりだなぁ、小鳥遊。まだ覚えてるよな?あんだけ遊んでやったんだ。ほら、言ってみろよ。俺の名は?」


 中学の頃僕をいじめた張本人。名前は、


「神道太陽」


「嬉しいぜ。まだ覚えててくれたとはな」


「どうしてここに」


「隣の高校に通ってたんだよ。俺の学力じゃあの高校ぐらいしか受かるのがなくてよ。嬉しいぜ、お前と再開できるなんてよぉ?」


 と言いながら僕の腹に一撃を加える。その衝撃で僕はその場に崩れる。


「また、遊ぼうぜ。あのときみたいになぁ!」


 絶え間なく蹴りを入れる。思い出すあのときの記憶。


「停学になったんじゃないのか」


「心配してくれてんのか、嬉しいねぇ。ほら、よっ」


「うぐ」


「またいい声で鳴いてくれよ。ほら、ほら!」


 あのときとは違って今はあいつしかいない。他人ではなく自分で手を出す必要があるから自分から蹴りや殴りを僕に加える。


「停学つっても退学じゃねえし。卒業のための単位は取ってたからな」


 段々と心を殺していく。抵抗はしない。いじめられた二年間で学んだこと。この方が痛みが少なく済む。


「なんだよ、もう反応が薄くなったな。まあいいや今日はいいもん持ってきたんだよな」


 といってこいつがポケットから出したのは何かの薬。


「こいつを飲めば反応がよくなるって先輩が言ってたんだよな。ほら飲めよ」


 それを袋から取り出し僕に飲ませようとする。さすがにこれは抵抗しないとまずい。


「あぁ?今さら抵抗かよ。いいぜいいぜ。楽しくなってきやがった」


「そのくらいにしなよ」


 と誰かから止めの言葉がかけられる。声がした方を向くとそこにはいるはずのないイリーが立っていた。


「あん?おぉ。これは、上物じゃねえか」


「イリー、どうしてここに」


「言ったじゃん。生徒側としては来るかもって。まさかこうなってるとは思わなかったけどね」


「こんな奴放っておいて俺と遊ばねえか?」


 神道の魔の手が僕ではなくイリーの方を向く。


「無理。私、一方的な愛情は嫌いなの」


「へへ、そんなこと言うなよ。ほらこれを打てば気持ちよくなれるぜ?」


 僕に飲ませようとした薬ではなくそれは注射器のようだ。


「へぇ。なにそれ」


「媚薬だよ。先輩からもらったからいまいち知らねえけどよ」


 こいつの先輩、薬屋か何かかよ。ってつっこんでる場合じゃない。イリーをここから逃がさないと。


「さっきから薬に頼ってばっかで恥ずかしくないの?」


「うぐっ」


 と思っていたのも束の間。先攻イリーで神道が蹴られていた。助け、いらなそうだな。


「やったなごらぁ!」


 蹴られて倒れた神道が怒りを露にする。


「うっ」


「ははは。打たれたが最後、数分もしないうちに薬が身体中にまわり身体があつくなる。ほら、楽しもうぜ?」


 一撃で蹴り倒したことで油断したのか太ももから注射を打たれた。


「んっ。はぁ、はぁ。その前にあなたくらいなら」


「遅いな、動きにキレがなくなったんじゃねえか?」


 絶えず攻めの姿勢をとるも蹴りも先程とは違って速度が落ちていて避けられる。


「降参なら受け付けるぜ。もっとも、降参するならカラダで示してもらうけどな」


「神道!やるなら僕にしろ。イリーは関係ないだろ」


「ふふ、さっすがクレン。でも、問題ないよ。ね、従者ちゃん」


 従者、と呼ばれて影から顔を出したのは真冬。カメラをこちらに向けながら歩いてくる。


「さてと。形勢逆転、だね。どうする?逃げるなら今だよ」


 薬を打たれたはずのイリーは何事もなかったかのように強気だ。真冬もウエストポーチに手を入れ何かを取り出す構えをしていた。


「なんなんだよ、お前ら」


 後から出てきた薬が効かない女に男装をした女、おまけにカメラに証拠映像を残っている。さすがの神道の顔にも焦りの色が見られる。


「小鳥遊くんの友達と従者。まだやるなら手加減はしないよ?」


「くそくそくそ。覚えとけよお前ら!」


「わぁお。ジャパニーズルーザーの名台詞、はじめて聞いた」


 煽るな煽るな。とは言え勝ち目がないことを察した神道はこの場から逃げるように立ち去る。


「すまない。助かったよイリー、真冬も。どうしここに来れたんだ?」


 連れていかれている間、人影のせいで見辛かったはず。少なくともこちらから彼女らを視認はできなかった。


「従者ちゃんがゆっくりと尾行してたんだ。私はそれに気がついてあとから来た感じ」


