⑤ 美しいものを喪う時 1
離れようとすると彼は彼女を強く引き止めて離さない。
「アンジー! 『さよなら』なんて言って出て行くな!」
「だめなの」
「『さよなら』じゃない!」
「さよなら、なの……おねがい……っ」
「そんなお願いなんか無意味だ――」
抱きしめられて彼女はそれを拒めなくて、叫び出しそうになるのを必死で我慢した。
再び唇が重ねられようとする。
「おねがいロン……っ、このキスをしたら、もう、忘れて、あたしのこと……っ!」
「忘れない――」
燃え滾る炎のような口づけをした。
「――おれ治すから……ちゃんと一緒にいられるようになるから」
「そうよ。治すって気持ち……忘れないで、でも、無理しちゃ、だめなの」
「無理しないから」
「無理しないでほしいから、あたし、が……あなたの前に姿を現さないようにする。治すためなの、あなたのため」
「それは違う」
「ううん。あたしと会ったら、あなたは無理をしてしまう」
「おまえを探したり執拗に引き止めたりしないから!」
「もう、それよ、今この状態――っ」
揉み合いになるふたり。彼女が離れようとするのを、激しく拒む彼だった。
「それはいまおまえが『さよなら』なんて言って出て行こうとするから!」
「もう会わない。いや、会えない。……だからロン、安心して治療に専念して」
「それじゃしない! おまえと一緒にいるために治療すんだろ……っおまえいなくなったら、もう……」
――生きてられない。無理だよ。
その言葉を聞いて、彼女は体から力が抜けてしまった。
「ロン……そんなこと……」
愕然ともらす彼女を、彼は満を持したように抱き寄せて胸に抱いた。
「う……っ、何でそんなこと言うのよ……! 何で――!」
彼女はむせび泣いた。
むせび泣きながら、彼を抱き返した。彼の金髪の頭をしかと抱く。
手でその頭を撫でる彼女。形を、髪の毛の感触を、丹念に確かめるように。丹念に手に覚え込ませるように。
「おまえをはなさない……! おまえを……っ」
「言わないで――!」
彼女は遮るように唇を塞いだ。
それ以上言われたら――彼女自身が壊れてしまう。自身こそ彼を離せなくなりそうだった。
――このキスで本当に最後にしよう。
そっと唇を離した。
今にも泣き出しそうに顔を歪めたキューピッド。荒れた海のように揺れる青い目。彼女の涙が付いたのだろう、長い睫毛は濡れていた。彼女が撫で回したせいで赤くなってしまった頬。幾度も接吻をしたせいでぽってりと濡れる唇。
それは、繊細な細工が施されたステンドグラスだった。おそらく割れる寸前の。
「……きれいね……ロン……あたしもだいすき……」
「――だったら!」
「……お水、飲む? 大声出して喉痛めたでしょう……ね……」
彼女はコップを取りに立った。彼の使うコップのありかは知っていた。
――そうよ……ここに……変わってない。あたしは彼のこと、少しは知っている……。