⑧ 空っぽ
彼女は昼前までずっとベッドに潜ったまま、出てきさえしなかった。
メリルは午後に研究所に用事があったので彼女を残して出かけた。
夕方に研究所を出たもののどうしても足取りが重い。
彼女にどのように接するのが正解なのかまるで分からなくて。
――絶対に手に入れる。
それは間違いなく彼の決意であるのだが。
――手に入れることがどういうわけか「違う」んじゃないかという声がどこかから聞こえる。
メリルがそっと家に入ると、寝室の方からごそごそ物音がしているのに気づいた。
彼はそっと覗いてみる。そこに髪の毛を下ろしたままの、彼女の後姿が見えた。
「アンジー、起きたんだ。体調はどう」
はっとしてメリルを振り返る彼女。しかしすぐに、ぷいと背中を向けて手を動かし始めた。
明日帰るからか、洋服を整理している。
メリルは彼女の後ろにしゃがんで、やんわりと彼女を抱擁した。華奢な身体が強張る。
「――君大きな荷物はまだ実家にあるんだよね」
「……」
こくん、と頷いた彼女。
「じゃあ1回実家に戻るのかな。――1人で行く?」
再びこくん、と頷く彼女。
「そう。この服とかここにある他の荷物、明日全部持つのは大変だろうから君の下宿先に後で送ってあげるよ。それでいいだろ?」
メリルは彼女の背後に膝をついた。ぐいと顔を覗きこむ。
彼女の目はどこも見ていなかった。「起きたばかりなのかな」などとは言えなかった彼。
「アンジー……もう明日帰っちゃうんだよね……」
――全然元気にしてあげられなかったじゃない。
彼は彼女の頬に手を当てて、そっと後ろを向かせた。目を合わせる。
しかし、彼女は彼を見ていない。
まるで緑のガラスだった。丸い形をして、彼のことを映すけれども、そこに心はない。
心を閉ざされた、と彼は絶望的な気分になった。
「大好きだった」彼と決別してきたはずなのに、彼女は自分の心までも捨てて来てしまったようだった。
――本当に……?
「おれが君を必ず幸せにするって、約束したよね……」
「……」
さっき頷いて返事はしてくれたのだから言葉は多少通じるはずではあるが。メリルはあと少ししたら言葉さえも通じなくなるんじゃないかという気がした。