「見知らぬ方と何やら険悪そうな雰囲気で連れていかれておりましたので。助けられてよかったです」


 あまり感情を表に出さない真冬の顔は心底安心した色をしていた。

 人を、友達を心配させるとここまで罪悪感が生まれるものなのか。


「そうか、うん。僕も弱くなったかな。昔はこんなもの出てこなかったのに」


 と言って目にたまったそれを雑に拭き取る。


「ほらほら、使いなよ」


「助かる」


 少ないお礼で受け取ったハンカチは少しだけ甘い、すがり付きたくなるような匂いをしていた。


ーーーーー


 その後は何事もなかったように戻ろうとしたところを浅上先生に止められる。何発か入れられたこともあって明らかに異常な外傷が1つ外に出ていた。


「今日は休め。授業の方は私がしておく」


「いえ、やります。僕がやらないと意味がないので」


 そもそも来ているか不明な神凪を捕まえるには僕がそこにいなきゃ意味がない。これは僕の問題だ。


「これは教師として言ってることだ。何があったのかは知らないが休め」


 これ以上の文句は受け付けないと表情で示される。ここで引き下がる訳にはいかない。


「せめて、教室にはいさせてください」


「却下。勉強の邪魔だ。黙って休憩室に行け。これ以上は聞かんぞ」


 そうしてドアを閉められる。

 まだ、二時間目。まだチャンスはあるはずだ。これ以上はもう無理だとわかったのでおとなしく休憩室に向かうことにした。

 休憩室のドアを開ける。


「ハロー、クレン」


 いつかのリプレイだろうか。イリーが待ち構えていた。


「怪我、さすがに止められたんだね」


「まあこれ以外にもあるしな。バレてないとは思うけど」


 服の外から出て見える外傷は頬。ただの殴られた跡なのだが鳳のそれとは違い肌が痛々しい感じに赤くなっていた。

 見えてないのは主に腹。まだ確認はしてないけど少なくとも三発は入れられている。今も少し腹の調子がおかしい。


「ベッドはそこだよ」


「いや、今日はいい。この後戻る予定だから。さすがに前みたいに寝過ごすのはダメだ。それよりそっちは大丈夫なのか?変な薬打たれてたよな」


 媚薬といえばいかがわしい物という印象があるのだが。


「あれなら何倍にも希釈されてて私には効かなかったよ。あの後置いていってたから少し舐めて確認したんだ。日本に輸入される経路を調べないといけなかったからね」


「そういうのって警察の仕事じゃないのか?」


 麻薬の密輸入はよくテレビで取り締まっているのを特番で放映している。毎度面白い言い訳が聞けるから見ている。


「私の親が警察なの。このくらいの調査は仕込まれてるからね。まずは匂いからって感じ。従者ちゃんに先を越されたのは少し敗北感あるかな」


 何事もないようにさらりと言うがその内容は普通ではない。


「あ、でもちょっと身体があついかも」


 と言っておもむろにシャツのボタンを外し始める。艶かしく身体を動かす彼女を見て多少の興奮は覚えてもそれが彼女の根から出た行動ではない気がして自制する。


「ノーリアクションか。悲しいな、私には女性としての魅力がないの?」


 少しも焦る様子がない僕につまらないと感じたのかイリーは外したボタンを止め直した。


「そんなことはないさ。ただ、僕には刺激が強すぎるから控えてもらいたいかな」


 あまり同級生をそういった目では見たくないがイリーの体つきは高校生とは思えない。もし、本気で誘惑されたら乗ってしまうだろう。


「そ。じゃあ私はもう行くよ。用事もないからね」


「あぁ。また」


 軽く手を振って見送る。さて、僕もさっさと薬を塗って1時間後に教室に戻ろう。すぐ帰ったらまた追い出されそうだし。


ーーーーー


 1時間の退屈な時間。僕は何をしているのかというとただひたすら、狂ったようにワークを解いていた。


「失礼するよ。おや?君はあのとき私を家から出そうとした」


「小鳥遊だ。出そうとはしてないだろ。ただ、不登校の生徒に学校に来るように言って回っていただけだ」


 ちょうど30分が経過したところで雪巳が休憩所に来た。


「そうだったかな?まあいいさ。私はこれから寝る」


「何しに来たんだよ」


 せっかくの勉強会で寝落ちならまだわかるが堂々と寝に来るとは。


「勉強。ただ私は病気で眠りやすいのだよ。居眠り病と呼ばれるそうだよ。カフェイン剤の大量投与でどうにかしているのだけどね身体に悪いから本当に重要なとき以外は眠るのさ」


