⑩ 心ここにあらずして
恐れていたことだと、メリルはまず率直に思った。
「――心を捨てることを選んだって言うのか……? 彼の愛の気持ちにも背かないために、か?」
「彼の愛と、あなたの愛にも、です」
「――目の前で言ってくれるんだね」
メリルはわけが分からないまま失笑していた。何もかも通り越して、笑うことしかできなかった。
「おれが君にその問いの答えを与えなかったせいか?」
「彼とはあれ以上一緒にいられなくて、あなたが、今は一緒にいるから、です」
「……分かんないよ、それ」
「……分かんない、ですか」
「や、あのね。――君が心を捨てるのを選んだことが分からないと言った」
メリルは完全に食事の手を止めた。手を拭きさえした。
「その前の、体を気持ちよくすることについては、――客観的に考えてもちろん正しいと思う。……セフレが成り立つのは、要は肉体関係だけ、って言うのが当事者の間で許容できるからだ」
「じゃ、あ……あたしが、心を捨てるのを選ぶのは、許容されうる、んじゃない、ですか」
「おれには肉体関係だけじゃ済まされない気持ちがあるのに?」
「……」
「――っ、君は、残酷な女だね。……寄ってきた男2人ともを切り落とすってんだから。それで……」
「でも、これからも誰をも選ばないとしたら、変わらないんです、よ」
「確かにそうだけど。でも、こちらには傷がつく」
「それは身勝手な愛だから」
――おれの身勝手な愛か。
メリルは口の端をひくつかせた。
「ほら痛いことを言うじゃない、やっぱり」
「……ごめん、なさい……っ」
「ううん。いいんだよ。おれの一方的な愛情だってのは重々承知している。その上で、いつか君からも愛されるように努めると誓っただけだ。――あのね、そこからだよ。おれが傷つくのは」
彼女の目はどこでもないところを見つめたまま、動くことを忘れたように据わっているのだった。
「おれが一方的な愛情を向けていたことはむしろ反省すべきだったね。で、君はそれを受け取りすらしないことを選んだんだよ。それだってのに、体を気持ちよくするのは、おれとそうするのはいいのかって聞いている」
――めちゃくちゃだよ。
メリルは思わず頭を抱えた。
「おれも君に倣って心を捨てたら、セフレとしては成り立つだろうよ」
「……ごめん、なさ、い……っ――あたしは、あなたを、愛することができません……っ」
「アンジー……」
そこでやっと彼女が顔に表情というものを浮かべた。――悲嘆だった。
顔を両手で覆う彼女。
「心を捨てれば、彼を愛しません……、でも、それは同時にあなたのことも愛さないこと、です……」
「おれだけを愛する道は、ないって言うの」
「……あたしの心は、彼を、ふかく、ふかくあいして、ます……っ」
「――」
それを目の前で聞かされた彼の中で、ぱりんと、何かが割れるような音がした。
「ねえ、……要するにそれよりも深く愛せばいいんだろ?」
「え――」
「そいつをおれが超えればいいんだ。君の心は捨てられる必要もなく、おれを愛してくれるんじゃないの」
「……」
やっと、彼らの目が合った。
彼女はやはり、信じられなさそうな目をしていた。
「超えられると――」
「だからそれは嫉妬だと言ってる」
彼女を遮るメリルの目は鋭く鈍く光っていた。
「……いまさら……っ」