⑧ 離れると思うと
眉を曇らせて答えない彼女を、不安そうに見つめ出す彼。
「アンジー……」
すると突如彼がうう、と呻き、ひゃっくりのようにひゅっと息を乱した。
はっとした時には苦しそうに喘ぎ出した。
「――! ロン……」
慌てて振り向いて背中に手を回す。がっくり頭を垂れて、時折引きつけたようにひくっと震える彼。
「だいじょぶ……ロン……ゆっくり」
震える手で彼の口をやんわり塞ぐ。
「心配しないで……」
ため息交じりに彼女は囁く。
だんだん安定した呼吸ができるようになってきた。頭を撫でてやる。
彼の呻き声は次第に切なそうに震えてきた。
「はなれたくない……っ、おわったら、はなれてしまう……」
「――? なぁに……」
恍惚とする時間の終わりは、今度こそ、彼らの別れを告げる。だから終わってしまいたくない。その気持ちが彼の本能も殺いでいたらしい。
彼女はやりきれなくなってきて、こらえきれずに落涙した。
首を横に振って、彼に、「大丈夫」と囁いた。
「大丈夫だから……っ、終わるけど、あたしとロンの関係は終わりやしないから……」
泣きながら慰めるように撫でる。
「……ロン、おねがい、はなしてっ……!」
「離さない――っ、だめだ」
もう空港まで来たのに。彼の腕を逃れようとするがどうあがいても離してくれない。
「だめなの、行かなきゃ! 飛行機に乗り遅れちゃう」
「乗り遅れる? そうしたらお前は帰らない――」
「本気で言ってるの!」
さすがに呆れて声を上げた。
「あたしが乗り遅れたらいいとでも思ってるの! 最低! やっぱり――、こんなロンを見たことないし、っ、行き過ぎた愛情は――時にこういうところで足かせになるのよ」
「――」
言い切った途端に彼の身体が硬直したのが分かった。
おかげで離れることができた。
「……ごめんなさいロン」
青い目が見開いてろうでできたように固まっている。もうどこも見ていない。
「ちがうの、……あたしだって戸惑ってるの、一緒にいたいのはやまやまなんだけど……、でも、あなたはそういうのをすぐに分かってくれて、見送ってくれると思ってたばかりに――」
「じゃ……どうしたらいい」
「ロン……」
聞かれて、耐え切れなくて彼の手をきゅっと握る。
彼の口から、ぜえぜえ、と苦しそうな風の音がした――俄然彼の呼吸は乱れ始めた。
「っ! ロン、だいじょぶ? ああ……っ」
苦しそうだ。
彼はしゃがみこんでしまった。真っ青だった。
体がぶるぶる震えてきた。
「ロン! しっかりして……っ」
彼女の声に異変を悟った周りの人が駆け寄ってくる。そのうちに空港の職員もやってきた。
ほどなくして担架を持った職員が駆け付けて、動けなくなってひゅうひゅう言う彼を乗せて連れて行こうとする。
彼女は付き添いたかったけれど飛行機の時間が迫っていて急いでいることを、空港の職員に申し伝えた。そして、
「これ――彼の名前、実家の住所と電話番号です……お願いします」
連絡先を書いたメモ用紙を渡して、断腸の思いで彼を見送った。
ぼろぼろ涙を流しながら。
自分が見送られに来た、などということはすっかり忘れて。
一部始終を見ていた人が、彼女のことを慰めてくれつつ立ち去っていく。