 別名ナルコレプシー。僕もテレビで見たことしかない。日中に強い眠気に襲われるとか色々症状があったはず。詳しくはウェブで。


「そうだったのか。悪かったな」


「別にいいさ。あぁ、眠気が。すまないが、ここで落ちるからベッドまで私を頼んだ」


 言いたいことだけを僕に伝え雪巳はその場に足から力が抜けて崩れるように倒れた。


「冗談だろ」


 病気の事もそうだがこいつ、シャツを第2ボタンまで開けてるんだ。その事によって起きてしまう現象。わかってくれ。

 どうしてこう、2連続でこんなイベントが起きるんだ。


「って考える前に閉めればいいんだ。よし、オッケー」


 事件という事件もなくそのまま雪巳をベットまで移動させる。こいつにはもう少し女子としての立ち振舞いを知っていただきたいね。


ーーーーー


 ふと時計を見るともう二時間目が終わる時間帯だった。雪巳が寝ているのを横目で確認しつつ僕は部屋を出る。傷の痛みはもうない、はず。


「やはりな」


 廊下でのファーストエンカウントは浅上先生だった。


「納得してない様子だったから1時間後には出てくると踏んでいたんだ。戻れと言っても聞かないだろうけどな」


「止めないんですか?」


 あの時はあれだけ休めといってきたのに今回は始めから諦めが感じられる。


「私の勘だ。《数学の最優》は間違えない。何か理由があるんだろ?」


「それは贔屓ではないですかね」


「私がそう思ってるだけだ。贔屓ではなく実体験からの推測。その怪我は見えない方がいいな。よし、少し上から色をつけてやろう。こっちに来い」


「そこ、傷口なんですけど何を塗るって言うんですかね」


「化粧だ。色を整えるのに使える。まあ適当にしてればいいさ。化粧がバレる要因は匂い。それ以外はバレにくい、と言うか実際バレない」


 といいながら僕を近場の椅子に座らせてポケットから取り出した道具で僕の頬に何かをつけ始める。


「それも実体験からの推測ですか?」


「これは実験結果だ。私がお前らくらいの頃のな」


 意外だ。浅上先生はクールでマジメ印象があった。これも僕の浅上先生に対するイメージと言われればそうだが。


「何だその目は。まあ私も始めからこんな冷徹な女ではなかったということさ」


 会話しながらも手の動きには迷いがなくおそらくは的確な場所に的確な処置を施していることだろう。


「今は冷徹なんですか?」


 僕から見て浅上先生はクールでマジメ、だが冷徹かと言われればそうではない。それこそ冷徹ならば僕を意地でも休憩所に戻すだろう。


「さあな。冷徹になりたくても何かが邪魔をする。それが何なのか、それを見つけ出すのが一生懸けての宿題だ。なんて、お前に言っても無駄だろうな。ほら、終わったぞ」


 怪我を見つけづらくするだけの化粧だがそんなにも早く終わるのだな。

 ただで戻るのも先生に悪いと思い僕は自分なりの解答を提出してからその場を立ち去る。


「それは心ですよ、たぶんですけど」


 すれ違いざま浅上先生は納得したようにそうか、とだけ言った。


ーーーーー


 数学の教室にたどり着き扉を開けるとそこには見知った顔しかいなかった。

 1時間を先生に託したためにここにいたはずの人は別の場所に移ったのだろう。


「小鳥遊さま。怪我は大丈夫なのですか?」


「ヤッホー。他の教科はもう終わったから来たよ」


「おう、何かあったらしいな。知らんけど。他の教科は何とかなりそうだし来てやったぜ」


「学校ではあまり教えてもらえなかったのでここでは特別、期待してますよ」


 従夜、イリー、高安、朝野さん。そして最後に、教室の隅に座る人物に声をかける。


「珍しいお客人だな」


「従夜さんが来てほしいって言うから仕方なく。ほぼ毎日見舞いに来てくれてたから。これは恩」


「何か病気だったの?」


「少し。ってこんな話はいいから早く始めろ」


 少し声がかけやすくなったか、とちょっとした神凪の変化を感じつつ僕はほぼ全問解き終わったワークを広げた。


「そうだな。わからないところがある人から来てくれ。黒板使って教えるから見たかったら見てくれ」


「はーい。10番の問題」


 それをほぼ言い終わると同時に朝野さんが手をあげた。


「10番か」


「そこは展開する前に同じ部分を見つけてそれらをまとめてください。そうすれば簡単に計算できます」


 僕が答える前に神凪が答える。その間、問題番号を言われて数秒もなかった。


「なるほど。ありがとうございます」


「なあ小鳥遊。これなんだけどよ」


「なんだ?」


「点Pはどうやって動くんだ?」


「どこやってんの、お前は!」


 数学1Aにそんな問題は出てこない。


ーーーーー


 そんなこんなで1時間が経過し三時間目が終了した。どこかからか存在しないはずの《第2の最優》の存在がほのめかされ数学の教室には人が集まった。


「どうしてこうなった」


「神凪さんが数学教えるのがうまいからではないでしょうか」


「僕の立場どこ?」


 よく考えてみればそこまで見た目もよくないし高安達が言うには目付きが通常よりも悪い、加えて言えば二時間目に怪我で欠席。そんな奴よりも少し変わったフードを着ているとは言えかわいいと言える神凪に教えてもらいたいと思うのは普通だろう。

