⑤ それは大きな穴
リビングに父親が駆け込んで来て、母親は眉をひそめて「何事?」と聞いた。
「あいつ外出たら気分が悪くなったようでな……タオルタオル――とそれから紙」
「気分が悪くなったって? 倒れたってこと?」
「いや、意識はあるんだが。胃の中のもん吐いちまったんだ。ひとまずおれがロンを連れて部屋で寝かせるから」
「お父さん1人で大丈夫? 服とか汚れてないかしら」
「着替えさせるよ。着替えを出しておいてくれないか」
「そう。じゃあそうするわね」
欠けたピースが見つかることはなかった。
父親はリビングに静かに戻ってきた。母親に告げる。
「ロンはやっと落ち着いたみたいだよ……まだ真っ青だが」
「そうなの……」
母親もほっと息をついたが、すぐに立ち上がった。
「お水を用意しておかなきゃ――随分戻したのよね」
「午前中、結構果物を食べてただろ。たぶん全部戻しちまった」
「可哀想に……噛まなくて済むものを用意しなきゃね」
母親はひとまずペットボトルの水を持って、息子の部屋にそっと入った。電気は点いておらず、東向きの部屋はすっかり暗くなっていた。
部屋の奥の、窓際で息子は横になっていた。朝とほとんど同じ光景だった。母親も朝と同じように足音を忍ばせて枕元に近づいた。
蝋人形のように蒼白に染まった彼の顔面。精巧な彫刻のように整ってはいるが輝きを失った、人間と言う名の置物と言ってもおかしくないように見えた。
服は無事に着替えられたようだ。朝とは違うシャツを着ていた。
「ロン……」
母親はペットボトルを枕元に置き、息子の額を撫でた。
――まだ温かい。
母親の手に反応したのか、息子の瞼がぴくりと動いた。目が開くことはなかったが。
そして乾いた唇が小さく動き、掠れた声がもれてきた。
「またあえなかった……」
「会えなかったね……そうだよね」
「どうし……て……」
「……」
彼の額には汗が滲んでおり、前髪から滴るものもあった。――目尻に伝っていく雫。枯渇しきった砂漠には取るに足らないのだった。ここで涙を流しても、すぐに乾いてしまうのだった。
「どうして……」
――もう……いきられない。
母親はそれが寝言であってほしいと願いつつも、彼の整った顔を撫でて囁きかけた。
「おまえは生きていていいのよ……必ず神様が見ていらっしゃるわ……」
涙に濡れた声だった。
一方の彼の声はすっかり乾いていた。
「も……どこにも……みつからない」