 わかっていても少し傷付くな。


「よし。神凪、後は任せた。僕はそこら辺で違うことしてる」


「無責任。あなたもしなさい。半分は受け持ちます」


 お、会話が成立している。少し感動しそうだ。


「助かる」


「なあ小鳥遊」


「なんだ?」


「このxとyにイコールで結び付いたルートって先に計算するのか?」


 高安にしてはまともな質問だ。


「分母にルートがあるならな。でもそんな問題あったか?」


 一通り解いたがそんな問題は見当たらなかった。ほとんどは分数とイコールでは結び付かずxとyが分子分母の関係にあるため代入後に有理化をするというのが基本だ。


「いや、気になっただけだ。そっか」


「向上心が芽生えたか?いい傾向じゃないか」


「へっ。俺も勉強をしなきゃなって思うことはあるさ」


 と小鳥遊と会話している間、神凪は2、3人を同時に相手にしていた。その姿は聖徳太子のよう。言い過ぎた、訂正する。


「小鳥遊、さん。こっちに来て。他にもたくさんいる」


「僕がいってもなー」


 と言いながらも移動する。神凪の目が恐いから。


「って二重根号は範囲外だろ。なんで手を出したんだ?」


「私が教えるからには発展まで解けるようにしてもらいます」


「たす、けて」


 制服から見て隣の高校の学生が前方を指差しながら机に伏せていた。

 客観的に見れば僕の時もこんな感じだったのか。なんか、ごめんな。


「とりあえず発展は後。今は基本を覚えるときだ」


「わかった。じゃあどっか行って。1人で十分」


 そんな。僕を呼んだ意味。


「小鳥遊さーん。こっちお願いします」


「どこの問題?」


「この集合についての問題なんですけど。バーの付き方がよくわからなくて」


 集合。AかつBのバーはAバーまたはBバーといったド・モルガンの法則を使った問題だ。

 これはこの法則を覚えていないと頭がパンクする。図を書けば覚えていなくても何とかなる、時もある。


「バーの意味はわかる?」


「えっと。それではないという意味でしたよね」


「そう。つまりAかつBのバーは言い換えればAバーかつのバーBのバー。順番に変えていけば?」


「AバーとBバーはそのままバーをつけますけど、かつのバーはかつではない。または、ですか?」


 朝野さんは少し頭がこんがらがっている様だがそれでも十分答えにはたどり着けている。基本は十分身に付いているのだろう。


「そう。それを念頭にいれておけば基本は対策できるよ」


「ありがとうございます」


「こちらこそ。自信がわいてくるよ」


 生徒サイドの注目が神凪に向いている今、僕の存在価値とは。という状況だが僕でもまだ教えられる。それだけで自信ができる。


ーーーーー


 段々と僕に聞いてくる生徒が増えてきてちょうど僕と神凪で半々の生徒を対応するような体制が出来上がっていた。


「よし、1時間経過だ。休憩。この休憩は1時間とる。各自ここの食堂や山を降りてコンビニなどで昼食をとってくれ。解散」


 いつの間にか教室にいた浅上先生によって指示が下された。


「よし小鳥遊。何か食べに行こうぜ」


「そうだな。いつもの面子集めて」


「あの、もしよかったらお弁当。食べませんか?皆さん用に作ってきたのがあるのですが」


 いつもの面子を集めようとした時、朝野さんがそんな予想外の提案をする。


「お、マジで?よっしゃあ!」


 バカみたいに高安は全身で心からの喜びを表現していた。哀れ高安。


「いいのか?」


「はい。けっこうな数を用意しましたので神凪さんもどうぞ」


「私はいい。大人数は苦手」


「いいからいいから」


 さーっと退出しようとする神凪の肩を抑えこちらに連れてくる。

 そんな光景を見ていると久しぶりに見た気がする人物も登場してきた。


「僕を置いて昼食といい度胸だな」


 鳳だ。そういえばこいつ、《地理の最優》として別教室を担当していたな。すっかり忘れてた、存在もろとも。


「私も作ってきましたのでもう少し誰かおられませんか?」


 真冬が遠慮がちにカバンからは大きめのランチボックス、ウエストポーチからは人数分の割り箸を取り出す。


「ハーイ。私も仲間に入れてー」


「あ、そういえば塩枝さんも誘っておいたけど来るかな」


「遅くなりました。昼食を誘われたのですが」


「どうぞ、こっちに。適当な席を使って」


 いつの間にか、いや。いつもの面子に少し別枠が加わっただけの普通がそこにはあった。

 こんな青春のような体験をできるとは中学卒業時の僕は思っても見なかっただろうな。


「ほらほら、先生もどうぞ」


 まだ教室に残って事務作業のようなものをしていた浅上先生にも声がかかる。もちろん声をかけたのは朝野さん。


「ん、私もいいのか?」


「もちろんですよ。余ってしまってはもったいないですし」


「では、いただこうかな」


 皆で食を囲むこの光景は昔見たかった景色にそっくりでなかなかに感慨深いな。あの時、この光景を見ていたら今のこの感想は違ったものになっていただろうか。


「では皆さん!手を合わせて」


「「いただきます」」


ーーーーー


 昼食を終え僕はこの英国山の探検をしていた。


「広いな」


「そうですね。英国山は標高は低いものの横に広いですから。あまり遠くにはいかないようにしないといけませんね」


 真冬もついてきている。神道がまたいつ来るかわからないからと。

 とは言え後ろから誰かがついてくるような気配を感じないからおそらくは問題ないはず。

 英国山は近隣の人の散歩コースにもなっている。そのためこの時間帯にはご老人達が犬を連れて歩いていたりスポーツ選手がランニングしているのが見える。


「神凪にどんなこと言ったんだ?あんなにもやる気出してたけど」


「私は何も。ただ選択肢を差し上げただけです。このままがいいか自分から力を示すか」


「それであれか。まあ、うん。よくやってくれたよ。1位でなかった分は取り戻せたんじゃないか」


 事実、僕とちゃんとした会話が成立していた。理由はそれだけでないにしても改善傾向にあるのは確実だろう。

 少し早すぎる気はするが。


「小鳥遊さまはどう見ておられたのですか?」


「誰を?」


「神凪さまをでございます。今回の勉強会は彼女に必要なものを補うために立案されたと私は考えています」


 そこまで考えていたとは。僕は軽くとしか考えていたかったので驚きだ。


「深読みしすぎだ。僕はただ神凪に自信を持ってほしかっただけだよ。それでこれなら結果オーライだろ?」


「では、二重人格の栞さまの方は」


 自称誰かのためになりたいと思って死んだ霊。霊がこの世にいるかいないかは悪魔の証明であるために省略。あるものとする。


「こればっかしは栞本人に話が聞きたいな。少し引っ掛かってるし」


 少なくとも今日共に過ごしただけでも神凪が自殺を計ってきた理由が見当たらない。そこまで自己顕示欲が強いというわけでもなさそうだった。

 現状は二重人格がいつから出てきたのか。これがこの謎を解くためのキーになるはず。


「でもどうやって出せばいいんだ?もう出てこれないって言ってたよな」


「はい。ですのでご本人に。神凪さまにお聞きしましょう。一時的に意識がなくなるようになったのはいつからか、と」


ーーーーー


 休憩時間が終わりまた勉強会が幕を開けた。今回は始めから神凪と協力体制をとっていたため問題解決が早い。


「小鳥遊くん。どうかしましたか?」


「え、何かおかしかった?」


 急に朝野さんが僕に質問する。その間も手は問題を解くために動いている。


「あ、いえ。その、神凪さんと仲良くなってるなって」


「やっぱりそうだよな。で、実際どうなんだ?」


 この2人の席を近づけたのは失敗だな。

 周囲を見て手をあげている人はいなかったのでパイプ椅子を展開し座る。


「何も。むしろ僕もいまいち分かっていないんだ。嫌悪とまではいかないにしてもそれに近いところまで行っていたと思っていたんだが。今はこうして普通に接して協力している。まるで、これまでの神凪と今の神凪が別人みたいだ」


 明らかにこの場に姿を現せた神凪は僕にこれまでの嫌悪感を抱いてはいなかった。あまり話したくない程度で必要最低限は成立した。

 ここに来るまでに神凪に変化を与えた者がいたとすれば真冬か栞。


「別人か。俺はあんま話したことないしわかんないけど話しやすいに超したことは無いんじゃないか?小鳥遊も少しは話しかけやすい雰囲気出せって」


「おい高安。ここ違うぞ」


「おもむろに話変えやがったな」


「あっ。そこ私も間違えてました」


「難しいよなー」


 ド・モルガンの法則だぞ。覚えてくれよ。


「そこはそれぞれにバーをつけて考えるそうです。かつのバーはまたは、と考えればできますよ」


「お、マジじゃん。ありがとな朝野さん」


「それほどでもないですよ。私も教えてもらった側ですし」


 こうやって知識の輪が広がっていくのだろうな。


「すみませーん。わからないところがあるんですけど」


 僕の管轄のところから手が上がる。


「あ、すまない。今行く」


 僕はパイプ椅子を畳み手が上がったほうに向かう。

 ちらっと別方向を見ると真剣に数学を教えている神凪の姿が目に入った。

 これが希望的観測でなければ謎が解けた。後は確認をするだけだ。


「これってどういう意味ですか」


 彼が指さした問題。そこに書いていたのは。


「お前もド・モルガンかよ!」


 皆も覚えて帰ってくれ。ド・モルガンの法則。


ーーーーー


 それからも問題はなくいたって順調に勉強会は進んでいき午後の7時をもって1日目の勉強会は終わりを告げた。


「今日の勉強会は終了。食事は用意されてないから各自でとれ。復習や睡眠は各自指定された部屋で自由にしてくれ。部屋ごとに風呂の時間は決められているから気を付けるように。解散」


 各学校のクラス別に振り分けられた就寝部屋は学校の寮と同じぐらいの大きさだ。


「今回こそは最初から最後まで風呂に入ってやる」


「と意気込んでいるところ悪いんだけど今回は15分。前回のフルタイムの半分だぞ」


「馬鹿な。そんなことがあっていいのかよ!」


「諦めろ高安。今回は前回より人数が多い」


 突飛高校の生徒に加え隣の高校からも結構な大人数が参加している。向こうはこっちよりも在籍している生徒数が多いから同じ時間でも共に入る人数が違う。ここはもう諦めるしかない。


「小鳥遊、その怪我はどうしたんだ?」


「あ?ってほんとじゃねえか。いつの間に」


 鳳に指摘されて始めて高安は気がついたようだ。


「誰にやられたんだ?まさかただの事故でとは言わねえだろうな」


 明らかに原因は自分にはなさそうな箇所だ。誰にやられたかを聞くあたりお礼参りに行ってくると言い出しそうで怖い。


「古い付き合いの奴とちょっとあってな。問題は解決したから気にするな」


「そうか。今度から言えよ。相談にのるぜ?俺がお前にしてられることなんてそんくらいしかないからな」


 義理深い人ばかりだなこの高校。あの中学が浅すぎただけなのだろうか。


「わかった。ありがとな」


「さーてと。飯行こうぜ。腹減ったしさ」


 風呂まではまだ時間がある。山を降りてご飯を食べるぐらいは。


「そうだな、他に誰か誘うか?」


「誰かと言ってもな。鳳ぐらいだろ。さすがに女子部屋のチャイムをならす勇気はねえぞ」


「いや、そこはスマホ使えよ」


 その後、スマホで男以外の面子にこの館の出入り口に集合をかけた。


ーーーーー


 出入り口付近のロビーにて、僕ら男組は鳳からの一方的な地理豆知識を聞かされていた。


「なあ小鳥遊。そろそろギブ」


「僕もだ。救いの手はまだか来ないのか」


 訂正、男一人とそれによる死体2つがロビーにて発見された。後から来た女子生徒によって。


「お待たせしました。少し準備に手間取ってしまいました」


「私まで呼んでいただきありがとうございます」


「私は無理矢理連れてこられてきた訳だけど」


「いいじゃないですか、大人数で食べると美味しいですよ?」


「非科学的」


 いつもの、というにはまだ回数は少ないが今日1日で見慣れてしまった。


「なあ小鳥遊。男3に女4、素晴らしいとは思わねえか?」


 女4?

 塩枝さん、朝野さん、、神凪に真冬。イリーがいない。


「メトーデ様でしたらする事があると断られました」


「そうか」


 昼の件だろうか。


「んで、3対4ですばらしいとはどういうことだ?」


「わかるだろ?」


「わからん」


 ただ、その笑みから察するに女子生徒とお近づきにと考えてそうなことだけは読めた。


「それじゃ行こうか。山を降りるルートを誰か知らないか?」


「私、知ってます。ここら一帯の地形情報は頭に入れましたので迷子になる心配はないと」


「すごいな従夜さん。それじゃあお願いするよ」


 始めてあった時に彼女は役立たずとか自分の事を散々に言ってたのを思い出して少し笑いそうになる。

 これが役立たずならこの世には存在する価値無しの者が出てきそうだなと。


ーーーーー


 英国山のどこか。正規ルートと短縮ルートのどちらがいいかという質問に対し誰かが短縮ルートと言ったせいで無駄に体力を使っている今日この頃。

 高安、覚えとけよ。


「従夜さん、後どのくらいですか?」


 短縮ルートとは言っても獣道オンリーではなく昔作られた小道に草木が生え誰も使わなそうなだけの道だった。


「後5分くらいでしょうか。もう少しの辛抱ですので頑張ってください」


 従夜さんが先頭で邪魔な草木を切りながら進んでいるためおそらく正規ルートと大差ない時間だ。


「高安、お前後で土下座な?」


「すまねえ。まさかこうなるとは思ってなかったんだ。早いに越したことはないじゃんか、な?」


 男子サイドの会話が耳に入ってくる。この暇な時間を過ごすための冗談半分の話だろう。

 一方で女子サイドは、


「塩枝さんって2つの教科の《最優》でしたよね。どうすればそんなに賢くなれるんですか?」


「そうですね。特別な事は何も、と言えば皮肉や嫌みに聞こえますよね。例えば勉強をする習慣をつける等はどうでしょうか。言うのは簡単ですけど身に付けるのは難しいです。私も昔はそうでしたので」


 真面目な話をしていた。勉強会の後にぴったりな話題だ。


「もしかしてどの教科も同じくらい勉強してるんですか?」


「はい。この学校は1つの教科を極めることを主としていますのでどの教科が最も私に適しているのかを見つけれると思ったのです」


 しっかりしてるな。自分の得意教科を育てるのではなく見つけるために入学する。これも進学の形なんだな。


「そういえばさ、真冬って何で男装してるんだ?」


 初対面の時から思っていた。今ここで聞いていいものかはわからないが話の内容に困ったので仕方がない。


「すみません。ここでは」


「ごめん」


「そろそろ山から出ます。皆さま、晩御飯は何がよろしいですか?」


 やっと植物に360度囲まれた場所から出た。


「あれ?神凪さんがいません」


 言われてから気がつく。会話に参加していない神凪の存在に。どこでいなくなったのかの検討がつかない。


「っ。僕が探してくる」


「私も行きます」


「真冬達は晩を食べたら研修所に戻ってくれ。複数人が同時に迷子になるのは問題だ。1時間経って戻ってこないようだったら警察に連絡してくれ」


 それは責任感から出た言葉だったのかもしれないがもう1つ理由があった。ちょうどよかったから。


「わかりました。ご無事を祈ります」


「ありがと」


 そして僕はこの無駄に広い山へと戻っていった。


ーーーーー


 草木が切られたルートを元にはぐれそうなポイントを見つけ出す。

 時間が経つにつれて捜索難度が上がる。ギリギリ周囲が見えるぐらいには明るかったはずの山中もすでに暗くなっていた。


「神凪!どこだ」


 ひとまずは大声で名前を呼んでみるがこれで見つかるなんて思っていない。迷子を探すための鉄板だと思ったから試しただけ。

 ふと真冬が整えたのとは別のルートが目につく。


「これはわからんよな」


 まじまじと見ると違いがあまりないことが見受けられる。

 この先にも同じようにあるかもしれないがひとまずはここから探していくことにした。


「これは」


 ノートの切れ端。なぜこんなところに。

 いや。これが深読みでなければ神凪は、栞は意図的にはぐれた。理由はわからないが。

 それからもほぼ定期的に切れ端が落ちていたのでそれに従って進むと目的の人物と出会う。


「やあ、来るのが少し遅かったじゃないか」


「無茶言うなよ。急いで走ってきてこれだぞ。何の用だ、いまさら」


「どうしてるかな、と思ってね」


 自分は傍観者だといった風な態度をとる栞。


「お前は何者なんだ。神凪に自殺願望はなかった」


「それは希望的観測ではないのかい?」


「そうかもな」


 でも今日まともに話し合っただけでもわかるんだよ。あれが死にたいと思っている人間の態度じゃないって。

 考え直してみろ、なぜ神凪はここに姿を現したのか。

 これが希望的観測でもそれが僕の解答だ。


「確証はない。今日会って会話しただけで構成されたイメージだけだ」


「君の答えを聞かせてみなよ」


「神凪が自殺を計った理由は、お前だよ栞」


 我ながら非現実的な解答だ。


「死者が死を呼んだ。霊を身体に宿すのは悪影響だった。違うか?」


 この解答が正解なのかはわからない。だが彼女は納得したようにしてあのセリフを口に出す。


「誰かを守りたいって思いながら死ねばこの世に残れるかな?」


「残れてるじゃないか」


 過去に感じたことがある懐かしさ。

 僕は過去に彼女に会ったことがある。確証はないが確信できる。


「覚えてないんだね」


「何の事だ?」


「ここで思い出させてあげてもいいけど時間がないしなー」


「1時間もすれば警察が捜索に来る。頼む」


「わかった。でも、これを見れば本当に僕はいなくなる。神凪が自殺を計ることもなくなる」


「いいことじゃないか。なかったはずのものがなくなるだけだ」


 心ない僕の返答に彼女は悲しそうにして言う。


「そうだよね」

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